千枚の絵皿とトウガラシ
王宮の絵画処では、今日も多くの絵師達が仕事場に篭り、一心に絵筆を操っていた。
仕事場の一角には四角い薄青の皿が大量に積み上げられ、壁面には巨大な二枚の山水画が貼られていた。
山水画の表面には、黒い糸が等間隔で縦横に張り巡らされていた。
その糸で仕切られた一画一画に向かって、絵師達が真剣な眼差しを向けている。
絵師達は、各々が担当となる一画の部分絵を、手元の薄青の皿の上へと書き写していた。
「おい、耀春。この部分の色の濃さは、もう少し強めた方が良いかな…?」
絵師達から声が掛かる度に、耀春は仕事場の中を動き回り、絵師達に指示を与えていった。
「お隣で作業をされている季煌様と、互いに確認しながら進めて下さい。この部分から色の濃淡が微妙になって来ますから。焼き上がりを念頭に置いてお願いします。」
そんな仕事場に、何恭が姿を見せた。
「どうだ、耀春。順調に進んでおるか?」
その声を聞いた耀春は、何恭の元へと駆け寄った。
「はい。ようやく絵師のみなさん全員の筆使いが一定して来ました。これまで二ヶ月の間、田楽様が側について、焼き上がりの発色を指導をして下さったお陰です。数日前から、本番の絵に取り掛かっていますが、この様子なら大丈夫と思います。」
耀春の報告を聞いた何恭が、安堵したように息を吐いた。
「しかし、最初は驚いたぞ。二枚の元絵を各々五百に区切り、それを皿に描き移した上で、また組み直そうなどとは…。何処からそのような発想が出てくるのだ…?」
「父様が、田楽様の作られた皿を見せてくれたお陰です。今回の使節団接遇の目玉は、なんと言っても二日目に行われる饗応の宴ですから。そこで出す料理は、今父様が必死に考えておられます。使節の方々に美味しい料理を食べて頂くと同時に、絵も堪能して頂ければと思いまして…」
「それにしても、誠に良い発想だ。お前一人だけでなく、絵画処の絵師全員が今回の仕事に取り組めるとはな。全員の眼の色が違っておる。」
田楽の窯では、数多くの陶芸師達が、敷地一杯に設置された幾つもの焼き窯の側に取りつき、薪木を焚べたり、焼き上がった皿を取り出したりする光景があった。
「しかし師匠。このように焼き窯を増やしてしまって…。この仕事が終わった後はどうするのですか? 多くの窯が、使われる事なくそのまんまなんて事になるんじゃあ…」
不安気な顔で尋ねる弟子に向かって、田楽が手を振った。
「心配するな。今回の事で、多くの窯元の職人がこの地に移り住むようになっておる。そうなれば、今後のこの地は、国でも最大の陶器の産地になると言う事だ。」
そう聞かされても不安気なままの弟子の顔を見て、田楽が笑った。
「それにな。王宮からも素晴らしい話を伺っておる。」
それを聞いた弟子の顔に、今度は懐疑の色が浮かんだ。
「王宮の役人の言葉なんて、簡単に信じて良いんですか?仕事を捗らせる為に、適当な事を言ってるだけじゃないんですか。」
「いや、今回の仕事を司る王宮責任者の方から、直直に伺った話だ。しかもその場には、あの大店の飛仙の御当主も同席された。」
今度は弟子の眼が丸くなった。
「へぇ、そんな偉い人達に、よく会えましたね?」
「その方は、あの耀春嬢の母者の兄君であった。姪の耀春嬢を心配されて、わざわざ声をかけて来て下さった。同席された飛仙の御当主は、なんと耀春嬢の祖父だそうだ。」
「へぇ…。それで、どんな素晴らしい話なんです?」
「この地の直ぐ隣に、陶器を売る市場街を建設すると約束して下さった。彼の地に市場街が出来れば、此処で作られた陶器を買う為に、全国から人が集まって来る。窯に篭って、買主が訪れるのを待っていただけの今までとは雲泥の差だ。但し競争も激しくなるぞ。良い作品を生み出す技を磨かなければ、あっという間に置いてきぼりを喰う事になる。更なる修行が必要になるぞ。」
田楽と弟子が話をする横で、出来上がった薄青の皿の梱包が始まった。
「これで、基本の皿の焼成は終わりだ。明日からは、いよいよ本番となる絵付の皿が運び込まれて来る。此処からが正念場だぞ。皆、気持ちを引き締めよ。」
田楽の掛け声を受けた陶芸師達は、応と大声で応えた。
潘誕の店では、主人の潘誕が厨房でにんまりと笑みを浮かべていた。
その様子を見た華鳥が、潘誕に声を掛けた。
「嬉しそうですね。何か良い献立が出来たのですか?」
華鳥の声に応えて、潘誕が傍の鍋から中身を皿に掬って、それを華鳥に差し出した。
「味見してみてくれ。あのトウガラシを使った料理だ。」
皿に掬われたその料理を、華鳥は不思議そうに眺めた。
「何なのですか、この料理は……。真っ赤な汁の中に、見慣れない白い食材が浮いている。しかも、この汁は肉を混ぜて餡のようにしてありますね。」
「その白いのは、大豆を潰した汁に、海水を濾した苦汁というものを加えたものだ。淮南が発祥の食品だ。トウガラシに合わせるには、濃い味わいのものだけではなく、柔らかく滑らかな舌触りのものが欲しかった。この二ヶ月、それを考えながら作ったものだ。」
華鳥は、潘誕に手渡された皿から、早速ひと匙掬って口に運んだ。
途端に、華鳥の表情が変わった。
「これは…。強烈な辛味を感じるのに、直ぐにそれが何とも言えない旨味に変わりますね。言われるように、この白い食材が良い仕事をしています。細かく包丁を入れた豚肉の餡のお陰で食べ応えもある。素晴らしいではありませんか。羅馬では、こんな料理が食されているのですか?」
「いや…。王宮に行った時に、徐苑殿に聞いてみたのだが、そもそもトウガラシは羅馬では殆ど使われていないらしい。トウガラシは羅馬の更に西にある大陸の植物らしいのだ。」
華鳥は、皿の中身をあっという間に平らげると、潘誕に空の皿を差し出した。
「おかわりを下さい。これは癖になる味です。病みつきになる人が多そうですね。」
「早速、今晩店で出してみるか。うちの店の常連客連中の舌は一流だ。参考になる話が沢山出てくるだろうな。」
潘誕の言葉通り、その晩の店内では、新作のトウガラシ料理を巡って、常連客達が口々に批評を言い合っていた。
「美味いぞ、これは。途轍もなく辛いが、何故か匙が止まらない。あぁ、もう無くなっちまった。もう一杯、同じものをくれ。」
「俺には、少し辛すぎるかな。もう少し辛味を抑えた方が、しっかりと味わえると思う。」
「俺は、もっと辛くても良いな。この辛味があってこその料理だ、これは…。」
常連客達の声を聞きながら、潘誕は顎を撫でた。
「ふむ…。この辛味の好みというのは、人によって千差万別なのだな。各々の好みに合わせて調整出来れば良いのだが…。」




