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志耀伝(続・ある転生から始まる三国志後記)  作者: 満月光
天才の萌芽
12/31

百年像

劉備帝(りゅうびてい)(びょう)に出掛けた後、耀春(ようしゅん)何恭(かきょう)に対して、それまで日課だった朝の授業を(しばら)く辞退したいと申し出た。

それを了承した何恭は、耀春の申し出の意図を考えながら、ひと月待った。

それでも耀春から何の動きもない事に、何恭は次第に苛立ちを覚え始めた。

とうとう(しびれ)れを切らせた何恭は、耀春と同部屋の小媛(しょうえん)を呼び出した。

「このひと月の間の耀春は、朝に仕事場の支度(したく)を終えた後は、ずっと仕事場に姿を見せておらぬが…。何処(どこ)に行っているか、お前に話はしておるのか?」

「いえ....。朝の支度を終えたら直ぐに出掛けているのは今迄と同じです。違うのは、三日置きではなく毎日という事です。夕刻の片付けまでには戻って来ています。何処(どこ)に行ってるかは教えてくれませんが....。露摸(ろぼ)が一緒なのもいつも通りです。」


それから五日後の朝、何恭の部屋の外から耀春が声を掛けて来た。

「何恭様。申し訳ございません。(よろ)しければ、本日はご一緒頂けますでしょうか?」

直ぐに部屋から姿を(あらわ)した何恭は、耀春と露摸と共に絵画処(かいがどころ)の玄関を出た。

何処(どこ)に行くのだ?」

そう尋ねた何恭は、ふと思った。

ほぅ…。これは前に耀春を劉備帝の(びょう)に連れて行った時と、真逆の展開だな…。

「王宮の外には出ません。王宮内にある小山の(そば)です。」

二人が辿り着いたのは、小山の(ふもと)に置かれた石の像の前だった。

像の上には茅葺(かやぶき)の屋根が(もう)けられ、屋根の中央には大きな樽と竹の筒が据えられていた。

像を前にした何恭と耀春の直ぐ後ろで、露摸が端座(たんざ)した。


「百年像か....。お前は、毎朝ずっと此処(ここ)に来ていたのか?」

隣に立つ耀春の視線は、揺らぐ事なく像へと注がれている。

「はい。この像の上に据えられた竹の筒から(したた)る雫が、絶え間なく像に降り注ぐ様子を、毎日眺めておりました。」

「この像は、蜀の王宮が建てられる遥か昔から、此処(ここ)に据えられていた。あの樽が木々の雨水を集め、竹筒を伝う雫が石を穿(うが)つ事によって、この像が彫られて来たのだったな。」

二人の前にあるのは、今にも跳ね出しそうな雰囲気を(たた)えた石の獅子像(ししぞう)だった。

像の大きさは、二人の後ろで座る露摸よりも少し小さい。

像の全身は黒光(くろびか)りして、その鈍い光が獅子に威厳を与えていた。


像の前に立った耀春は、まるで独り言を呟くように言葉を発した。

「この像をずっと(まも)り続けているという方と先日お会いしました。その方は、お祖父様(じいさま)の代からずっとこの像創(ぞうづく)りを受け継いでおられるそうです。お祖父様(じいさま)が像の原型だけを彫り、後は水の雫の技に(ゆだ)ねたと(おっしゃ)っていました。水の雫が石を穿(うが)ち、このような獅子の姿を(あらわ)す迄に、どれ程の年月がかかった事か...。この像の護人(まもりびと)は、毎朝像の元に通い、像の前に立ち、その様子を見守って来られました。十日毎に像の位置を少しだけ変えて、雫の技を調整して来られたそうです。途方も無い歳月を掛けた芸術です。」


何故(なぜ)、この像が気になったのじゃ?」

「何恭様のお言葉から、時の積み重ねが思いを凝縮して行くと感じました。この像を最初に観た時、言いようもない何かが私の心に響きました。この像に込められた思いが、私の心に語りかけているのだと思いました。」

耀春は、まるで像に向かって話しかけるように言葉を(つむ)いで行く。

「像は世の移り変わりを、此処(ここ)でずっと見守って来ました。漢の衰退から黄巾の乱が生じ、(やが)て三国の蜀の時代となり、そして今の(みかど)が暁を(おこ)されました。そうした長い時の中で、この像を訪れた様々な人々の思いが、像へと込められて来た気がします。この像には、多くの人の心が凝縮している…私にはそう思えます。」


そんな耀春の言葉に、何恭はごくりと(つば)を飲んだ。

「それで…何かを描こうと決めたのか?」

「直ぐに筆は取れませんでした。(おそ)れ多いというか...。この像が宿した心が、私に何かを示してくれるまでは、ずっと此処(ここ)に通わねばならないと思いました。」

「では...いつ筆を取る気なのだ?」

「三日前に、像に込められた何かが、私に描くべきものを示してくれた気がしました。像に宿る魂が、横に座る露摸へと乗り移ったように感じました。それから直ぐに、露摸と共に自分の部屋に戻って、絵筆を手にしました。そして昨夜迄かけて一気に描き上げました。この後、何恭様にその絵を御批評頂きたいと思います。その前に、もう一度この像に会いたかったのです。そして何恭様にも、私が何を題材にしたかを、確認して頂きたかったのです。」

何恭は、耀春と獅子の像を交互に見遣(みや)った。

そして、横に座る露摸へと眼を移した。

成程(なるほど)

獅子像に込められた多くの者達の心が、露摸に乗り移ったのか…。

そう思った何恭は、全身に強い緊張を覚えた。


数日後の(みかど)の居室。

そこでは志耀が、伺候(しこう)して来た何恭の前で腰を下ろしていた。

志耀が座る所から一段下がった場所に、華真、呂蒙、王平の三人が控えている。

「私に、献上したい絵があると聞いた...。しかも耀春が描いた絵と聞いたので、この三人にも一緒に同席して貰ったのだが...。差し支えはないかな?」

そう問われた何恭は、深く頭を下げた。

「お気遣い恐れ入ります。(みかど)拝覧(はいらん)を頂いた後、耀春に近しいお三方にもご覧頂く積りでしたから...。帝のご配慮には、恐縮するばかりです。」


「それでは早速、その絵。観せてもらおうか。」

何恭は立ち上がると一度拝礼し、部屋の中央に置かれた木枠に、一本の絵軸を()(ひろ)げた。

その絵に眼をやった志耀は、思わず息を呑み、じっとそれに見入った。

すると絵軸の横に立った何恭が、静かに声を発した。

「耀春が、初めて写生を止めました。そして(おのれ)の心の情景を描きました。」

一同の前に(さら)された絵は、墨の濃淡だけで描かれた風景画だった。

左下には崖上(がけうえ)に獅子が屹立(きつりつ)し、その上方には遥か遠くまで広がる深山の光景が描かれていた。


()れは....何とも心を揺さぶる絵だな...。絵全体を覆う幽玄の中から、世を想う心が(にじ)み出て来るようだ....」

志耀の声に他の三人も一様に(うなづ)き、華真が感極まった声を挙げた。

「我が(めい)ながら、此れは凄いものです....」

何恭は、もう一度志耀に拝礼すると、自らの評価を口にした。

「耀春をお預かりしてから、未だ長くはございません。それなのに、このように早く此処(ここ)までの境地に達した事に、私も驚いております。この絵は、古今の名画とも肩を並べ得る傑作でありましょう。」

志耀達が、耀春の絵に見入っていたその頃。

絵画処の廊下では、小媛と季煌が並んで立ち話をしていた。

「ねぇ、季煌。耀春が(みかど)に献上したあの絵、あんたも観た?」

「あの絵を、絵軸に貼ったのは俺だからな。手が震えたよ。あの時、本当の絵というものが何かを初めて知った気がした。」

「あの絵を描いてる時の耀春は....そりゃあ怖かったわよ。何かに取り憑かれたような感じで...。同じ部屋にいても、普通ではない気配が耀春の周囲に漂うのを感じたもの。しかもその気配は、耀春の隣にいる露摸から発せられているみたいだった。何度も部屋を逃げ出そうと思ったわ。」


「そりゃそうだろう。あの絵は普通の絵じゃないからな。」

「耀春が絵を描いていた二日間、居ても立ってもいられない気持ちだったわ。耀春ったら、食事にも行こうとしなかったし…。(そば)にいる露摸も同じなの。よほど何恭様に知らせようと思ったけど、季煌にそれを止められたんだったよね。」

小媛にそう言われた季煌は、肩を(すく)めた。

「あぁ、お前に呼ばれて耀春が絵筆を持つ姿を見た時、()れは()だ何恭様に知らせてはならないと思った。あの時の耀春の集中を切っては駄目だ…。そう思ったんだ。」


そう言った季煌は、今度は宙を見上げた。

「しかし耀春のあの絵…。(すさ)まじく荘厳(そうごん)な絵である事は確かなんだが…。それでいながら、あの絵を観ていると、何というか、爽やかな風が、心を吹き抜けて行くような心持ちがした。この世の邪悪なものを全て吹き払うような…。」

すると小媛は、季煌の(そば)に身を寄せながら言った。

「私達の間に生まれて来る子も、耀春みたいになれるかしら?」

「なに...お前、もしかして.....」

すると小媛は、自分の下腹に季煌の(てのひら)を導いた。

「耀春みたいな子供が欲しいよね。可愛くて、優しくて、そして才能に溢れた子が....」


絵画処に戻った何恭が仕事場の扉を開けると、そこには多くの絵師達が待ち構えていた。

何恭を見るなり、一人の絵師が尋ねた。

「師匠、どうだったんですか? 耀春の絵を御覧になって、(みかど)は何と(おっしゃ)ったのですか?」

その場にいる絵師達全員の眼が自分に向けられているのに気付いて、何恭は眼を(またた)いた。

「何なのだ、お前達。誰も彼もが、仕事を放り出して…」

「仕事なんて手に付く訳がないでしょう。早く教えてくださいよ。」


緊迫した様子で何恭の言葉を待つ絵師達を見て、何恭は苦笑いした。

「全く、仕方のない奴等(やつら)だ。」

「そんな事言われても…。耀春は、俺達にとっては娘か小さな妹みたいなもんなんですよ。それに何恭様と並ぶ絵の師匠でもあるんです。気になって当然でしょう。」

そうだ、そうだと騒ぐ絵師達を、何恭は手を上げて制した。

(みかど)は、耀春の絵を大層褒めて下さった。華真様、呂蒙様、王平様の御三方からも口々に賛辞を(たまわ)った。」

それを聞いた絵師達の間から、大きな歓声が起こった。


その晩、潘誕の店は、絵画処の貸し切りとなっていた。

「今晩は皆様ゆっくり(くつろ)いで下さいね。耀春がお世話になってる皆様を、一度店にお招きしたいとずっと思っていたんですが....。随分と実現が遅くなり、相済(あいす)みませんでした。」

一同を(ひき)いて店にやってきた何恭に、潘誕と華鳥が頭を下げた。

「何を(おっしゃ)るのです。この店は、王宮の上の方々であっても容易には予約すら受け付けないので有名ですぞ。それが貸切などとは..…皆、感激しておりますよ。」


「昼に、兄の華真から二つの連絡がありました。耀春の絵に対して、(みかど)から最大級の賛辞を(たまわ)ったと。もうひとつは、今迄耀春を支えていただいた絵画処の皆さんに形ある御礼をしたいので、店を貸切にして欲しいと…。両手(もろて)を挙げて同意しました。しかし、今日の昼に出た話だったのに、今晩直ぐににお越し頂けるなんて…。皆様、かなり無理をされたのではありませんか?」

何恭は苦笑いを見せながら、潘誕と華鳥に頭を下げた。

「いや実は。帝からお褒めを賜った事を皆に知らせたところ、仕事場がお祭り騒ぎになり、その後は仕事どころではなくなったのです。いきなり大勢で押しかけて、ご迷惑をかけているのではありますまいか…」


「大丈夫です。店に来られるお客様には、ちゃんと事情をお話しして分かって頂きますから。でも今日は、耀春は店には顔を出さないのですね。」

そう言ってやや不満気な顔を見せた潘誕に、何恭が言った。

「一つの峠を越えて、()だ耀春自身が気持ちの整理がつかないのでしょう。そんな状態で御両親に顔を合わせる事に躊躇(とまど)いが有るのでしょう。耀春の(そば)には、小媛と季煌を残して来ました。彼らと一晩話をすれば、大分落ち着くでしょう。そうなった時には、出来れば潘誕殿と華鳥殿の方から先に、耀春に会いに行って頂くのが良いかと思います。」


店の外では、胡蝶が、訪れる常連客一人一人に頭を下げながら小さな竹包みを渡していた。

相済(あいす)みません。今夜は、耀春様がお世話になっている絵画処の方々の貸切となっているのです。」

「何....絵画処。耀春…。いや、そうか。残念だがそういう事なら仕方ないな。耀春は元気でやってるんだな。絵描きになっているって聞いてたが…。最初に耀春の描いた絵は、是非この店に貼り出して俺たちにも披露して貰いたいな。」

次々とやって来る常連客達は、事情を聞くと、皆が耀春への激励を口にしながら、手土産に渡された雀焼きの包みを手にして立ち去って行った。


そんな店の外の様子を眼にした何恭が、盃を口に運びながら呟いた。

「耀春を連れて来なくて良かったな。連れて来ていれば、皆が店に雪崩(なだれ)れ込んで来たでしょうな。華鳥殿、耀春は幸せ者ですな。このように多くの人々に激励され、期待されている。」

そう言う何恭に向かって、華鳥は改めて頭を下げた。

「そうですね....。何恭様を始めとする絵画処の皆様には、本当に感謝しています。でも何恭様...。耀春をこれから甘やかさないで下さいね。一つの絵を(みかど)に褒められたくらいの事で、有頂天になられては困ります。」

「これは.....手厳しい。言われるまでもなく、今後、耀春にはさらに上の修行を課す積もりではありますが、それを母者様から念押しされるとは...。恐れ入りました。」


絵画処の絵師達は、次々と運ばれて来る料理に夢中になっていた。

「いやぁ…。本当に美味(うま)いなぁ。耀春に差し入れられた弁当を、たまに相伴(しょうばん)させて貰っていたが、出来立ての料理というのは一味違う。」

「そう言えば、耀春のあの絵だが…。瑞兆(ずいちょう)()に飾られるそうだ…。」

「何…。瑞兆の間と言えば、(みかど)が自ら貴賓を持て成す為の特別な場所ではないか。最大級の扱いだな。」


料理が一段落した時、厨房の入り口で胡蝶が華鳥の背中に声を掛けた。

「本当は、私は耀春様にお会いしたかったです。素晴らしい才能を持っていらっしゃるのですね。この店に来てから、未だ一度もお会いしてないので....。」

それを聞いた華鳥が、胡蝶を振り返った。

「会えるわよ。王宮で...。後で話をしようと思ってたんだけど、医療本処(いりょうほんどころ)の医療長様が、月に一度でいいから、貴女に本処に顔を出して欲しいって言って来てるの。是非手伝って貰いたいんだって。」


「私なんかが、王宮に行ってもお役に立てるとは思えませんが....」

「そんな事はないわ。貴女の助手役の素晴らしさは、私が太鼓判を押すわ。今、医療本処では、ようやく女医を育て始めようとしてるの。そんな女達の世話は、男の人だけでは無理だもんね。だから月に一度でいいから、修行に励む女医の卵達の話し相手になって欲しいって。そう言いながら、貴女に道具出しのコツを教わりたいのが本音らしいけど。」


「そんな...。私が人にものを教えるなんて...」

躊躇(ちゅうちょ)する胡蝶の背中を、華鳥がどんと叩いた。

「自信を持ちなさい。貴女が私と一緒に医療所に行き始めてから二年になるのよ。もう一通りどころか、かなり難しい手術の助手も貴女は務めてきたわね。本処(ほんどころ)の医師達でも経験出来ない程にね。それに貴女は、他の人間には真似が出来ない気配りが出来る。大丈夫よ。」


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