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黄昏せまれば  作者: 上葵
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形而上の未来ノート 1


 三年生になった。

 最終学年というのは憂鬱だ。


 新しい門出が一年後に控えていると思うと、げんなりしてくる。

 大学、いや、社会人になったらこの焦燥感から逃れることはできるのだろうか。

 瞬く間に過ぎて行く季節に、思春期のモラトリアムは加速していく。

 晴れやかとは程遠い沈鬱な気持ちで新しい教室に入り、クラスメートと「おはよう」とありきたりな挨拶を交わす。

 三週間足らずの春休みに、激変した者はおらず、二年生の延長線上のような三年生がスタートを切った。

 強いて変化を挙げるとすると、この学校から『部長』や『黒江さん』はいなくなり、窓から見える景色が高くなったことぐらいだ。


 黒板に書かれた座席表を確認して席につく。

 幸運なことに、僕の席は窓際の一番はしっこだった。最高の位置である。

 鞄をフックに引っ掻け、中に教科書を積めようとしたら、

 がつん、と何かにあたって、入れられなかった。

「ん?」

 右手でまさぐり、入っていたものを机上に出す。

 古ぼけたノートだった。


 表紙は黄ばんで、所々剥げている。

 卒業生の忘れ物か。

 こんなボロボロになってまで使わなくても、と鼻で笑ってから、自分の荷物をしまう。

「……」

 机の上に放置されたノート。

 こういうものの処分が一番困る。

 黒板の上にかけられた時計を見ると、始業まであと五分ほどだった。

 席を立って誰かと雑談するのも微妙な時間だ。

 なんとなしにノートを開く。


『はじめまして。こんにちは。この文章が読めますか? もし読めるのなら、返事をください』


 一行目にそう綴られていた。


 なんだこれ。

 と思いつつ。ノートをパラパラとめくって見る。

 それ以外はなにも書かれていなかった。

 前の持ち主の悪戯だろうか。ずいぶんと趣味の悪い。

 時計を見ると、新しい担任が来るまで時間がありそうだった。

 筆箱から、シャーペンを取り出して、二行目に、

「はい、読めますよ」

 と書き付けた。

 当然なにかが起こるというわけでもない。


 教室中、雑談の花が咲いている。

 クラス替えで、仲のいい友人と離れてしまった僕は一人憂鬱に頭をさげた。

 最悪だ。

 誰とも会話できないのが辛い。

 やることもないとき、ペットボトルのラベルに印字された原材料を眺めるみたいに、僕はノートパラパラとめくってみた。古本に似た匂いの風に、前髪がふわりと浮き上がった。

 変化が起こるわけでもない。


「はい、全員席つけー」


 時間ぴったりに担任が来た。

 これでようやく孤独を誤魔化せる。よくやったと心のなかで拍手を送るが、五分たっても十分たっても話が終わらないので、拍手はいつの間にかブーイングに変わっていた。

「将来が」どうとか「受験」とか「就職」とか、どうでもよかった。

 物知顔で能書きを垂れる新任教師は、他人の人生なんて、知ったこっちゃないってのが本音だろう。心にもない言葉が響くことはない。

 進路も夢もない、暗夜行路の将来に、希望の光が射し込むこともない。

 暇潰しがてら、机の上のノートをめくってみる。

『よかったです。』

 続きが綴られていた。


「へぁ?」

「どうした? えーと、菅野?」

「あ、いや、なんでもないです」

 思わず、すっとんきょうな声が出たら、担任に突っ込まれた。まわりからクスクスと潮騒のような嘲笑があがる。

「まあ、こんな風に、なんとなーく、過ごしていると、一年間はあっという間に過ぎていくわけだ」

 と、僕の失態を教訓に結びつけて、退屈な話が続く。

 ドキドキと高鳴る心臓の鼓動を落ち着けるため、ノートの文章に目を落とした。


『この文章が無事に届いたことに安堵しています。あなたの名前はなんというのですか?』

 綺麗な筆跡だった。

 このノートはなんなのだろう。閉じて裏表と確認してみるが、変哲もない普通のノートで、最新テクノロジーが搭載されているようには見えなかった。市販品と違う点をあげるとすると、バーコードがなく、戦前の代物といわんばかりにボロボロなところだろうか。

 正直、恐怖の感情もある。が、それ以上に好奇心がうずいた。僕は震える手でペンを取り、自分の名前を書き付けた。

「……」

 担任の自慢話も、それをボケッーと聞き流す級友の表情も、まるで画面の向こう側の出来事のように遠くになる。

 ノートに続きの文章が浮かぶのをじっと待つが、とくに変化は訪れなかった。

「……」

 いったん表紙を閉じて、また開いてみる。


『菅野さん、というのですね。もし、よかったらあなたのことを教えて下さい』


 続きの文章が書かれていた。


『構いませんが、このノートはなんなんですか? どういう仕組みなんですか?』


 綺麗な時の下に僕の汚い字が並ぶ。恥ずかしくなった。

 表紙を閉じて、また開くと、続きが書かれていた。どうやら、ノートの開閉が更新にあたるらしい。ルールは理解できたが、仕組みは不明だ。テレビがなぜ写るのか、電話はなぜ通話できるのか、わからないように。


『有難うございます。このノートは一種の特異点です。どの時代でも、どんな場所でも、必ず存在しているモノといえばわかるでしょうか?』


 全然わからなかったので、素直にその旨を書き付けると、


『なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?』

 返答がこれだった。


『形而上学で議論される問題の一つです。無ではなく、なぜそこにそれがあるのかを、理由を繰り返し問う問題です。何故を繰り返して最後に現れることから『究極の問い』とも呼ばれています。『私の時代』においてもこの問題は解決されていませんが、このノートが一種の鍵を握っていると考えられています。このノートはあらゆる時代、場所において必ず存在しているのです。よって、このノートに書き付けたことは、他の次元の方に届けることができるのです』

 なるほど良くわからん。

 電子辞書に訪ねてみても載っていなかった。さすがにスマホをいじるわけにもいかないので、理解することを諦めて、率直に気になることを尋ねてみることにした。

『あなたは誰ですか? 目的はなんですか?』

 開いて閉じるとノータイムで返信がきている。

『私の名前を教えることはできません。目的も詳しく教えることはできません。検閲されています。ですが、このノートが『あなたの時代』では考えられない力を持っていると言うことを明記しておきます』

 なんか腹立つ言い回しだな、と思って、文字を眺めてみると、強調するようにグリグリと『時代』が濃く書かれていた。

 冷徹な言葉とは裏腹にずいぶんと感情的だ。なにか強い意図があるように感じる。

 あなたの時代……、

 前に書かれた文章をざっと眺めてみる。

 私の時代、という文字も強調されていた。

 まさか。

『未来人?』

 端的な質問に、

『ご想像にお任せします』

 とだけ帰って来た。

 もし、本当に未来人なら、ノートに文章が一瞬で浮かぶ理由もわかる。未来テクノロジーが使われてるから……、いや、まて、もしかしたら、

 未来で僕が書く文字を覗き見し、

 僕がノートに文字を書くより前の時代に行き、

 返答を書いておくと

 時空間なんちゃらの影響でリアルタイムにやりとりができるようになってるとか、

 あ、やばい、やっぱり意味わかんない。そもそも、それなら最初から未来人が書いた文章が残っていないとおかしいわけだし、でもそうすると、僕がその質問することもなくなるだろうし、……なに考えてるんだろう、僕は。

 思考を一旦リセットし、ノートに端的に疑問を書き込んだ。

『先ほどあなたは目的は明かせないと言いましたが、僕を選んだのはなにか理由があるのですか?』

『誰かがノートに気づいてくれるかは賭けでした。菅野さんが気づいてくれてほっとしています。それから、目的は明かせないとは言っていません。詳しくは説明できないといったのです。許される範囲ならば、情報を公開していきたいと考えています。私はあなたと仲良くなりたいです』

 どうにもうさんくさいが、非常に興味をそそられる内容なのはたしかだ。

『わかりました。こちらこそよろしくお願いします。僕にできることがあったら何でも言ってください』

 震える手で了承の旨を書く。

『よかったです。助かります。それではまず始めに、あなたがノートに文字を書いている場所と時間を正確に教えて下さい』

 学校と教室の位置、それから今の日付と時間を書き、ノートを開閉する。

『ありがとうございます。確認しました。そちらは今は春ですね。心地のよい季節です。それでは改めて一つお願いがあります』


 担任の話が終わった。長かった。

 今日は新三年生の初日ということもあって、自己紹介などのロングホームルームだけで、一日が終わった。本格的な授業開始は明日からだ。

 放課後、僕は自転車にまたがって、近所を流れる川に向かった。ノートに書かれていたからだ。


『十五時丁度、京田線の高架橋の下に一匹のカマキリがいます。あなたにはそれを捕獲して貰いたい』

 カマキリ、と聞いて、一瞬姿がイメージ出来ず呆けてしまった。

 あの緑色で三角形の頭をした、昆虫のことだろうか。

 虫は苦手だ。

 セミの幼虫ですら、まともに持つことが出来ないのに、カマキリなんてハードルが高い。

 それでもの僕がそこに向かったのは、そのノートの未来予知を半分疑っていたからだ。

 自転車が風を切って走っていく。

 高架橋が見えた。灰色の、飾り気のない、ただの線路だ。

 時間には余裕がある。

 橋脚の近くに自転車を停めて、少しだけ薄暗い橋の下をゆっくりと歩いた。

 ほんとうに、いるのだろうか。

 そもそもいまは四月になったばかりだ。春になって、暖かくなってきたとはいえ、この時期にカマキリなんているのだろうか。

 カマキリは夏か秋ごろの虫じゃないのだろうか。

 カマキリリュージの詞を思い浮かべながら草むらをゆっくりと見渡す。

 最近視力が落ちてきたせいで、ちょっと、見つけづらい。

 ちらりと腕時計をみると、十三時を迎えていた。日は少しだけ傾き始めている。

「あ……」

 いた。

 アスファルトの上に、小さな茶色いカマキリが留まっていた。

「まじか……」

 まさか、ほんとうに、いるとは。

 ガタンゴトンと電車が頭上をかけていく。振動と騒音が凄かったが、カマキリはなれているのか、ピクリともしなかった。

 パニックになりかけた僕は次のミッションに進むための、手段がないことに気がついた。

「どうやって捕まえたらいいんだ……」




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