形而上の未来ノート 2
素手で捕まえるのはハードルが高かったので、飲みかけのペットボトルの中身を捨て、簡易虫かごにし、そこに小さなカマキリを誘導して閉じ込めた。
捕まえるのに、五分くらいかかった。
「ふぅ」
ほっと一息ついて、次のミッションを思い出す。
『捕獲したカマキリを桜観神社の境内の桜の木の幹に放してください』
なぜ、そんなことをするのか尋ねたら『終わってから説明します』
とお茶を濁されただけたった。
ともかくいまは任務達成が最優先だ。
カマキリの入ったペットボトルを前籠に入れて、ペタルを漕ぐ。漕ぐだけ前へと進む。
春風はほんのりと梅の香りが混じり、陽気も相まって、気持ちのよいサイクリングになった。
十分もしないで神社についた。狭い町なのだ。
この時間帯、出歩いている人は以外と少ない。とはいえ、知り合いに出会うことなく移動できたのは幸運だった。
鳥居の横に自転車を停め、拝殿を眺める。
この神社の一人娘は、僕が所属していた部活の部長でもあった。
頭もいいし、顔もいいのに、ふと何を思ったか、東京の声優の専門学校に行くといって、家を出たのが、先月の話。
あまりにもアクティブ過ぎる行動に彼女の知り合いはみなビックリした。
彼女らしいといえば、彼女らしいのだが。
神社に来るのは久しぶりだった。
目的の桜の木は手水舎の近くにある。石畳から外れて、玉砂利が敷き詰められた境内を歩く。
桜の木は堂々と根をはやし、その大きな枝を空に広げていた。
幹は太く、立派だったが、花は散りかけていた。
ひらひらと桜の花びらが舞っていく。
花吹雪は美しかった。
僕は手に持っていたペットボトルの口を幹につけて、逆さにした。入っていたカマキリの子供はプラスチックの滑り台を楽しむみたいに、つるりと、外に飛び出した。
しっかりと幹にしがみつくのを、見届けて小さく口内で「ミッションコンプリート」と呟く。
パンパンと手を叩く音がした。
振り向くと、誰かが、参拝をしていた。女性だ。
む、あの日傘見覚えがあるぞ。
参拝が終わった女性がゆっくりとこちらに向かって歩いてきて、
「あ、ベータじゃん。おっひさー!」
軽く手をあげた。
知り合いの黒江さんだった。
「久しぶりです」
小さく頭を下げると、「よっすー!」とポンポンと頭を叩かれた。
「こんなとこで会うなんて奇遇だねー。なにしてんのー?」
「あっ、えーと」
やばい、この人は相当変な人だけど、変なノートに従ってカマキリ捕まえてたっていったら、変な人に思われる。それは辛い。
「花見、してました……」
とっさに口から出任せが飛び出した。
「一人で……?」
「はい……」
「ふぅーん。きみ、やっぱ変な人だよねぇ」
くそ、誤魔化せなかったか。
「とかいってー、ほんとは留萌のことを思ってたんじゃないのー? うりうりー」
そして、勝手な勘違いをし始めた。
「そういう黒江さんは何してたんですか?」
「そりゃ、今度から始まる大学生活をよりよいスタート切れるようにお祈り捧げてたんだよ」
「切れるといいですね」
中二病隠せるかどうかが重要だと思うよ。
「あ、カマキリだ」
黒江さんは幹に留まっていたそいつを見つけて指差した。
「縁起いいー! 私の前途は希望に満ち溢れている!」
ガッツポーズする。
またよくわからないことを言い始めた。
「カマキリ見つけたら縁起いいんですか?」
「カマキリって、ほら、構えてる姿が祈ってるみたいじゃん。だから、僧侶っぽいってイメージが広く世界に広がってるんだよ」
「そんなイメージないですけどねぇ」
自分で作ったんじゃないのか?
「害虫たべる益虫としても知られてるしね。悪いイメージはメスがオスを食べちゃうとかそういうとこから広がったみたい。物事って、本質を見ないとダメだよねー」
「詳しいですね」
「昆虫博士だからねぇ。それに桜の木は害虫多くて枯れちゃうこと多いからカマキリいてくれたほうが丁度いいんじゃないかな」
「ふぅん……」
ひょっとしたら、それを見越して、ノートは指示してきたのかもしれない。
黒江さんと別れ、僕はノートにミッションクリアした旨を書き、「なぜこんなことをさせたのか」尋ねたが、返事が書かれることは無かった。
何時間待っても更新されない。パタパタとノートを開いて閉じてしてみたが、新しい文章が浮かぶことはなかった。
全部僕の妄想だったんじゃないかと疑いたくなるぐらいだ。
交換日記みたいになったノートの履歴だけが僕の正常を裏付けしてくれていた。
翌日の学校。
春休みのインターバルは終了し、授業が開始されるが、ほとんどがこれから進め方の説明で、しょうもない雑談で終わった。
ただ、数学だけはさっそく教科書を開くことになり、クラスメートのため息が重なりあった。
ノートを準備し忘れたので、気が咎めながらも、昨日の古ぼけたノートを数学用に使おうと、開いたら返事が書かれていた。
「お」
と小さく呟きながら、文章に目を落とす。
『バタフライエフェクトというものをご存知でしょうか』
知っていた。
『わずかな変化が連鎖をお越し、最終的に多大な影響を及ぼすとするカオス理論の考え方です。たびたび蝶の羽ばたきが地球の裏側で嵐を起こすか、と例えられます』
エスエフ小説や映画でよく耳にする言葉だ。
『あなたが捕獲したカマキリはハリガネムシに寄生されます』
「は? 」
思わず口をついてしまった。
数学教師は不機嫌そうに僕を睨み付けた。小さく会釈をしてごまかす。
『ハリガネムシという水生生物は昆虫に寄生し、水に飛び込ませる寄生虫として知られています』
マインドコントロールして、宿主を操作するって、それこそエスエフだ。
『河川に飛び込ませた宿主である陸生昆虫は、渓流に住む魚類の貴重なエネルギー源となっています。ある研究結果では川魚の摂取するエネルギーのうち六割がハリガネムシに寄生された陸生昆虫によって補われていることがわかっています。もし、ハリガネムシが居なくなると、魚は水生昆虫を多く補食するようなり、その結果、水生昆虫のエサである藻が増え、落ち葉の分解が遅れ、生態系が大きく変化してしまうのです』
本当だろうか。
あの小さなカマキリに寄生するぐらいだから、ハリガネムシとやらもそうと小さいに違いない。
そんな小さな生物が生態系に影響を及ぼすとは思えなかった。
『土壌の変化は重大です。あなたの時代、あの神社のご神木にハリガネムシがいなかったがゆえ、遠い未来に地滑りが起き、重要な研究データが失われてしまうことも起こりうるのです。ですが、あなたのお陰で不穏な未来は去りました。感謝します』
手の込んだ、作り話ではないかと疑う僕は最後の一行を読んで、一瞬思考が止まってしまった。
『あなたの時代、おそらく丁度この文章を読み終えた頃、小さな地震がおこります。本来ならば、教科書に乗るレベルの大災害ですが、あなたの住む次元ならば、きっと小規模のものですむでしょう。重ねて感謝いたします。菅野さん、有難うございました。あなたたちの未来の前途を祈っています』
地震?
は?
と思った瞬間、地面がぐらりと大きく揺らいだ。
悲鳴が起こる。机が跳びはね、教室内がシェイクされる。
教師は落ち着いて机の下に避難するようにいい、みな一様にそれに従った。
かなりでかかった。
天井の埃がパラパラと落ち、塗装が砂のように降り注いだ。
それから数秒、地震は収まり、放送で念のため体育館に避難するようにアナウンスが流れた。
「おっきかったねぇ」と一種のアトラクションを楽しんだみたいな感想を述べる女生徒の声を遠くに聞きながら、僕は机の上に広げたままにしておいたはずのノートを探したが、無くなっていた。
未来は誰にもわからない、はずなのに。
大人になったら何をしているか、聞きたかったけど、答えを得る機会は、その時までのお楽しみだろうか。
緊急集会で、震源地は、僕らの町の数キロメートル先の海中だと校長が教えてくれた。津波も地滑りも起きることはなく、死者も行方不明者もゼロだった。
何事もなく、教室に戻った僕は、ノートを探して机をひっくり返してみたが、桜の花びらが一枚、ひらりと舞って、床に落ちた。
というわけで今シーズン終了でございます。
以下、各話の後書きになります。
・狼少女は嘘をつかない
ニホンオオカミをテーマにした小説をいつか書きたいと思って、色々調べたり、考えたりしてたんですけど、どうも長編に出来なそうだったんで短編を作ってこちらに投稿した次第です。
・鉄塔とUFO
暗めの話が続いてたんで、ギャグテイストのを作りました。すぐできました。
・静止した万物は月の光に耳を澄ます
前に似たような話を書いた気がするけど、きっと気のせいです。切ない?話書きたいなぁ、と思ってたんですけど、結局いつも通りな感じでした。他人にどう思われようが、利他的に生きるのも必要だと思います。
・形而上の未来ノート
四話ごとに後書き書いてるんで急遽作りました。未来は白紙だと思います。あらゆる可能性に溢れています。といいつつ、結局人間は簡単には変われないのが悲しいところです。
というわけで、またいつか。




