伽藍の正しい殺し方 1
ぼぎん。
ばぎん。
漫画的な擬音をいれるならそんなところだろう。
女の子が犬を殺していた。
スコップで執拗に、何度も何度も何度も何度も、叩きつけて。グロテスクに変化していく肉塊を見て、喉元に込み上げてくるものを感じる。
夜も明けきらぬ肌寒い朝。薄暗い高架橋の下。
川を眺めてから登校しようと思ったら、そんなバイオレンスに遭遇してしまった。
鬼気迫る表情で動物虐待している少女は近所の中学の制服を着ていた。
お洒落なブレザーでお嬢様校として有名な学校だ。
そんないいとこのお嬢さんがなんだって、行き着くところにいるのだろうか。
僕は疑問を飲み込んで、そっと、その場から立ち去ることにした。
だって、面倒事は嫌いだから。
辛うじて犬の形をしていたソレが、降り下ろされた会心の一撃で、スイカのようにパックリと割れた。心の中で、アーメンと唱えて踵を返す。
ぱきり。
ベタである。
自分でも驚くくらいのベタっぷりだ。
枯れ枝を踏んだら折れて、大きな音が鳴ったのだ。
少女はぴたりと動作を止めた。
「……」
川のせせらぎが遠くに聞こえる。
「見たな」
振り向いて睨み付けられる。朝焼けに照らされた顔立ちは人形のようでホラー映画のような迫力は一切無かった。
駆け出した。
全部を無視して走り出す。
端的にまとめるなら、逃げ出したのだ。
「待て」
ガサリという音がしたかと思ったら、背中に衝撃を感じ、僕は顔面からすっ転んでしまった。
どうやら、飛び蹴りを受けたらしい。
足がもつれてうまく走れなかったのが敗因だ。もとから転びかけてたし。
「痛っう!」
砂利道で転倒することほど辛いことはない。季節が冬でよかった。厚着なのでダメージは少ない。
「ああ、お前でいいか……」
「……」
「起きろよ。責任とれ」
「責任て……」
「見たんなら、手伝え」
手をついて起き上がる。土の臭いが血の臭いに変わる。
「手伝うってなにを?」
「悪魔殺し」
僕にとっての悪魔はいま目の前にいる。
「おい」
「……」
いまの状況は最悪に近い。いつ彼女のフルスイングが来るかわからないからだ。
握られるスコップに、僕は全神経を尖らせた。
「返事をしろ。相づちをしろ。独り言を言う寂しい奴みたいじゃないか」
目の前にスコップの先端が突きつけられる。周りの景色を写すくらいピカピカだ。
「まじで!? すっげー」
「解放された悪魔を殺さなきゃならない」
「そうなんだ。大変だね」
「手伝え」
「いやです」
「見たんなら、責任とらなきゃ」
「通りがかっただけだよ、因縁だ」
「過失であろうとなかろうと、伽藍はお前に手伝ってもらうと決めた」
「とんでもない要請だな」
「名前は?」
「……やまだ」
「下の名前」
「たろう」
「山田太郎か。平凡な名前だな」
「伽藍って、名前もどうかとおもうよ」
「キサマ、なぜ伽藍の名前を知っている!?」
この子、やっぱり頭おかしい。
「伽藍さん、冷静になってよ。悪魔殺しとか誤魔化して心の闇を動物にぶつけるのやめなよ。可哀想だろ」
「悪魔と言ってるだろ」
「日本警察をなめんなよ。すぐに君なんか保護観察だ」
「話を聞かないやつだな。ついて来い」
「は?」
「見てみろ」
伽藍は軍手をはめた手で橋の下を指差した。
言われるがまま惨劇が行われた高架下に戻ると、あるはずのものが消えていた。
すなわち犬の死体。
「理解できたか?」
血の跡すらない、日陰独特の湿気た地面だ。冷たい北風が枯れ草を揺らす。
「つまり君は手品師?」
「違う。依り代を失い消滅したのだ。犬には可哀想なことをしたが、どのみち長くはなかっただろう」
伽藍は瞳を伏せて黙祷した。
「改めて聞くけど、伽藍さんは何者さ?」
「エクソシストだ。あと名前を呼ぶなら呼び捨てでいい」
「悪魔を撲殺する聖職者なんて見たくなかったよ、伽藍ちゃん」
「イメージを抱くのは勝手だが、これが伽藍だ。お前はお前のスタイルでやればいい」
「いや、やらないよ」
「やってもらう。やらねばならないのだ」
「なんでさ」
プックリとした唇が薄く開いた。
「無関係な他人に見られたのだ。一対一ならいい。だが、第三者に見られた場合、悪魔は殺した相手に鞍替えする」
黒い髪が朝焼けに照らされ赤く染まっていく。血潮に似ていた。
「因果応報。伽藍は今、取り付かれている」
「それは大変だね。早く聖水でもがぶ飲みすれば?」
「その程度で往生できるのなら、苦労はしない。いいか、山田。悪魔払いというのは、誰にも見られていない時に殺るしかないんだ」
「あのさぁ、言ってる意味わかってるの?」
「ああ、簡単だ。つまり、伽藍を殺してくれ」
やっぱりこいつは頭がおかしい。
「見るなのタブーというやつかな」
のび太がピンチのときドラえもんを頼るように、困ったら部長に頼ることにしてる。
「毎度毎度のことながら、君はめんどくさい案件に当たるのが好きだね」
「仕方ないじゃないですか」
「これはもはや運命だよ」
西日の射す十和森高校の放課後。
奇譚クラブと書かれたドアの向こうに、
留萌テル部長がしたり顔でソファに座っていた。
長い黒髪を左の即頭部でまとめた活動的な容姿とは対照的に、眉唾なクラブの部長を勤める青春の浪費者。
奇譚クラブは俗称、無駄部と言われている。なぜなら、品行方正容姿端麗眉目秀麗才色兼備なテル部長が所属しているからだ。
かくいう僕も強制的に部活に所属しなければならないという校則に従順に奇譚クラブに入部したのだからとやかく言える立場じゃないのだけど。
「禁室型だね」
マグカップの取手を指でつまんだ部長はゆっくりと注がれたコーヒーに口をつけた。
「具体的に説明してください。僕はいま物凄く困っています」
「禁じられたことをやってしまって悲惨な目にあう、民話の類型をそう呼ぶんだ。見るなと言われれば見たくなる、心理学的にカリギュラ効果と呼ぶらしいよ」
「僕は通りがかっただけですよ」
「伽藍女史の悪魔祓いを目撃したのであれば、それは丑の刻参りと同じだよ」
「木に藁人形刺すやつですか?」
「そう。生命力が強い木に藁人形を五寸釘で突き刺すことで呪いを成就させる。ただし、他人に見られることで呪いが無効化し、術者に跳ね返る。それが丑の刻参り。エクソシストとやらは呪術師に近いものがあるんじゃないかな」
「チラ見しただけで巻き込まれるなんて理不尽ですよ」
部長は嘆息ぎみに僕を見た。
「川を眺めてから登校するという趣味をやめたらどうだい? 無意味だからさ」
「せせらぎを聞いていると落ち着くんです」
「F分の1の揺らぎ。ロウソクの揺らぎなどは癒しの効果があるといわれてるけど、エセ科学らしいよ」
「別にいいじゃないですか。実際に癒されてるんだから」
「君に至っては川が基点となって不幸に見舞われているみたいだから、老婆心ながら忠告をね」
「習慣だから仕方ないです」
「そんなこと言ったらサラリーマンは全員タバコがやめられなくなってしまう」
わざとらしく肩をすくめ、呆れたように僕を見る。
「橋はあの世とこの世を繋ぐ象徴だ。不可思議な事に巻き込まれるのも必然だよ」
「そうかも、しれませんね……」
「まあ、いいや。その話はやめておこう。いまは伽藍女史についてだね」
長いまばたきを一度してから部長は続けた。
「伽藍……僧侶が修行する清浄な寺院のことだ。寺院は俗世間との境界を意味する。彼女はエクソシストと名乗ったそうだね」
「はい」
「それは酷くイビツだね」
「なんでですか?」
「伽藍は仏道。エクソシストじゃキリスト教じゃないか」
「関係あります? ただの名前ですよ」
「名前は重要だよ。名は体を表すから。それを偽るのは自分を否定するのと同じだよ。理解したかな、やまだーくん」
「死の恐怖を感じたら警戒するのも当たり前じゃないですか」
部長は反論を無表情で受け止めた。
「悪魔を殺すのに撲殺というのはいささか驚いたけど、誰かに見られた場合、殺した相手に悪魔が憑依するとは考えがたいな」
「なんでですか?」
「それならば、彼女は悪魔祓いを誰に教わったんだい?」
部長は目を細めて微笑んだ。
「複雑な悪魔祓いを口頭で伝えられるとは考えづらい。見学ができないのに、エクソシストになれるだなんて、そんな甘いもんなのかな」
「僕は知りませんけど……」
「今度伽藍女史に会ったら聞いておいてくれよ」
「……」
まだ言っていなかったが、このあと伽藍と会う約束がある。
連絡先の交換なんてしてなかったけど、生徒手帳を人質に取られたのだ。
憂鬱になる僕を部長は半目で見つめてきた。
「それはそうと、昨日夜遅く国道で轢き逃げ事故があったらしいよ」
「突然なんですか?」
コーヒーを飲み干したらしく、彼女は小さな息をついてから、カタンと机にマグカップを置いた。
「被害者の雑種犬は散歩中の小型犬に襲いかかるなどの犯行を繰り返し、保健所から指名手配されていた……」
「もしかして伽藍が殺した犬のこと言ってます?」
「ワンちゃんはもとから死にかけだったのかもね」
「何度も何度もスコップ叩きつけてたんで、なんにせよ性格は歪んでますよ」
「それは安楽死とも呼べる」
猟奇的すぎる救済措置だ。




