第二十一話 すべてが、白くなった日
朝、目を覚ましたとき、右手の格子は、もう一段、進んでいた。
「ふだん」、という単語を、頭の中で、出そうとして、出なかった。
出ない、というのが、はじめての動作だった。
朝の支度は、進んだ。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
母親の「いってらっしゃい」は、いつもより、ほんの一拍、長く、続いた。
「気をつけてね」
加えられた一拍を、母親の側で、何かを、薄く、知っていた、気がした。
ただし、知っていた、を、確かめなかった。
確かめる、という動詞が、今朝、出なかった。
玄関を、出た。秋だった。空は、薄い色だった。
信号待ちで、いつもの位置に、立った。
視界の右側に、スーツの女性が、戻っていた。
ここ数日、彼女は、いなかった。今朝、いた。
駅前の方角に、革ジャンの男も、いた。商店街の交差点の方角の、もう一段だけ、奥の方で、作業服の男も、いた。
三人とも、ふだんの位置に、戻っていた。ただし、戻った、というのが、ふだんに、戻った、では、なかった。
三人とも、同じ方向を、向いていた。
向いている方向は、街の中央の、商店街の、さらに奥、だった。
商店街のアンテナの上に、鳩が、いた。数の問題では、なかった。
鳩は、何かを、待っていた。
校門の手前で、足を、ほんの一拍、止めた。後ろを、振り返らなかった。
一限が、始まった。現代文だった。
二限も、ふだんに、進んだ。三限も、四限も、昼休みも、五限も、ふだんに、進んだ。
ふだんに、進んだ、というのが、たぶん、今日が、ふだんの、最後の日、だった。
放課後、部室のドアを、開けた。
ドアの内側に、アンドロイド七瀬が、立っていた。
半歩ずれた位置に、立っていた。
固まっていた。
「おかえりなさい」
「……ただいま」
いつもの「おかえりなさい」と、いつもの「ただいま」が、部室の入口で、交換された。
交換、というのが、ふだんの交換だった。
ただし、ふだんの交換、というのが、たぶん、今日、ふだんに、最後の、交換だった。
副部長が、今日は、お茶を、淹れて、いなかった。
淹れて、いない、というのが、今日の副部長の、ふだんではない動作だった。
副部長は、窓の外を、見ていた。
ふだんの副部長は、「見えなかったけど」、を、ふだんの動作にしていた。
今日の副部長は、「見えていた」、を、ふだんの動作にしていた。
「見える」と「見えなかった」が、副部長の側で、ほんの一拍だけ、入れ替わった。
副部長の視線の先、商店街の奥、街の中央に、ふだんではない形が、ふだんではない形で、立ち上がっていた。
立ち上がっていた、というよりは、たぶん、空の方から、降りてきていた、というのに、近かった。
形は、ふだんの建物の系統では、なかった。
色は、ふだんのコンクリートの、灰色、では、なかった。
ほんの一段だけ、青く、寄っていた。
青く、寄っていた、というのが、ふだんの空の青さの系統でも、なかった。
別の系統の青さに、ほんの一段、近かった。
形は、ふだんの建物のように、静止していなかった。
ほんの一拍ごとに、ほんの一段だけ、別の角度に、ずれていた。
街中で、複数の声が、薄く、聞こえた。
声、というよりは、たぶん、音、だった。
音、というのが、ふだんの音の系統では、なかった。
車の、エンジンの系統でも、なかった。
電車の系統でも、なかった。
金属が、金属に、こすれる、ような系統に、ほんの一段だけ、近かった。
別の系統の音が、街中の、いくつかの場所から、同時に、上がっていた。
同時に、上がった、というのが、たぶん、今日、はじめて、街中の、いくつかの場所で、ふだんに、同期した、別の動作だった。
副部長が、ふだんの声で、ふだんの位置から、言った。
「これ、来たね」
「うん」
「ふだん、終わった」
「うん」
「続けるなら、続けるよ」
「うん」
副部長の「ふだん、終わった」、というのが、たぶん、今日、はじめて、副部長の口から、出た、ふだんではない、宣言だった。
宣言、というよりは、たぶん、ふだんに、確かめた、というのに、近かった。
確かめた、というのが、たぶん、副部長の、ふだんの動作の、最終形態だった。
「続けるなら、続けるよ」、というのが、たぶん、副部長の、ずいぶん前から、ふだんに、続けてきた動作の、最後の延長だった。
副部長の「続ける」が、今日、はじめて、僕の側に、ふだんに、接続された。
今村さんは、自分の指を、見ていた。
見ていた、というのが、今日、はじめて、見て、いた、になっていた。
ここ数日、見ていない、が、今村さんの、ふだんだった。
今日に限って、見ていない、が、見ていた、に、戻っていた。
指の上に、薄い格子が、乗っていた。
戻り直す動作が、今日、ふいに、戻ってきていた。
今村さんは、自分の指を、ふだんに、見ていた。
見ていた、というのが、たぶん、今日、はじめて、見られていた、というのに、気付きはじめている、ような気が、した。
ルウアは、立っていた。
ただし、立ち方が、ふだんのルウアの立ち方では、なかった。
数日前に観察された、関節の、ふだんではない角度が、今日、全身に、広がっていた。
ルウアは、たぶん、ふだんに、彼女の、ふだんではない側の、機能を、表に、出していた。
表に、出していた、というのが、たぶん、今日、はじめて、彼女の側で、ふだんに、起きた動作だった。
アンドロイド七瀬は、ドアの内側で、ふだんに、固まっていた。
ただし、今日の固まりは、ふだんの「呼ばれて、はじめて、動く存在」の固まりとは、違っていた。
今日の固まりは、たぶん、何かを、待つ、固まりだった。
待つ、というのが、今朝の鳩と、同じ系統の、待ち方だった。
待つ動作が、今日、街中で、ふだんに、同期していた。
副部長が、ふだんの位置で、立ち上がった。
「行こう」
「うん」
「街の中央に、行く」
「うん」
「あんたが、行くなら、私も、行く」
「うん」
「ルウアも、たぶん、行く。七瀬も、行く。今村さんも、行く」
「うん」
五人が、部室を、出た。
廊下は、もう、静かでは、なかった。
廊下の窓ガラスの外で、午後の光が、ふだんの色では、なかった。
ほんの一段、青く、寄っていた。
階段を、降りた。
階段の音は、ふだんの音だった。
ふだんの音、というのが、たぶん、今日、最後の、ふだんの音だった。
校門を、出た。
街は、ふだんの色では、なかった。
信号は、止まっていた。
止まっていた、というのが、ふだんの止まりとは、違っていた。
ふだんの止まり、というのは、赤の状態だった。
今日の止まりは、赤でも、黄でも、青でも、なかった。
光っていない、止まりだった。
光っていない信号の、ほんの一段、奥の方で、別の光が、薄く、点っていた。
ふだんの信号の光、では、なかった。
別の色の光だった。
色の名前は、頭の中に、なかった。
商店街のシャッターは、半分だけ、開いていた。
開いている店の中には、人が、いなかった。
いない、というのが、今日、はじめての、いない方、だった。
街中の人は、ふだんの数より、ほんの一段、少なかった。
ただし、いない、では、なかった。
いる人は、いる位置から、動かなかった。
ふだんの動き、では、なかった。
いる人の中の何人かは、空の方を、見ていた。
空、というよりは、街の中央の、ふだんではない形を、見ていた。
見ている人の表情は、ふだんの表情、では、なかった。
五人で、街の中央に、向かった。
ルウアは、僕の半歩、後ろに、いた。
副部長は、僕の真横に、いた。
今村さんは、副部長の半歩、後ろに、いた。
アンドロイド七瀬は、ルウアの、ほんの一段、後ろに、いた。
歩く速度は、ふだんの速度だった。
ふだんの速度、というのが、五人の側で、同じ速度に、なっていた。
ルウアの歩き方は、ふだんの歩き方では、なかった。
関節の角度が、全身に、広がっていた。
歩幅は、ふだんより、ほんの一段、長かった。
副部長は、ふだんの歩き方だった。
ただし、ふだんの歩き方、というのが、今日に限って、ほんの一段だけ、深く、地面に、置かれていた。
地面に、置かれていた、というのが、副部長の側で、契約の、ふだんの形だった。
今村さんは、自分の指を、見ながら、歩いていた。
歩きながら、見ている、というのが、ふだんの今村さん、では、なかった。
ふだんではない今村さんが、今日、ふだんに、歩いていた。
アンドロイド七瀬は、走っていなかった。
ただし、彼女の体は、ほんの一段ずつ、ふだんではない方向に、向きを、変えていた。
向きを、変えていた、というのが、たぶん、走り出しの、ほんの一拍、手前の、別の動作だった。
街の中央の、信号の、ほんの一段、手前で、僕は、止まった。
止まった、というのが、誰かに、呼ばれた、というのに、近かった。
その動作が、今、戻ってきていた。
振り向くと、内山さんが、立っていた。
内山さんが、こちら側に、立っていた、というのが、夢の中、では、なかった。
夢の中、では、ない、というのが、今日、はじめての位置だった。
内山さんの服装は、ふだんの服装だった。
ただし、ふだんの服装、というのが、向こうで、観察した内山さんの服装と、ほんの一段だけ、別の系統だった。
立ち方も、ふだんの内山さんの立ち方だった。
ただし、立っている地面、というのが、ふだんの地面、では、なかった。
光っていない信号の、ほんの一段、手前の、地面、だった。
内山さんは、ふだんの内山さんだった。
ただし、ふだんの内山さん、というのが、向こうで、観察した内山さんと、別の系統の、内山さんだった。
同じ系統では、ない、というのが、今日、はじめて、僕の側で、観察した、内山さんの、ふだんではない、ふだんだった。
内山さんが、ふだんの声で、言った。
「君は、その『普通の人間』には、たぶん、もう、戻れない」
短かった。
言った内山さんの声は、ふだんの内山さんの声だった。
ただし、ふだんの内山さんの声、というのが、ある夜の四限の、夢の中で、聞こえた声と、同じ系統だった。
言ったあとで、内山さんは、ほんの一拍だけ、僕の方を、見た。
見たあとで、視線を、街の中央の方に、置き直した。
置き直した視線の先で、街の中央のふだんではない形は、もう一段、奥の形に、ほんの一拍ずつ、ずれて、いた。
内山さんは、それから、ふだんに、視線を、戻さなかった。
別の動作、というのが、たぶん、内山さんの側でも、戻さない、を、選んでいた、というのに、近かった。
内山さんが、言った言葉は、ある夜の四限の、机に、預けた、夢の中の言葉と、同じ言葉だった。
同じ言葉、というのが、今日、夢の中ではない、こちら側で、ふだんに、受領された。
受領した、というのが、選ばずに、受け取った、の系統だった。
受領した瞬間、頭の中の引き出しが、ふだんに、開いた。
「身体」「彼女」「彼女ではない」「もう一人」「保持してしまう」「保持できない」が、引き出しの中で、ふだんに、並んでいた。
引き出しの並びの、ほんの一段、奥の壁には、空白が、あった。
空白、というのが、たぶん、別の単語が、入る、ふだんの位置、だった。
ただし、今、その位置には、何も、入って、いなかった。
入って、いない、というのが、たぶん、引き出しの、ふだんの、もう一つの形だった。
副部長が、ふだんの位置で、僕を、見ていた。
副部長の視線の中に、薄く、別の温度が、ふだんに、置かれていた。
置かれていた温度は、たぶん、副部長の、続ける、の温度だった。
街の中央の、ふだんではない形が、空の高さで、ふだんではない動きを、した。
動きは、形を、ほんの一段だけ、別の形に、変えた。
変えた、というよりは、たぶん、もう一段、奥の形が、表に、出てきた、というのに、近かった。
そのとき、僕の頭の中で、向こうの七瀬の声が、ふいに、聞こえた。
声は、ふだんの七瀬の声では、なかった。
「母はもう遅いわ」
短かった。
一度のみ、だった。
「母」、というのが、今日、はじめて、僕の頭の中で、「彼女」と、繋がった。
「身体」「彼女」「彼女ではない」「もう一人」「保持してしまう」「保持できない」の隣に、「母」が、ふだんに、入った。
そのとき、ドアの内側で、ふだんに、固まっていた、向こうの七瀬の体が、ふだんに、動いた。
動いた、というのが、数日前の「踏み出す」と、同じ動詞だった。
ただし、今日は、踏み出す、では、なかった。
走る、だった。
走る、というのが、踏み出す、の、次の動詞だった。
アンドロイド七瀬は、五人の列を、ほんの一拍で、抜けた。
抜けた、というよりは、外した、というのに、近かった。
アンドロイド七瀬が、街の中央に向かって、走った。
走り方は、ふだんの走り方では、なかった。
ふだんではない走り方、というのが、たぶん、彼女の、最後の動詞だった。
走りながら、彼女は、ふだんの声で、ふだんの温度で、言った。
「おねぇちゃんは、私が、守る」
短かった。
ふだんの温度だった。
ルウアが、ふだんの位置で、ふだんの声で、言った。
「やめて」
言ったが、止まらなかった。
止まらない、というのが、ルウアの、はじめての動作の、失敗だった。
ルウアが、もう一度、言った。
「やめて」
二度目も、止まらなかった。
二度目、というのが、ルウアの、はじめての動作の、もう一度の、失敗だった。
アンドロイド七瀬は、走り続けた。
走った先で、彼女の足が、街の中央のふだんではない形の、ほんの一段、奥の方に、入った。
入った、というのが、たぶん、彼女の、最後の、踏み出すの、進化だった。
アンドロイド七瀬の体が、街の中央の、ふだんではない形の、ほんの一段、奥の方で、白く、光った。
白く、光った、というのが、今日、はじめて、僕の側で、観察した、別の動作だった。
白い光、というのが、たぶん、ふだんの光の系統では、なかった。
別の系統の光だった。
白い光が、街の中央から、外に向かって、ふだんに、広がった。
ふだんの広がりより、ほんの一段、遅い、広がり、だった。
ルウアが、ふだんの位置で、もう一度、言った。
「やめて」
三度目だった。
白い光の、ほんの一段、手前で、誰かが、立っていた。
「もう一人」、だった。
「もう一人」の輪郭は、もう、薄く、なかった。
顔も、ふだんに、見えた。
知らない顔だった。
顔の中で、目は、こちらを、見ていた。
ただし、こちらを、見ていた、というのが、ふだんの「見る」、では、なかった。
別の系統の、見方だった。
「もう一人」が、ふだんの声で、ふだんに、独白した。
「人の感情など……いや、人の感情ですらないものたちに……」
声は、ふだんの声だった。
ふだんの声、というのが、たぶん、向こう側の、ふだんの声だった。
言い終わらない先で、白い光が、街の中央の、ふだんではない形を、ふだんに、覆った。
「もう一人」の独白も、ほんの一拍で、白い光の中に、入った。
僕は、頭の中の引き出しを、ふだんに、見た。
「身体」「彼女」「彼女ではない」「もう一人」「保持してしまう」「保持できない」「母」が、ふだんに、並んでいた。
並んだ単語の、いちばん、奥の方に、もう一つ、ふだんに、入った単語が、あった。
「答え」、だった。
「答え」、というのが、今日、はじめて、僕の引き出しの、いちばん奥に、戻ってきた、別の単語だった。
「答え」は、ふだんの「答え」、では、なかった。
ふだんの「答え」、というのは、確かめないことの、別の名前だった。
今日の「答え」は、ふだんに、確かめる、の系統に、ほんの一段、近かった。
ただし、確かめる、では、なかった。
別の系統の、「答え」だった。
僕は、待て、と、頭の中で、言いそうになって、言わなかった。
言わなかったが、僕の側の動作で、待った。
待つ、というのが、今朝の鳩と、ふだんに、同期していた。
待ったあとで、僕は、もう一段、頭の中の引き出しを、見た。
見たあとで、頭の中で、ある単語の輪郭が、ふだんに、はっきりした。
ある単語、というのが、「もう一人」の、別の名前、だった。
別の名前、というのが、頭の中で、ふだんに、出てきた。
それから、僕は、声に、出した。
「待て!ヴェルナー!お前の目論見は、もう一人の本体の、復活だろう!」
声は、ふだんの声、では、なかった。
ふだんの僕の声より、ほんの一段、深い場所から、出ていた。
深い場所、というのが、たぶん、引き出しの、いちばん、奥だった。
言った瞬間、白い光が、僕の側にも、届いた。
白い光は、ふだんに、僕の手前で、止まらなかった。
ふだんに、僕の中に、入った。
ふだんに、受け取った、と、同じ動作だった。
受け取って、僕は、それを、ふだんに、戻さなかった。
戻さない、ということが、たぶん、ある日、頭の中に、入った、「保持してしまう」、ということだった。
「保持してしまう」が、今日、はじめて、僕の側の、動詞に、なった。
動詞に、なった、というのが、今日、はじめて、僕の引き出しの中で、ふだんに、起きた、別の動作だった。
「保持してしまう」と「保持できない」は、引き出しの、ふだんの位置に、ふだんに、置かれていた。
ただし、今、僕の側の動作の中で、「保持してしまう」が、ふだんに、表に、出てきていた。
表に、出てきていた、というのが、たぶん、今日、はじめて、僕の側の動作で、起きた、別の動詞化だった。
受け取ったものは、僕の側で、ふだんに、白かった。
白い、というのが、たぶん、ふだんの色の、いちばん奥の色だった。
白い光は、僕の中で、ふだんに、留まった。
副部長が、僕の真横で、立っていた。
ふだんに、立っていた。
ふだんに、立つ、というのが、副部長の、契約の、ふだんの形だった。
今村さんは、自分の指を、見ていた。
指の上の、薄い格子が、ふだんに、ほんの一段、薄くなりつつ、あった。
戻り直す動作の、ふだんの、終わり方、だった。
ルウアは、ふだんの位置に、戻っていた。
ふだんではない側の、機能を、ふだんの位置で、ふだんに、置いた動作だった。
アンドロイド七瀬の方は、もう、見えなかった。
別の系統の、見えなさだった。
白い光の中で、すべてが、ふだんに、なった。
ふだんに、なった、というのが、ふだんに、戻った、では、なかった。
光の中は、白かった。
ただ、白かった。
白さは、ふだんの白さだった。
ふだんの白さ、というのが、はじめて、見えた。
光は、ふだんに、引いた。
街の中央の、ふだんではない形は、もう、なかった。
「もう一人」も、もう、いなかった。
別の系統の、いない、だった。
別の系統、というのが、たぶん、向こう側の、ふだんの形だった。
副部長が、立っていた。
今村さんが、立っていた。
ルウアが、立っていた。
アンドロイド七瀬が、ふだんの位置に、立っていた。
アンドロイド七瀬の体は、ふだんの体だった。
ただし、ふだんの体、というのが、今日、ふだんの体、では、なかった。
体の、ほんの一段、奥の方に、別の温度が、あった。
別の温度は、ふだんに、薄かった。
薄かったが、ふだんに、確かに、あった。
確かに、あった、というのが、はじめて、感じた。
副部長が、ふだんの声で、僕に、言った。
「戻ってきたね」
「うん」
「続けるよ」
「うん」
副部長は、それから、もう一度、言った。
「続けるよ、私たちは」
「うん」
戻ってきた、というのが、今日、はじめての動作だった。
ふだんに、戻れない、というのが、内山さんの言葉だった。
内山さんは、もう、見えなかった。
夢の中にも、こちら側にも、いなかった。
いない、というのが、ふだんに、いない、だった。
ふだんに、いない、というのが、はじめて、ふだんに、なった。
ただし、戻れない、というのが、悪い意味では、なかった。
戻れないところに、たぶん、ふだんの、もう一つの、形が、あった。
ふだんの、もう一つの、形、というのが、はじめて、見えた。
見えた、というのが、ふだんに、見えた、だった。
街は、ふだんに、戻った。
信号は、ふだんに、光った。
商店街のシャッターは、ふだんに、開いていた。
人は、ふだんの数で、ふだんに、歩いていた。
ただし、ふだん、というのが、もう、ふだんの、ふだん、では、なかった。
別の系統の、ふだんだった。
別の系統、というのが、僕の中に、ふだんに、入っていた。
入っていたものは、白かった。
白かった、というのが、今日、僕が、はじめて、観察した、もう一つの色だった。
観察したが、確かめなかった。
確かめないことが、今日も、僕の、ふだんの答え方だった。
ただし、確かめなかった白さは、僕の側で、ふだんに、残っていた。
残っている白さは、白かった。
ふだんに、白かった。
ふだんに、白い、というのが、はじめての白さだった。
白さは、頭の中の引き出しの、いちばん奥に、ふだんに、置かれた。
ただし、ふだんの動作、というのが、今日、はじめての、ふだんの動作だった。
引き出しの中で、白さは、白いまま、残った。
戻さない、というのが、「保持してしまう」、という単語の、ふだんの形だった。
明日が、来る。
明日が、たぶん、ふだんに、戻った最初の日になる気が、した。
はじめて、戻った、だった。
はじめて、というのが、ふだんに、なる気がした。
はじめてが、ふだんに、なる。
はじめてが、ふだんになる、というのが、たぶん、明日以降の、別のふだんだった。
別のふだん、というのが、たぶん、ふだんに、続いた。
続いた、というのが、ふだんの動作だった。
ふだんの動作、というのが、今日、はじめての形に、なった。
形は、白かった。
白かった、というのが、ふだんに、残っていた。




