ここはファミレスだと思う感覚
小説が好きで小説を書きたい人の、やらかすミスってある気がします。
なんとなく、小説ってものの文章の漠然としたイメージがあって、そんな文章を書いてみたい。
そんな表現を使ってみたいって気持ち。
んー……。
ここはファミレスで、友だちに、どーしても聞いてほしい話があるって時、ありますよね。
あの感覚、一人称の要な気がします。
1つの、大きな流れの中にも、どーしても聞いてほしい、いちばん聞いてほしい部分ってものがあって、少しでも早く、そこにたどり着きたい気持ち。
でも、その場面での自分の気持ちのほどを、少しでも理解してほしくて、共感してほしくて、どーしても事前に明かしておかなければならない情報、前振りがあって。
そんな気持ちの鬩ぎ合い。
元々、一人称の文章は、キャラクターの立場や教養にもよるけれど、文学的な、高尚な文章には向いていないように思います。
(と言うか、ボクは勝手に決めつけています)
それが鬩ぎ合う気持ちで語るなら、なおさらに思います。
ただ……
友だちの語る悩みや過去に、大きく心を動かされたことはないですか?
泣いたことは、ないですか?
物語の最高の形が、心を動かすことだとすれば(と言うか、ボクはそう思います)、スタイルとして、なんの弊害にもならないように思います。
動かせられないとすれば、題材が適してなかったとか、伝えるべきものが抜けているとか。
あと……マンガの線というのは、主要キャラと背景は、太さが違うそうです。
強調。
情報が多すぎて、伝わってほしい情報の印象がぼやけてしまうのも、留意することかも。
ああ……。
だから、ボクの物語は、人の心に響かないのか……。
へいへい、ごめんなさい。




