一人称小説においての、素晴らしい主人公
ボクが一人称小説で、素晴らしいと唸った主人公。
舞城王太郎先生。
『煙か土か食い物』。
奈津川四郎。
自分が勤める病院に運びこまれる患者たちのことを、
──そいつらがどういうわけだがいろんな怪我や病気を背負い込んで──
と表現します。
ちょっと落語に出てくる人のような、ふざけた感じです。
なんというか、今後、いろんなことについて、ちょっと“ハズした(的確な語彙が見つからず、わかりにくい表現ですいません)”表現で語る自由が許されます。
彼は、それに続いて、自分のハードワークを──馬車馬三頭分くらいハードに働いて──と表現します。
文章におもしろ味を加えるためには、表現や比喩というのが大切だと思いますが、彼の職場……アメリカなんです。
国民性や文化についてうまく語れませんが、なんというか誇張した表現をすることや比喩をすることに違和感がありません。
実は……ボクが登場人物を“関西人”に設定しているのは、いろんなことが楽だからです。
1番の理由は、セリフを自然で生々しいものにしたいから。
でも、それだけでなく、関西人の文化として、少しハズす、誇張する、何かに喩える、すべてに違和感がないことも、大きかったりします。
主人公は、自らの仕事っぷりを、こう表現します。
──そいつらを決められたところに追いやる。──
有能なんですね。
難しいことじゃない、やるべきことは見えてる、という感じです。
ちなみに、主人公、緊急救命室で働いています。
有能だし、それはデキないヤツを見下した感もあるかも知れません。
自然、口数の多さに違和感はありません。
彼の実家は“封建的”を通り越して血生臭い暴力に溢れ、その中で育ち、兄の1人は、消息不明です。
自然、過去を語る時には感情的になり口数も増えテンションは上がります。
正直、スゴいなって思います。
すべてが、一人称小説の主人公向きだと思います。
一人称小説って、多少、テンションの高さを求められるように思います。
もちろん、そうでもない名作はたくさんありますし、長く伝えられる名作は、そーゆーものとは無縁だと思います。
ただ、ここは『なろう』ですしね……。
シロートが作品を投稿する所。
何かよほど興味を引かれる設定や劇的な展開でもない限り、語り手の側に情熱やテンションの高さは必要なのじゃないか?と思うんですね。
語る内容がバカバカしかろうが真面目だろうが。
少なくとも語る側の語りたくて堪らなそうなテンションって、ある意味、礼儀なような気がします。
年齢的なもの。
人柄的なもの。
語りたい内容的なもの。
追い込まれ具合や焦り具合などの状況的なもの。
ストーリーだけでなく、叙述のテンションが上がるべくして上がる理由づけみたいなものも、考えるべきではないかと、ボクは思うんです。




