いろんな(メディア的な)ジャンルに想いを馳せて 積み立て速度意識
これも、「こんな考え方は、どうでしょうか?」な話。
で、実際、皆さんが無意識に実行されてるだろう話。
『仮面ライダー555』。
その変身シーンは、転換期だったと読んだ記憶があります。
CG技術の進歩によって、この作品から、「変身!」と叫ぶ俳優のポーズに合わせて変身の加工がされるようになったとか。
(毎回、っていうのが転換期だったのかな???)
でも、ボクが語りたいことは、それ以前の古い特撮演出にあります。
それ以前の特撮ヒーローは、棒立ちの俳優に加工していく変身シーンがあって、第1話から数話、そのシーンを使い回します。
そして、それ以降は、俳優の変身の意志の演技と、変身シーンの印象的な効果音のみで構成されてたと思います。
これです。
これ。
この話です。
積み立てられたイメージが生む速度。
進化した変身シーンは、話数がかなり進んだ回でも使用されて、臨場感や強い期待感を生んでくれました。
でも、それ以前の特撮、演技と効果音で成立させる変身シーンは、スピード感に優っていたと思います。
(そりゃあ、そーですよね 笑)
こーゆーことを“意識してする”戦略、必要なのかもなぁって思うんです。
例えば、格闘アクションモノの作品を書いたとして、最大のヤマ場で迎える決戦みたいなバトルみたいなのが、あると思うんです。
で、それは書き手としても気持ちが盛り上がってるから、目一杯に書き込みたくなる。
でも、、そこに至るまでの、小さなバトルも、幾つかあると思うんです。
読み手を飽きさせないためにも。
初めて読み手が知る主人公の実力を察せさせるための演出として。
そこで意識して積み立てをする。
または、積み立てられただろうものを認識する。
それによって、決戦を描く際には簡潔な言葉で“すべてを決する刹那”までの展開をスピーディーに描けたり、その“刹那”の描写に専念できたりする……んじゃないかな?って思います。
この“積み立て”は、作品の中だけのものではないと思います。
大昔にチラ読みしたライトノベルは、コミカルな異世界モノで、ツッコミのシーンが満載でしたが、擬音が多用されていました。
漫才的なリアルなツッコミではなく、アニメ的な人が軽々と宙に舞うようなリアクションの大きなツッコミ。
でも、アニメ世代だったボクには、それで充分に成立していました。
読んでいる頭の中で。
内で意識して積み立て、内外の積み立てを意識して活用する。
そんな戦略。
ただ、今回は特殊な演出について論じましたが、登場人物の容姿とか、皆さんもフツーにされてることと思います。
何十話も続く連載の後半まできて、主人公がどんな容姿をしてるか描く方は、あまりいないと思います。
皆さんが当たり前にしてること。
でも、当たり前過ぎて無意識になってしまってること。
読み返しの時にでも、意識してみることのオススメでした。
ボクがちゃんとできてるとは、言えませんけど。




