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22話目 交流

 船は前回と同じものなので、今回の結城の自室もまた前と同じ場所だった。


「んぅ……んあっ?」


 結城はあのまま寝てしまったようだ。落ち込んだときは眠くなる。


「前世と何も変わらないな、お前は」


 クリストに言われて、結城は苦笑するしかない。


「とはいえ、お前はあの時とは違う。何かを成せる力を持っている」

「そうさな。とりあえず、今何時だ?」


 窓の外を見ると、微かな光が夜空を照らし始めていた。

 大体5時くらいと思っておくことにした。


「ちょっと外の空気を吸いたい」


 結城は自室を出て、通路を進んで甲板に出る。


「あっ、レイラン」


 日の光を背に、レイランは剣の素振りをしていた。

 結城から授かった二つの剣。レイラン流剣術・二刀流の構えで。


「すぅ……」


 右手に握るはタコーバ。十字架に似た両刃の剣を左に引き絞る。

 左手に握るはフリッサ。翼の如き片刃の剣は天高く振り上げられる。

 そして、緩やかに一歩踏み出す、その瞬間。


「五百ッ!」


 強烈な踏み込みによる船が揺れるほどの地響きと、聞くものを圧倒するほどの風切り音。

 見ればレイランの姿勢は変化していた。

 右手の剣は払い、左手の剣は振り下ろされた。それは分かった。ただし、その動きはまさに神速で、十字の交差する斬撃の軌跡を目で追う事は出来なかった。


「おはようレイラン。すごいな、もう使いこなせるようになったのか」


 すると、レイランはゆっくりとこちらに向き直る。


「おはようございます、マスター。いえ、まだまだ刃にブレがあります。未熟なところをお見せしてしまい、お恥ずかしい」


 あれで未熟とは。完成形はどうなっているのか。

 見れば、レイランらしからぬ。髪や額には雫が伝っていた。


「もしかして、夜通しやったのか」

「はい。早く使ってみたかったもので。それに早く使いこなせるようになり、マスターの御身を護れる様にならねばなりませんので」


 自分にはもったいない。結城にそう思わせるほどに、レイランの思いは純粋で健気だった。


「にしても、睡眠は大事だ。早くシャワーを浴びて寝たほうがいい」

「いえ、ご心配には及びません。このままマスターの御供をさせていただきます」


 こうなるとレイランは頑固だ。ならばと結城はレイランの手を引く。


「レイランの部屋はどこだったっけ?」

「マスター」


 結城はレイランを強引に、しかし丁寧に引っ張っていき、部屋の前までつれてくる。


「ほら、ゆっくり体を休めて」

「しかしマスター」

「いいから」

「ですがマスター」

「大丈夫だから」

「とはいえマスター」

「……レイラン」

「……分かりました。そこまで仰られるならば、お言葉に甘えさせて頂きます。しかしながらマスター、一つだけ」


 レイランは扉を開け、自室に足を踏み入れたところで向き直る。


「マスターと共に居る時間は、私にとっては睡眠時間よりも幸福なのです。それだけはお伝えしておきたく。それではおやすみなさい」


 扉は閉まり、レイランの足音が扉から離れていく。

 しばらく結城はそのまま動けずにいた。そしてふと呟く。


「なかなかに、ずるいこと言うんだな。レイランも」




 レイランに触発されて結城も甲板で剣を振る。

 やってるうちに日が昇る。時間は7時くらいか。


「おはようございます」


 ふと声をかけられ振り向くと、椿が扉の前に立っていた。


「精が出ますね」

「いや、レイランに触発されただけでね」


 剣を収め、タオルで汗を拭う。


「そろそろ合流できるのかな」

「昼前には合流できるでしょう」


 少し前から船の進行方向は、陸に沿って東から南に変わり、陸地は水平線に飲み込まれていく。


「英雄同士の対面ですね」

「英雄?」

「あなたのことですよ結城」


 椿は結城の目をまっすぐ見て言う。人と目を合わせるのが苦手な結城は反射的に視線を海に向ける。


「俺が英雄?」

「ええ。少なくとも私はそう思っていますが」


 英雄。活躍し、貢献し、輝いた者。

 結城が思うにそれは今回のメンバーの中で、自分こそ一番遠いところに居るのではないか。

 つまり端的に言えば、落ちこぼれの無能である。


「俺は、ガンダーラの夜ですらまともに活躍できなかったし」

「ですが、ガンダーラを奪還し、尚且つ敵の勢力を削ぎ、今もなおこうして次の作戦が計画できるのも、あなたがあの時、戦争に参加すると言ったがゆえにです。あなたが決断しなければ、レイランは勿論、蓮華もローレライもこの戦争には参加しなかった」


 椿は歩き出し、船首から青い海原を眺める。


「そして私も、ここでこうして、指揮などしていなかったでしょう」

「椿はどうして戦争に参加したんだ?」


 結城はストレートに疑問を口にした。椿は公務員。とはいえ、戦争を望むような人間とは思えない。

 椿は少し考え、そして答えた。


「分かりません」


 きっぱりとそう言った。


「ですが、多分、憧れていたのかもしれませんね。そういう非日常に」

「非日常……」

「考えてもみてください。確かに私の理想は公務員として安定した生活を送り、妹と共に穏やかな日々を送る。そしていつか、理想の彼氏と出会い、結婚し、子供を産んで、幸せな人生を送ること。ですが、それはあまりに面白みがない」


 つまり、輝かせたかったのだ。己の人生を。

 花火のように光り響かせ、美しい幻想のように、咲き誇る花のように、燃え盛る炎のように。


「平穏で幸福な日常を望みながら、過激で劇的な非日常を望む。我ながら我侭だと思います」

「まあ、確かに」


 思わぬ肯定に、椿は振り返って文句をつけ始める。


「少しくらいは励ましてください。人がせっかく弱みを見せているというのに」

「弱みって、別に望むくらいいいんじゃないかな」

「いい、とは?」

「理想のために誰かを打倒したりする時点で、十分我侭だと思ってるよ俺は。その上で気付かされたのは、それでいいってこと」


 願い望み、欲し求む。狂いそうなほどに想い続けた。

 その想いを抱き続ける幸福や辛苦と、人生をかけて付き合った。

 それは途方もなく、果てしない。


「俺は前世では、人に迷惑をかけないようにって必死に生きてきた。時には人のためなら自分の辛苦も厭わないほどに」


 それが幼少の頃から言い聞かされたからか、自分の性分なのか、意思なのかも分からないままに。


「それでも、捨てずにここまで来た」


 自分の胸に拳を当てる。抱いた理想は、確かにこの手の中に在り、この胸に火を灯してくれる。


「なら、思う存分それを貫き通すしかない。例え途中で果てたとしても、悔いの一片も残さないように。望むままに、欲するままに」


 それは、考えてもみれば前世と何も変わらないことだ。不完全な心と体ながら、それだけは貫き通したのだ。


「だから今はこう思える。俺の理想は誰にも負けない、誰の理想よりも誇り高く、強く、偉大なものだって」


 だから、と結城は椿に言い切った。


「それでいい。椿がそうしたいなら、そうすべきだ」

「っ……」


 誰よりも強い自己肯定。何よりも叶えたい理想を抱くということは、それを叶えようとするということは、そういうことだ。

 理想を肯定し、抱く自分をも肯定し、その努力も、結果さえも肯定する。

 悔いなどひとかけらも無く、過ちすらも許容し、自らは生れ落ちてから死に果てるまで正しかったと認める。


「そう、ですね。それくらいが丁度いいのかもしれませんね」


 心の霧が晴れていく。椿は胸の痞えが取れたような気持ちになる。

 が、他者の理想まで肯定する、そんな彼を少し心配し始めていた。


 その肯定は、いずれ彼を迷わせ、そこに隙に隙を生む。

 必ず危機が彼を襲う。

 報いねば、と思った。自分の理想を、ほんの少し支えてくれた彼に。


「では、私もしっかりこの戦争を楽しむことにします」

「ああ、それがいい。ところで朝食って」


 とりあえずは、胃袋でも鷲掴んでおくか、と椿は思った。




 レイランは三時間ほどで起床し、すぐに身支度を済ませて結城の隣に控えた。


「もう少しゆっくりしたら……いや、なんでもない」

「はい、マスター」


 レイランの表情は相変わらずだが、どこか活き活きとしているのが仕草に現れている。動きのキレが違う。


「そろそろですね。竜人、飛竜で周囲を飛行して偵察してください。セレナは同行して、魔法で反応が無いか調べてください」

「おう、了解だ」

「わ、分かりました」


 そして二人は空へと上がる。ちなみに飛竜はずっと船の後部で待機していた。


「さて、この広い海でそう簡単に船なんて見つけられるのかね」


 竜人の目をもってしても、視界の中に入っているかどうかも分からない船を見つけるのは難しい。少なくとも右から左までの180度はカバーしないといけない。


「わ、私ならなんとか……」

「見つけられるのか?」

「えっと、魔力を放射状に発することで、魔法使いになら気付いてもらえると思います。私程度の魔力じゃ薄すぎて気付いてもらえないかもしれませんけど……」


 自嘲気味に言うセレナ。しかし竜人はヘヘっと笑い飛ばす。


「なら足で、いや羽で稼ぐだけさ! なぁっ、フィン?」


 大鷲のような鳴き声を響かせて、翼で力強く空気を叩く。竜の体が風を裂き空を進む。


「あ、しっかり捕まってろよ?」

「も、もっと早く言ってください~!」


 しばらく高速で飛んでから徐々に減速、また緩やかな飛行に戻る。


「ここらへんでどうだ?」

「うぁ、おお……は、はい。やってみます」


 セレナは念じ、自分の魔力を薄い膜として周囲に展開し、やがて拡散、放出する。

 この魔力を感じ取り、同じように魔力を返してくれれば、どの方向からそれが来るのかは分かる。

 割と魔力の消耗の激しい方法なので、余程の魔力の持ち主で無い限りは魔力を風に乗せたりなどの応用はできない。

 ただし、純粋に魔力だけならば魔力使用量もそこまで多くは無い。

 その場合は不可視で非実在の性質なので風などに干渉を受けない。今回はこの方法を使う。

 向こうに魔法使いがいるならば、可視化させる必要はないからだ。魔法使いは肌や感覚で魔力を感じ取れる。


「どうだ?」

「……すいません。まだ届いていないみたいです」

「そうか……もうちょっと東に寄ってみるか」


 飛竜も永遠に飛び続けられるわけではないので、高度を高く取ることにする。高く羽ばたいてから、ほぼ滑空だけで東に移動する。


「適当に飛びまわってるから反応があったら教えてくれ」

「が、がんばります…」





 どこまでも続く深く碧い海と鮮やかな蒼い空。その海を埋め尽くさんと、空の下には多くの船舶があった。

 時代遅れの木造船。とはいえ立派な自国の旗が潮風に舞い踊る。


「ん?」


 その船の中の一隻、船内の一室にて、一人の魔女がわずかな、本当にかすかな違和感を感じ取った。


「魔力の波紋?」


 黒いトンガリ帽子に黒い羽織、内側はボンテージ系の派手な服で、浮き上がる細いラインと丸い膨らみはまさに魔性の女。そう呼ぶに相応しい魅力を持っている。

 紫の長髪と切れ長の瞳。柔らかな口元が微笑を浮かべている。


魔耶まやさん、どうかした?」


 傍らの男性が問いかけると、魔女はくすりと妖艶な笑みを浮かべる。


「いいえ、なんでもありませんわ勇者様」

「そうか? でもいい加減その勇者様って呼び方辞めないか?」

「ふふ、だってあなたは勇者様でしょう? 安全無欠の勇者様?」


 悪戯っぽく魔耶は笑い、勇者は苦笑する。


「それ言ったら魔耶さんなんて森羅魔象の魔女じゃないですか」

「なっ、それ言われると痛いのよねぇ……本当、誰が考えるのかしらね。こんなの」

「でもまあ、ただ凶悪な二つ名で敵味方全員から恐れられるよりはいいと思うけどね」

「それは、そうですけれどね」


 魔耶は過去に思いを馳せる。あの頃の、あの有様も悪くは無かったが、今のこの穏やかさも中々にいいものだ。


「で、魔耶さん。作業の方はどう?」

「ねぇ、いい加減にさん付けをやめて、魔耶と呼び捨てにしてくださらないの?」

「よ、呼び捨て?」

「ええ、そしたら私もクロードと誰より親しげに呼べるのに……何かしらさっきから」


 微少な魔力が波のように断続的に来る。物質や現象として顕現したものではなく、非実在、あらゆる物質を透過する。まるでソナーか何かのように。


「何かあったのか?」

「なんだか薄い魔力が流れてくるのを感じるのよ。よく分からないけど」

「魔力ってことは、同じ魔法使いじゃないか?」

「ってことは敵じゃないのかしらね。でもここは海の真っ只中なのよ?」

「ふむ……どの方向から来てるとか分かるか?」

「ええ、ここから北西、距離は、ちょっと分からないわね」

「ここから北西っていうと、ガンダーラがあるところだな。ん、待てよ?」


 確かガンダーラは一旦占領し、また占領し返された場所。そのためにまた新たな奪還作戦が計画されていたのを思い出す。


「もしかしたら、ガンダーラを奪還できた奴らかもしれない。ちょっと返事してみて」

「返事って、ここの場所を知らせるってこと? 敵の罠かもしれないのに?」

「確かに罠の可能性も捨てきれないけど、ユートピアがわざわざ使い慣れない魔法の技術を駆使ししてこちらを探るとは思えないし、味方という可能性も0じゃない。試してみる価値はあるよ」


 そしてガンダーラを奪還出来るほどの者たちならば、大いにこちらの戦力となるだろう。


「そうね、じゃあ試してみるわね」




「あっ!」

「来たか!?」


 アレから何度も何度も飛び続けている。ウィンもさすがに休憩無しで飛び続けているので呼吸が乱れてきている。船からあまり離れすぎるとそのうち着水して溺れて死ぬ羽目になる。


「私より濃い魔力で反応してきました。多分、ここから南東のほうに」

「よし、とりあえずは一旦戻って報告だな。これ以上はウィンがバテる。腹も減ったし」

「す、すいません、私の力不足で……」

「気にしすぎだな。こういうのは誰のせいでもないっての」


 ウィンは身を翻し、自分たちの船へと飛行する。

 太陽は既に天高く昇っていた。




「行けっ!そこだレイア!」

「アイス一旦退け!間隔を取れ!」


 一方その頃ガンダーラでは、暇つぶしの娯楽としてアルカディア勢と傭兵勢での決闘試合が行われていた。

 ガンダーラの住民も観戦に集り、白熱しているバトルに賭けまで行われていた。

 そして現在はアルカディア軍のレイアと傭兵アイスの戦闘が行われている。


「くっ、ちっ!」


 即席で作った木材の囲いを舞台として、アイスはマシンガンを撃ちまくる。


「手ぬるい」


 対するレイアは弾丸を恐れず突っ込んでくる。あまりの素早さでいくら間合いをとっても瞬時に詰められてしまう。

 あとは周囲を飛び跳ねてかく乱する。アイスは見事に術中にはまっていた。


「撃ちすぎるなアイス!」

「いやでもあれは撃たないとすぐやられるだろ」

「もうナイフで白兵戦するしか」

「さすがに無理だろ。デビューしたての幼女じゃ」


 様々な意見が飛び交う中、グレイとザックは冷静に観察していた。


「ラガー戦で分かったんだが、アイスは結構すぐに頭に血が上る」

「お前に似たのかな」

「うっさい殺すぞ」

「はは、とはいえそれはまずいわな」


 戦場では常に冷静な奴が勝つ。というのが二人の共通認識だ。アイスのようにがむしゃらになるのは不意打ちに弱くなる。


「あー、ちょっと上品に育てすぎたのかな。色々溜め込ませちゃったのかな」

「子育ては難しそうだなザック」

「あぁ……にしても、向こうの奴の動きすごいな。人間の動きじゃねえ」

「野性味溢れてるな。そして動きとは対照的に思考は冷静のようだし」


 今のこの状況でさえ、これは明らかになぶられている。父親のザックは見るに耐えないだろう。


「くっ、戦場なら狙撃して援護できるってのに」

「大人が出てきたら駄目だろ。こういうのは」

「っ、お前は余裕ぶってるけどな、子供が出来たらそんなこと言ってられないぞ!? 金や武器と違って代えがきかないんだからな!?」


 傭兵なんて人殺しで金を稼ぐ人間は最低まで蔑まれるだろうが、そんな人間でさえ自分の娘の命は惜しいものなんだな、とグレイは一人考える。


「人を殺すことの価値か」

「あーアイス!それは駄目だ!うぁああ!?」


 いい加減喧しく感じてきたグレイは、そろそろ終わってくれと願った。



「この!こいつ!」


 アイスは右に左に飛ぶレイアにサブマシンガンで追うが、まるで追いつかない。

 レイアとしては昨日買った剣の慣らしとして戦おうと思っていたが、傭兵への期待は完全に崩れた。

 残像まで作り出し始めるレイアの俊敏さに、アイスは完全に翻弄されていた。


「つまらんぞ小娘。その程度ではな」


 嘲り笑うレイアが吐き捨てる。

 その言葉でアイスは思い出す。ラガーとの戦いを。


「逃げてるだけか?」「追いついたぞ、さあどうする」「そう来なくっちゃなぁ!」


 あの滾るような時間。盛るような感覚。

 力と力の比べ合いを思い出す。


「なら、楽しくしましょうかッ!」


 火が灯ったのは、胸ではなく頭だった。

 アイスはその表情に凶悪な笑みを浮かべ、自分からレイアに向かっていく。


「ヤケクソか。さらに詰まらんな」


 ならばとレイアも自ら突っ込む。姿勢を地面スレスレまで低くし、一気に踏み込み、懐に入り込んでマシンガンを弾き飛ばす。


「これで終わ……っ!?」


 懐に飛び込んだレイア。勝利を確信して刃を突きつけようとした瞬間、体の動きを封じられる。


「ばーか」


 レイアの予想を超えたアイスの行動。それは抱きつきだった。


「な、貴様なにをする!」


 もがくレイアだが、アイスはしっかりと腕も束ねるようにして抱きしめているので、剣の刃も向けられない。


「くっ!」


 レイアが獣のように暴れながらも、アイスは網のように絡みつき話さない。この状態がかなり続いた。

 するとレイアの薄い服が徐々にズレていく。本人はまったく気付いていないようだが。


「はぁ、くそっ、はな、せ!」

「ぐぬぅっ」


 とはいえレイアはとんでもない力で、抑え込むのもかなり力が要る。呼吸は荒く汗が伝い、頬に赤みが差す。

 やがて、拘束も抵抗も弱くなり、動くことすら困難になるほどの疲労に達する。


「こ、れで、とどめです……!」


 ナイフの柄で、レイアの背中を強く打つ。


「うぐっ!」


 呻くレイア。このナイフが逆手に持たれていたら、確実に刃は肺にまで達し、レイアの命は無かった。

 早い話が敗北である。完全なる敗北。


「勝った……」


 すると安堵からか、アイスの体から力が抜け、立つことすら出来ずにレイアにもたれかかる。


「ちょ、おいちょっ……ぬわぁ!」


 二人は地面に倒れる。アイスはもうバテてしまって動けそうに無い。


「おいこら! どかないか! おい息が首に……んっ!?」


 生暖かい息、火照った体が重なり合い、熱が篭る。


「お、おい、本当に、どけ……っ!?」


 剣を手放し、アイスの身を引き剥がす。その時、視界に映る彼女の顔を初めてまともに見た。


「なっ、に?」

「う、うう……」


 苦しみに呻くアイス。しかし、レイアは動けなかった。彼女の美しい、端正な顔立ち。蠱惑的で力強い褐色の肌を持つ自分とはまた対照的な、神秘的な輝きを持つ、白く美しい肌。

 白と黒。そんな運命的な出会いだ。レイアは意志に関係なく、そう思わされてしまった。


「し、仕方ないな。ちょっとだけだぞ……」


 それが3分くらいだろうか。観客は白熱した二人の戦いに称賛を送り、その名目で昼間から酒をかっ食らっていた。


「ローラ、二人とも動かないぜ」

「そうだねー」

「もしかして頭でも打ったか?」

「ううん、蓮華ちゃん。ここは二人っきりにしてあげたほうがいいよ」

「そうなのか?」

「うん。私と蓮華ちゃんみたいに、自分の本当に信頼できる相手と巡り合えたんだよ……」


 まあ、ちょっと意味合いが違うけれど、と呟くローラ。蓮華はとりあえずフィーリングで感じ取り、勝手に納得した。


「ううっ……あ、す、すみません!」


 弾かれたようにアイスの体は起き上がり、手を差し出す。


「あ、もう、いいのか?」


 どこか残念そうな、名残惜しそうな表情を浮かべているレイアに困惑しながら、はい、と返事する。

 レイアはアイスの手を掴み、起き上がらせてもらった。


「戦場で戦っていれば、私は確実に何度も負けていました。次は必ず完勝してみせます」

「そ、そうか。精進するといい。良ければ、その、白兵戦の訓練なら、つ、付き合えるぞ」


 ところどころ声が裏返るレイアだが、アイスは眩いほどに愛らしい微笑を見せてレイアの両手を掴んだ。


「本当ですか! 是非よろしくお願いします!」


 胸を、心臓を穿たれた気がした。死んだ。レイアはたった今彼女に殺された。

 いや殺されたどころではない。囚われた。捕虜のように囚われ、もはや彼女には逆らえない。もうこの身も心も彼女のものだ。彼女に捧げる。捧げさせてほしい!と。


「う、うむ」


 レイア自身、こんなことになるなんて思っても見なかった。

 年齢も自分とほとんど変わらないであろう、しかしそれゆえに同じ戦場を歩む者として、強い共感というか、同調というか、運命的で浪漫的なものをメルヘンチックに感じてしまった。


「で、ではな……」


 これ以上向き合ってると心臓が爆発する。そう思い踵を返す……瞬間、何かがはらりと足元に落ちる。


「ん?」


 見覚えのある布だった。それも当然。その正体は自分の胸を保護していた布だ。


「へっ?」


 呆けたように見る。露になった微かな膨らみ。一矢すら纏わずさらけ出されている。

 瞬間、レイアを支配したのは、羞恥ではなく、恐怖だった。


「ひ、ひぃっ!?」

「レイア!」


 見ていたティターナが駆け出す。

 無数の視線がレイアを串刺しにする。無限の欲望がレイアを犯していく。

 レイアの葬り去りたい過去が、忘れていた傷口が開く。

 


 初めにあった羞恥はもはや無く、今は苦痛と恐怖、そして助かりたいという懇願のみ。

 苦痛は体を蝕み、恐怖は心を食い荒らす。

 震え、怯えて息を殺す。

 五月蝿くしたら甚振られる。

 目立つことをすれば嬲られる。

 ただ静かに、石の様に、空気の様に、そこに無いかのように振舞わなければ。

 空を飛ぶ鳥になりたいなんて言わない。せめて誰にも見つからぬ、石の下の虫にでもなれたらとさえ思い、心が壊れていくことに安らぎさえ感じ始めて……



 ふと、暖かいものが自分を包み込む。


「紳士の皆様、よろしければ、目を伏せていただけませんでしょうか」


 柔らかく響く優しい声。

 ふと見れば、自らの上着を自分に着せる、美しい銀髪と白肌の少女。

 震えるレイアの体を服の上から抱きしめていた。自分の下着姿を何の躊躇も無くさらけ出しながら。


「長い間、ユートピアによって苦渋の日々を送らされた貴方たちに、己の痛みを知る貴方たちが、私たちに報いてくれるというのなら、どうかここは目を背け、伏せてはくださいませんか」


 そんな言葉が通じるか、とレイアは心の中で、優しい彼女を嗤った。

 男がそんなことをするわけが無い。大人も子供も男は皆同じく、穢れた欲望に満ちているのだから。


「そうでもないみたいですよ」


 今度は聞き慣れた声がした。左を見ると、そこには親友がいた。エル・リーフ・ティターナ。あの地獄から自分を救ってくれた親友。


「ほら、怖がらずに。周囲をよく見て?」


 先ほどまでの雄雄しいほど力強かったレイアはもう居ない。そこには寒空の下で震える子猫のような、褐色の少女が一人、勇気を振り絞り、両脇の友を信じて顔を上げる。


「うぅっ……」


 まるで注射を我慢する幼子のような声を上げながら、涙をいっぱいにためながら、しかと事実を目に焼き付ける。



 それは奇跡のような、統一感だった。


 誰もが、各々の方法で、地面を見て、空を見て、店の看板を見ていた。


「うそ、こんな、こんなことが」


 大人各自でそっぽを向いて、子供の視界を覆って背後を向かせる。大人も子供も男も女も、老人も赤子も、様々な方法で別の方向を向いていた。


 信頼できる二人の友だけが、自分のことを見てくれていた。

 人間など、と見限っていた。自分は諦め果てていた。

 なのに目の前に広がる光景は、あまりにも自分の価値観と正反対のことで、それは自分にとって、希望の光だった。


「レイア、さん。歩けますか?」


 震えもいつの間にかおさまっていた。あるのは胸にこみ上げる、熱いほどの温もり。


「うん……大丈夫」

「良かった。じゃあ少し一緒に休みましょう。私もちょっと……緊張してて」


 あははと笑って誤魔化すアイス。釣られてか、レイアも知らぬうちに笑みがこぼれていた。うれし涙と共に。

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