表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/121

20話目 目覚め

「すごい……!」


 右を見れば、遥か先まで続く砂の海。左を見れば、地平線まで続く、煌く海。

 上は無限に広がる鮮やかな空。下を見れば人も建物も手で握りつぶせるほどに小さい。


「妙に臆病みたいだけどさ、空に来ればこんなもんなんだぜ。人も国も、ちっぽけなもんさ」

「本当に、小さいですね」


 歩く人々は米粒のように小さい。あの威圧感が全然ない。


「怖くなったら、この景色を思い出せよ。そしたらきっと踏み出せる」

「ありがとう、ございます……あっ」


 ふと、何かに気付いたような声を上げる。


「どうした?」

「い、いえ、なんでも……」

「いいのか? 空を飛ぶなんて機会、そうそうできないぞ?」

「あ、うっ……」

「精霊使いが飛竜も扱えるかどうかは分からないしなぁ」

「あっ、の、あの! 良い事……かもしれないことを、思いついたんです、けど……」

「へぇ、良い事か」


 楽しそうに竜人はセレナの言葉を聞いている。


「なるほどな。分かった」


 より一層、嬉しそうな表情を浮かべて言った。


「やろうじゃないか、それ!」




 日が空の真上に到達する昼時、結城は既に思考停止していた。


「…………」


 大の字で横たわり、天高く昇る太陽の光を全身で浴びていた。


「まあ、焦る必要はありませんわ。あなたの心の中のことですもの。隠れはすれど、逃げはしません」

「ああ、そうだな……腹減った」

「あら、それなら私と一緒に」

「ここにおられましたか、マスター」


 新月の明るい表情が一転、朧月のように曇り始めた。

 屋上の出入り口に、レイランの姿があった。結城のほうに歩み寄り、そこで膝を畳む。

 

 新月から見て、レイランの立ち居振る舞いは並の貴族とは比較にならないほど優雅だった。

 立てば芍薬しゃくやく座れば牡丹歩く姿は百合の花。

 しかし、貴族にはない武人としての威風も感じ取れる。あからさまではない、冷たく静かな刀身のような雰囲気。その身は剣が鞘に納まるが如く、主にのみ預けられることだろう。


「マスター、そろそろ昼食のお時間です」

「んあ、そうか。そうだな。なに食おうか」

「ケバブやカレーと呼ばれる食べ物を見かけましたが、いかがでしょう」

「あー、いいな。よし、三人で行こう」

「お待ちなさい」


 起き上がる結城に、新月は抱きついた。


「彼は私が先に誘いましたの。横取りは失礼ではなくて?」

「えっ、飯の話じゃな……っ!」


 新月の小さな手が結城の口を塞ぐ。レイランは微動だにせず、目立った反応も示さない。


「マスター、お食事は新月さんと?」

「ええ、そうですわ」

「いえ、貴女に伺ったわけでは」

「そうだと言っているのですわ」


 剣呑な雰囲気。肌に突き刺さるような空気が屋上一帯を覆っていた。

 レイランは眉一つ動かさず、新月もまたすまし顔で対峙する。


「退く気はないようですわね」

「いえ、マスターのお言葉を頂きたく」


 新月はふっ、と笑い結城の口に人差し指で触れた。


「!?」


 すると、結城は口を開くことができなくなった。接着剤で固められたように。


「さすが、と言っておきましょう。その忠誠心。まるで意思がないかのように仕え、しかし確固たる意志で結城を想っている」

「…………」


 新月が立ち上がる。レイランもまた剣に手をかけ、腰を上げた。


「奇妙な技を使いますね。マスターの口を封じたのですか」

「あなたの武芸がいくら超人クラスといえど、世界の法理は斬れませんわよ?」

「さて、如何なものでしょう」


 ふと気がつけば、大空が暗雲に包まれ、日の光さえ遮られていた。




「いやぁ、ここの料理は本当に刺激が強くて飽きないな!」

「私はもうちょっと優しい味がいいな……」


 これでもう10件目の店だ。屋台のような形式のケバブ屋で、蓮華とローラはケバブを食べていた。


「俺たちがこうして自由になれたのもあんたらのおかげだ。どんどん食ってくれ」

「本当か!?」

「い、いえ、さすがにそういうわけには……」

「いいからいいから! なにせ長いこと商売できなかったから消費期限ギリギリの在庫が多くてな。ゴミになるよりは遥かにマシだ」


 ローラの手が止まった。蓮華はそうだな! と相槌を打ってバクついている。


「店主さん、こちらにもお一つ」

「へいらっしゃい! ん、あんたらは……」

「んっ?」


 これまた見かけない客が二人。一人は尖った耳に長いサラサラの金髪の淑やかな雰囲気の女性。

 もう一人は、ここらの人間とはまた違う褐色の肌に、紋様が描かれた小さな少女。


「なんだ、ティターナとレイアか」

「あら、蓮華さんとローレライさん。こんにちわ」

「こんにちわティターナさん。お二人も観光ですか?」

「ええ、異文化を知ることも、私の理想の実現に必要なことだと思いますので」

「そうですね、大切なことです」


 きょろきょろとティターナは周囲の人々を見る。


「人間にも肌の色に違いがあるのですね」

「私の前世じゃ色の違いで戦争してたぞ」


 ケバブを食いながら、唐突に会話に参加する蓮華。


「私にはよく分からないが、肌の色が違うだけで戦う理由にはなるらしいぜ」

「そうですか、人間もそういう輩がいるのですね……」

「でもローラならきっと解決できると思うぜ?」

「本当ですか?」

「そりゃそうだ。だってそれがローラの理想なんだからな!」

「どうかな」


 蓮華の言葉に異を唱えたのは、チキンライスのチキンに噛り付くレイアだった。


「人間だろうとエルフだろうと、気に食わない奴は根絶やしにする。それが知性を持つ生き物だ」

「レイアもそうなのか?」

「アマゾネスが最強ということを知らしめれば、そんな者をいちいち相手にする必要もなくなる」

「?」


 蓮華は首を傾げる。するとティターナが慌てながらレイアに忠告する。


「ま、またあなたはそうやって、余計な火種を生まないでください!」

「リーフ、私とお前は親友だが、価値観や理想は変われない。私にとって、アマゾネス以外の種族には関心などない」

「レイア……それでも私は、あなたにもきっと分かってもらえると信じています。それが私の理想ですから」

「……ふん」


 強い意思を瞳に宿すティターナと、目を逸らしながらまたチキンに噛り付くレイア。ローラはそんな二人を見て微笑む。


「微笑ましいですね」

「なあ、ローラ。あれからなんか妙な感じがするぜ」


 蓮華が空を指差す。黒と灰色の混じる分厚い雲が流れてきて、青空を覆い隠していく。

 あの雲から、不思議な力のようなものを感じるのだ。


「えっ? あ、そうですね。あれはおそらく魔法の……この魔力の感じだと、セレナちゃんでしょうか」

「なんだ、雨が降りそうだな。お客さん、ここは雨宿りにゃ不向きだから、別の場所に移ったほうがいいぞ」

「えっ!? まだ料理食べきってないぜ!」

「ちゃんと持ち帰らせてやるから安心しろよ……」




「はぁ……」


 誰もが自由時間で観光し、羽を伸ばしているであろう。椿は一人、執務室で計画を考えていた。


「海上要塞……」


 机の上に、一つの写真があった。

 大海原を進む巨大な戦艦の数々。しかしそれを遥かに上回る、円形の要塞。

 情報によれば、この海上要塞の名はメガアトランティス。上には住居や軍事施設の規模は一つの国家レベルだという。大型主砲は隙なく設置され、威力と精度は申し分ない。地上施設には空母のように戦闘機の発着が可能。施設はエレベーター式の地面によって収容が可能であり、潜航も出来る。

 戦艦と空母と潜水艦を一体化させ巨大化させた、超大型海洋要塞。それがメガアトランティスだ。


 もちろん施設の中には選りすぐりの兵士たちがおり、戦車まで有する。たとえ侵入されたとしても外敵の制圧は容易。

 まったくもって隙が無い。そんな要塞を、自分たちが落とさねばならない。


「安全無欠の勇者も、よくこんな化け物を相手に犠牲者0を貫いてこれましたね」


 こちらにも化け物と呼べる者が存在していることを実感する。しかし、戦況は圧倒的にこちらが不利。敗北は時間の問題だろう。


「そもそも遠距離攻撃が出来ないのでは……」


 いや、ローラや蓮華、レイランのような超人クラスの技巧で、やろうと思えば強引に攻め込むことも出来る。

 とはいえ、こんなとんでもない要塞を作り出す相手では、こちらの想像を遥かに超えた何かがあったとしても不思議ではない。下手に彼らを失うようなことがあれば、その時こそアルカディアは敗北する。

 あらゆる理想が駆逐され、ユートピアの一部の人間だけが理想を叶えることになる。それだけは阻止せねばならない。


「やはりここは本隊と合流した方がいいか」


 本隊と合流し、作戦を練り、混戦の中で乗り込む。

 ガンダーラが再び奪われたという情報が出回る前に、こちらから手を打つ速攻が出来なくなるが、連携を求めるならそのほうがいい。


「いや、なら奇襲隊と合流隊で分けるか」


 合流するだけなら別に戦力は必要ない。ならば余分な戦力を奇襲に回せばいい。


「となると部隊の編成は……」


 瞬間、窓の外が光り、遅れて大地を揺るがすような音が響いた。


「雷か。これは雨が降りますね」


 集中が途切れてしまったので、椿はコーヒーでも入れてもうすぐ来るであろう雨音に癒されることにした。




 鞭の先端は時に音速をも超えて対象の肉を抉るという。

 その痛みは想像を絶するもので、拷問で鞭打ちの刑にされれば20回もすればほとんどの人間は痛みで死ぬ。


「その綺麗な体に傷をつけるのは忍びないけれど、安心なさいな。あとで無かった事に出来ますわ」


 新月が鞭を振るう。それも妄想で強化され、より強く、頑丈ではやい鞭。


「では、参ります」


 瞬間、レイランは抜刀した。


「!?」


 驚きに声を上げそうになるが、結城の口は未だ塞がれたままだ。

 音速を遥かに超えた鞭の先端。それをレイランは見事に切り払って見せた。

 フフン、と新月は微笑み、弾き飛ばされた鞭の先端をキャッチする。

 対してレイランは抜刀した姿勢からゆっくりと戻り、剣を鞘に戻す。


「驚きましたわ。さすがは一流の剣士……っ!?」


 手の中にある先端を見た瞬間、新月の表情が凍った。その先端は縦に3センチほど切裂かれていた。


 パーヴァートの力によって強化された鞭は、あらゆる攻撃から傷つけられることはない。本来なら防ぐことさえ出来ないほどのブーストがされているのだ。得物に傷をつけるなど、ありえない。ありえないはずだった。


 新月はレイランを見る。

 パーヴァートの反応は無く、干渉力も感じない。剣が魔剣や聖剣の類というわけでもなく、魔法が付与されているわけでもない。

 純粋な技巧、技術でこの芸当をやってみせたのだ。


「なるほど」


 ぽつり、ぽつりと雫が地面を濡らす。やがて暗雲からは大雨が降り注いだ。


「甘く見ていましたわ」


 新月は先端を妄想で復元する。鞭をデタラメに振り、音を鳴らす。


「加減を変えますわ。心しなさい……妄想顕現!」


 次の瞬間、より速度を上げた鞭の先端が自ら突き進み、蛇のようにレイランに迫った。

 レイランは体を微かな横移動でそれを回避。地面を蹴って一気に加速した。


「っ!」


 しかし結城は気付いた。レイランの避けた鞭の先端が空中で方向転換、レイランを追尾していた。

 一瞬、レイランと結城の目線が合い、レイランは即座に飛んだ。

 空中で宙返り、真下を通る鞭の先端に斬撃を当てた。


「ッ!」


 だが今度は剣の方が弾かれた。レイランが鞭に足を乗せる。まるで鉄材のようで、しなることなくレイランはその上に乗れた。


「かかりましたわね!」


 新月の鞭を持つ手から火花が散る。

 危機を悟ったレイランはすぐさま飛び跳ねて新月のほうに近づく。


「甘い!」


 再び鞭の先端がレイランを追尾する。だがレイランもなんとか体を逸らし、引き、跳ねて回避する。


「またかかりましたわ!」

「……っ!」


 鞭が編のように入り組み、レイランを囲んでいた。動けないレイランに必中の一撃を加えるために、鞭の先端は真正面から迫り来る。


「ふぅ……」


 しかしレイランは慌てた様子も無く、剣を抜いた。

 両手で持ち、大きく上に掲げ、大上段。


「いいでしょう、勝負ですわ!」


 刹那、疾風の如き斬撃と迅雷の如き鞭が、雷光とともに交差した。




 まるで魔王の城でもありそうなくらいの、暗雲と雷鳴を発生させたセレナ。


「そ、そろそろ大丈夫です」

「雨を自由に降らせられるなんて、本当に魔法使いっていうのはすごいな」

「私じゃないです、この子です。アクア、もういいよ」


 セレナの両手の中で妖精は頷く。両拳を握り、顔の前でうんと踏ん張る仕草をすると、雨は徐々に弱まって、やがて止んだ。

 雲は風に吹かれて散り散りになっていく。日光が分厚い雲を切裂くように、光のカーテンが見える。


「おお、こりゃ綺麗だ」

「これからです。アクア、お願いします」


 こくんと頷く。アクアは青く柔らかな光を発し始めた。




 切裂かれた鞭と、折れた剣。


「これは……」


 それはあまりに衝撃的な光景だった。そのせいか、結城の口は封を解かれていた。


「……私の鞭が、細切れですわね」


 たった一瞬。雷の瞬きが視界を覆った後に、その光景はあった。

 レイランの周囲に散乱する、ばらばらに切断された鞭。そして、地面に突き刺さった剣。


 日の光が三人を照らす。


「…………」


 レイランは無言で、いつもの感情を表に出さないその無表情さで新月を見据えていた。


「まだ、続けますか」


 レイランの手には、刃の半分以上を失くした剣があった。おそらく、あれでも彼女は戦いを続けられる。その確信が結城と新月にはあった。


「……いえ、お腹がすいてもう力が出ませんわ。殺し合いをするつもりはありませんし、シャワーも浴びたいもの」


 三人ともずぶ濡れである。結城は呆れてため息を吐いた。


「俺が喋れないのをいいことにいきなりおっぱじめないで欲しい」

「はい、申し訳ありません。マスターが空腹なのではないかと思い、つい」

「そもそも新月が俺の口を封じるから……」

「ふふ、失礼。ちょっとムキになりすぎましたわ。ご飯は私が奢りますから許し……あら、あれは」


 新月が目をまるくする。レイランもその無表情から微かに驚きが見える。


「マスター、ご覧ください。あれを」

「なんだ二人とも。とんでもない戦闘見せられたんだ。そんなちょっとやそっとのことじゃ驚かされな、い……」


 それを見た瞬間、結城は思い出し、思い知った。


「ああ、そうか、そうか……そういうことか」




「なんだ、通り雨じゃないか」

「セレナちゃん、何のつもりでこんなことを…?」

「リーフ、腹が減った。早速次の店に行こう」

「もうお金がありません」


 四人が雨宿りしていた店を出る。日の光が差し込み、光のカーテンが空にいくつも現れる。


「おお、綺麗だなぁ!」

「本当……これならアレも見れるかもしれないね、蓮華ちゃん」

「アレ?」

「ほら、アレだよ!」


 首を傾げる蓮華に、ローラはもどかしそうに言う。

 気付いたティターナが問いかける。


「ローラ、もしかしてそれは……」

「リーフ、もう見えるぞ」


 レイアが服の裾を引っ張り、空を指を差した。




「雨音を楽しもうと思っていたのに」


 こうもすぐ止んでしまっては意味が無い。まあ雨上がりの空気も好きなので構わないが。


「ん、日が出てきましたね」


 しばらく篭りきりだったので、たまには彼らと同じように散策でもしようか、と窓を開けて外を見る。

 そして、期待していたアレを見つけた。


「予想通り、出ましたね」

 



「やっと、やっと思い出せた……!」


 結城は震える心の代わりに、沸き立つ我が身を抱きしめる。

 顔が熱く火照り、涙が頬を伝う。


「そうか、ふふっ……。そうだったな。どうして、思い出せなかったのやら」


 自分の目の前に架かる、あの遥か遠くの七色の虹を。幻想を。


「思い出せたようですわね、結城」

「ああ、しっかりと」


 目指していた場所、求めた物、望んでいた事、恋焦がれた人、欲した世界……




 俺は幼少の頃から空想に憧れ、妄想を抱いていた。

 手に余るほどの空想に手を伸ばし、抱きかかえるほどに妄想を生んだ。妄想と共に生きてきた。

 そして幻想まで抱き、いずれこのつまらない自分の日常をひっくり返してくれる。自分がひっくり返せるような出来事が起きるのだと夢想し、信じて疑わなかった。


 だが現実は幾度と無くそれを打ち砕き、粉々にしていった。

 手をいくら伸ばそうと、月にも星にも届かず、虹には触れられないように。

 夢にまで見た世界は、いつまでも開かれることは無かった。


 やがて体は大人になる。現実は夢想を削ぎ落としていく。

 理想を掲げるのも、幻想を抱くのも、空想を追うのも、夢想を見続けるのも、妄想を垂れ流すのも。

 生きていくには、これ以上は無理だ。もはや、手放さなければ朽ち果てるだろう。


 五つの想いを捨て去り、現実を末永く生き続けるか。

 現実を乗り越え、五つの想いを目指して果てるか。


 それでも、諦めるわけには行かなかった。それは、今までの自分を無情に殺すようなことに思えたから。

 捨てられなかった。捨てたくなかった。


 だから俺はそれ以外の全てを捨てた。現実を満たすあらゆる者を妄想の贄として捧げたのだ。

 人も金も全てを振り切り、妄想の道を突き進む。

 




「そして、俺は旅に出た」


 生きるために必要最低限のものだけを維持し、それ以外の一切の余分を排した、

 想い続けることだけをしてきた、この一生の旅路。


「おめでとう結城」


 突如、結城の眼前に眩い光が現れる。

 手で目を保護しながらも、隙間から覗く。光が徐々に止むと、そこに誰かが立っているのが分かった。


「お前、クリスト」

「よくぞここまで来た」


「なるほど、これがクリスト」


 新月が近づき隅々まで観察する。

 どうやら自分以外の人間にもクリストが見えるようになったようだ。


「ふーん」

「お前は俺の存在に感づいていたみたいだな」

「当然ですわ。私は妄想を糧とするパーヴァート。あなたが結城の妄想の存在であるならば、それを感じ取れるのも道理。とはいえ、気配くらいが限度でしたけれど」


「クリスト」


 結城は相棒の名を呼んだ。


「なんだ、結城」

「俺がこの世界に生まれた意味が分かった。俺はまだ、旅路の上に居る」


 前世での、途方も無い旅。その途中で果てた自分が、まだこうして立っているということ。

 理想を叶える世界。俺の理想はまだ叶えられていない。


「ならば、どうする結城」

「決まってる」


 結城はもう一度、虹を見て目に焼き付ける。そして身を翻した。


「旅の続きだ」


 その足取りは今までと違う。確固たる理想によって、しっかりと地面を踏みしめて歩く。

 クリストはにやりと笑う。レイランは変わらず結城の傍らに控え、新月は駆け足で追いかける。


 唐突に腹の虫が嘶いて、結城の足が止まる。


「……ご飯食べてからな」

「はい、マスター」





 それは深淵。それは虚無。その場所は、一切の存在を許さない虚空。


「おめでとう、理想の戦士」


 そこに一人の男が立っていた。

 黒い髪、黒い瞳。美青年のような顔立ちに、乱れ一つ無いスーツを纏っている。


「やはり私の期待していた通りだ」


 ほんの僅かな、欠片のような小ささの微笑を浮かべる。


「今まで多くの理想を目にしてきた。君の理想はあまりに異質だった」


 彼の目には、この暗黒の空間以外のものが見えているようだった。


「君なら……いや、君こそ私の理想を叶えてくれるだろう」


 眠るように目を閉じる。穏やかで、安らかな、永き眠りにつくように。


「さあ、準備は整った。君の理想を叶えよう」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ