101話目 身支度
戦争から数週間が経過し、アルカディアが争乱から落ち着いてきた頃合
結城はこの世界を出る身支度を整えることにした。
妄想世界を上書き保存してデータを抽出、パソコンからデータチップに移し変える。
妄想で創った巾着袋にしっかりと入れ、妄想で創った収容用の異空間へと放り投げ、厳重のプロテクトを施す。
万が一壊されても、妄想で世界を創り上げることも出来るが、妄想とは常に変動し、不定形なもの。
細部まで正確に定めるならば、こうして不変の情報媒体として保存した方がよい。
何者かの奇襲を受けて記憶喪失にでもなったら目も当てられない。
「マスター」
丁度、準備完了のタイミングで背後からレイランに声をかけられ、振り返る。
「おはようレイラン」
「おはようございます。マスター、お時間よろしいですか?」
「ああ、今終わったところだ。もういつでも出発できる」
新月の屋敷にも世話になったが、新月はこちらの世界に来るらしいが、この屋敷は引き払うのだろうかなどと、ふらっと考えているところ。
レイランはそんな結城に落ち着き払った様子で、しかし少々上ずった声で言った。
「その、よろしければ、今日一日、アルカディアを歩きませんか」
結城は妄想家である。
前世たる現実世界では空想を眺め、夢想に憧れ、幻想を望み、理想を掲げ、妄想に耽った。
それこそ酒も賭け事にも心奪われず、女体にさえ手をつけたことはない。
逆に言えば、女性との色恋沙汰の経験などまるでない。
そこで、久々に案内妖精が活躍することとなった。
「久々に私の出番ね!」
「よろしくです、チェリーさん」
「つまり、甲斐性なしの結城に代わって、デートコースを案内してあげればいいのね?」
酷い言われようである。
が、珍しいことにレイランが剣を抜くことはなかった。
どうやらレイランは悪意のない悪戯な憎まれ口、いわゆる冗談というのを察することが出来るようになったらしい。
「……ていうか、もうこの世界とはさよならするつもり?」
チェリーの問いに結城は頷いて答える。
「……もうちょっと居てもよくない?」
「いや、もう十分居たよ。それに、俺もそろそろ自分の妄想を燻らせたままじゃいられない」
「そう」
チェリーは短く返事すると、急に声を張って気合を入れる。
「さあ! 行くわよ!」
まず最初に案内されたのはアルカディア北方の名所。
新月邸からそう遠くないところにある、貴族街道・黄金並木。
人によっては悪趣味すぎるといわれるこの場所は、石畳の幅広い道がゆるりとしたカーブを描いて続く。
両端に並び立つ木々は、年中黄金の葉をつけており、金箔や塗料の材料として重宝される。
春には黄金の花が桜の如く咲き乱れ、街道を通り抜ける頃には金箔塗れになっている。
夏には茂り、夕立に見舞われても雨宿りに最適。強い日差しでキラキラと輝き陽光を遮る根元には清涼な風が吹く。
秋は落ち葉が黄金の絨毯を作り、コガラシで舞い上がっては幻想的な情景を作り上げる。
冬になると華やかだった黄金は欠片も残っておらず、どれだけ富を蓄えて栄えても、いずれは滅ぶ盛者必衰を体現し貴族たちの心を戒める。
「綺麗ですね」
「すげぇ。アルカディアというよりは黄金郷って感じだな」
「ヒヒイロカネ樹っていうのよ。昔はそこらじゅうにあったんだけど、アルカディアが発展していくうちに減ってきて、今はもうここにあるだけなの」
「冬以外は黄金色で染まる樹木か……妄想に追加するか」
金色の街道を抜けて、アルカディアの東方へと抜ける。
二人とも朝から何も食べていなかったため、チェリーはならばと、あの喫茶店へと向かうことにした。
「あそこ行くわよ」
「あそこってどこ」
「あの喫茶店に決まってるでしょ」
そうして辿り着いたのは、懐かしい、あの喫茶店。
山城 蓬がバイトしている猫カフェであった。
「いらっしゃいませー」
蓬の気の抜けるような声に、思わず全身の力を抜かれる。
やはり猫カフェであり、多種多様な猫がそこかしこでくつろいでいる。
「おっ、結城! 久しぶりだなおい!」
と、懐かしい声と共に奥の厨房から顔を出したのは、なんとグレイだった。
「おお、久しぶり」
「立ち話も難だ。好きなところに座ってくれ」
客は自分達以外に居ないらしく、結城はとりあえず窓際の席を選んだ。
レイランと向かい合わせに座り、チェリーはテーブルの上に座る猫の背に着地する。
「ふかふかぁ……」
着地したとたんに寝転がってしまう。相当に気持ちがよいらしい。
すると蓬が水を運んでくるのと一緒にグレイも来る。
「えっ、もしかしてこれ、デート?」
「で、デート、かな?」
「デートでしょ!」
「だよな」
結城がふとレイランを見ると、レイランは目を逸らした。
気まずさを感じた結城は強引に話題を変える。
「それより、どうしてグレイがコック姿なんだ。似合わないぞ」
「えー、似合ってますよー」
「はは……まあ、その、なんだ。俺達付き合ってるんだよ」
聞くところによれば、グレイはようやく蓬に告白し、なんやかんやあってこの店を一緒に経営していくことになったらしい。
「傭兵は辞めたのか?」
「まあ、そっちは臨時休業だ。こういっちゃ難だが、そろそろ限界を感じてきててな……」
理想の転向というのも、この世界では珍しいことではない。
グレイもまた、蓬と添い遂げるという新たな理想を得たのだろう。
そして彼と彼女が望む限り、その幸福の時間は永遠に続く。それが理想である限り。
「それに後継者も出来たし」
「後継者?」
「ああ、ガンダーラの人間で、サリマって言うんだけどな」
サリマ。どこかで聞き覚えのある名前であった。
「今じゃあ確か、アイス・バイエルンと競い合ってるはずだ」
「ザックの娘だっけ?」
「そうそう。まあアイツの場合は朱に英才教育されてるみたいだからなんとも言えないが。で、注文どうする?」
結城はメニューを広げる。
とはいえ喫茶店なので、そこまで珍しいものはない。
「なにかオススメある?」
「そうだなぁ。じゃあオススメの新商品作ってやるよ」
「なるほど実験台にされるわけか」
グレイは張り切って厨房へと引っ込む。
蓬は微笑んでグレイを見送る。
「幸せそうね、蓬」
「はいー、とっても幸せですよー」
チェリーが問うと、蓬は言葉通り幸せそうに応える。
「そういえば蓬の理想ってなんだっけ?」
「ここで楽しく働いて、姉と一緒に穏やかな日々を、ずっと。あと猫が飼いたかったんですけどー」
見渡せば、視界のどこかには必ず猫が居るこの猫カフェ。
条件は十分にクリアしているといっていい。
「で、今の理想は?」
「この日々を、グレイさんと一緒に過ごしていきたい、です」
「そう……良かったわね」
「はい」
理想叶えた一人の乙女の笑顔を、妖精は心に刻む。
結城も蓬の幸福そうな表情と、ここから僅かに見える厨房のグレイを見ていた。
理想を叶え、更なる理想で結ばれた二人。その幸福を謳い踊る姿は、黄金煌く黄金郷よりも美しく、愛おしい暖かさを有していた。
「あ、飲み物は何にしますか?」
コーヒーを淹れて貰い、しばらく三人が猫と戯れていると、グレイが厨房から戻ってくる。
その手にはけたたましいほどに油の跳ねる音を鳴らす鉄板を乗せたトレイ。
「お待ちどう! L5ランクの養殖人ステーキ」
「うーん、突っ込みどころが多い」
しかしグレイは全く気にせず、テーブルの上に三枚、鉄板皿を並べる。
霜降りの人肉が音を立てて油に焼かれていると、スパイスの香ばしい匂いが鼻腔を愛撫する。
「驚いた。ここはステーキハウスだったのか」
「流行のものは即座に取り込んでいくぞ。最近はこれが流行りなんだってさ。ローラブランドの高級品だぜ?」
「でもお高いんでしょう?」
「宣伝してくれるなら試食ってことにしておくが、どうよ?」
結城は、そういえばこの世界は人肉を養殖が許可されていることを思い出した。
そして人肉をあまり食べていなかったことも。
牛肉でいうA5はL5とされ、どうやらそれはLOLAのLらしい。
「それじゃあ、頂きます」
フォークとナイフを手に、結城は人肉を切り取る。
ニンニクを効かせたワインソースに西洋ワサビを添えて口に入れる。
「……美味いな。かなり」
牛肉ではない。豚肉でもなく、ましてや鶏肉とも異なる。
否、期待していたほどの味とは違い、美味いといえば霜降り牛のステーキや高めの焼肉のほうが美味い。
だが人肉はなかなか噛み応えがあり、味付けもしっかりとしている。人肉は臭みが強いというが、それをほぼ完璧に上書きしている。
「魔物とかは生でユッケにするらしい」
「魔物はゲテモノ好きなのか」
とはいえステーキは美味で、三人と猫は難なく平らげた。
「何はともあれ美味かったな」
「はい、美味でした」
「お腹いっぱいでちょっと飛びにくいわ」
「案内妖精しっかりしろ」
洗い物を済ませたグレイがコーヒーを持って来る。
「満足してもらえたようで何よりだ」
「意外とコック姿も似合うな」
「手の平を返すな」
三人の前にコーヒーを置くと、グレイは問う。
「もう、行くのか」
「ああ。今までありがとう。世話になった」
グレイは結城がこの世界に来て初めて出来た同性の友人である。
しかもグレイのほうから積極的に声をかけてくれ、常に結城のことを心配していた。
時に庇い、時に応援し、時に傭兵に誘ってもらったことも覚えている。
「なぁに言ってやがる。こっちだって散々助けてもらったんだ。お相子だよ」
「俺がグレイを助けたことなんてあったか?」
「お前はこの世界じゃ救世主みたいなものじゃないか。友人として鼻が高いぜ」
「あっ、なるほどね。それじゃあそろそろお暇する」
結城が立ち上がるとレイランもそれに続き、チェリーは猫の毛並みを名残惜しそうにしながらも飛翔する。
「また来てくれよな」
「おう、必ず」
猫喫茶を後にし、結城たちはデートを続ける。
さて、街並みを歩いていると、なんとなく辿り着いてしまった。
東部住宅街100番地1号棟。
「ここはもう住民は一新しちゃってるわ」
「えっ、じゃあ蓮華も居ないのか」
「居るのは管理人の椿くらいでしょうね。蓬はあの店に住み込みで働いているから」
いよいよ椿はいい加減に結婚したいだろう。どうか理想が成就することを願う結城であった。
続けて歩いていけば、南部のアルカディアで最も大きい通りに出る。
終戦のパレードも片付き、すっかりいつもどおりに理想人が活き活きとしている。
そして一際大きい怒声が耳に入る。
「テメェ……人にぶつかっておいてなんも無しかッ!?」
ガラの悪い男。否、黒鬼が見下ろすのは一人の乙女。
結城は思わず声をかけようとするが、見覚えのある威風と緑髪を目にし、意を決して声をかけた。
「そこの黒鬼、逃げた方がいいぞ!」
その言葉に、黒鬼は耳を疑い、驚いたような表情を浮かべていた。
よもやこの風貌の自分を見て、そんな自身に逃げろと言う輩がいるとは思わなかったのだ。
黒鬼はしかし、その警告を無視して乙女と対峙する。
その乙女の口元が緩み、それに激昂する。
「ッ!!」
口よりも先に手が出た。黒鬼の腕力がどれほどのものか、しかし振り下ろされた拳は確かに人間を必殺するに足る力であったことは、確かだった。
それは、相手が蓮華でなかったらばの話である。
響く衝撃と音。
蓮華の足元の床は砕け、地面を抉る。
「なっ、んだ?」
そして、それだけであった。
起こったことは、それだけ。
蓮華の身には何も起こっていない。
砕けるはずの頭も、へし折れるはずの背骨も、足も、首さえもがなんともない。
「うーん、強そうに見えたんだけどなぁ」
代わりに、物足りなさそうな声と共に、黒鬼の拳に触れる蓮華。
「ひっ、ひぃっ!」
その瞬間、黒鬼はその図体に似合わない悲鳴を上げて、さながら傍に置いてある胡瓜に気付いた猫のように飛び上がり、全速力で逃げていった。
すると蓮華は振り返り、結城のほうに手を振った。
「おっ、やっぱり結城か!」
「相変わらずだな」
「ええ、蓮華は相変わらずです」
結城たちと蓮華は歩み寄る。
「奇遇だな、こんなところで会うなんて。というか結城が出歩いているのが珍しいな」
「そうだな」
蓮華の無茶苦茶な強さには、今更何を言うことも無い。
「そろそろこの世界とお別れするからな、ちょっと挨拶回りを兼ねた散歩を」
「あーそっかぁ……あっ、そうだ。お前ってユートピアとか倒したんだよな?」
「えっ、何をいきなり。まあそうだな」
「一回、私と戦ってみないか? そういえばお前に似てる奴と一回引き分けたことあったし、決着つけようぜ!」
結城に似ている奴というのは、違う世界から来たもう一人の自分である、夕輝のことである。
が、蓮華ほどの強者と好き好んで戦うほど結城も狂戦士ではないので、やんわりとお断りする。
「悪いが俺は最強を目指しているわけじゃない。」
「そっかぁ、残念だなぁ」
蓮華は基本的に好戦的な人間だが、強引に戦おうとすることはない。
こちらが戦意を見せなければ、大人しく引き下がる。
「いつ発つんだ?」
「明日には」
「また急だなぁ。じゃあクロードとかにも会うんだろ? 案内しようか?」
「案内は私の役目よ!」
チェリーは小さい体で声を大にして主張する。
「そっか。じゃあ達者でな」
「ああ、蓮華も」
「おう!」
蓮華は次の強者を求めて去っていった。
そして次はクロードの居る場所へ案内されることになった。
クロード宅は留守だった。
わざわざ探すこともないと思った結城は、そのままレイランにウィンドショッピングを提案する。
レイランは相変わらず刀剣屋を希望し、お洒落な服を品定めする年頃の娘のように、刀剣を手にとっては軽く素振りをしていた。
買い物を済ませた後は昼食を取り、食後のティータイムをゆっくりと過ごす。
レイランに妄想の世界の話を聞かれた結城は、その後は話が止まらなくなるものの、レイランは楽しそうに聞き、チェリーは二人を見て満足しながら、ショートケーキの苺を堪能した。
そうこうしているうちに、日が傾く頃合、三人は新月邸に戻ることにした。
「マスター、よろしければ寄りたい場所があるのですが」
「寄りたい場所?」
「分かってるわレイラン。あそこでしょ?」
レイランの意をチェリーが汲み、結城だけが疎外感を味わいながらも、三人はその場所へと向かうことになった。
城壁沿いに歩き、どこに寄り道することもなく辿り着いたのは、出会いの場所。
「ここは……」
「私とマスターが最初に出会った場所です」
コロシアム。
結城とレイランが最初に出会った、思い出の地。
誰も居ないコロシアムの中央に、結城とチェリー、そして背を向けたレイランが立つ。
「ここで私がマスターを見つけられたことは、本当に幸運でした」
「それはお互い様だな」
「光栄です」
「……それで、次のご注文は?」
レイランは沈黙する。
ふと、蒼い瞳が剣士のそれに変わる。
「マスター、本日は私の希望にお応えいただき、本当にありがとうございました。怖れながら、もう一度だけ、私の我侭をお許しください」
そう言いながら、レイランは剣に手をかけた。
レイランの構えは居合いに似て、殺気は強く、既に間合いに入っているかのような錯覚を覚える。
それは圧倒的な脅威と、威圧感が生み出す恐怖そのものだ
「許す。言うんだ、レイラン」
「では……私の理想を、果たさせてください」
レイランが鞘から僅かに剣を見せ、結城は彩光から水晶の剣を抜いていた。




