100話目 現人神
思わぬ状況に、結城は困惑する。
「なるほどそういうことか。まさかアルカが苦戦どころか風前の灯だ。これじゃあ……」
理想の危機。
理想世界は侵略され、理想を抱く人々は尽く業火と強酸の海に投げ込まれ、永遠の苦痛に責められる。
理想郷は潰え、全ての理想は焼き尽くされる。
そんなことは残酷なことは許されない。あってはならない……
などとは考えていなかった。
「俺はいつになったら妄想世界に移れるんだ?」
結城は自らの理想しか見えていなかった。
せっかくここまで辿り着き、ようやく夢にまで見た妄想を叶えられると思っていた。
「それがたかだか神如きに邪魔されるなどと……」
「いえ、マスター。まだ終わってはいないようです」
立ち上がるアルカだが、このままでは勝てないだろう。
「……どうなさいましょうか」
そういう意味での問いだと結城は察する。
「確かに俺の妄想世界は大事だ。しかし……」
理想を抱く者の心境、結城とて知らないはずもない。
ましてや見て見ぬふりが出来るほど非情ならば、そもそもこんなところで立ち往生しては居ない。
「もう少し待つ。まだ『彼』もいる。ぎりぎりまでは」
「……マスターの御慈悲には感服いたします」
その妙な間に、結城は苦笑して誤魔化しながらも頭を下げた。
「えっと、ごめん」
「誤解ですマスター。私がマスターを責めるなど。ただ……」
レイランは僅かに身じろぐ。
「此処、理想を叶える世界においては、己の理想達成は悲願。形振り構っている者などほとんど居りません。甘さは時に、己の理想を揺るがしかねないからです。しかしマスターはそれを怖れることなく、誰かの理想を出来る限り尊重なさっています」
ユートピアを討たず、安全無欠の活躍を本にし、絶滅の理想さえ否定せず、神を相手にすると聞いても臆することなく、この戦いに参加した。
その間、いくらでも理想を叶える機会はあった。
それにもかかわらず、今もこうして赤の他人の理想を見届けようとしている。
「時々不安になるのです。貴方のその優しさに報いれているか、貴方のことを満たせているか、と」
「…………」
ちらりとレイランが見ると、結城は驚いたように目を見開いていた。
「あの……」
「ああ、いや。レイランが不安を晒してくれるなんて珍しいな、と思って」
すると結城は嬉しそうに、穏やかな笑みを浮かべて応える。
「もう既に、十分すぎるほど満たされているよ。自分が妄想してきたよりも、とは言えないけど。そこは譲れないけど、それでも」
今まで生きてきた中で、これほど満たされていることはなかった。
「だが、妄想世界ならば俺はより満たされるだろう。そのためにはレイランの存在が必要だ」
「はい、マスター。どこまでもお供致します」
「思い人が従者と惚気ているところを聞かされる。こんな惨い拷問があると思いますかね新月さん」
「まったくですわ。にしてもそのしゃべり方はどうしたんですの」
気付いたレイランが頬を赤らめながら俯く。
一流の剣士も恋する乙女に違いなかった。
結城も気恥ずかしさに頬を掻く。
「失礼。マナー違反だったかな」
「いんや、別にぃ?」
かなり棘のある言い方だが、銀風の笑みは何か企んでいるようだ。
「まあいい。私の性魔軍団で快楽漬けにしてやれば、なんとでもなる」
「あれ、銀風。いつから快楽落ちの趣味になったんだよ」
「ほら、二人とも。アルカ王が動きますわよ」
王はそして、再び神の前に立つ。
「さらば、死ね」
異能者を貫いた青い稲妻が、アルカを貫いた。
かに見えた。
アルカの周囲を、薄い緑色の球形が囲い、稲妻を遮っていた。
「人間、王……違う。そうじゃないな」
瞬間、幅広の王剣が顕現し、左右の手に握られる。
「王は常人には務まらない」
「ッ!?」
それは確かに神の予知どおりの動きをしていた。
そして神速をこなす神に対し、どれほどの速度でさえも対応できるはずだった。
問題だったのは、力だ。
最短距離を突っ込み、単調な刺突が神を穿った。
「ほう、まだこれほどの力を残していようとは」
理想は思いによって力が増減する。
もう一つの世界となった理想に、神の全知は及ばない。
「だがそもそも、神を殺すなどということが、本当に出来ると思ったか」
「王は、超人でなければなり得ない」
神が剣を振り上げ、無造作に振り下ろす。
しかしその単調で粗雑な動作ですら、一流の剣士を軽く凌駕する威力を持つ。
だが、その神速にアルカは容易く追いつき、己の王剣で受け止めた。
激しい衝撃が周囲に響き渡りながらも、アルカの剣には皹一つなく、
「神の速さに追いついた、だと……?」
神速に追いつき、神威と拮抗する。
そんなものは、既に人間の域ではない。
ということは、アルカは人間を捨てたか?
「私は王。人の身にて、人を超えし、人の王。超人王」
「よもや汝は……そんなものを人だと言い張るつもりか」
「王威、百鬼暴君」
襲い掛かる全ての神速の一撃を、受け止めるどころか弾き飛ばしている。
剣、刀、槍、斧、槌……あらゆる神器を圧倒する。
「捨て身ゆえに、僅かに我を凌駕するか。ならば我が威光をもって、神威を知らしめん」
「神よ、お前がどれだけ神の威光を遍く世に広めようとも……」
神が光を発し、それは稲妻とはまた別種の破壊力を有する。
しかし、アルカは怯むことなく剣を地面に突き刺した。
「私が君臨し治める限り、何度でも傘となって遮り、アルカディアはお前をそこから引きずり落とす」
アルカの背後に、巨大な影が浮かび上がった。
影は神の放つ威光を尽く飲み込んでいく。
「そんなものまで……汝はそれで、その有様で人間を名乗るのか」
「王権・七首暗君」
その影が確かな存在となった時、その姿が七つの首を持つ竜であると気付いた。
「来たりしは神を屠る暗君。そして神を天上より引きずり下ろし、魔海に沈めん」
「悪魔に魂を売り渡したか」
「悪魔? 勘違いしているな神よ」
七つの首、十四の眼光が神を見据える。
「これは獣だ。そして獣は人が飼いならす」
その傲岸不遜に、全知のはずの神が初めて驚きを実感する。
「魔を、飼いならすだと?」
ソロモン王もビックリである。
「もはや人は神にも、魔にも誑かされない。王であるこの私が治める。お前たちは不要だ」
「神が殺せないというなら、塗り潰すまで」
「神権を王権で塗り潰すとは……誇るがよい。お前は神を殺した唯一の男だ」
四肢は失われ、左胸から上しか存在しない。
「……お前は、自分が消失するというのに、何の恐怖も、後悔もないのか」
「神はそういう存在ではない。それは存在しながらにして、存在しないのと同義のものだ」
まるで謎かけのような言い回しにアルカは頭を捻る。
「だが、最後まで神としての役割は果たさせてもらう」
「神としての役割?」
神の無表情からはなにも読み取れない。
「神の役割……それは創造し、託すこと。それは信仰の光となり、希望となる」
「産み、落とす……暗君!」
産み落とす。その単語に、アルカは言い知れぬ不安感を覚えた。
咄嗟に暗君への指示を出し、神は完全に食われる。
だが、神は最後に声を残した。
「愚息と同じ末路だが、致し方ない。新たなる我が子に、私自身を託すとしよう。汝らはそこで見届けるがよい。人ではなく、人々の行く末がどうなるかを」
神々の戦いの結末は、アルカたちの勝利に終わった。
それを見届けた結城はうんと両手を上げる。
「よーし。これでやっと俺も理想が果たせるな」
「意味深な台詞を残していたが、それは大丈夫なのか?」
「問題ないだろ。あの言い回しなら、何が生まれるとしても、神そのものではない。なら、大丈夫」
そして、その後のことは、やはりいつもどおりの流れなのだ。
「この世界がどうなろうと、それは理想を叶えられるこの世界で、誰かが理想を叶えた結果だ。それなら、もう誰も文句なんて付けられないだろ」
「レイランはお前のことを優しいと言うが、私はお前のその部分は誰よりも人からかけ離れているように思えるな」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
「もちろん、褒め言葉だからな」
さて、と結城は席を立ち、妄想で生み出したモニターを消す。
見れば、天使の軍勢は進撃を止めた為、<無量大数>も動きを止めた。
結城が<無量大数>を妄想に収めても、天使たちは途方に暮れていた。
聖騎士、聖人たちも同じく神の敗北を悟り、絶望にくれている。
が、それも間も無く終わるだろうと結城は読んでいた。
なぜなら、既にあの神は、その理想を形にし、産み落としているはずだからだ。
それは神が最期に残した言葉の通りに……
「俺は一旦帰る。ゾーイ、ユートピアの人たちによろしく言っておいて」
「もう行かれるのですか」
「ああ。もう役目も終わった。この世界ともいよいよおさらばだ」
帰り支度を始める結城。
モニターも椅子も全て妄想に還し、準備を整えたレイランたちを見やると、最期にゾーイの方を見る。
そして自らの方を向いて微動だにしないゾーイに問う。
「ゾーイも、一緒に来るか?」
ピクリと反応したものの、彼女はゆっくりと首を左右に振った。
「私はドクの最高傑作。そして、生命の真理を見出すという理想があります。貴方と共に行くことは出来ません」
「そっか。残念」
「ありがとうございました」
その一連のやり取りは、まさに人間と呼んで差し支えないレベルだった。
否、もうゾーイは人間なのだ。
機械の内より生まれた、機械の肉体を持った人間。
「……お元気で」
その受け答えこそ、彼女が感情を優先したという証拠だった。
別れの言葉で、さようならではなく、遠まわしの表現を選択したゾーイ。
しかし、それが澄ました風に振舞っていた結城の意志を余計に揺るがす。
ゾーイから、目が離せない。
少しでも彼女と一緒に居たい。離れたくないと思わされている。
「むぅ……」
「どうした結城。さっそく心揺さぶられているのか」
「こういうの苦手なんだよ」
「ふふっ、昔から潔癖なくらいハッピーエンドに固執していたからなぁ。でもお前の力ならまたこっちに来れるんだろう?」
そう。結城の力なら、妄想の世界からこちらに来ることなど容易い。
ゾーイほどの存在がそう簡単に、他の理想に屈するとも思えない。
今生の別れということにはならないはずである。
「そうなんだけどなぁ。卒業式でだって泣いたこと無いのに……まあ、それくらい良い出会いが出来たってことか」
結城は意を決してゾーイに歩み寄ると、おもむろに、機械の体に両手を回す。
ひんやりとしたボディは火照った肌に心地よく、しかし流線型ながらも鋭角なデザインは抱き心地はあまり良いとは言えない。
それでも結城の抱き締める力は強まった。
「これは……ハグですか」
「まあ、バグではないな」
ゾーイも察して抱き返す。
ぎこちないながらも力強く、そのおかげで安心感すら覚える。
「ゾーイも、達者で」
ゾーイと別れ、妄想したワイバーンでアルカディアへと帰還する。
道中、唐突に天使や聖人が消失したが、もはや結城にとって、そんなことはもうどうでもよいことだった。
ぼやけた意識、まどろみからゆっくりと浮き上がる感覚。
神威の勇者・ギルは目を醒ます。
「うっ……」
全身が岩石で出来ているかのような、疲労感の塊。
しかし、己の理想が彼に力を与え、意思が体を動かす。
「理想……いや、これは違う。これは……」
ふと、気付くと、神々しい光が自らの体を癒している。
痛みも、疲労感も取り除かれ、ようやく周囲の状況を確認できるようにあなった。
周囲には聖人、聖騎士たちが動揺した様子で立っていた。
「ここは……エルサレム?」
瓦礫の山だけが残った空中庭園。
「聞け、哀れな迷える羊たちよ」
その声に顔上げる。視線の先、瓦礫の上に立つのは見覚えのない一人の少年。
「我は現人神。神より使命を賜りて、汝らを導く者なり」
そしてギルの目は、少年の横にいる見覚えのある聖女をとらえる。
見間違えるはずもない。自分が守りきれなかった聖女、リリス。
「我は現人神として神に創られ、聖女リリスの腹より出でた。汝らを導く使命を負って」
「リリスが、彼を産んだ?」
にわかに信じがたい話である。
しかし神が敗北した今、神を信奉していた者に残された道は、神と名乗る少年を信じるほか無い。
そして聖女から生まれたという事実が、少年が現人神であることへの信用を持たせる。
「迷える羊たちよ、怖れるな。神は必ず蘇る。我々はこの理想世界において、神の復活を理想として掲げるのだ」
「神の復活……」
「故に、絶望するな。絶望せず、理想を抱いて生き続けろ。その身も心も神に捧げると誓ったならば、我等は主の復活に心身を投じるのだ」
神は滅べど、民は滅ばず。
故に神の意思は継がれ、神の国エルサレムは存続する。
信者が自らの理想を捨てない限り、神は存在し続ける。
ここに、新たな理想郷が出来上がる。
「ここは我らの約束の地。神の復活を誓った場所。名は<約束の地>」
こうして新たな理想郷が生まれた。
階段は朽ちて落ち、島は再び動き出す……
そして神との戦争は幕を閉じた。
聖騎士と聖人のうち、信仰心を失った者たちは捕縛され、尋問されたが、役立つ情報は引き出すことが出来なかった。
消失した軍勢。そして未だに天空に座する浮き島。
人々は警戒していたが、アルカ王の心配は不要であるという御触れで、落ち着きを取り戻し、再び己の理想を果たすべく生活に戻っていく。
理想人は、過去の出来事にいつまでも囚われているほど暇ではないのだ。
ユートピアも瓦礫の山と化したものの、急ピッチで再建が進められている。
理想人自体の被害はほとんどゼロで済み、何がどうなったところで己の理想を研磨するのに困ることはない。
さて、神に残されたものたちは、どうして残されたのか。
彼らは一様にして、理想を抱き、決死の覚悟で活躍する彼らに心変わりをさせられたと言う。
彼らもまた、叶えたい理想を過去に抱いていた者たちであったものの、やがて心折れ、想いは潰え、疲弊した心身を神に救ってほしいがために、理想を捧げた者たちだったのだ。
それを一部の理想人たちが語りかけ、あるいは魅せつけることで理想を蘇らせた。
代表的な一例として、神威の勇者のお供であった大聖者と戦士が挙げられる。
クレアはその戦闘力を買われ、晴れて安全無欠の一員となった。
リューテをも凌いだその戦闘力は安全無欠の戦力を大幅に上げた。
最近は道場を構え、安全無欠の戦力となるための人材を育成する仕事をしている。
数多の武器術や接近戦術に精通するため、万全手芸の女戦士と謳われ、強者の名に連ねる。
大聖者であったホーリネスは、銀風にスカウトされパーヴァートとなった。
大聖者から背徳者へとジョブチェンジした彼は完全に受けの性癖に目覚め、性魔との相性が良く、頻繁に結城の代わりに実験台にされている。
それはそれは将来有望であるとは結城の談。
勇者と聖女は消息不明のため、おそらくは天使らと共に浮き島へと転送されたのであろう。
二人とも多少の思うところはあるものの、既に理想が最優先事項として切り替わっているようである。
理想を持たざる者は、この世界に存在できない。
とすれば、今も信者である浮き島の住人は、どんな理想を抱いているのか。
いずれにしろ、また闘争の機会は訪れるだろう。
しかし恐れることはない。今はもう、同じ理想人なのだから。
その機会が訪れるより先に、結城はこの世界からおさらばすることにした。




