1
生徒もほぼいなくなる放課後の王立アカデミーの三階の図書室。窓際の読書スペースの長テーブルに向かい合って腰かけているのは女生徒と男性教諭の二人。
遠くから生徒たちの笑い合う声が聴こえてくる。
「あ~あ・・・まぁた始めちゃったね、あの子たち」
頬杖をつきながら苦笑して窓の外を見下ろす男性教諭は、先生らしくない口調で告げた。
「昨年まではアイナさん・・・清いお付き合いをされていたのに残念でなりませんね!」
「まあね~・・何人もの男子生徒と交際してたら、皆牽制しあって行為がどんどんふしだらな方へ発展してしまったんじゃないかな?」
「・・・・そういうものなんですか?」
「ソウイウモノかもね!」
男女の付き合いの何たるかを知り尽くしたような発言をするセイオスに訝し気にじとりと見つめてしまう。
「何々?まさか私の事を遊び人とでも思っているんじゃないだろうね?私は彼女らとは違うから一緒にしてもらっては困るよ?」
「あら?そうなんですか?失礼いたしました。
セイオス先生ったら毎日飽きずにここにいらっしゃるんですもの!てっきりそういう行為も観察するのがお好きなのかと思ってしまいましたわ!」
ふふっと含み笑いを浮かべながら言うと、セイオスもにやっと口角を上げて笑う。
「それは私のセリフだよ。ルナセイラ嬢こそ、毎日私と一緒に飽きずに彼女らの逢瀬を眺めているじゃないか。君こそそういう行為を観察するのが好きなのでは?」
「な!そんな訳ないでしょうっ!!私は断固として不純な異性交遊は反対ですわ!キスだって婚前でするものではありませんもの!」
心外だと訴えるように捲し立てても、セイオスは少しも動揺する素振りもない。
百八十cmは超えているだろうセイオスの背丈は、程よく筋肉がついているのかどんな服でも着こなせそうなくらいスタイルが良く見える。
整えられていない癖っ毛で飛び跳ねた漆黒の髪の毛、大きな黒縁眼鏡の奥にうっすら見える赤茶色な瞳。肌は健康的で血色も良く、鼻筋は通っていて右瞼の下の頬には黒子が縦に二つ並んでいる。
いつ見ても黒子のおかげで彼がセイオスだとすぐわかる。
彼は王立アカデミー入学したころから趣味を同じくする仲間だ。
今もその趣味の真っ最中だったのだが、最近は見ていてもきゅんとときめくどころか苛立ってしまってばかりだ。
私は彼女の逢瀬を観察するのは好きだったが、ふしだらな行為を観たかったわけでは断じてない。むしろ自分がされたら卒倒するだろうとすら思える。
「キスも駄目なの?なんで?」
「なんでって・・・唇を相手の身体の一部に触れさせるだなんて・・・結婚相手以外に考えてはいけないんです!」
「えー?そんな怒らないでよ!意外ときゅんとしちゃうかもよ?」
セイオスはすっと席を立ちあがると、机の上に置いていたルナセイラの手をひょいっと掬い上げちゅっと優しく口づけた。
――なっ?!!!!
「どう?案外悪くないんじゃない?・・・・って・・え?ルナセイラ嬢?・・あれ?大丈夫?!」
まさかのセイオスに手の甲にキスを落とされた瞬間、時が止まったように衝撃で目を大きく開けて仰天したまま卒倒して机に突っ伏してしまったのだった。
***
ぐるんぐるんと走馬灯のように景色が周り、見慣れた景色が移り変わっていく。
ルナセイラには見慣れぬ景色なはずなのに、とても懐かしく感じる人たちや風景、何か言葉を言っているように見えたが、私には聞き取ることが叶わなかった。
そして景色が次々変わっていくと、ルナセイラにも見慣れた景色が浮かび上がる。
王立アカデミーの校舎や図書室、先ほど眺めていた中庭までが、大きな四角い横長の鏡越し?に動く絵のようなものが映っていくのだ。
それを自分が楽しそうに見ている記憶が蘇える。
――あれは・・・TV?!・・・そして・・・これは・・・
更に驚いたのはその移り変わる動く絵の中に、見知った人物たちが映っていたのだ。
目は周りそうなのに、思考は徐々にしっかりしてくる。
――・・・・・そうよ!!これは私がハマっていた乙女ゲームだわ!!
心の中で叫んだ瞬間、ばちっとルナセイラは目を覚まし、勢いよく起き上がろうとした。
刹那、「ごちんっ!!!!」何かがぶつかる衝突音と、後頭部に激痛が走った。
「――・・っいったぁぁああぃ・・・・」
「――いって――――っ!!!」
瞳に痛みで涙が滲みながらも頭を押さえながらぶつかった方を振り返ると、額を押さえて悶絶するセイオスの姿があった。
「セイオス先生?!」
「君・・・酷いな・・・気絶した君を介抱してあげようとしたのに・・こんな仕打ちってないよ・・・」
冗談ではないようで、本気で半泣きしてしょげている。
「・・・ごめんなさい・・・私・・気絶していたんですか?」
「あぁ、卒倒して気絶して机に突っ伏していたんだよ。
キスされたのがそんなに嫌だなんて思わなかったんだ・・・・・こっちこそすまない」
素直に謝罪を口にしたルナセイラに、セイオスも誠意をもって謝罪してくれた。
まさかキスされるとは微塵も思っていなかった。
嫌だったから卒倒したわけではない。
まるで青天の霹靂のように、ルナセイラにとってはキスという行為自体が、たとえ手の甲であっても天地を揺るがすほどの衝撃だったのだ。
「私こそまさか手の甲へのキスで気を失うとは思いもしませんでした。あはは・・・」
自分の純粋さに驚きを隠せなかったが、私はそのショックで前世の記憶を一部思い出した。
それは、自分がキスすらすることなく、それなりの年齢を重ねてから死んだという事と、自分が若いころからハマって遊んでいた乙女ゲームは、「リリベラの乙女とマジカルナイツ」略して「リリマジ」だったということ。
その乙女ゲーム「リリマジ」の世界が、まさに今生きているルナセイラの世界なのだ。
――なんてこと・・・四十歳過ぎてもキスすらせずに死んだから免疫なくて気絶したのね・・・どれだけ私は初心なのよ!!
――しかも・・・記憶に間違いなければ・・女神リリベラとはこの世界の主神のことよ・・しかもリリベラの聖女って・・・このアカデミーに通っている同級生・・聖女候補のアイナのことじゃない!
信じがたい事実に言葉を失うルナセイラを、セイオスは心配そうにのぞき込んだ。
「ルナセイラ嬢?大丈夫かい?脳震盪を起こしているなら医務室まで運ぼうか?」
後頭部を押さえていた手をそっと外され、たんこぶが出来ていないかセイオスは確認してくる。
「ご心配おかけして申し訳ございませんっ!・・・卒倒したショックで少し昔の忘れていた記憶を思い出して、困惑してしまいました」
「それはごめんよ。念の為医務室に――」
「大丈夫です。先生こそ見せてください!・・・あ・・・こぶが出来ちゃいましたね・・・ごめんなさい」
心配するセイオスの手を取って覗き込めば、セイオスの額には綺麗にたんこぶが出来上がっていた。
「――・・・・早く治りますように・・」
そっと触れて心からの祈りを込めると、少しだけ自分の手が温かくなった気がした。
「・・・・え?・・・あれ?・・痛くない・・・かも?」
セイオスが呆けた表情で呟いた。
彼にもう一度視線を向けると、先ほどまで半泣きしていたのが嘘のようにケロッとしている。
「痛く・・・ないんですか?」
「あぁ、しかもたんこぶもなくなってる気がする!そんなにひどくなかったのかな?」
嬉々としてセイオスは自分の額を撫でた。
確かにセイオスの額にたんこぶはない。しかし、しっかりと自分の後頭部にはたんこぶが出来ている。
――・・・・なんで私だけ?
不思議でならなかったが、ひとまずセイオスが痛くないなら「まぁ、いっか」と思えた。
***
席に座り直して中庭を見下ろすと、まだアイナと恋人は怪しい動きでいちゃついている。
「――・・・あー・・あんまりこれ以上は今日は見ない方がいいんじゃない?目の毒かもよ?」
先程卒倒したルナセイラには刺激が強すぎると判断したのだろう。
いつもなら苦笑しながら冗談をいうセイオスは、真剣に心配してくれているように見えた。
「大丈夫です。・・・というかアイナさんのことも思いだしたことがありまして・・・」
「あの子のこと?・・・何か関りがあったの?」
「いいえ、ないんですが、昔の彼女は一人の人を一途に愛する人だったなって思い出したんです。」
「そうだねぇ・・・確かに数年前までは不純な行為はしてなかったからね・・・」
ルナセイラの言葉に昔を懐かしむように瞼を閉じながらセイオスも以前のアイナの逢瀬を思い出した。
「・・・セイオス先生は・・もし・・もしですよ?アイナさんに好きだと言われたら、どうしますか?」
「ぇえ?!怖いこと言うね?当然拒否するけど、そもそもこんなやぼったい格好してる私の事なんて彼女は見向きもしないと思うよ!」
セイオスはへらっと軽薄な笑みを浮かべて言う。
「そうですか?・・・でもセイオス先生眼鏡外して髪の毛整えれば絶対かっこいいですよね!」
まるで確信しているかのように告げるルナセイラの言葉にセイオスの肩がピクリと震えた。
「・・・っどうしたんだい?いきなりおだてても何もでないよ?私は教師にもなれない教師補佐なんだよ?こんな情けない人間がかっこいいわけないじゃないか!」
はははっと大げさにセイオスは笑う。
――やっぱり・・・・・か
ルナセイラは微妙な表情で数秒無言になったセイオスを見て、無言は肯定と受け止めた。
――やっぱり彼は王国一の美丈夫、この国の王太子殿下セイフィオス・ブレドなのだわ!!




