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復活のキシロー:4

 私は最後に今のもんすたぁを見るついでに浜通りに行ってきた。

 海の風は強く、見れば小さな子供が風に向かって走っていく。

「飛んだ!」

子供は無邪気に走っていく。

 キシロ―と同じ飛びかたで。

 小栗山喜四郎の起こした一揆が沈められた後、会津で一揆は起きなかったという。

 それがどういう意味かはわからない、圧政は改善されたのか?

 それとも皆何を言っても無駄だと諦めてしまったのか?

 もし諦めてしまったのなら、それは一揆を起こし、死んだ者の遺志を無駄にすることになりはしないだろうか?しかし我々は生きなければならない、一揆を目論んで、殺されてはたまらない。

 では黙っていればいいのだろうか。

 キシロ―自体は殺されはしなかった。

 しかし一時期と違い彼女への反応はどこか冷ややかである。

 キシロ―のように文化人に似た扱いを受けている場合、こういった冷ややかな反応は、自ら説いたことが忘れられることは、死に似ているのかもしれない。

 あんなに権力側を叩いていた我が社の新聞さえも、政党の公な公表をそのまま伝え、疑いもせず、権力側と言われるインターネット言論を批判もぜずそのまま載せるというありさまである。

 そういえばキシロ―の事件から、頑張っても無駄だという空気を感じると友人は言う。

 しかしそれこそが彼らの意のままではないか。

 IKKIを起こそう。

 動画サイトでは今も全盛期のキシロ―が訴えている。

 それを今のキシロ―はどんな気持ちで見るのだろう。

 しかし取材した元もんすたぁ社員のコメントによれば、今でもキシロ―の思想はもんすたぁに残っている。

 本屋に行けばまだ彼女の本は手に入る。

 一つの時代が終われば、新たな時代が始まるのだ。何も恐れることなどない。

 古い時代の反省と共に。


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