魂の光と陰
つまりお力には自他の〝業〟がありました。人間の究極の姿たる魂、その魂には光と陰の二面があると申します。魂は人間の原版のようなものであり、光、陰ともにそこには嘘がなく、その人の人生を形作り、終生当人に影響を及ぼし続けるのだとか…。そして別にこれは、何もお力に限ったことではございません。万人に共通の真理であります。しかるになぜ「お力には自他の〝業〟がありました」と、まるでお力に特別のことででもあるかのように私が最前申し上げたかと云うと、それには分けがございます。えー、こちらも最前の最前、具体的にはep29「講談1・お力(6)」の上から5行目になりますが、〝お力は自分への思い入れが強すぎた〟とも私は申しました。これを改めて正確に申しますとお力の魂は光(つまり朝之助、彼と持つ堅気の所帯)に向かう指向が甚だ強いのですが、光強ければ陰も同時に強くなるの道理で、互いが足を引っ張り合い、心の中で謂わば自家感作症を起こしているような塩梅なのです。具体的には、菊の井から、酌婦から足を洗いたい更生したい、朝之助と結ばれたいと強く指向しているにも拘らず、それは成らず、痴欲に充ちた酒席の喧騒の中に毎日身を置かねばならなかった。それゆえ鬱屈し、しかし同時にこうなったのも父・祖父から続く因業のせいと自分に云い聞かせて、悟り顔に自分を突き放してしまってもいるのです。この矛盾し鬱屈した身と心を(分けても心を)、その解決を、他人に、朝之助に託しても託された側は受け切れませんね。なぜなら身はともかく心はお力のものであり、お力みずからがその因と業を解決しない限り、誰も助け得ないからです。仮に朝之助がお力を身請けして身(境遇)を助けたとしてもお力が魂の因業を自ら解決しない限り、2人の間には何らかの問題が生じたでしょうし、第一その前にお力自身が身請けを断ったのではないかと見て取れます。




