丸木橋を渡ろか止そか
さて!(張り扇一擲!)菊の井の酒席を勝手に飛び出して〝行かれる物なら此まゝに唐天竺からてんぢくの果までも行つて仕舞たい、あゝ嫌だ嫌だ嫌だ…つまらぬ、くだらぬ、面白くない、情ない悲しい心細い中に、何時まで私は…〟などと、闇に沈む道端の立木に寄りかかって、忘失状態に陥っているお力はもはや人の呈を為しておりませんでした。寄りかかっている木がもししだれ柳ででもあったなら、傍目にはひょっとして幽霊に見えたやも知れません。お堀にかかる橋などを見ればさきほど菊の井の酒席で三味線を弾きながら、客から乞われて詠んだ歌〝我戀は細谷川の丸木橋わたるにや怕し渡らねば憂し〟なる歌が脳裡に浮かびます。思えば父も祖父もこの丸木橋を踏み外して道を失いなされた。私もいっそ…とお力は思います。思えば今日はお盆だ、丸木橋を渡った先があの世なら、お盆で娑婆に帰って来ている霊たちに連れられて行きもしょう。しかし…いや、いやいや違う。誤魔化すな!とお力は自分を諫めます。丸木橋の先はあの世なんかじゃない。そこに居るのは女房・子供と自分の堅い商いさえ捨ててあたしを思い続けてくれるあの男、源七だ。いつ踏み外して転げるやも知れぬこの丸木橋を渡ってあの男に添い遂げて見せようか。さすが菊の井のお力と、世間に浮名を流して見せようか。しかしあたしに貢ぎ過ぎて破産しかけているあんな男なんぞと思いもし、お力は決心がつきません。いつかしっかりした男と一緒になって堅い所帯を持つという夢も今の源七であっては覚束な、でしかないのです。まして源七の女房・お初とその子太吉からはどれほど恨まれるだろうか。現に太吉などはあたしのことを鬼姉と呼んでいる始末。




