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宵闇の中の群像(前)

――エメラルドは早速、片脚を蹴り砕いてしまった件でセレンディに謝罪した。


セレンディは朗らかに笑い出し、「気にしていない」と返して来た。卵の殻を通じて我が子の確かな感触を感じているからだろう、セレンディの顔は明るい。


耳を澄ましてみると、赤い卵の中から、子供が「クルクル」と喉を鳴らす音が聞こえて来る。おまけに、卵の殻を叩く音も。母体の外に押し出された後の成長の早さからして、大型竜体という程では無いが、小さすぎる竜体という訳でも無いらしい。ハッキリした事は、卵の中から出て来ないと分からないが。


「ラエリアン軍の軍規に幾つも違反しているから、どのみち武官としての未来は無かったわ。片脚1本失ったところで特に違いは無いし――もともと臨月を迎えた時点で、『一身上の都合』で武官を退くつもりだったから」


そのタイミングを失したのは、ラエリアン卿が、大規模な軍事行動を連続して策定したからである。


そんな事を話している内に、医療院の女性スタッフが入って来た。


気が付けば、もう夕食の時間帯である。だが、まだ普通の食事ができる程には回復していなかった2人の女武官には、夕食代わりの栄養剤が与えられたのであった。


「そう言えば、私のクラウン・トカゲは今、どうしてます?」


「乗り手が戻って来ない事に気付いて、自分で厩舎に戻って来たそうですよ」


エメラルドに馬の状況を問われた女性スタッフは、質問の内容を予期していたかのように軽い笑みを浮かべた。続いて、「そう言えば」と、セレンディの方に目を向ける。


「あの広場の城壁の外で、はぐれ者のクラウン・トカゲが1匹、ウロウロしていたそうです。広場の城壁の破損個所をチェックしていた隊士が気付いて回収して――その隊士のクラウン・トカゲが、そこで盛んに鳴き続けて動こうとしなかったので、調べたところ、気付いたと言っていました。セレンディ隊士の馬ですよね? 手綱が我々の物とは違っていたそうですし」


セレンディは申し訳なさそうな笑みを浮かべた。


「間違いなく、私の相棒だわ。背中にだいぶ傷がついている筈です――竜体のまま、乗せてもらったから」


「あのトカゲは出血していたそうですが、そういう訳でしたか。当分、我々の方でお世話させて頂きますね」


話が一段落した後、女性スタッフは若い女性らしく目をキラキラさせて、セレンディの了解の元、赤い卵を暫く撫で回した。お年頃の竜人女性は、ほぼ全員が卵に特別な関心を覚える。卵を見ると撫で回したくなるのである。そして女性スタッフは「ごゆっくり」と言い、速やかに高度治療室を退室して行った。


*****


同じ頃――夕闇に沈む神殿の長い廊下の一角で、ささやかな会話が交わされていた。


天球の上では、既に夜の刻を刻む数多の星々がきらめいている。


神殿の一角。その棟の連絡路となっている長い廊下は、複雑な格子細工を施された欄間らんまや、芸術的な欄干らんかんで彩られている。建物側の壁には、大きな格子窓が列を成して並んでいた。


外に目を向ければ、神殿の高い塔や、反り返った屋根を重ねる巨大な複合棟がシルエットとなって、星空を切り取っている様が見える。空の半分は、朝から雲に覆われたままだった。


「師匠は、バーサーク化した妊婦に関する暗黙のルールは熟知していた筈です。そのリスクも。急に横紙破りを決めたのは……」


「言わんでくれ」


若い弟子エルメス神官の指摘を受け、ライアス神官は苦い顔をして、在らぬ方を眺めた。今になって考えてみると、弾劾裁判に突き出されるギリギリのラインだったと、ライアス自身でも震え上がってしまう。そうなったら――


「何故、我々は、あのようなケースに対しては、これ程に無力なんだろうな……?」


――そんな事をボヤくライアス神官の、横紙破りのきっかけにして懸念の対象が、タイミング良くと言うのか、悪くと言うのか、近付いて来た。


小さな子供らしい、テンポの速い軽い足音が聞こえて来る。その足音の主は、2人の神官が陣取っていた一角につながるコーナーを回って、長い廊下に転げ出すように走り出て来た。


「エルメース! 私の《宿命の人》!」


その身長が、まだ大人の腰の高さにも達していない少女だ。


幼女向けのピンク色の、まるっとしたリボン造花の髪飾りが目立つ。まだ本格的な花簪はなかんざしを装着する年齢では無い。クシャクシャしたビリジアン色の肩上までの髪に、ワインレッドの目。


丈の短い軽快な上衣アオザイ――これも可愛いピンク色だ――をまとった少女は、エルメス神官の身体の周りをクルリと回り、大人の恋人たちの間で交わされるようなロマンチックな抱擁と口づけをねだった。


「お前には、そう言うのは、まだ早い」


ライアス神官は、いっそう苦り切った顔になり、小さな女の子をヒョイと抱え上げた。エルメス神官と引き離された少女は、盛大にむくれる。


「もう、お父さん! 《宿命の人》同士でも、《宝珠》の相性を合わせて行くには時間が掛かるんだから! こんな調子じゃ私たちの《宝珠》の相が太鼓判レベルになる前に、私がシワクチャのおばあちゃんになっちゃうでしょ!」


「あのなぁ、いつも疑問に思うんだが、ライアナ、そう言う『大人の知識』を何処で仕入れて来るんだ? それに、一人で此処まで来たのか? お母さんはどうしたんだ?」


ライアナと呼ばれた少女は、平均以上に可愛らしい顔立ちだ。父親ゆずりのワインレッドの目がきらめく。成体脱皮を迎える頃になれば、すこぶる色気のある妙齢の美女になるだろう。


問題なのは、少女の頭の中身だ。口を開けば、おしゃまな内容がポンポン出て来るので――しかも、相当に意味を理解して喋っているらしいので――父親・ライアス神官としては、気の休まる暇が無い。


流石に、父親の腕の中の特等席がお気に入りという年頃で、抱っこされると大人しくなったり、オモチャや絵本を抱えて父親の膝の上に乗って来たりするところは、年相応に可愛らしいのだが……


「お母さんと来たのよ、変な勘繰りはしないで頂戴。お母さんは受付ロビーの大天球儀アストラルシアの近くで、いつもの平原の令夫人や役人たちと長いお話をしてるわ。《雷電》災害とか、山から下りて来る魔物への対応とか、大型転移魔法陣の物資輸送のギブ&テイクとか――ああいう交渉が、如何に大変で長くなるか、知ってるでしょ」


――確かに、遊びたい盛りの幼体にとっては、死ぬ程に退屈な時間だろう。


そう納得しながらも、ライアス神官の脳内には、平原エリアの令夫人や役人たちが、魔法の杖で台座の上の大きな球体をつついて、地元の状況を長々と説明している様子が浮かんだ。大天球儀アストラルシアは受付ロビーの常灯を兼ねた案内板の一種なのだが、地図表示機能もあるから、この類の話し合いには便利なのだ。


小さなライアナの、『立て板に水』の如きお喋りが続く。


「それで私は、ちょっと時間をもらって、愛しのエルメスが浮気してないかどうか確かめに来たのよ。《宿命の人》同士でも、恋人をシッカリ捕まえておくためには、その辺はキチンとしなくちゃいけないって、令夫人が令嬢にアドバイスしてたしね」


目下、ライアナに熱烈な求愛を受けているエルメス神官も、苦笑いするばかりだ。可愛い女の子に追いかけられるのは悪い気分では無いが、それでも、師匠の愛娘となると、相応に恐れ多い気持ちになるのである。


そんなエルメス神官の慎ましい気持ちを知ってか知らずか――父親の腕の中にすっぽりと納まった小さなライアナは、エルメス神官の方を振り向くなり、猫の目のような表情豊かなワインレッドの目を、キッと釣り上げた。


「さっき、『地獄耳魔法』を展開してたら、神殿の受付の方で、綺麗な女の人がエルメスの居場所を聞いてたのが、耳に入ったのよ。《地》の下級魔法神官の女の人。平凡すぎるアッシュグリーン色の髪を、こう、クルクルのお洒落な巻き巻きにして、花簪はなかんざしの長い房とシャラシャラと……あれは髪は長いわね、キーッ! 目はアーモンドの形をしていて、目尻の方への睫毛が長くて、目の色は黒に近い吸い込まれるような濃紺色、……って言うのも癪だけど!」


――いつもながら、正確無比な人相描写だ。


その『綺麗な女の人』が誰なのか、ライアス神官とエルメス神官には、すぐに心当たりが付いた。近ごろ、事務連絡で顔を合わせるようになった新人秘書に違いない。

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