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宵闇の中の行き違い

落日の刻だ。辺りは既に薄暮に包まれている。


エメラルドは『上級占術・匿名相談コーナー』のフロントを出ると、人目に付かない道を駆けて行き、医療院の個室に戻った。道々、我が身のタイムリミットである翌日『バーサーク危険日』の到来までに、何を済ませておかなければならないか、素早く整理する。


エメラルドは個室に入るなり、首元を覆っていたチョーカーのような魔法道具――竜体変身を禁ずる拘束具を引きちぎった。


――『上級占術・匿名相談コーナー』では、想像以上の示唆を得られた。それに一縷いちるの望みも。


同時に、仮面の占術官の言葉も思い出されて来る。


――この奥義の発動は、結果として《宿命図》を書き換え、その人の運命を大きく変えて行きます。我々、上級魔法神官の間では、通常の魔法アルスに対する上位概念として、この奥義に『アルス・マグナ』という名を割り当てています――


エメラルドは夕食を早めに済ませると、ベッド脇の長持のフタを開いた。退院後の任務に備えて、新しく支給されていた白い武官服を収めてある。神殿隊士の制服である。


久々に――いつものように髪留めで長い緑髪をキッチリとした武官仕様ポニーテールにまとめ、武官服に袖を通した。着慣れた物という事もあり、これがやはり、一番落ち着く。


その布地はビーズのように細かい竜鱗で出来ており、魔法で出来た鎖帷子のようなものだ。軽さに対して、その頑丈さは驚くべきレベル。強力なドラゴン・ブレスや、バーサークの有刺鉄線のような鱗からも、或る程度、防衛してくれる。自前の竜体に由来する鱗や皮もかなり頑丈な方だが、二重化すると、防衛力はやはり違うのである。


出で立ちの準備が整うと、エメラルドは、道々整理しておいた必要事項や確認事項を、次々に済ませて行った。


*****


夜がトップリと暮れた頃。


ロドミールと同僚は、ウラニア女医の隠密捜査の一環でもある、詳細なチェック作業から解放された。


――貴君らは偶然にも、闇ギルドの通信システムの要素として使い回されていたらしい、明日も色々調べなければならないので、是非ご協力を――という要請、いや、命令と共に。


知らず知らずのうちに、良からぬ事を企む誰かに付け狙われていたらしい――という状況は、流石に不気味である。


ロドミールは、剥き出しになった遠隔通信装置の基盤を何度も見直した。


魔物の血管の如き、四色の迷彩で出来た不気味な魔法陣。その上に、研修医スタッフたちの手によって、通信傍受のための隠密スタイルの魔法陣が仕掛けられている。


――これからは、通信を全て、ウラニア女医が率いる隠密調査チームに記録される事になるのだ。


ロドミールは、不意にハッとした。


――という事は、エメラルドからの遠隔通信も、全て傍受されるという事だ。そして、そのデータは大神官たちに回り、そして、大神官長たちも閲覧する事になる。


ロドミールは焦った。


エメラルドは、まだ《宝珠》に起きた変化の影響を受けていない。こういう心理関係の変化は、一朝一夕には進まないのだ。


こんなにも想定外の事態が急速に進むとは思っていなかった。エメラルドとの通信内容の如何によっては、恋人関係がまだ清算し切れていない事を、立証してしまう。しかも、《水》の大神官長ミローシュ猊下やティベリア嬢には、『エメラルドとの間に恋人関係は無い』と公言してしまっている――


――エメラルドは何と言っていた?


『最近、悪い夢を毎晩見るようになって、眠れてないから――と言うよりは、睡眠薬で寝てる状態だから……』


ロドミールの中で、ごくごく小さな『引っ掛かり』に過ぎなかった物が、急速に膨れ上がって行く。


――あの日。真昼の刻の鐘が、荘厳に鳴り響いた日。


気のせいだ――と、思ったのだ。思い込もうとしたのだ。エメラルドの《宝珠》相に巻き付いていた自分の魔法署名を解き、それによってランダムに振動し始めた恋愛運の軌跡を調整し――その瞬間。


心臓部という位置に相応しく、《宝珠》は極めて原初的かつ堅牢な構造体であり、猛烈な速度でスピンしているのだ。魔法署名はバラバラの断片になって飛び散り、一部は《宝珠》に不完全に引っ掛かったまま、巻き込まれてしまった。


恋愛運の軌跡が、不安定になった《宝珠》の回転に引きずられて、大きく跳ね狂った。


慌てて抑え込もうとしたが、間に合わなかった。跳ね狂った軌跡は瞬く間に無数のエーテル流束を放ち、《宿命図》の中間層にボンヤリとしたまゆのような星々を配置し、『或る形相』を結んだ――


――禍々しい可能性の「卵」を。


ただし、あの時に見た限りでは、粗雑で脆い構造体に過ぎなかった。エメラルドが元気になってから、解除なり修正なり対応すれば、間に合うだろう、と思える程度には。


(今なら、まだ間に合う筈だ。『バーサーク危険日』は、まだ到来していない。魔法署名を上手く解除できなかったのが原因だから――ちゃんと事情を話して、同意の下で、『正式な手続き』で解除し直せば――)


ロドミールは口元を引き締め、座っていた椅子から立ち上がった。


隣でグッタリとしながら遅い夕食を取っていた同僚が、ビックリしてロドミールを振り向く。


「何だ、ロドミール? 神殿街区の外へは出ちゃいかんって言われただろ。転移魔法陣も、行き先申告制の小型の物だけって事で」


「街区の外には出ないから大丈夫だ。医療院にちょっと行って来るから」


「エメラルド隊士の所か。彼女、意外に綺麗な声してるんだな。意外に美人でもあるんだろう、うらやましい。暫く大変だから会えないって程度なら大丈夫だろうが、アレコレ喋るなよ。ウラニア女医は情報漏洩については、ピリピリしてんだから」


「分かってる」


*****


ロドミールは神殿のゲートを出て、夜のメインストリートを走った。


――転移魔法陣を経由しない状態では、時間が掛かりまくって、しょうが無い!


門前街区の高級プロムナードは、いつものように夜間営業中の店が色とりどりの華やかな常灯と看板を出している。昼の仕事を終えて、夜の街に息抜きに繰り出した人々で一杯だ。歩行者天国ならではの雑踏である。


中央部にある高級レストランの辺りで雑踏の密度が最高潮になった。


この時期の定例交渉プロジェクトの打ち上げなのか、神殿勤務の役人たちと平原エリアの役人たちが高級レストランのゲートに集まって、予約席が空くまで待機していたのだ。そして何やら、盛んに雑談を交わしている。


「――でさ、その折り畳みプレートにあった『バーサーク危険日』注意報、わずか1週間後って事にショックを受けたのか、青ざめてサーッと行っちゃったんだよね、そのシルフィード」


「シェルリナ嬢の代理だったのかい、本当に? 御本尊が大金を積んで、探偵や魔法使いたちにその謎のシルフィードを探させてるけど、知り合いの《風》女官の中にはおろか、平原エリアの令夫人と令嬢たちの中にも居なかったし、1週間経っても見付からないんだろ? 逃げ足の達者なスパイだったんじゃ無いのか」


「それは無い無い。スパイだったのなら、御本尊の到着と同時に姿をくらますってのが、まず有り得ない。御本尊の方が、完全無視されてショックを受けてたくらいだからな」


「まさに事実は小説よりも……って所だね。新しい紅茶メニュー『暁星エオス』を知ってたって事は、ここ最近の客に違いないんだろうが、店スタッフ全員、口を揃えて『全く記憶に御座いません』って、どんだけよ」


一時的にではあるが、高級プロムナードの雑踏に阻まれていたロドミールは、その雑談を小耳に挟む形になった。


良家の令嬢と思しき竜人女性が1人、錯乱して行方不明になったらしい。こちらも注意が要る案件だが――警備担当に通報するように促すのは後回しだ。今は、エメラルドの問題の方が最優先だ。


――ティベリア嬢との事を、ちゃんと説明して、エメラルドとの恋人関係を清算しよう。


元々そのつもりで、『上級占術・匿名相談コーナー』のチケットを入手していたんだし、最初から話し合えば良かったんだ。


偶然にも、今の同僚とエメラルドとの《宝珠》の相性は良い感じだ。もし嫌じゃ無ければ、同僚と一緒に『上級占術・匿名相談コーナー』に行ってみてはどうか、という事も含めて――


――そう言えば、今日がチケットの割り当て指定日だった。執務室の遠隔通信セットが乗っ取られていたのも想定外だった。あんなタイミングで、ウラニア女医と隠密調査チームが介入して来なければ、今頃は――


雑踏を抜けたロドミールは、心の中こそ千々に乱れていたものの――その後は、スムーズに医療院のゲートに到着できたのであった。


ロドミールはエメラルドの個室をノックした。


いつものエメラルドからの応答が無い。部外者に対する開錠魔法陣が扉に飛んで来たと言う気配も無い。


ロドミールは疑問符を頭の上に浮かべつつ、扉に手を掛けた。


扉は難なく動いた――ロックが掛かっていないのだ。


――様子がおかしい。


ロドミールは息を呑みつつ、エメラルドの個室に踏み込んだ。


正方形のベッドは、空っぽだ。だが、長持は消えていない。ストリートの、夜間営業中の店にでも行っているのか――


夜目が利く竜人としてのロドミールの目は、ベッドの上に驚くべき物を見い出した。


引きちぎられた、チョーカー。竜体変身を禁ずる拘束具だ。その近くで、微かな光をキラリと反射する物があった。


――エメラルド色の鱗だ。


ロドミールは、信じられない思いで、その鱗のカケラを拾い上げた。


――バーサーク体特有の、有棘性の鱗。


まだエーテル成分が通っている。この鱗は、剥がされてから間もない、真新しい物だ。恐らく、拘束具を引きちぎった時に、偶然に、勢いで剥がれ落ちたものに違いない。


鱗の持ち主であるエメラルドの異変に合わせて、鱗も変化したのだろう――その鱗は正常な物の面影を留めていたが、バーサーク化の前駆症状をハッキリと示していた。異形の棘が、確かに生えかけている。


――まさか。


ロドミールは、焦りのままに医療院のゲートを飛び出した。最寄りの行き先申告制の転移魔法陣を発動し、エメラルドの馬が預けられている筈の、クラウン・トカゲの厩舎に転移する。


厩舎ゲートの前で、エメラルドから教えられた、その相棒を呼ぶための魔法の『笛』を吹く。エメラルドの恋人であるロドミールの呼び出しにも、クラウン・トカゲは反応するのだが――


――来ない。


近くに居たクラウン・トカゲたちが物珍しそうにロドミールの身体に鼻を寄せ、ヒクヒクさせた。上級魔法神官というのは、やはり珍しい存在なのである。そのうちの数匹が、つぶらな目を不思議そうにパチパチさせ、『その子は居ないよ』と言わんばかりに、頭頂部のフッサフサをフルフルと振って来る。


――エメラルドは、相棒のクラウン・トカゲと共に消えた。


こんな時間帯に消えるという事は、趣味としている城壁ハイウェイの朝駆けどころでは無い。幾つもの魔境を突っ切って――何処か遠くへ移動しているのだ!


(エメラルドは、自分がバーサーク化するという事を知らないんだ! 私が、ちゃんと言わなかったから! よりによって、『バーサーク危険日』は明日の夜明けだ――彼女がバーサーク化するのを、何としてでも止めなければ!)


ロドミールはショックで青ざめながらも、警備担当の部隊の一つ、『バーサーク捕獲部隊』に緊急通報をした。


――神殿隊士1名、行方不明。バーサーク化の可能性あり。払暁の刻までに捕獲し、拘束具を付けるべし。


*****


その頃――


山の頂上に広がる神殿街区を出奔したエメラルドは、魔境を幾つも駆け抜け、回廊街区を猛スピードで降下して行くところであった。既に8合目の辺りだ。


目的地は、大陸公路と連結する平原エリア。そこに点在する大型の転移ハブ駅――すなわち、大型の転移基地だ。


背筋に、ゾワゾワとした嫌な感覚が広がり始めている。『バーサーク危険日』のタイムリミットが押し迫って来ている事を証するかのように。


――そんなエメラルドの道連れは、エメラルドの良き相棒であり続けたクラウン・トカゲである。

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