第53話 〜散歩〜
『主殿、主殿!』
夜の声で目を覚ますと、木の上だった。腹の上には小さくなった夜が座って俺の顔を心配そうにのぞき込んでいる。夜を見たのは久しぶりな気がした。
キリカとの決闘からしばらく経ったがあの時も興味がなかったのか、ずっと木の上で爆睡していたし。主の応援をしろよと言うと、不敵に笑って、『主殿があのような者に負けるはずがない』と、謎の信頼を見せた。嬉しいが、素直に喜ぶべきか悩む。
俺は木から降りてぐっと伸びをする。夜は隣に鮮やかに着地した。さすが猫。木の上は確かに寝心地が悪かったが、迷宮のゴツゴツした床よりもマシだった。俺は寝返りをめったにうたないから落ちる心配もあまりないし。それに、こちらの世界には蚊がいないのか、うざったい羽音にイライラして眠れないということもない。
「おはよう、夜」
『ああ、おはよう主殿。よく眠れたようで何よりだ。まだ皆は起きておらんから、俺と散歩しないか?』
「お前が誘ってくるなんて珍しいな」
夜が起きてから散歩と称してボス部屋の中をぐるぐると歩いていたのは知っていたが、誘ってくるのは初めてだった。意味有り気な瞳に、散歩だけの用事ではないのは分かったが、寝ていた俺を起こす程の重要な用事なのだろうか。
夜は『変身』で自らの大きさを調節した。少し光ったかと思うと、子猫ほどの大きさだった夜は一瞬にして大型犬よりも少し大きいくらいまでになった。俺はそれを横目で見ながら呟く。
「そのエクストラスキル、便利だよな」
『便利か不便かで言えば確かに便利ではあるな』
その言葉の後、しばらく無言が続いた。夜は肉球が音を吸収するから足音がせず、一人分だけの足音が響く。
しばらくしてようやく夜が話し始めた。
『主殿は、これからどうするつもりだ?』
「……その質問は、魔王の部下としてか?それとも、俺の従魔としてか?」
そう聞くと、夜は驚いたように目を見開いて、苦笑した。心做しか、歩調が軽くなった気がする。
『もちろん、従魔としてだ。今や魔王様との繋がりはこの五感のみ。裏切るつもりもないが、今の主はあなただからな』
「いいのか? お前、魔族の中では結構いい地位にいたんじゃねぇの?」
左遷だったという線もあるが、真面目な夜のことだからヘマをしたという訳でもないだろう。だったら、魔王からの信頼故にこの仕事を任されたということだと思う。
それに、エクストラスキル『変身』と会話が出来ることから、きっとそれなりの地位だったはずだ。ここまでエクストラスキル持ちに会いすぎたせいか、エクストラスキルがかなり希少なものだと忘れそうになる。
『前に主殿には何かあった時には魔王様についても良いと言われたが、そのつもりはないぞ。……話を戻すが、もし行くところがないのなら、行きたいところがあるのだ』
「お前が希望を言うのは珍しいな。どこだ?」
流したが、夜の言葉に少し感動したのは内緒だ。
『獣の大陸、“ブルート”だ』
「獣人族の大陸か。何でまたそこなんだ」
『獣人族には優れた鍛冶師が多い。主殿のその刀、一度見てもらった方が良いだろう』
俺は夜の視線を辿って肩口から漆黒の柄をちらりと見た。魔法くらいしか効かないはずの魔物相手に幾度となく死線を共にくぐり抜けてきたサラン団長からの贈り物は死にかけたのと同じくらい消耗していた。もちろん、刀の手入れを怠ったことは無い。それでも無茶をしたのは確かで、それなりにボロボロだ。
「そうだな。確かに、見てもらった方がいいな」
『そうであろう?』
得意げに胸をはる夜に、俺は苦笑する。
獣人族領に向かう理由がそれだけではない気がするが、またあとで聞けばいい
「じゃあ出発するぞ。今日」
『今日!?』
流石の夜も驚いたようだ。自分でも爆弾発言だとは思うが、思いたったが吉日というだろう。
「そもそも、キリカの事でゴタゴタしたから遅くなっただけで、本当はすぐにこの島を離れるつもりだった。タイミングが悪かったから今まで留まっていたが、もうここに用はない」
「……そう、なら準備してくる」
夜ではない、女性の声が響いたかと思ったら、美少女が白い髪をたなびかせてそこに居た。もちろんアメリアだ。赤い瞳がいたずらっ子のように輝いている。俺の驚いたところを見られて満足らしい。
「アメリア」
「私だけ置いていこうとしてない? 私は、最後までアキラに付いていく」
アメリアはそう言って微笑んだ。エルフ族領に来てから曇りがちになっていたがようやく復活したようだ。
「もちろん、置いていくつもりもない。王がなんと言おうと、決闘に勝った以上お前は俺と一緒だ。……もちろん、夜もな」
夜からのジト目に慌てて付け足す。俺の言葉に二人は満足げに頷いた。
「次いつ帰って来れるか分からないから、ちゃんと王とキリカに言っとけよ?」
「何も言わなくても大丈夫。心配しなくてもちゃんと帰ってくるから」
力強く言い切るアメリアに、俺は微笑んだ。
「そうだな」
その言葉に、少しばかり胸騒ぎがしたのは俺だけだろう。大丈夫、きっと何も起こらない。そう、呪文のように心の中で繰り返した。大丈夫。




