ただ逃げ足が速いだけの男
男に招かれるままにドミニクが進むと、ちょうど荷台の真横で奥の方に来たので、外から見れば、ちょっとした商談をしているように見えなくもなかった。
男は荷台に寄りかかり、腕を組んで口を開いた。
「お前さん、本当に魔法使いを見物しに来ただけなのか?」
ドミニクは驚いた。この男はすでに先ほどの回答で納得していたように見えたからだ。
「……どういう意味っすか?」
すると男は衛士詰所を指して言った。
「この町には今、領主の守衛が大勢来ている。普段はこんなことないんだ。それで、お前さんはこの時期に魔法使いを探している。偶然にしちゃ、出来すぎていると思わんか?」
男の目が真っ直ぐドミニクを射抜き、ドミニクはたじろいだ。
「……まさか。一端の街道護衛が観光ついでに来ただけっすよ。守衛がそんなことで動きますかね?」
そう、自分が当事者であるから、守衛がいることに戸惑いはしても、疑問を抱くことはなかった。ゆえに、頭から抜けていた。しかし、普通の人からすれば、これは奇妙で、真っ先に誰かに理由を確認しようとすることだ。
普通ならすることをしない、それだけで怪しい。
「アンタが、お貴族様だったらどうだ?」
「ーー!」
ドミニクの心臓が跳ね上がった。
何か言ったか?
何かしたか?
頭が高速で働く。
今までの言動を振り返り、それっぽいものがないのを確認すると、今度は逆にこちらを動揺させてボロを出させるための罠だったのではないかと思考し、わずかにでも動揺してしまったことに対する後悔が湧き上がる。
しかし、この男の発言はただドミニクを動揺させるためのものではなかった。
「そのブーツだ。随分いいものを履いているじゃないか。護衛稼業を始めたばかりの小僧が買える代物じゃない」
男はドミニクが履いている黒い革製のブーツを指差して言った。
長旅に耐える革ブーツはそれなりに高価なものである。自前でブーツを買えて一人前、とまで言われるほど。それまでは基本、誰かのお下がりを調整しながら履くものであった。
しかし、ドミニクが履くそれは装飾こそ少ないものの、泥や汚れが少なく、よれているところも変にシワができている部分もなく、綺麗に彼の足の形に沿った形をしていた。
「仕事を始める餞別品として親がくれたんすよ」
「ほう。随分と気前のいい親御さんだな。お前さん、まだ足も大きくなる歳だろうに」
「………」
確かに、以前の靴は三ヶ月で窮屈になってしまった。であれば、親が餞別品としてサイズの合っているブーツを贈るのは不適当だろうとドミニクは納得してしまった。
そして追い打ちをかけるように男は口をひらく。
「それに、さっき観光と言ったな。仕事のついでに見物するならともかく、魔法使いを見るためにわざわざこんな辺境まで来るとは。随分と余裕のある暮らしをしているようじゃないか」
ドミニクは舌を巻いた。
ブーツのみであれば、裕福な家、あるいは裕福な商人の息子も想定できた。しかし、観光というのは貴族がよく口にする言葉であり、貴族の重要な習慣であった。社交の場でよく聞く単語なので、うっかり口を滑らせてしまったのだろう。
ドミニクはこれ以上誤魔化せないと悟った。
「……そうっすね。金だけはそこそこもらいましたよ。貴族っても末席も末席なもので。とっとと働き口を見つけて働いてこいと家を追い出されましたけど」
ドミニクは男爵家の三男だ。長男と次男が死去しない限り、受け継ぐものがない。なので、余計な諍いを起こす前に早々に公爵家に売られたのだ。後継がいなくなれば、ドミニクを呼び戻す算段で。
すると男は目を見開いた。
「……それで街道護衛を選んだのか? 物好きも物好きだな」
「……他に、選択肢がなかったんすよね……」
ドミニクには武術の才も勉学の才もなかった。
ただあったのは、人に物おじせず、柔軟な思考を持ち、勇者が万一鬼火に呑まれた時に、全力で逃げて計画失敗を告げて救援を求める逃げ足だった。
しかし、その事情をつゆほども知らない男は別の解釈で受け取った。
「………そうか」
男は少し考え込んだ後、声を落とした。
「だが、ボウズ。一つ忠告しておく。その魔法使いの話、あまり人前でするんじゃないぞ」
「……どうしてっすか?」
男は周囲の人を確認し、守衛がいないのを確認すると話を続けた。
「この町の領主は、魔法使いの噂が外へ漏れるのを嫌っているんだ。普段ならともかく、今は守衛まで来ている。下手に騒ぎを起こされちゃ、こっちも困る」
「こっち?」
「ああ。お前さんがどこで噂を聞いたか知らんが、俺たち行商人はあちこちの町を行き来する。誰かが酒の席で余計なことを喋ったっておかしくない」
ドミニクはようやく男の意図を理解した。
この男は、自分が何者なのか確かめたかっただけではない。噂の出所を探られ、商売仲間に迷惑が及ぶことを心配していたのだ。
それがわかった瞬間、ドミニクは気が楽になった。すると、次に言う言葉も自然と頭に浮かんできた。
「そしたら、あなたがオレに情報をくれませんか? そしたらオレは色々詮索せずに済みます」
ドミニクのその発言に男は若干驚いたようであった。ここまで言えば、彼はこのまま引き下がるだろうと思っていたのだろう。
男は眉を寄せて尋ねた。
「……どうしてそこまでして魔法使いが見たい?」
「………」
ドミニクは黙った。本当の理由を言えば、この男は答えてくれないだろう。
しかし、ドミニクには嘘を作る必要もなかった。何も、魔法使いに会いたい理由はそれだけではなかったから。
「……昔っから憧れてたんすよ、勇者と魔法使い。だってオレ、落ちこぼれでしたから」
本当は、自分が聖剣を抜きたかった。
勇者になりたかった。
なれなかった。
まあ、自分じゃなれないよな、という納得と、それでも夢を見ていたかった、という落胆が残った。
そしてその後、聖剣を抜いた勇者が半妖であったことが明らかになった。
ドミニクは戦々恐々としていた。一体どんな怪物のようなやつが聖剣を握ったのだろうと。
しかし、本物を見ると、ただの青年に見えた。
得た力を誇ることも、投獄されたことに怒ることもなく、ただ手にしてしまった責任と力の大きさに圧倒されていた。怯えていた。
誰よりも結果に疑問を持ち、それでも前進することを選び、勇者になることを決意した。そして彼は本当の勇者のようになっていった。
それだけで、ドミニクはなぜ自分が選ばれなかったのか、納得してしまった。
そしてドミニクの表情を見て、男は黙り込んだ。葛藤をゆっくりと瞼の裏に閉じ、決意だけを開いた。
「……そうか。わかった。誰にも言うなよ」
そう言って男は控えめな声で魔法使いがいそうな場所を、彼の知る範囲で片っ端から教えてくれた。最も可能性が高いと思われるのは土塀の修復後と櫓のようであった。
ここから最も近い櫓は町の北西にある。
そして男は身を引くと、周囲に普通に聞こえる声で言った。
「すまんね、ボウズ。うちには無理だよ。北西にうちの従兄弟がやっている店がある。そっちを尋ねるんだね」
「えっ」
ドミニクには咄嗟に何のことであるかわからなかった。しかし、衛士詰所が近い上に守衛がいる可能性があること、そして『北西』というキーワードからドミニクは理解し、一芝居打つことにした。
「わかりました。お手数をおかけしてすみません。ありがとうございます」
「またらっしゃい〜!」
いかにもな挨拶を送ると、男は元の作業を再開した。
そこでドミニクはこの市場をあとにし、まずは一番近い北西の櫓を目指した。




