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第1回:月曜日の朝が来ない、唯一の方法



「ねえ、いっそ死んじゃおうか」


 深夜二時、終電もとっくに過ぎ去ったオフィス街の片隅。

 街灯の薄暗い光の下で、白雪しらゆきは虚空を見つめながらそう言った。


 ぼさぼさの髪に、焦点の合わない瞳。

 手に持ったコンビニのビニール袋には、三日連続となる半額のカップ麺が二つ入っている。

 彼女は俺の同期だ。そして、同じプロジェクトで心身ともに限界まで削り取られた、いわば戦友だった。


「死ぬ前に一回、温泉でも行こうぜ。会社に爆弾仕掛けてからさ」


 俺――佐藤さとうも、似たようなコンディションで答える。

 連日のサービス残業は百時間を超え、上司の怒号は耳鳴りとなって消えない。

 明日、いや、数時間後にはまた月曜日がやってくる。

 絶望。

 この言葉は、日曜の深夜のオフィス街を歩く俺たちのためにあるのだと思った。


「温泉なんていいよ。もう動きたくない。……このまま、時間が止まればいいのに」


 白雪が、重い溜息をついた。

 その瞬間だった。

 俺の脳内に、突如としてノイズ混じりの「声」が響いた。



【条件が達成されました。ユニークスキル『聖域のサンクチュアリ・パス』を獲得します】

【対象者二名を指定。特殊空間を展開します】



「……は?」


 何かの幻聴か。

 そう思った瞬間、俺たちの足元のコンクリートが、眩いばかりの光を放った。

 重力が消失し、世界がぐるりと反転する。

 白雪の短い悲鳴が聞こえ、俺は反射的に彼女の腕を掴んだ。


 視界がホワイトアウトし、次の瞬間。


「…………え、何ここ。死後の世界?」


 白雪が呆然と呟いた。

 俺もまた、自分の目を疑った。


 そこは、どこまでも清潔で、無機質な部屋だった。

 広さは六畳ほど。壁も天井も床も真っ白で、窓一つない。

 家具は、部屋の中央に置かれた「ダブルベッド」が一つだけ。

 そして、それを取り囲むように、空中に文字が浮かんでいた。


【特殊ルール:セックスしないと出られない部屋】

【脱出条件:室内の二人が性行為を完遂すること】

【室内特性:ここにいる間、外の世界の時間は停止。老化・空腹による衰弱も発生しない】


 俺と白雪は、数秒間、その文字を見つめたまま固まった。

 そして、ゆっくりと顔を見合わせる。


「………………」

「………………」


 一分間の沈黙の後、白雪が絶叫した。


「ふざけんなぁぁぁぁ!!」


 彼女は猛然と走り出し、部屋の隅にあるドアらしき部分に体当たりをした。

 ガーン、と虚しい金属音が響くだけで、ドアはびくともしない。


「佐藤! あんた、何したのよ! 変態! 性的搾取! 労働基準監督署に通報してやる!」

「待て待て待て! 俺のせいじゃない! 俺だって何が起きたか分かんないんだよ!」

「スキルって何!? 鍵って何!? なんで脱出条件がエッチなのよ! 効率が悪すぎるでしょ!」


 白雪は発狂したように壁を叩き、蹴り、最終的には俺の胸ぐらを掴んで揺さぶった。

 無理もない。極限状態の精神に、こんな不条理なエロゲ展開が降ってきたのだ。

 だが、俺はあることに気づき、彼女の手を優しく制した。


「……白雪、ちょっと待て。あそこの文字を見ろ」


 俺が指差したのは、三つ目のルールだ。


【室内特性:ここにいる間、外の世界の時間は停止】


「時間が停止……?」

「そうだ。ここに入った時、街灯の下の時計が見えただろ。何時だった?」

「二時十分……」


 俺は部屋の壁に設置されていた、唯一の「外部モニター」を指差した。

 そこには、俺たちがいたはずのオフィス街が映し出されていた。

 デジタル時計の表示は、二時十分十二秒。

 そして、その「十二秒」のまま、コンマ以下の数字すら一向に動く気配がない。


 白雪が、息を呑んだ。

 俺たちは、画面を食い入るように見つめた。

 一分経っても、五分経っても。

 外の世界の秒針は、微塵も動かなかった。


「……嘘。本当に、止まってる」

「ああ。つまり、ここでどれだけ過ごしても、外では一瞬も経たないってことだ」


 その事実が脳に浸透した瞬間。

 俺の中で、何かが弾けた。

 

 ここを出るためには、セックスをしなければならない。

 だが。


「……なあ、白雪」

「……何」

「ここを出たら、何が待ってる?」

「…………数時間後に、部長の説教。それからクライアントへの謝罪回りと、修正地獄」

「だよな。外に出たら、また月曜日が始まる。……でも」


 俺は、ふかふかのダブルベッドに腰を下ろした。

 ホテルの高級ベッドのような、素晴らしい弾力だった。

 空気は適温。静寂。上司の怒鳴り声も、電話の着信音も、一通のメールも届かない。


「ここを出なければ……月曜日は来ないんじゃないか?」


 白雪の瞳に、光が宿った。

 それは希望という名の、暗い情熱だった。


「……つまり、このまま、セックスしなければ?」

「ああ。ずっとここにいられる。食料とかの問題はあるかもしれないけど、衰弱しないって書いてあるし」

「………………」


 白雪は、手に持っていたビニール袋をベッドの上に放り出した。

 中には、賞味期限の迫ったカップ麺と、ストロング系の缶チューハイ。


「佐藤」

「なんだ」

「あんた、私に欲情してる?」

「……三日徹夜してる人間に、そんな元気があると思うか?」

「そうよね。私も、今は猫の交尾を見てる方がマシだわ」


 白雪はそう言うと、俺の隣にどさりと横たわった。

 そして、天井を見上げて、くすりと笑った。


「決まりね。私たちは、ここで『立てこもり』を敢行する」

「ああ。一線を越えないことが、俺たちの勝利条件だ」


 本来は、密室で男女が関係を持つよう強制するはずの呪い。

 それが、社会に敗北した俺たちにとっては、究極の救済に変わった瞬間だった。


「……明日、何時に起きるんだっけ」

「バカ言え。明日なんて来ないんだよ」

「最高……。じゃあ、まずはお酒飲んで、飽きるまで寝ましょうか」


 外の世界では一秒にも満たない刹那。

 俺たちは、真っ白な部屋の中で、史上最強の「不謹慎なバカンス」を始めることに決めた。


 俺たちの楽園は、今、始まったばかりだった。

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