1
今日という日をどれだけ心待ちにしていたことか……
なぁ、スピカ分かるか? 俺が今どんなに嬉しいか。
あの日あっさりと俺を捨てたお前が婚約破棄されてゴミ屑のように捨てられる。その無様な姿を想像するだけで心が震える。
何年たっても心の奥底に溜まり続ける怒りと悲しみ。忘れられない絶望をお前も味わえばいい。そうすればきっと俺の心も救われる……
⭐︎⭐︎⭐︎
俺ことアイザック ワイドハインがスピカに出会ったのは10年前。まだ俺がセルバンテス公爵家の嫡男だった10歳の時のこと。スピカは父の後妻、イザベラの連れ子だった。
イザベラ本人によると、彼女は隣国の下級貴族の生まれらしい。夫が亡くなった際の後継問題で命を狙われこの国に逃げて来たと言うが、はっきりした素性は分かっていない。
「身元のはっきりしない女との結婚はセルバンテス公爵家の名を貶めることになる」
傲慢な父を嫌って普段は全く付き合いのない親戚連中は、イザベラとの結婚にこぞって反対した。が、父はどんな忠告も完全無視してイザベラを妻として家へ迎えいれた。
それほどイザベラに惚れ込んでいるのかとも思ったが、どうやら違うと気づいたのは父がいつものように歪んだ笑みを浮かべながら「あの女は金になる」と呟いているのを聞いたからだろう。
子供ながらに新たな母となるイザベラを心配したのだが、そんな心配など無用だった。
青みを帯びた白銀の髪にエメラルドの瞳。類稀なる美しさでいとも簡単に親戚連中を籠絡していったイザベラが社交界の華となるのに時間はかからなかった。
そのイザベラの娘であるスピカも、とても可愛らしい少女だった。
「初めまして。アイザックお義兄様」
イザベラと同じ、青白く輝く真珠色の髪に、黒にも青にも見える神秘的な瞳。磁器のような滑らかな白い肌に紅い小さな唇。
スピカが照れ臭そうに微笑んだ瞬間、ガツンと頭を殴られたような強い衝撃をうけた。今思えばあの瞬間恋に落ちたのかもしれない。いわゆる一目惚れというやつだ。
だが美しい容姿はスピカの魅力の一部でしかない。俺が心底惚れ込んだのはスピカの見た目ではなく、想像のはるか上をいく突飛な行動。それこそがスピカの最大の魅力だった。
裸足で庭園をかけまわっては衣服を泥だらけにし、木に登っては降りられなくなる。庭の池で魚を獲ろうとして溺れたこともあったか? 星を見るのが好きで、夜中に部屋を抜け出しては庭園に寝転がって空を眺めていた。スピカは見た目こそ天使か女神かと崇められるほど美しかったが、中身は皆が眉を顰めるほど破天荒な令嬢だったのだ。
初めはスピカの美しい見た目に心を奪われていた公爵家の使用人達は、スピカが奇想天外な行動をとるたび「育ちが悪い」「頭がおかしい」と言って軽蔑した。
誰が広めたのか世間ではスピカの悪評が広まり始めたが、それでも美しいと噂されるスピカを一目見ようと公爵邸には貴族達が押し寄せた。そして実際にスピカのはちゃめちゃぶりを目にして眉をしかめる。そんな事を繰り返すうち、スピカには『美しき狂人』という異名がついてしまった。
それでもスピカは変わらなかった。というより逆にその悪評を面白がっているようにも見えた。そんなスピカだからこそ余計に惹かれたのかもしれない。
全てが虚しかったんだ。
母は亡くなり、父から愛された記憶などない。ただ淡々と決められたことをこなすだけの寂しい毎日。それを変えてくれたのはスピカだ。
スピカといると毎日が刺激的で楽しいと思えた。庭園の一番高い木の上で感じた風は心地よく、一緒に落ちた池の水は冷たかった。ポケットに芋虫を入れられた時は自分でも驚くほど叫んだし、寝転がって見た流星群は涙が滲むほど美しかった。
スピカといると生きていると実感できた。いつも自由で心のまま生きるスピカがたまらなく好きだった。
スピカと想いが通じ合ったのは、出会って5年してからのこと。当時俺が15歳でスピカは13歳。ままごとのような可愛らしい恋だったが、俺は本気でスピカと結婚するつもりだった。正式に養子縁組していないスピカは義母の子であっても義妹ではない。俺達が結婚するのには何の問題もないはずだった。
俺としては二人の関係を一刻も早く公にして正式に婚約したかった。だがスピカはそれを断固として拒否し続けた。
「私達の関係がバレたら反対されるに決まってるわ。狂人と言われる私と、未来の公爵であるアイザックでは釣り合わないから」
スピカでもそんな事を気にするんだな……なんて思いながらスピカの希望通り秘密の関係を続けることを受け入れた。それでも十分幸せだった。
初めて抱きしめた時の温もり。初めて口付けた時の照れて桃色に色づいた頬。スピカの全てが愛おしかった。あの時の俺は間違いなくこの世で一番幸せな人間だっただろう。
幸福の終わりは突然訪れた。
原因不明の病にかかり、高熱で一か月の間意識が朦朧としていた俺の意識が戻ったと同時に伝えられたのは父親の死。その時にはすでに葬儀が終わった後だった。
父の死は驚きだったが、悲しいとは思わなかった。元々親らしい事をしてもらった記憶などないどころか、言葉すらかけられた記憶がほとんどないほど希薄な親子関係だったのだ。悲しむなんて無理だろう。
それでも父が亡くなったとなれば、唯一の子である俺が公爵を継ぐことになる……はずだった。
だが俺に告げられたのは公爵家からの追放。しかもその理由は美しい義妹であるスピカに無理矢理迫ったというものだった。
騎士服姿の男達に取り押さえられた俺はスピカに助けを求めた。俺達は恋人で結婚の約束もしている。そう説明してくれと訴える俺を見てスピカはいつも通り美しく微笑むと何も言わず背を向けた。
スピカを追いかけようとする俺を男達は無理矢理屋敷から引き摺り出して王都のはずれで投げ捨てた。
そんな俺を拾ってくれたのは、俺の父親の葬儀のため王都に来ていたワイドハイン辺境伯だった。そのまま辺境伯領へ連れて行かれた俺は子供のいなかった辺境伯夫妻に養子として迎えられた。
そこで養父母から聞かされたのは、俺が陥れられた理由。その原因となったのは、スピカと第一王子であるバーナード殿下の婚約だった。
スピカが俺以外と結婚するなんて。たちの悪い冗談だと思った。だがあの日俺の無実を証明してくれなかったスピカの微笑みを思い出せば何も言えない。
呆然とする俺に養父が語ったのは、父の葬儀に来ていた第一王子がスピカに一目惚れしたこと。そしてその後すぐに二人の婚約が成立したこと。
父と養子縁組してなかったはずなのに。いつの間にスピカは父の養女になっていたのか。父が亡くなってからでは無理だ。おそらく俺が高熱で寝込んでいた間だろう。
公にはしていなかった俺とスピカの恋愛は、王族との婚約ということで詳しい身上調査が行われた際、第一王子の知るところとなった。
婚約者の元恋人がすぐ側にいるのは気に入らない。第一王子がそう言ったから。ただそれだけの理由で捏造された俺の追放劇。しかもそれを言い出したのはスピカだというのだ。
スピカに裏切られた。
絶望で生きている意味さえ分からなくなってしまった俺を支えてくれたのは養父母だった。二人が俺を慈しみ大切に育ててくれたおかげで今の俺があると言っていい。幼い時から家族というものに縁のなかった俺にとって二人はかけがえのない存在だった。
養父母に引き取られてから2年後に養母が病気で亡くなり、数ヶ月後、後を追うかのように養父まで亡くなった。悲しみも癒えぬ中、俺は若干18歳という若さで辺境伯の座につくことになる。苦労はしたが、養父母がしっかりと教育しておいてくれたおかげでなんとかやってこれた。
そんな俺の元に第一王子のバーナード殿下が視察だと言ってやって来たのは1年前のこと。
「本格的に王位を狙うことにしたんだ」
軽い感じで落とされた爆弾発言。
国王陛下には母親違いの二人の息子がいる。第一王子の母親は身分が低く、第二王子の母は王妃。そのため第二王子が王太子の座に就いていた。
同い年のバーナードとは王都にある王立学園に通っていた頃の同級生。だがスピカを奪った上に俺の廃嫡のきっかけになった王子に対して恨みにも似た感情があったため、できるだけ近寄らないようにしていた。
そんな挨拶程度の付き合いしかない俺に、王妃の息子である第二王子から王太子の座を奪うつもりだなんて話をされても困る。
「そんな重大な話を俺なんかにしてよかったのですか?」
「もちろん。亡き辺境伯夫妻は私サイドの人間だったからね」
優秀だが母親の身分が低い第一王子。王妃の息子だが少々出来の悪い第二王子。どちらにも派閥があり水面下で動きがあるのは知っていた。だが辺境伯家がバーナード派なんて話は聞いたことがない。
「秘密を知った俺があなたを陥れると思わないんですか?」
胸の奥でいまだに燻り続けるバーナードへの複雑な思い。恨みを晴らそうとまでは思わないが、素直に協力しようとも思えない。
「君が私を憎むのは当然だ。だが君は絶対に私の邪魔をしないよ」
「……何故そう思うんですか?」
「君は私を恨む以上に、スピカとセルバンテス公爵家恨んでいるだろう?」
バーナードが意味深な笑みを見せた。
「君は公爵家を潰したいと思わないかい?」
はっ? セルバンテス家を潰す?
俺の生家であるセルバンテス公爵家はスピカがバーナードの婚約者なこともあり第一王子派の筆頭だろう?
「どうしてセルバンテス家を潰すんですか?」
「君が仲間になってくれるなら理由を教えてあげるよ」
バーナードは俺が断らないと確信しているのだろう。とても満足そうな笑みを浮かべていた。
そりゃ断れないだろ。
どんなに辺境伯家で穏やかな暮らしをしていても忘れたことはなかった。俺を裏切ったスピカを、俺を捨てた公爵家を、あの日からずっと恨み続けている。恨みが晴らせるのなら、相手が誰であろうと手を組んだだろう。
「今証拠固めをしているところなんだが」
そう前置きして語られたのは、父の後妻であったイザベラの罪。
父が亡くなり後継であるはずの俺が廃嫡されたセルバンテス家は、スピカが死んだ父の養子に入ることで後継となった。結婚後はバーナードが公爵家に入ることになっている。
だがイザベラは自分の娘を王太子妃にしたくなったのだろう。バーナードを王太子にすることを画策し始めた。
元公爵夫人として貴族社会で絶大なる力を手にしていたイザベラは国王に近づいた。元々美人に弱い国王は、美しいイザベラの魅力にやられ、言われるがまま王太子の変更を考え始めてしまう。もちろん周りの者は国王を諌めた。だが聞き届けられことはなく、苦言を呈した王妃は離宮に閉じ込められてしまう。
焦ったのは王太子である第二王子のフィリップだ。王妃の息子というだけでその地位を得た彼は自分より優れた第一王子、バーナードに王太子の座を奪われるのを恐れた。そして国王陛下が王太子変更を言い出す前に始末しようと毒殺を試みてしまったのだ。命こそ助かったが、国王が完全に回復する見込みはないらしい。
おいおい、王太子による国王暗殺未遂って……
想像以上に話が重い。聞くんじゃなかったと後悔しても、聞いてしまった以上もう逃げられない。
「それで……俺は何をすればいいんですか?」
「特に何も」
「はっ? 何か協力させようと思って話をしたんじゃないんですか?」
「君には知る権利と義務があると思ったんだよ」
「それは……私がセルバンテス家の生まれだからですか?」
「さぁ? どうだろうね?」
王族らしい愛想笑いを浮かべるバーナードはそれ以上答えるつもりはないらしい。それでもつい口から出てしまった。
「スピカは……いえ、何でもありません」
聞いてどうなる。
口ごもる俺を見てバーナードはおかしそうに笑った。
「スピカとの婚約なら当然破棄するよ」
「そうですか……」
今更興味のないフリをしても無駄だろう。
耳に入れないようにしても入ってくる噂話。第一王子の婚約者であるスピカが貴族の子息達をたらしこみ、自分に夢中にさせては貢がせた挙句にこっぴどくフッているという話は平民ですら知っている。そのせいでバーナードに嫌悪されているということも。
最近は第二王子にまで手を出しているという噂まで出ている。第二王子の方も自分の婚約者はそっちのけでスピカにばかり構っているらしい。
そうか……婚約破棄か……
ざまみろ、スピカ。婚約破棄された上に公爵家がなくなれば、お前はただの平民だ。
口元が緩むのを抑えられない俺を、バーナードは複雑な表情で見つめていた。




