31話 暖懇着
秋雨前線はこの地域を過ぎ去り、寒さが辿り着いて来た。
学校の他の生徒も夏服を着ている者は大幅に減り、大体が冬服を着ている。衣替えの校則はあるが、熱中症など様々な理由によってほぼ形骸化している。
そんな日の一幕だ。
「おはよ、まー君」
「おう、おはよう」
実が俺のことを「まー君」と呼び、実自身の一人称が「私」になってから数日が経った。
正直言ってそのことについて突っ込んで聞いてみたい欲はあったけれども、実の心の内で何か触れない方がいいことが起きていたのかも知れない。何より、実自身が何も言ってこない。ドッキリだとも言ってこない。つまり、あんまり深く追求しない方が良いのかも知れない。
そっとしておこう。俺の呼び方については小学校時代に戻っただけだし、一人称についても別に普通だ。男子高校生が使うかと聞かれるとあまり使わないと思いはするが。
「それにしても、最近冷えるなー」
「湿度が高い日の次の日の冷え込む朝とか、路面が凍ってて危ないから、気を付けないとな」
「そうだな」
それ以外は殆ど変わらないから別に良いとは思う。
いや、少し女っぽくなったか? 思い違いか? 一人称が「私」になったからか?
どちらにせよ、こちらが意識し過ぎて実との間に距離感を感じさせたら悪いか。元々そういう話があって今の付き合いがあるんだし。
「そう言えばまー君はさ」
「何?」
「何か……匂い変わった?」
「匂い?」
突然何かを言い出したのかと思えば、実はそんなことを言いだした。
「なんかこう……分かる?」
「自分の匂いが変わったことが分かる人間なんてどれくらいいるんだよ……」
「それも、そうか……」
「どんな匂いがするんだ?」
一応自分の匂いを嗅いでみるが、特に何も感じることはない。
「ちょっと良い?」
実は俺の是非も聞かずに顔を寄せて来た。
「スン……スンスン……」
「お、おい……」
目を閉じて、俺の方を両手で掴んで首元を数度嗅ぐ実。
「……分かったか?」
「うーん……うん。やっぱり違う」
「どう違うんだ?」
「なんというか……女の匂い?がしてる……と、思う」
「そりゃあ……お前自身の匂いじゃね? それか制汗剤の匂いとか」
今パッと思いついた原因を挙げてみた。
「自分の匂いならそこまで気が付かないと思うし……それに制汗剤の匂いとかじゃないと思う。その手の匂いのとはまた違う感じがする」
「そうか? 朝から匂うなら気を付けないといけないかな……?」
「他に何か理由とか思いつく?」
「うーん……そうだなぁ……」
1つ、考えてみる。
「あ」
「何か思い当たることが?」
そして1つ、思い至った。
「俺の委員会、女子委員ばっかだから、その匂いとかが少し付いちゃってるのかもしれない」
「は?」
「え?」
「いや、何でもない」
一瞬何か、もの凄く低い声が聞こえた気がした。
「俺の委員会、俺と委員長以外男子委員がいないから、自然とそうなってる可能性はあるかもな」
「ふーん」
「同じ学年の子はいないからそこまで仲良くというか……そこまで距離感近くで話したりしないから匂いとかが付いてるとは思わなかったけど、実がそこまで分かるってことは、結構変わってるっぽいな」
「へー……」
「何だよその目」
「別に何でも」
興味があるのか無いのか、実はジト目の横目でこちらを見ていた。
……ハハーン?
「もしかして、嫉妬?」
「は、ハァ? そ、そんなわけないし? お前何思ってんの?」
「なるほど……そう余裕ぶるなって」
「余裕ぶってねーし!」
どちらにせよ、そう言うだろうがそこまで語気を強めたら、ほぼ言っているのと同義じゃないだろうか。
「ま、気にすんなよ。実も今はその状態だけど、男に戻れば身体が女だった頃の経験を活かしてモテることが出来るかも知れないだろ? そもそも俺は今、女生徒が多いところにいるってだけで、モテてないし」
「……」
「……実?」
フォローしたつもりだったが実は足を止め、目の光がなくなったかのように生気がなくなってしまった。
「おーい」
「……」
顔の前で手を振ってみるが、黙ったままだ。顔色も変わらない。
「もういい。先、行ってる」
「お、おい!? 気を付けないと滑って危ないって!」
方向転換し、足早に学校に行こうとする実。
キュイッ!
「おわっ!?」
「おおっと。ほら、言わんこっちゃない」
「ぐぅ……」
転びそうになった実の手首を掴み、腰を打つのを止められたが先の話題での不満の感情が残っているのか、実は複雑な表情をしながらも最終的にはこちらを睨みつけてきた。
「はぁ……礼も無いのかよ」
「ありがと……」
「どういたしまして」
多少不本意らしかったが、感謝の言葉を述べることが出来る程度には素直さは残っていたらしい。
「……足、捻ったっぽいから、杖代わりになれ」
「はぁ?」
「怒ってる理由、分かってないだろ?」
「まあ、それは……」
「分からないなら謝らなくていいから、その代わりに杖になれ」
その顔はどうやら本気らしく、声も真剣さが出ていた。
「転びそうになった責任もあるだろ」
「……わかったよ、これでいいか?」
手首を掴んだままの手を見せてみる。
「普通に手を握ってくれよ……」
「嫌じゃないか?」
「嫌じゃない。それともそっちが嫌?」
「まあ、嫌ではない」
「その言い方……、はぁ」
「えぇ……」
最近の実は、どうにも考えていることが分からないことが多くなった気がする。
結局、手をつないだまま登校することになったのであった。




