モチベとトリガーとルーティン
せっかくの連休ですが、特にやりたい事もなく、何か小説の短編でも書こうかと思ってたけど結局何も出来てません。
なんというかやる気というかモチベーションが有りません。
こういう状態は個人的には2種類の理由があると思ってます。
〇理由1.何かに追われ過ぎててそれどころじゃない
例えば仕事やお金、人間関係などの差し迫った心配事が気になり過ぎて他の事などやってられない状況です。
本来無限に時間があるはずの無職の人が何も手が付かないのもこの状態でしょう。
〇理由2.直接的要求はだいたい満たされてしまって何の意欲も湧かない。
意欲とは「~~したい!」という渇望です。
動物的な肉体から溢れ出る渇望は、取りあえず満たされてしまえば出なくなります。
無限に時間があるはずの安定した引きこもりの人が何も手に付かないのはこちらでしょう。
私の今の状態はある意味幸福な事かも知れませんが後者です。
では今まではどうやってモチベをひねり出して竜王記とかの連載を続けて来られたのかというと以下の2ステップで乗り越えていました。
〇ステップ1.休まず週刊投稿を続けるんだと義務化
名言はしませんでしたが、Xでそれなりに見ている人が居るであろうタグをつけての定期投稿によって他人に宣言をしたような形で義務化してました。
なのでしんどくてもダルくても、「さぁ今日も執筆するかぁ」と行動開始のトリガーを自分で引いてました。
ノっている日はすんなり入れますが、そうでない日は仕事するようなテンションでした。
〇ステップ2.BGMをかけてムードを高めて執筆に集中するルーティンを行う
多くの人が同じことをやっているかも知れませんが、私は執筆の際に音楽の力を借ります。
そしてその世界観のイメージを膨らませます。
例えば、ハイファンタジーのマジックナイトストーリー執筆時はTwo steps from hellのBGMをかけてました。
竜王記の中華風戦記の執筆時、特に戦争シーンの執筆時はwuxiaのBGMをかけていました。
遣虚使節団の章で特に某侍vtuberの活躍シーンの執筆時はLight canvasのBGMをかけていました。
結局のところ人の力を借りていたわけで、素の状態の私が完全に自発的に動けていたわけではありません。
今は糖尿病での入院を契機に(もう退院してますが)ステップ1の行動の起動トリガーが発動しなくなったのでだらけまくってます。
ではそれ以前はどんなトリガーで動いていたのか?
小学生の頃は、少林寺三十六房のような修行する系のカンフー香港映画が流行っていた時代でそれに影響を受けていました。
高校生の頃は、DoomというFPSの開祖の洋ゲーをやってもっと詳細なポリゴンでもっと広大な世界を表現したものを見たい、作りたいと渇望してました。
あとは幻影都市というRPGのパソコンゲームをやって、もっと世界観を広げたい、見たいとも渇望してました。
その後はウルティマオンラインという太古のMMORPGにはまって、もっとこうだったらいいのに、自分ならこういうシステムにすると夢想してました。
大体はSFとゲームが多いですが、私の情熱はあっちこっちフラフラしながら途中で覚めて収束を繰り返してました。
今のなろうの執筆状況と同じです。
で、そんな状況では当然何か一つを極める事が出来ず、物事を大成することは出来ません。
実際の所、人間の興味の集中力などその程度の物だと思います。
では世の中で大成した人は何が違っていたのか?
それはそういう人たちは、きっかけは私と同じ憧れや興味だったとしても、その後仕事として自分の身をその世界に投じたという事です。
結果、逃れる事も出来ず、その事に集中し続けざるを得ない状況になったということです。
そこがその他大勢のワナビとの違いであり、ワナビが決して到達できない高みへ登る道です。
「なりたい」では絶対にこの壁を登り切る事が出来ず「やるしかない、やらざるをえない」だけが登り切るのです。
ただ、その道をセットするには慎重な判断が必要です。
セットしてしまえばもう他の道は見えなくなるのです。
その確実な判断基準は「お金になるのか?」でしょう。
例えば漫画家の道を目指して持ち込みしたり、漫画家のアシスタントとして働いて年月を消費し、結局何もモノにならず、お金に繋がるスキルも身につかずに普通に働いていた友人達に大きなハンデを背負って0から別の人生をスタートした人の話もネットで見ました。
セットした道もその苦労とリスクに対価が比例するとは限りません。
物凄く楽に巨大なリターンとお金がついて来る道もあれば、物凄く困難と忍耐を乗り越えた挙句、一般人以下のハナクソみたいな対価しか得られない道もあり、それは簡単には見抜けません。
実際のコスパやタイパはそう簡単には見抜けません。
例えばストレスや不安から逃れる為に新しくゲームを購入してプレイするのも道の一つです。
そのゲームの世界観で通るべき道が示されている間、100時間か200時間くらいは私はそれに没頭し続けるでしょう。
しかしそれで消費した時間で、もっと価値のある何かを得られたかも知れずそれを捨てる事になります。
小説もその他の創作物も同様と思いますが、ワナビの初心者が辿り着ける領域よりは、もっと上の領域に到達出来るほうが満足感も喜びも大きいと思います。
私もせっかくの人生ならその世界を生きてみたいと思います。
極端な話、お金に不自由しない人であればノースキル、努力皆無で病室で寝たきり、何の情報も得ず、何の苦労もせずボケ老人のようにでも時間は過ごせるし、体はそれでそれなりに満足するのです。
世間の人は世界の色んな場所に旅行にいったり、色んな娯楽をやったり料理を食べたりしたいと彼らの人生に思い残しなくエンジョイ出来るように足掻きますが、私はそれらにあまり興味はありません。
しかし私は世界の街並みや娯楽を見たいと思いませんが、ワナビのレベルで辿り着けない高みの世界を色々見てみたいとは思います。
しかし体はやる気が出ないと言っている。
しかし体の要求に応えて甘い物を飲みまくり、脂物を食べまくった結果糖尿病になった私は、体の声が全然当てにならないという事を今は知っています。
それならば今の私に必要なのはSTEP1のトリガーなのです。
そしてただ欲求に従うだけじゃない、意図的なSTEP2のルーティンなのです。
ただ、そこで突っ走って一つの道に全力で猪突猛進しようとしてしまうのが昔の私であり、未熟な若者の考えです。
それが確実な間違いのない正解だと疑わないのが問題です。
今の私はあまり精力的に行動するタイプでないにしろそれなりに年齢は重ねているせいか、その猪突猛進が視野を曇らせ、体に無理をさせて後の災いとなるストレスや負担を蓄積してしまう事を知っており、さらには無駄でしかないように見える寄り道が実は大切であったとぼんやり気付いてもいます。
今日、なんとなく思い立って風呂を少し掃除しました。
セルフネグレクト状態の私の部屋の浴槽は黒カビが生えてるレベルでしたが、少し綺麗になり、腕が疲れました。
そう、普段の私のようにずっと寝っ転がってやりたい事しかやらずに過ごしてたまにyoutube見ながら軽い体操するなんて実は馬鹿馬鹿しい事で、掃除をするという自分にとって無駄で面倒くさい行動には筋トレしてるのと同等、ひょっとすればその他の要素でもっと大きな効果があったのです。
欧米の学校では生徒は掃除せず専門の仕事の人がやるそうですが、日本の学校で掃除させるのはただ単に児童に仕事をさせているというのではなく、もっと重要な学習の一環でもあったのです。
ランダム要素、気付きとの出会い。
実は必要だった何かの要素の補填。
日常生活の作業をしながらの禅の修行。
無駄にしか見えない、寄り道に実は重要な人生の栄養素が含まれていたのです。
無駄を大切にすることも重要です。
なので寄り道をしながら少しずつ、それでも完全に足を止めずに一歩一歩亀のようにノロマで確実に進むのが正解の道です。
ではSTEP1のトリガーはどうするか?
少し妥協をして竜王記は隔週投稿にでもしようかな?
代わりに空いた週の週末に別な事のトライをいれるか。
竜王記は人に見られてるプレッシャーがトリガーになりますが、別な事のトリガーはどうするか?
全てを己で決めたら甘えが出て抗えなくなってだらけてしまうから他者の力が必要。
ならばこういうのはどうでしょう。
いまからこれをやろうと決めた時にコイントスをする。
数値面が出たら絶対にやる。
模様面が出たらそれは中止。
そしてやると決めたなら、まずは自分が過去にその道に憧れたきっかけとなった画像なり動画を一旦見て気持ちを思い出す。
それからGOです。
試してみます。




