糖尿病で入院してました
1ヶ月前くらいから2週間ほどですが、糖尿病で入院してました。
幸いにも足切断とか、失明とか、透析とかにはならず、このまま放置すればいつそうなってもおかしくないという状態でしたが、入院以降は砂糖の入ったドリンクは一切取らず、糖質と動物性の油を制限した食事を続けて血糖値は安定して低下してきましたし、むしろ致命傷になる前に入院になった事は私にとっては幸いだったのかも知れません。
で、入院中は強制的に今までの生活と外部から隔離された世界で過ごす事になり、色々な事を見つめ直したり、考えたりすることが多かったというかそれ以外出来ませんでした。
実際に自分が入院する事で感じたり、考えたことは以下です。
〇病院ってのは、町の中ではお金の流れが渦巻く台風の目である。
病棟には沢山の老人が居ましたし、沢山の看護師さんが働いてました。
そして私の場合は血糖値を計測する為の小さなペン型の道具や計測器、それぞれに装着する針、点滴などを毎日大量に消費して過ごしましたが、病棟全体では毎日もっと大量の入荷をして、大量に廃棄してるでしょう。
病院食も全ての患者分を大量に作り、貸し衣類やおむつなども大量に消費してます。
そして大勢の看護師や医師、栄養士などに給料を払い続けてるだろうし、患者が払う入院費、健康保険から支払われるお金を大量に吸収しています。
町のラーメン屋や小売店のお金の出入りはもや~~っとは想像がついてましたが、病院がこれほど巨大な社会的な装置だとは考えもしなかったです。
〇医師、栄養士は実はAIに仕事を奪われる危険性の高い職業である
私はITエンジニアであり、色んな仕様を考えたり、プログラミングしたり、問題原因を分析したりとクリエイティブな仕事をしています。
しかし医師は今までの膨大な記録と蓄積と患者の症状や計測結果を見比べて、全世界の医師によって積み上げられたノウハウ通り、マニュアル通りの対処をして薬を処方するのが主であり、実はクリエイティブな仕事では有りません。
管理栄養士も同様です。
弁護士なども同様と思いますが、厳密に慎重に積み上げられた知識と対象者を見比べて、間違えないようにマニュアル通りに対応するのが仕事です。
「これが俺のオリジナル処方だZE!」
なんて許される訳が無いのですから。
これは実はAIの得意分野の仕事です。
多分思いもよらない副作用のある薬の組み合わせなども、誤診しやすいレアな病気の症状のサインなども、AIのほうが正確に気付くでしょう。
糖尿病食の献立にしたって、bing copilotや、Grok3や、ChatGPTのほうが栄養士より素早く正確に栄養成分を分析してリスクと提案をしてくれます。
(もちろん、AI特有のやらかしがあるので「おかしいぞ?」と疑う姿勢は必須ですが)
〇長生きする事が幸運なの?
病棟にいる大多数は老人で、私の近くには90歳を超えたお爺さんも居ました。
そのお爺さんはたまに息子さんや奥さんが見舞いに来てましたが、独り身の私が将来そのお爺さんと同じ立場になれる希望は全くありません。
そのお爺さんはある意味、勝ち組人生を歩んだ人でしょう。
でもその末路、病棟で入院している末路が果たして人生の多くを犠牲にして掴み取る価値ある未来かというとそうも思えませんでした。
カーテンで仕切られたベッドでぼぅ――っと一日を過ごして、体中にガタがきて頻尿とかいろいろ患って気の強い看護師さんに怒られ続けたりしている現実は、幸福そうには見えませんでした。
私は苦しい思いや痛い思いをするのは嫌ですが、ある程度の年齢、自力ではまともに動けなくなった段階でサクッと死にたいと思いました。
〇人が人生の最後に後悔することは何か?
人生の終焉が間近に迫った老人ばかりの病棟で、以前Youtube動画で見たこのテーマについても考えました。
そしてその動画のランキングでトップ近くにあった後悔は「人の為ではなく、自分の幸福のための時間をもっと取るべきだった」という物だったと思います。
所帯を持つ人は、家族を養うためなどでしんどく苦しい仕事を続けて時間を浪費し、本当に自分がやりたい事や趣味はある程度我慢して生きてますし、それが当たり前だと疑いもしない人が多いでしょう。
私は独り身ですが、これについて考えた時、ふとXで連載していた小説『竜王記』を思い出しました。
4年以上、1回を除いて休むことなく週刊連載を続けてきましたが、その執筆で土日の私の時間をそこそこ消費し続けてきたのは事実です。
そして入院する事で強制的にそれは中断せざるを得ませんでした。
じゃぁ、何のために連載してたのか?
もちろん、私自身が楽しんで連載してた面もあります。
しかし大元を辿れば、某Vtuberが性根の腐り切った中華の荒らしによって全世界公開の酷い虐めと嫌がらせを受けており、ツイッターのそのタグを真っ黒に染められていた事に対する義憤がありました。
荒らしに反応する者も荒らしというルールは認識してはいましたが、沈黙していたらそれは何も存在しない、反論する者も味方も存在しないのと同様と思い、別の色が存在することを示し続ける事が目的の一つでした。
さらに、某Vtuberを救えなかった某企業に対する抗議の感情もあり、永久にファンアートタグを存続させ続けようという目的もありました。
多分、私が100回同じ状況に遭遇すれば100回同じような行動をしたと思いますし、これは避けられない出来事でした。
でも実際、ほとんど読まれてないよねと思いました。
それは実際私の為の行動になってるの?
誰も求めてない事ならやる意味無くない?
と思いました。
なので入院中にこう決心しました。
「もし、退院後にXを見て、竜王記について誰一人何の反応もしてなかったら、もう連載をストップしよう」
で、実際そうでした。
なのでそのまま更新を停止しました。
〇人生の最後の最後で価値あるものは何か?
病棟でカーテンに囲まれてベッドで寝転び、外部から隔離された状況では自分の過去を思い返す事しか出来ません。
これはある意味人生の最後の瞬間のシミュレーションでもあります。
人にとっては人間関係、友人関係、家族関係だったり、旅行したことや美味しい物を食べた記憶だったりするかも知れません。
私にとって、過去を思い返して自分の人生で最も価値を感じたのは『物語』と『美術』でした。
『物語』は、私が今まで見た様々な映画やアニメ、ゲームなどのストーリーの記憶もありますが、それ以外にも私自身が執筆した小説も含まれます。
小説なんて架空の空想の話なのですが、人生の最後の最後に思い返した場合、私が黙々と積み上げて来たそれは実際の人生の体験に迫る重みのある仮想体験でした。
『美術』は例えば私が初代Doomのゲームプレイをした時は、レベルデザインやモンスターデザイン、音楽音響やゲームデザインに至るまで衝撃を受けるくらいの最高の芸術作品だと感じました。
そして私自身、素人ながらある程度自分で3Dモデリングしますが、その際に思い付いて作り上げた例えばオリジナルのバイクなどに心に響く価値を感じましたしもっと追求したいとも思いました。
PainkillerというFPSも物語はゲームにとってオマケみたいなもんですが、レベルデザインや世界観に衝撃を受けました。
なので一旦竜王記の連載は止めてしまいましたが、自分に無理のない自分のペースで執筆再開するかも知れないし、なろうの小説も執筆再開するかも知れません。
誰一人にも評価されずとも執筆もモデリングも、私にとって確実に価値のある人生の財産になると分かったからです。




