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幸福とは何なのか

 例えばこの世で一般的な幸せの絶頂や頂点とはどんなものか考えてみる。

 何かの分野を極めて、ノーベル賞をとりましたとか、ハリウッド映画で大活躍してアカデミー賞をとりましたとか、何か英雄的な大活躍をして勲章もらいましたとか、そう言った瞬間的な出来事がまず浮かびます。

 結局のところ、それって人間社会の中で他の人間に「すごいねー」「えらいねー」と褒めて貰ってるだけですね。

 なろう小説だってそうです。

 恐らくなろう小説を書いている人の大部分の幻想しているゴール地点は、何かの賞をとりました。

 書籍化、漫画化、アニメ化しました。

 大勢の人々が自分の作品を見て称賛してくれました。

 という部分になると思います。

 これも結局は同じ人間、より大勢の人間に「すごいねー」「えらいねー」と褒めて貰っているだけです。

 5人くらいの集まりの中で、「お前器用だなぁ」と4人に称賛される事の延長上にあるわけです。

 実態は時給いくらのバイト数ヶ月程度のお金を貰えるだけであっても、天にも昇る心地だと思うのでしょう。

 結局は空虚な一時の幻想です。


 でも実はそれが瞬間だけの出来事ではなく、それ以降の人生にずっと残り続けるものであれば違ってきます。

 ノーベル賞を取った偉い人が、それ以降ずっと貧乏暮らしで孤独に生活を続けて寂しく死にましたとなった場合はどうか?

 人から何を言われようとその人にとっては「俺はノーベル賞を取って世界のトップに立ったのだ」という気持ちは残り続けて持続しますし、周囲の人々からの評価も「あの人今は落ちぶれているけど、昔はノーベル賞を取った凄い人らしいよ」という形で持続します。

 つまりそれは一時の幻想ではなく、持続的に世界を変えたと言う事です。

 これはある意味、財産ですね。


 でも結局のところ、人間は社会で生きる生物だから、人付き合いをしない偏屈ジジィであっても実は周囲の人々から持続的に受け続ける影響は、人生にとって大きいと言う事でしょう。

 やはり人からの評価が幸せに与える影響は大きいのでしょうか?


 例えば私がジャングルの中で一人で生きて、他者の存在を知らず、認識もしてなければどうか?

 その場合はおそらく保存食を貯め込み、野獣から身を守る家と武器と体と技術を持ち、不安と恐怖が一切ない状態で生き続ける事が最大の幸せとなるでしょう。

 それ以上に何か望むでしょうか?

 完全に一人であればそれ以上の幸福=快楽を追い求めて、お酒や危ない葉っぱを追求したかも知れません。

 より高度な知的活動をするようになれば、神を見出して崇めているかも知れません。


 ただ、結局は人間も生き物なので、気に入った雌を見つけて交尾まではやりたいでしょう。

 そして家族を持ち始めたら、結局はやっぱり人間関係の中に幸せを求めるようになるのかも知れません。


 ぶっちゃけ私は毒親の元で育ったので、子供が可愛いとかそういった感情が分かりません。

 血のつながった家族のはずで、DNAも似ているはずですが心が通じた感覚を持ったことが有りません。

 人生を一度しか生きたことが無いのでそれが異常かどうかなんて分かりませんでしたが、今思えばどこかしら、IQ的な部分で感情が共有できない程度の差が有ったのかも知れません。

 家族間での会話がほとんど無かったせいで、思った事を口に出して表現するのが苦手です。

 多分普通は人間関係のネットワークからもやっとでも社会感覚を身に着けて、社会に出て行けるのでしょうが、私の場合はそれが一切無かった為、思春期には不安感だけが渦巻いていました。

 外部の友達との繋がりが唯一脱出の糸口だったと思いますが、親戚のお受験ブランド遊びに触発された親により、私の精神は追い詰められ続けてよそ見をする余裕を失い、その機会を逃しました。

 最後は運動が得意でも無ければ好きでもない私を自衛隊に入れようとして、採用担当の方が薄々察してストップをかけてくれてお流れになった後、正直社会に出ての生存不可能な状態で厄介払いのように突き放されました。

 まぁ、常識的に最低限の支援はありましたが。

 親と話してもどこか話が通じず、こっちが暗黙で思っていた情緒や常識も一切通じず、思い返せば赤の他人が発する言葉の数々のほうが、真理と私への愛情(または親切心)が有りました。

 私に面と向かって悪口をあまり言わない母も、親戚に対しては悪いように悪いように言っていた為か、親戚の私に対する印象と実態に違和感を感じる事もありました。


 少なくともこのスタートでは社会で生きる人間という生き物として、私が幸せになるのは不可能ですね。

 じゃぁその後はどうか?

 社会の最底辺で給料も低いですが、一応生きれてはいます。

 直近での不安や恐怖は無い訳では無いですが、差し迫っては無いのでまぁマシです。

 人間関係はどうか?

 人間の人生の体感速度は年齢と共に早くなっていくそうです。

 つまり若い時代が人生の大部分ですね。

 そこががっぽり抜け落ちている私は、結局人と話が合いませんし、情緒を共有出来ません。

 いや、むしろ情緒を伴う人とのやり取り、コミュニケーションを知らない私は業務外の会話のキャッチボールが出来ません。


 ただゲームはかなりやり込んでいた時期が有ったためか、どことなく自分と属性の似ているVTUBERにはまったのだと思います。

 家族間には私の知らない何かがある可能性は有りますが、正直どうでもいいです。

 知りたくも有りません。

 恐らく情緒を持った人間関係のネットワークの中で、生き物としての充実した幸せを私が得るのは来世になると思います。

 +になる幸せは望めませんが、-を取り除く幸せを追求してつつましく生きるしかありませんね。

 後は創作の中で幸せになるしか。

 創作物、小説は人間の心を騙せますからね。


 なんか脈絡のない文章ですが、自分の考えの記録として残します。


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