第十九話 王は笑う
おまたせしました。
「……」
ザンミアには彼女の言ってることが理解出来なかった。
この生涯、涙を零したことなどない。そもそも、流し方が分からない。
人とというものはよく笑って、時に怒りを露わにし、目と鼻を優雅に動かしている。
それはザンミアでも真似は出来た。そして、死体に出会ったあの日、心の底から笑うことが出来た。
だが、それでも泣くという行為だけは出来なかった。
いつでも彼の瞳は赤く、カラカラに乾いていた。
なぜ人が泣くかは分かる。なぜ泣きたくなるかは分かる。しかし、泣き方だけは分からない。
実際、泣き方を知らなくとも問題はなかった。それが出来なくとも、不自由ではなかった。
人が泣く機会など年に数回あるかないかだ。なら、泣かなくても変に思われない。
ザンミアはそう割り切り、気に留めることなく生活を送っていた。
しかしーー
「僕が……泣いてる……?」
ザンミアは恐る恐る己の頰を指でなぞった。すると、確かに先から伝わる生温い感触が彼を襲った。
確かにこれは涙だ。紛れもなく、自分から分泌された水分だ。
「そんな、僕がっ」
みるみる視界が歪んでいく。世界が水で溢れ返り、溺れているみたいだ。
涙を掬う手からは震えが生じ、彼の心を揺さぶった。
「……一体、あなたに何があったの?」
隣ではティアナがこちらを伺っていた。彼女は涙を拭うように手を差し伸べるも、ザンミアはその手を振り切るように
「さ、触るなっ!!」
木の枝を踏みながら後ろへ下り、涙を落とすように頭を振った。
「……ごめんなさい。でも、理由なしに泣く人なんていないわ」
それは知っている。だから驚いているのだ。
「あの、すみません……何が起こって……」
後ろで困惑の表情を浮かべながらスージーが語りかけた。
しかし、今のザンミアに彼女の疑問を晴らす余裕などなかった。むしろ、自分が一番困惑している。
この状況下、どの行動が正しいかザンミアは模索する。
スージーはともかく、ティアナから哀れみを受けてしまえば、恐らく自分は王としての地位を失う可能性が出るだろう。
ザンミアにとって、ティアナは一種のゲームの駒であり、己の野望を果たすための道具でもあるのだ。
彼女の中に眠る正義感を利用するためには、まず自分が圧倒的に上だと思わせる必要がある。
だが、彼女から同情などという微塵の価値もないものを得てしまえば、形成が逆転するかもしれない。
いや、実際にはこんなことで逆転することはないのだが、きっかけになり得ないのだ。
ならば、己に出来る最善の行動、それはーー
「……ふふっ」
ザンミアは前髪をかき分け、口角をつりあげた。
「……ザンミア?」
「はははっ、ふはははっ!! はははははっはっは!!! ははははははは!!!!」
この行動が、最善策だとザンミアは判断した。
涙を流しながら大いに笑うことが、いかに奇妙なことかは知っている。
だが、だからといって彼女が自分を見る目が元に戻る程はうまくいかないだろう。
「……」
ティアナは黙ったままこちらをじっと見つめている。
意味不明な行動に引いているのもあるのだろうが、考えることを知った彼女であれば、それだけではないのは容易に分かる。
ーーつまり観察しているのだ。
己の行動が、意図的なものなのか、それとも訳の分からない状況に混乱しているのか。
今の彼女ならば、どちらの可能性も考慮しているはずだ。その中で言葉を選んでくるはず。
ならば、後者だと思い込ませるしか手がない。
しかし、それでも彼女は迷い続けるだろう。今まで違う世界に住んでいた人間の感情という部分を知れる機会が訪れたのだ。簡単には結論を出さないのは当たり前だ。
だが、それはそれでいい。問題なのは今だ。
この流れでいけば、必ず彼女の正義が優しさという形で自分の涙を掬おうとする。
それだけはあってはならない。無法の王として、そのようなことはあっては名折れだ。
とりあえずはこの状況を乗り切り、一旦シークの隠れ家に戻るとしよう。
その後これからの計画について話し合い、城に帰還すれば問題ない。
涙一つでここまで思考を巡らせるとは予想してなかったが、とにかく笑い続けるのだ。
「……ザンミア、あなたーー」
彼女の言葉が鼓膜に響いた瞬間、ザンミアは笑いながらも視線だけを傾けた。
「ーー涙、意外と流すのね。てっきり涙腺なんて捨ててるものかと思ったわ」
「ははっ……はあ、まあね。僕にもそんなことぐらいあるんだよ」
「……先へ進みましょう。私は泣いてるあなたを抱きしめてあげられる程優しくないわ」
「そんなの期待してないよ」
ティアナは彼の横を遮り、森の奥へと足を進めた。
「あの、本当に大丈夫ですか?」
後に続いて心配そうな表情で見つめるスージーに対し、ザンミアは
「ええ、すみません。涙が勝手に流れることたまにあるんですよ。でも大丈夫です」
「そう、なんですか……大変ですね」
スージーにはこのくらいの説明でいいだろう。別に変な目で見られようが支障はない。
しかしあの発言ーーティアナは疑うのをやめていない。
今はそれでいい。実際自分にも分かってないのだ。完璧に誤魔化すにしても、己が原因を突き止めてない限りは成功しない。
それにしても、あの目つき。
彼女の瞳の奥には明らかに何かが眠っていた。前はとは比べものにならない強い執念か何かが。
どうやら本当に法奴隷を捨てたらしい。パーバスのために、パーバスから学んだ正義すらも、捨てるつもりだ。
恐らく、彼女はーー
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ーー突き止めるしかない。
あの涙、絶対何かある。
彼に何があった?
自分がスージーと話している間に、彼の身に何が起きた?
分からない。あの彼が涙を流すなど、今でも考えられない。
だが、これは事実だ。あの時は笑って誤魔化されたが、それで頭のおかしいやつで済ます程、自分は安直ではない。
しかし、これで疑いをやめないと彼も分かっているはずだ。それでも、彼は笑うという選択をした。
いや、笑うしかなかったのだ。
確かにあの状況で笑えば自分からの気遣いを免れる。王のプライドも保たれる。
彼は自分に隙を見せることを避けているのだ。
しかし、分かったことがひとつだけある。それは彼が焦っているということだ。
なぜ焦ったかさえ分かれば彼の弱みというものを本当に握れるかもしれない。
支えなことでもいい、今は彼が自分に知られたくない情報を掴むという事実だけが欲しい。
そうすれば、彼の心理へと辿り着けるかもしれない。
まず、キャレットという人物が関わっていることは間違いない。その人物がザンミアの涙腺を緩めるほどの力があるかは定かでないが、詳しい情報はスージーから聞こう。
キャレットという人物を知らない限り、真実は闇のままだ。なら、行動に移すしかない。
「スージーさん」
「はい?」
「あなたたちの宗教について詳しく聞かせて貰えますか?」
ティアナは横目でザンミアの反応を伺う。しかし、彼からは特に動きはなく、降り積もる雪を払いのけながら前へ歩く姿だけが目に映った。
「構いませんが、どうしてまた急に?」
なぜかというと彼女の配属する宗教団体の実像を知れば、キャレット本人のことも知れると考えたからである。しかし、最初から彼の事を聞けばザンミアが話に割り込んでくるだろう。そうなれば話を有耶無耶にされて仕舞いだ。
だが、周りくどいが宗教そのものに関しての問題なら彼が口を挟む必要はないはず。自分の考えにはさすがに気がついているだろうが、このタイミングで割り込んでも簡単に誤魔化せる。
「だって久々に外のまともな人と話せたんですもん。色々知りたくて。ほら、聖書見せられても宗教の方だと分からないほどの頭ですし」
「なるほど。それならせっかくですし、カルニアのことについても教えてくれませんか?」
「カルニアについてですか?」
「はい、その、なんというか、会う前に今はどんな子に育っているかだけ聞いておきたいんです。傲慢ながらも心の準備だけしておきたくて……」
予想外の発言に内心戸惑うティアナであったが、普通に考えればまだ会ったことのない人物に会いに行くとなれば相手の情報を欲しがるのは当然な心理だ。
だが、問題なのは自分はあまり彼女のことを知らないということ。まだ出会って日も浅ければ関係も疎遠と言って等しい。
「そ、そうですね。私の分かる範囲でよければ……」
ここは素直に受け入れるしかない。それに、彼女の期待にも答える義務がある。
「ありがとうございます。それで、聞きたいこととは?」
「え、あ、はい。そうですね。スージーさんの入ってる宗教の方針というか、成り立ちがあれば教えて貰っていいですか?」
本当はもう少し当たり障りのない質問にする予定であったが、自分もカルニアについて話さないといけない以上は確実に知りたい内容だけ絞るしかない。
「分かりました。わたくしの配属する宗教は女神『アマネス』を崇める団体です」
「アマネス?」
「はい、アマネスは昔から有名な女神で母を愛することが特徴な神様です」
「母親だけを愛するんですか?」
「はい。だから聖書には『子を持つものは子を愛し続けなさい。そうすれば私もそのものだけを愛し続けましょう』とつづられています」
「へ、へえ……」
神と聞くと善人であれば性別容姿問わずに愛してくれるものかと思ったが、案外拘りをもつ神もいるようだ。
「一見、好き嫌いが激しい神様に見えますが、実はこの言葉の意味には深い意味が込められているんです」
「そうなんですか?」
「母親というものは子を愛しても、その愛情が帰ってくるとは限りません。だから孤独を感じてしまう生き物だそうです」
「孤独……」
ティアナにとって母親はその逆でしかない。自分に孤独を与えた張本人だ。
「今となってはその考えも間違いとなってしまいましたが、昔はアマネスの考えに頷く人も多かったそうです」
「そう……なんですか」
「はい、だからアマネスはたった一人の母親の孤独感によって子供が育たない事を防ぐために、自ら母親を愛する事を誓ったそうです」
「それって……」
「はい、つまりは誰よりも子供を愛してる女神なんですよ。なんだか、神様らしくなくて、その考えがとても素敵に感じたんです」
その言葉を聞いた瞬間、ティアナの心の中でどこか熱いものが揺らいだ。
「でも、今のわたくしにはその女神に愛される資格はありません。孤独を感じるどころか、大事な娘を孤独にさせてしまったのですから……」
「ーー」
ティアナは何も言うことが出来ず、黙り込んでいた。
「だから、いつか、アマネスに愛されるほどの母親になれるようになるのが夢なんです。そして……」
スージーは、微かに笑みを浮かべながら冷たい空に向かって
「カルニアにも、いつか、アマネスに愛されるような母親になって欲しいんです」
ティアナは進み行く足を止めた。
スージーは急に立ち止まる彼女を見て「どうかしましたか?」と伺うも、彼女にはスージーの行動が目に入ることはなかった。
「これが……母親……」
今自分は、本物の母親と接しているのだろうか。ずっと憎くて仕方ない存在と、ようやく分かち合えているのだろうか。
過去にパーバスから親について聞かされることはあった。昔は子供を愛するのが親としての勤めであり、それは本能的に行われるものだと。
しかし、いくら信頼しているパーバスの言葉であっても心から親のことだけは敵とでしか見ていなかった。無理やり感謝を述べるにしても、パーバスや法奴隷に会えたことぐらいしかティアナにはない。
もし、自分の母親もスージーのように今でも自分を心のどこかで想ってくれているのだとすれば。自分も母親のことを想うことが出来るだろうか。
分からない。今はまだ、答えを出すことが出来ない。
「あの、大丈夫ですか?」
「……あ、すみません。少し考え込んでしまって……」
「いえ、無理もありません。ティアナさんも心境はカルニアと一緒ですから。なんて、偉そうなこと言える立場でもありませんが……」
「そんなことないです。ただ、私の母親もあなたのような人だったらいいな……とか思っただけです」
「そ、そんな!! わたくしはそんな誇れた母親では……」
「ふふっ、思っただけです。すみません、止めてしまって。先を行きましょう」
気づけばザンミアは少し先を進んでいた。あまりこちらの話に耳を傾けていないようだ。意外ではあるが、こちらからすれば都合が良い。このまま話を続けられる。
「そうですね、それでティアナさん」
「はい?」
「そのーーカルニアについて聞かせて貰ってよろしいでしょうか?」




