第十七話 霧は静かに晴れる
ザンミアの目にはキャレットの過去が駆け巡り、悪魔の手が差し伸べられた瞬間に視界が元に戻った。
「……今のが……過去……」
体に負担が掛かったのか、少し足元がふらつく。
しかし、すぐに体制を整え目の前で倒れるキャレットに視点を戻した。
「……そうか、これが君の罪なんだね」
「……過去を見たのか……ふっ、俺も無様な物だな……」
気付けばキャレットの体は次第に砂と化していた。恐らくザンミアが罪そのものを切ったために、悪魔との契りが切れたのだ。
「結局、ルナという子は見つかったの?」
「……いや、見つからなかった。二十年近く探した。世界を霧で覆っても、この足で歩き回っても、あの子を見つけることは……出来なかった」
「……そっか」
世界を文字通り巡っても、見つからない。つまり、彼女はすでに死んでいる可能性が高いということ。しかし、ザンミアはその事を告げず、静かに彼の消えゆく姿を見守っている。
「しかし、随分ロマンチックな話だね。まさか、この霧の正体がたった一人の娘を探すためのものだったなんて。シークに話したら泣いて同情するだろうね」
「……まあ、結局果たせなかったけどな。娘一人も見つけられないなんて、俺は親失格だ」
「……」
「なあ、無法の王よ」
呼ばれたザンミアは、「なんだい」と反応を示し彼の元へと腰を下ろした。
「もし、もしだ。ルナに会ったら伝えて欲しい……すまなかったと。守れなくて、すまなかったと。そして、愛していると……伝えてくれ」
「……それ、本当に僕に頼んでいいの?」
「……信用はしていない。だが、お前以外に頼れる相手がいない。頼む……」
ザンミアは目を細め、しばらく黙り込んだ。彼の頼みを聞く道理もないが、断る理由もこれといってない。
「まあ、探しはしないけど。見つけたら、代わりに伝えといてあげるよ」
「……はは、まさか本当に承諾してくれるとはな。意外だ」
「別に。君に同様なんてしていない。ただ、神の落とし子という点に関しては興味が出ただけさ」
「娘に……手を出したら……許さないぞ」
どうやらこの父親は本気でルナがどこかで生きてると思っているようだ。さすがに哀れに思えてくる。
「生憎僕は人を殺せないんでね。どうするかは彼女次第さ」
「なら安心だな。これで、少しは……報われる……」
時間が過ぎ、キャレットの下半身は全て砂となって朽ちていた。もはや、彼に残された時間も僅かのようだ。
「ところで、あのアリスて人とは知り合いだったの?」
「……あぁ、アリスとは過去にパーティを組んだことがあるんだ。氷を操る女性でな。それは強かった。でもすぐに結婚して、子供が出来てからは外にも出ていない」
「……そうか」
「それがどうかしたのか?」
「いや、別に」
ザンミアは自分の母親の死因が殺害によるものだと知り、あの日の出来事を思い返していた。
「アリスの子供には一度会いたいと思ってたんだ。きっと、優しくて、強くて、アリスみたいに根がしっかりしてる子に育ってるはずだ」
「……そうだと、いいね」
ザンミアは彼に自分がアリスの実の息子だと告げるか迷っていた。告げることによって、何か変わるかどうかと考えれば、恐らく何も変わらない。
自分がアリスの子供で、彼女が死んでくれたお陰で今の自分がいる。その事実を突きつければ、間違いなく彼は絶望したまま生涯を終えるだろう。
別に、感情移入しているわけではない。それは確かなのだが、どうも言い切れない自分がいるのも確かだった。
「……無法の王よ。お前に聞きたいことがある」
「なに?」
「お前は誰と戦っているんだ? 何のために王となったんだ? この世界を、どうしたいんだ?」
「世界を霧で覆い尽くしていた君なら、分かるんじゃない?」
「いや……分からない。どんなに世界を見ようと、誰やよりも物に触れようと、全てを知ることは出来なかった。お前は特にな」
キャレットの腹部は消え、残りは腕と首だけになっていた。しかし、本人は消えることに恐怖を抱くことなく、ザンミアに質問を続けた。
「君と一緒さ。君が子供の為なら何でもするように、僕は死体の為になんでもするだけさ。別に、それ以上でも以下でもないよ。守るものが違えば争いが起きる。そんなこと、法があった時代でも変わらないよ」
「……そうか……理解しようとすること自体が間違えていたということか……ははっ、なんて、簡単な答えなんだ……」
しばらく二人の間に静寂が生まれ、キャレットの左腕が砂となって消えていた。
すると彼は残った右腕を上げ、弱った声で
「最後に……無法の王。お前の、名前を教えてくれないか」
「名前?」
ザンミアは考え込んだ。名前を言えば、自分がアリスの息子だという事が分かってしまう。
「あぁ、最後に……俺の中の罪を断ち切った人の名前くらい、知っておきたいんだ」
キャレットの目は細く、安らかな笑みを浮かべている。悔いしかない人生だったはずなのに、ここまで笑って最後を迎えるのも珍しい。
「僕の名前は……」
ザンミアは紅の瞳を尖らせ、躊躇いを見せるもすぐに答えた。
「僕の名前はーーザンミア。ザンミア・コールネクトスだ」
「……ざ……んみあ……」
先程まで細くなっていたキャレットの片目は見開き、瞳には映るザンミアの姿を確かに捉えた。
「……そうか……お前が……」
ザンミアは真実を告げることにした。それは彼が求めていたからだ。この真実を告げることが、正しいとは思っていない。だが、彼が答えを求めるなら、与えるしかない。
自分は正義でも何でもないのだ。ここで優しい嘘を付いてどうなる。それをする道理など、持ち合わせていないのだ。
しかし、キャレットは驚きを一瞬見せただけですぐに優しく笑みを浮かべた。
「……良かった……」
「……え」
キャレットの瞳から涙が浮かび、横に向かって流れ落ちる。
ザンミアには彼の反応が意外で、つい声を漏らしてしまった。
「……最後に……アリスの……子に……会えて……良かっ……た」
上げた右腕は先から砂となり、肩まで進むと次第に首が消えていく。
「……ザンミア……すまなかった……アリスを……あんな目に合わせて……すまなかった……」
「ーー」
「俺を……許さなくていい……ただ……謝らせてくれ……」
ザンミアは欠け落ちた彼の腕の砂を掴み、小さく囁く。
「許すよ。僕は、君を許すよ」
キャレットは口を開き、満たされた顔を浮かべた後、何かを言おうとしたと同時に完全に砂となってその場から姿を消した。
残された砂山に向かって、ザンミアは
「だって、君がいないと僕は母さんの死体と出会えなかったんだ。むしろ、感謝するよ」
彼は静かに微笑み、天使のように安らかな表情を浮かべていた。
「……子供を守る罪……か」
あの時、キャレットはどんな想いで自分に笑顔を向けたのだろうか。心の中では更なる後悔が押し寄せて来たのではないだろうか。
彼の罪は消えた。天の剣によって確かに鎖は解かれた。しかし、彼はそれで軽くなったのだろうか。むしろ、重くなったのではないだろうか。
アリスはなぜ、あの時キャレット達を守ったのだろうか。死んでもいいと思っていたのだろうか。死んででも彼らを守りたいと心の底から思っていたのだろうか。
「……っ」
結論なき問いを繰り返していると、頭皮に何か冷たいものを感じた。
「雪……」
空にある霧は晴れ、陽の光が照りつける中粉雪が空から舞い降りていた。
おそらく、天の剣で天候を操りすぎたせいで季節そのものに変動を起こしたのだろう。
「雪なんて何年ぶりだろう……まあ、ずっと霧だったわけだし、悪くないか」
愛に満たされた霧は消え、見栄えは良くなったが少し儚く思えるのは気のせいか。
「……行くか」
ザンミアは降り積もる雪を被りながら、森の奥を一人で歩いて行った。
残された砂山は微風によって飛ばされるも、しかりと砕けた氷の前で止まった。
その光景は氷の魔女が一人の哀れな男を抱くように、切なく、時に優しさを感じさせる。
謎の霧は謎を秘めたまま消え失せたが、それがたった一人の少女のために作られたものだというのは誰も知らない。
人の心を淀ませたものが、人の純粋な心によって拡散されていたなど、信じるものはいないだろう。
たった一人――無法の王を除いては。




