人生の分岐点
「きゃああああーっ!」
敵の男が倒れた瞬間、カリンは嫌な予感を抱いてカイルに覆い被さった。
その男の魔法が突如光を放ち、爆発した。
カイルが何かをしたのだろう。あのまま魔法が放たれていたら自分たちは死んでいた。それがわかるだけの威力がこの爆発から理解出来た。
耳が痛い。それだけで済んだのは幸いとも言えるだろうか。もし建物まで被害が及んでいたら自分たちは瓦礫で埋め尽くされていたに違いない。いや、それほどの威力ならば建物以前に自分たちが死んでいるか、とカリンはほっと一息をつく。
うぅーまだ耳が痛い。
爆発による煙と、爆風が生じた事で巻き上げられた埃がなくなり、視界がハッキリしてきたというのにまだキーンとしていた。
「一体、何があった……と言うの?」
「わかりやせん……ちっ、まだ目が見えねぇ」
リーチェと大男の兵士――ドンターの声が聞こえた事から、耳は大丈夫だとカリンは安心する。
ドンターは爆発の瞬間を見てしまったのだろう。普通だったら目をつぶったりする物だが、戦闘中ゆえにそうする訳にもいかなかったのだろうか。
彼には世話になったし、ちょっとばかり心配になってしまう。けど、今は状況の確認をするべきだ。
それに心配するならカイルが先。あんなにボロボロになっていたのだから。
「う、うそ……ゴルタールたちがいたところが……」
「えっ?」
そういえばそちらは見ていなかったな、とリーチェの呟きを聞いてカリンは顔を動かした。すると――。
何かでくり抜いたかのように地面がなくなっていた。いや、全てがなくなった訳ではなく、前後関係を考えると溶けてしまったのだろう。
やはり想像したとおり、あの炎がこちらに放られていたら……。
「あー、やっとボンヤリ見えるように。どれどれ……、ふむふむ」
「何かわかりますか?」
「いや、わかりやせん。ただ俺たちはこいつに救われた、と言うのは理解できやした」
まるで下っ端のような言い様でリーチェに答えるドンター。そういえば下っ端だったわね、とカリンは考えを訂正する。
その下っ端が示した方向には土塊の残骸があった。
あれは――『エッグマーン』。巫山戯た名前と形のゴーレムだった物だ。
なるほど、あれが盾になってくれたのね。
カリンはそう思い、天の采配感謝する。きっと土壁が生死を分ける境目となったのだろう。あれを味方が誰も突破できなかったことが不幸中の幸いとなったようだ。
ただ、リーチェだけはその壁を突破しかけていたが。
まるでどこかの覚醒主人公の様に味方のピンチに力を発揮し、リーチェが獅子奮迅の活躍をしたときは目を剥いてしまった。まさかクールビューティー呼べる彼女が暴力ヒロインだったなんて、と思わず呟いてしまったほどだ。
気になって調べたら何の事はなかった。彼女は魔法を――『恒常魔法』と言う物を使っていただけに過ぎなかった。
この魔法はとんでもない物だった。
発動している間は全ての状態が固定され、絶対に傷つかず、老化すら止めてしまう、何処の大魔王だ、と言わんばかりの能力があった。
肉体の限界や犠牲を気にしないで攻撃を繰り出せる。それは無敵の矛と盾を持つということに他ならない。もちろん身につけた武術あってこそだが……。
その凄まじい効果の代わりだろうか、魔力の燃費は非常に悪そうだった。後数分この戦闘が長引けばリーチェはガス欠となっていただろう。
そう思うと、相手を自爆に導いたカイルはナイスな働きをしたと褒めてやりたい。
そんな時「うぅ……」という呻き声が聞こえた。
いけない、カイルはもう限界だわ! カリンはそう思うと、いつでも考えられるような事よりも、早くこの場から立ち去り、カイルを治療しなければいけないと判断した。
「あいつらは火の魔法の自爆に巻き込まれて死んだとしか思えないわ。
それよりカイルの治療を優先して頂戴! このままじゃ本当に死んでしまうわっ!!」
「はっ! そうね、急がないといけないわ!」
冷静なリーチェがその事に気付かなかった事に疑問は残るが、よほど混乱していたのだろう。それでもカリンが指摘した瞬間、瞳に知性の色が戻り我を取り戻していた。
「貴方たち立ち上がりなさい! フェルラースの兵として、せっかく助けた人民を死なせてしまったとなると面目が潰れてしまうわ。貴方たち自身の誇りのためにも本日最後の気合いを入れるのよ」
当時の事を振り返ると、未だに鳥肌が立ってしまう。運良く助かったが、もし何かあと一つでも掛け違えていたらカイルを失っていただろう。
些細な――カリンからすれば割と重要だったが――喧嘩でカイルが死んでしまう原因になったら悔やんでも悔やみきれない。ましてカイルが拉致されたと聞いて気を失ってしまったのだ。あれさえなければもっと穏便にカイルを助けられたのかも知れない。
まったく冗談にもならない話だ。
今のはカイルは事件前と変わらぬ姿となっていた。
――治癒魔法。
正確には『復元』という魔法だが、それのおかげで愛らしい姿へと戻っていた。
ただ一回で治ったという訳ではない。5日ほどこまめに魔法を掛けて貰い、やっと元通りになったのだ。
欲望は顔から先に治癒させようとしたが、理性がそれを屈服させ、全身の骨などの命に関わる所から治療院の先生にお願いした。顔は腫れていたが、それほど大したケガではなかったのも理由の一つである。
しかしナイフによる傷だけは深く、もしかしたら顔が元通りにならない可能性もあった。たとえそれでもカリンは、最後までカイルを愛そうとその時誓った。
罪悪感を含んだ愛情だからどの様な結末を迎えるかわからないが、それだけの覚悟がカリンにはあった。
そもそもこの世界で結婚より愛情を優先しているのはカリンのみ。離婚などあり得ない環境ゆえに、結婚すれば責任を取らざるを得ないという状況になるだろう。
だがそれも杞憂だった。
『復元』の名の通り、その魔法は見事にカイルを治療しきった。カリンは思わず「ビバッ!」と叫び衆目を集めてしまったが、今は黒歴史として抹消している最中だ。
それだけの高度な治療が安い、などという訳もなく、カリンが貯めていた『リトル』3号店の開店資金を全て治療につぎ込む必要があった。
また、カイルが使い物にならない状況では商品の補充も出来るわけもなく、カリンにしても付きっきりで看病しているため1号店の喫茶店を開けるという事は出来なかった。だから在庫を消費するという形で2号店だけ、という経営状態だった。
休業しているからと言って、従業員に給料を払わない、なんて選択肢も採れない。そんな事をすればせっかく集めた優秀な人材を流出してしまう。
それにほんの僅かではあるがレシピも教えてしまったのだ。今更逃すなど出来ようはずもない。だから有給休暇という形で彼らを引き留める必要があった。もちろん出勤しない者は一般的な――普段より少し低めの――給料に留めたが……。
開店以来の初めての赤字続き。それがカリンたちの現状だった。
如何に砂糖が暴利を得られるとはいえ、在庫は限られているのだ。一人当たりと日にちごとの個数を制限しなくては、直ぐに開店休養という最悪の事態になってしまう。そんな有様ではせっかく手に入れた名声も地に落ちてしまう。
だから泣く泣く赤字を受け入れる他に手段はなかった。
しかし、それも昨日までの話だ。
カイルは完全復帰し、以前通りの状態へとようやく戻る事が出来た。もはや何の柵もない、あとは自由気ままにやっていけばいい。
ゴルタールを捕まえられず、『グリードリ』商会にメスを入れられなかったのが悔やまれるが、フェルラース支店は領主によって接収されてる。もしかするとそこから何か証拠が掴めるかもしれないが、それはカリンたち庶民の気にするべき事ではない。
この街はもう安全、それさえわかれば十分なのだから。
さあ、これからバンバン稼ぐわよ、とカリンは気合いを入れた。
お菓子の生地を作り終わり全てを釜に入れると、途端に暇になる。そこで昨夜のことを反芻することにした。あれは人生の分岐点とも言っていい事だ。心に刻むのも乙な物だ、とカリンはニヤニヤと表情を崩していた。
拉致されて以来、カイルは笑顔を浮かべる事がなくなった。いや、笑顔どころか感情を表す事がなくなった、と言うべきだろうか。初めて出会った時ですら諦めといった負の感情が出ていたが、それすらなくなっている。
無理もない、あんな目にあったのだ。気持ちが分かるなど言って、カイルを慰める事すら出来なかった。
結局退院して自宅に戻るまで、カイルは「大丈夫」と「ありがとう」以外に口を開く事すらなかった。
「ふぅ、やっといつも通りに戻ったわね! カイルも自宅に戻った、って感じがするでしょ?」
「……」
やはりと言うか、カイルはそれに答えるような事はなかった。目は死んでいないので、環境が変われば少しは違う反応を見せると思ったのだが……。
「今日は存分に身体を休めましょう。明日からは店を始めるから、次の休みまでは忙しくなるわよ!」
「カリンちゃん……」
「何?」
早速反応があったかと思うと、期待に胸が膨らんでしまう。しかし、カイルの口から出た言葉は意気消沈させるものだった。
「まだお店を続けるの? ぼくはミーニッツ村に帰ろうと思うんだ」
「えっ?」
何を言われたか分からなかった。いや、想定はしていた。あれほどの目にあったのだから、この街が嫌いになって村に戻りたいと言い出すのではないか、とカリンは一応ながら考えていた。
それでもカイルならば「帰ろうよ」と言うと思っていた。でも今告げられた言葉は「帰ろうと思う」だ。
その事からカイルの中ではほぼ、村に戻る事が決まりかけているという事だ。
説得するつもりでいた。その言葉を考えていた。けど、決意しているカイルを説得できるような台詞ではない。
「そう、分かったわ……。でも、どうしてそう思ったか聞かせてくれるよね?」
「うん、そればっかり考えていたよ。だから生返事ばかりしちゃった。ごめんね」
「そう言う事だったのね」
理由のあっての無反応だったことが分かり、カリンはほっとした。精神的に壊れてしまったという可能性も考えていたからだ。
だとしても無表情で考え事などするものだろうか。ならばきっと、悩むことなどなく既に答えが決まっていて、それを言葉に変えるという作業をしていたに違いない。
その事を理解すると、やはり説得は不可能に思えた。
「ぼく、ゴルタールに脅されてカリンちゃんの言いつけを破っちゃった」
「言いつけ? どれかしら?」
「他人に魔法を絶対に教えちゃいけないってやつ」
思わず眉をひそめてしまう。危険な行為だ。もしカイルの利用価値が分かる者がいたならば――。
「あ、でもゴルタールに言ったのは分類魔法じゃなくて、ぼくが材料を魔法で作ったということだよ」
なるほど、ゴルタールが「カイルを巻き込むな」と指示していたのはそこに理由があったのね。分類魔法の真なる効果ではないが、即物的なあの老人ならではの利用法を見つけたという事だろう。
「仕方ないわ。口を閉ざして、それで殺されてしまうよりずっとマシだわ」
「でも――」
ぼくは死のうとしたんだ、という言葉を聞き、カリンは何も考えなくなってしまった。
しばらくして落ち着くと、今度は疑問符で頭がいっぱいになる。
どういうこと? 暴力に耐えかねて死にたいと思ったの? それとも――。
どんどん悪い方向へと考えてしまう事に気付き、カリンは深呼吸をして冷静を心がけた。
「どうしてそう思ったか、教えてくれる?」
答えは聞けばいい。当人がいるのだから無駄な事など考えず、それを聞き、傷ついたカイルのケアをすることに時間を使うべきだろう。
「あのときは……誰も助けに来ないと思って……。それで――」
生きる事に疲れた、とカイルは呟いた。
最悪だ。先ほど考えた上で最悪の答えだ。カリンもまさかと思ってうち捨てた答えが、カイルの思っていた事だった。
こんな子供が使っていい言葉ではない。いや、言わせてはいけない言葉だ。そしてその原因を作り出したのは自分なのだ。
カリンは無力感に襲われた。
「ごめんなさい、なんて言葉じゃ、とても足りないわね。
本当に間に合ってよかったわ。生きていてくれてありがとう、カイル」
「うん、カリンちゃんがあの扉を開けるまで、ぼくは殺して貰うためにあいつらを挑発していたんだ」
ああ、胸が痛い。否定もしてくれなかった。カイルを連れてフェルラースに出て来るべきでは無かったのだろうか。
そんなカリンの様子に気付かないのか、カイルはそのまま続きを話す。
「その時思ったんだ。ぼくはこいつらには勝てない。このままかつていたという、奴隷の様に働かされるってね」
「そうね、もしあたしたちが間に合わなかったら、そうなっていたでしょうね」
ゴルタールがカイルをこき使っている様子が簡単に目に浮かぶ。むしろそれ以外に無いだろう。
「結局ゴルタールが誰にも伝えることなく死んだから助かったけど、きっと第二のゴルタールみたいな人は現れるよ」
「悪は何処にでもいるわ。出てくるわね、きっと……」
もう説得など絶対に出来ない。カイルは自身の防衛のために隠居同然に田舎へと引っ込むのだ。それを止める言葉などカリンには口が裂けても言えない事だった。
「フェルラースならしばらくは大丈夫かもしれないけど、カリンちゃんが期待する、他の街にも展開する『全国チェーン』だっけ? そんな事をすれば、また今回みたいな騒動が起きるよ」
「ん?」
あれ? フェルラースには忌避感を覚えていない?
カリンは少し混乱してしまう。
「カリンちゃんとは違って、ぼくは不器用だからそれを避けるなんて出来ないと思うんだ。だからぼくは村に帰る。
カリンちゃんが『リトル』を続けたいと言うならば一人で帰るよ」
多少人件費を増やせば、人力で砂糖を作り出す手段は確立している。メープルシロップにしてもそうだ。
だから一人で店を続けると言うのも無理をすれば可能だ。
しかし、カリンの中ではもはやカイルと分かれるという選択肢はあり得なかった。自分にとって如何にカイルが大事かと、今回の件を通して深く理解してしまった。
先ほどのカイルの言葉から、規模を縮小すればこのまま続ける事も出来るのではないかと思ったが、それをカイルに強制するほど自分は厚顔無恥でも残酷でもないのだ。
「あたしも……あたしも一緒に帰るわ……。カイルを一人にしておけないしね!」
「いいの? でもそれだとカリンちゃんは他の人と結婚しないと駄目、なんじゃないの? ぼくはそんなの嫌だよ?」
「お金ならあるわ。カイルが成人するまでの1年なんて十分持つわ。結婚はカイル以外となんてしない! 文句は誰にも言わせないわよ。
それに今の店を処分すれば、新しい土地を買って独立することも出来るしね」
そう言ってカリンは微笑む。
「でも、それならどうしてカリンちゃんは泣いているの?」
「えっ?」
あたしは笑っているわよね? と声を出そう口を開いた瞬間、水を感じた。
雨漏りかしら? と天上を眺めるも、そんな事はなかった。不思議に思って外を見たが雨が降っている様子すらない。
なのに今も口に水が入り込んでいる。
「いきなりどうしたの?」
「ん? 何?」
「いや、だからきょろきょろして。何か不自然な事でもあったの?」
「だって雨が――」
と、何度か問答して、ようやく自分が泣いている事に気付いた。
自分では泣いているなんて思わなかったのだ。だからカイルが何度も泣いていると指摘してもそれを信じる事は出来なかった。
「カイル、あたし……泣いているの?」
「うん」
そう言ってカイルはこちらに近づいてギュッと抱きしめてくれた。そしたら胸にこみ上げてくる物があり、わんわんと泣いてしまった。
カリンはどうして泣いているのか分からない。なのに喉が痛いと感じるほど大声を上げて泣き叫んでいる。
自分の心が分からない。――ん? 心?
ああ、そうか、心が泣いているんだ、とカリンは何となく原因に行き当たった。
今も泣き続けているというのに、それを客観的に感じている様はどこか滑稽だと思ってしまう。
やがて理性を感情が飲み込んだのか、その感覚はなくなった。そして疲れ果てて眠るまで、ひたすらカイルに縋って泣いていた。
よく考えると恥ずかしい思い出だ。でも今朝のカイルの言葉を含めると忘れられない物だった。
どうやらカリンは『リトル』を辞めたくない、全国展開しないから続けようよ、みたいな事を言ってしまったらしい。感情が暴走してしまったせいか、カイルが忌避しなかった理由をつき、涙という武器を使ってカイルを説得してしまったらしいのだ。
朝起きて――。
『カリンちゃんの気持ちは分かったよ。うん、こんなぼくでよかったら』
と言ってまた抱きしめてくれたのだ。
積極的なカイルに目を丸くしてしまったが、カリンが泣きながら言った事に欲望みたいな物も混じっていたそうだ。そのうちの1つが朝起きたら『ハグ』をすることだったらしい。
欲望の意思が暴走したのだろうか。まあ、少し恥ずかしいが、それはカリンにとっても喜ばしいことである。だからそれを受け入れた。
そもそも何を言ったのか覚えていない。だから無理をして黒歴史として記憶を抹消する必要などなかった。
そしてウフフと笑っていると――。
「店長、いきなり笑い出すのは流石に気持ち悪いです」
などど水を差されてしまった。
せっかくの至福の時なのに……と思ったが、そろそろ焼き上がる時間なのでちょうどよかったとも言える。もし、トリップしたままならば焦がしてしまったに違いない。
そう思うと、この生意気な口をきいたクソガキ――同い年――を許してやるのも、やぶさかではなかった。
「さて、今日のケーキちゃんの出来映えはいかがかな?」




