反抗期
領主婦人であるユリアーヌが訪れた日より、数日経過していた。現在は月も変わりサマタ月になっている。
領主婦人が訪れて絶賛した事が噂を呼び、『リトル』は飛ぶ鳥を落とす勢いとなっていた。
その分忙しくもなっている。従業員を増やしたり、ある程度のレシピを公開したりなどしていた。もちろん公開するといっても大した価値のない所だけだが。
これにより『クッキー』や『タルト』といった生地は、従業員に任せる様になっていた。
そもそも貴族向けのお菓子はこれ以上必要とはしていないのだから……。
それでも伸ばす所、形作る所、焼き時間だけは誰にも教えなかった。
業務秘密という理由もあったが、下手に捏ねられたり、焦がされたりしたらダメになってしまう。ただでさえ忙しいのにそんな事されては堪らない物があった。
カリンは一つ情報を公開した事により、ある事を考えていた。
「ねぇ、カイル」
「何?」
カイルは相変わらずのほほんとしている。
けれど真剣みな表情をしており、ちゃんと聞く姿勢にはなっていた。
「そろそろ店舗拡大しようと思うけど……どう思う?」
「ん~、また組合費があがるんだよね? そこは大丈夫なの?」
「ええ、ラーチ豆様々で全然問題ないわね。
ほら、クッキーとか従業員に作らせる様になったでしょ? だから作り置きして、別の店を作ってそっちで売ったらどうかなって」
「えっ? でも……最後までは教えてないんでしょ? それじゃ――」
「最後まで教えるつもりよ。少なくともクッキーだけは」
「でも、でも……それじゃ他に真似されちゃうんじゃ」
カイルは以前言った事を、真剣に考えてくれていたようだ。その事に嬉しく思う反面、もうちょっと頭を働かせてもいいのではないかとカリンは思う。
「ウチの味は果糖あってこそよ。砂糖を使ってる所じゃ、あの甘さは出せないわ」
「なら砂糖たっぷり入れれば……」
「そう言う問題じゃないわ。砂糖を入れすぎたら焦げ目が強くなるし、そもそも砂糖そのものを食べてる気分になってしまうわ」
「うーん。じゃあ……つまみ食いとかされちゃうかも?」
面白い所をついてきたわね。食いしん坊だからこそかな、とカリンは思う。
でも、確かに拡大すれば横領の心配が出てくるのは間違いない。
「それはそうなんだけどね~。でも、そんなこと気にしていたら、規模は拡大できないし、これ以上は稼げないのよね」
「今のままじゃダメなの? 十分稼げているよね……」
カリンは机を叩き立ち上がる。
なってない、全然なってない。カリンはカイルが現状に満足していることに腹が立った。
「カイル! あんたそれで『ビッグ』になったつもりなの!」
「ヒ、ヒィッ」
「あんたね……そんなんで自分に誇れるの?
そういうのはね、妥協、って言うのよ! 常に上を見つめなきゃダメなのよ!」
ぜぇぜぇ、と息が五月蠅い。あまりに興奮しすぎて、呼吸も忘れてカイルを叱りつけてしまったようだ。
少し大人になったと思ったらこれだ。頼りになると思ったら勘違いだったらしい。
まだまだ子供ということだろう……。いや、子供は夢を持っている。それは儚く尊い物で、実現不可のことさえ志す生き物である。
ならばカイルは大人になったのだろう。それも――ダメな大人に。
「ねえ、カイル……あたしは言ってたわよね? 『ビッグな男』、つまり影響力のある男になりなさいって」
「う、う……うん」
「あんた、さっきの自分を思い返して、影響力ある男の言葉に思えるの?」
カイルは黙り込み、深く考え込んでしまった。
よく考えると良いわ。カリンはそう思い、顔を背けた。
カイルの顔はあまりにも可愛い。それを直視しては情に絆されてしまう事だろう。
どのくらい経っただろうか、「カリンちゃん」という呼び声が耳に入ってきた。声に力はない。その事から相当に沈んでいる様子がわかる。
カリンは正面を向き、カイルの顔を見つめる。か、可愛い……違う! 今はそれどころじゃない! 表情をキリッとさせカイルと目を合わせた。
「どう? さっきまでの自分、どう思った?」
「やっぱりわからないよ……。満足に生活できる事の何処がいけないの?
確かにカリンちゃんの言う事もわかるよ? でも……そこまでする必要ってあるの?」
カリンの言葉に頷かない。反抗期かしら? こういうのは期待していなかったわ……、とカリンは悩んでしまう。
従順になりすぎるのは良くないと思っていた。けれど、求める方向性が変わってしまうのは望むところではない。
「それに影響力って……お金だけじゃないよね? お金以外にも何かあるよね?
あの領主婦人にカリンちゃんが認められた事も、十分に影響力あるよね?」
「むむむ」
痛いところを突かれた。敢えて言わない様にしてたのに。
でもそれじゃダメだ。それはカリンの求める影響力ではない。吹けば飛ぶようなあやふやな物ではダメなのだ。
「カイル……よく聞きなさい」
「何?」
少し反抗的な態度が窺える。やはい徹底的にやり込まなければいけないようだ。
「もし領主婦人が『他の店の方が美味しかった』、と発言したらどうなると思う?」
「え……? それは――」
「つまりね、一時的な影響力では意味がないのよ。
だからそれがある内にステップアップ――つまりもっと上へと羽ばたかなきゃいけないのよ」
カイルは再び黙り込んでしまった。けど、カリンは口撃の手を緩めない。
「今店を広げれば、確実にお金が稼げるわ。それを元にどんどん拡大して行って、『グリードリ』商会の様に全国展開まですれば、よ~~~~やく、安心できるの。誰もが認めるくらい『リトル』は凄い店なんだって」
一時の栄華などいらない。それじゃ些細なお金しか手元に残らないのだから。
確かに砂糖を売り続けていれば事は済む。けれど、『グリードリ』商会が絶対に黙っていない。他にライバル企業がないという事は武断派なのは間違いない。
そしてカリンの予感では、そろそろ不味い域に差し迫っている。だから早急に安心できる業種――お菓子産業一本に絞らないといけない。
香水もあるけれど、それだけじゃ大した稼ぎにはならないのだ。
他の物を作るという選択肢もあるが、現状でいっぱいいっぱいだ。とても他の物を作ってる暇はない。
メープルシュガーを作ったときのように、休日に行うという手もある。しかし、さすがに連日働き続けるのは疲れてしまう。自分でさえ疲れるのだから、まだ小さいカイルは耐えきれないだろう。
そういった意味でも、砂糖を必要以上に作るのを止めたい。そうすればカイルの負担は減るのだから……。
「カリンちゃん……ぼくはね……」
「なぁに、カイル? ちゃんとはっきり言わないとわからないわよ」
ごにょごにょと呟くカイルにカリンは問いただす。
それを期に、カイルは堰を切ったように話し出した。
「ぼくはね……カリンちゃんといられるだけで十分なんだ! 一緒にいるだけで十分なんだよ! だから別に『ビッグ』とかそう言うのは興味ないんだよ!」
「か、カイル……」
「だからっ! ぼくたちが暮らしていけるだけ稼げれば、十分すぎるんだよ!
そりゃ、多少贅沢もしたいよ。お肉だってたっぷり食べたいよ。でも、そんなの二の次なんだよ! ――たまに食べるだけでいいんだよ……」
まさかカイルがこんな風に考えていたなんて、思いもしなかった。カリンは唖然としながらも、そこはしっかり主張するのね、とツッコミをいれたくなった。
それをグッと我慢し、カイルの真意を確かめていく。
「カイル……。じゃあさ、カイルは『リトル』が潰れちゃっても良いのね?
二人で暮らしていければ、潰れちゃってもいいね?」
「うん、そうだよ! ぼくにとってカリンちゃん以外はどうでもいいんだよ!」
手のひらがズキンとした。きっと握った拳から血が出ているに違いない。ああ、ダメだ……、抑えきれない。カリンは内からこみ上げてくる物に、抵抗する事を止めた。
これを口に出してしまえば、どんな事になるのかはわかっている。でも、我慢できなかった。
「――本気で言っているのね。『リトル』はね……あたしたちの子供みたいなものよ? それをいらないなんて。信じられない……。
ねえ、カイル? あんたはあたしたちに子供ができても、いらないとでも言うの?」
カリンは「ふざけんじゃないわよっ!」という言葉と共に、机上に置いてあるコップをカイルに投げつけた。
ガツンとカイルの額にそれはぶつかった。痛い。胸が痛い。カリンは暴力を振るってしまった事に自責の念を駆られた。
カイルは「痛いよぉ」と声に出し、患部をさすっていた。
今すぐ駆けつけたい。駆けつけて痣になっている場所を冷やしてあげたい。そんな気持ちも沸いてきている。
けれどカリンを支配しているのは怒り。まだその気持ちの方が明らかに強かった。
カリンは脚に力を込め、近づきたいという気持ちをねじ伏せた。
その一方カイルは、自ら起き上がり、そして睨み付けてきた。
「何するんだよ、カリンちゃん!」
「ふんっ! あんたが悪いのよ」
「何でぼくが悪いんだよ! 何処が悪いって言うんだよ!」
「あんた……まだわかってないの!
あんたはあたしたちの思い出も否定したのよ! 苦楽共に過ごしてきた日々を否定したのよ!
街に出てきてから約六月……一年の六割、『リトル』はその集大成。いいえ、準備期間も含めればあたしとカイルの過ごした全て、それを全部否定したのよ!」
「――っ!?」
目が熱い、視界がにじむ。カリンは目を拭い、逆にカイルを睨み付けた。
「まだわからないのっ!?
カイルのバカああぁぁぁ! もうカイルなんて知らない!」
バタンッ
カリンは自室へと駆け込んだ。
カイルなんて見たくない。あの可愛い顔が憎らしい。その思いから扉に鍵を掛け部屋に閉じこもった。
「カリンちゃん開けて! 開けてよ!!」
ドンドン、ドンドン
扉を叩く音がする。何度も何度も音がする。
それをことごとくカリンは無視をした。
どのくらい経っただろう……。あれほど五月蠅かった音がしなくなっていた。頭が重い。泣きすぎたせいだろうか。
カリンは目をこすりながら立ち上がった。
(疲れたなぁ……何か、もう……どうでも良くなったちゃったなぁ)
気力が沸かない。何もする気になれない。休日ながら予定はいっぱい詰まっていたはずなのだ。しかし、カイルが反発したことによって、それは白紙となってしまった。
いや、今からカイルが謝ってきた所でもう、やる気にも慣れなかった。
そんな時、再び扉が叩かれた。
(いまさら謝ったって、簡単には許してあげないんだから……!)
カリンはその音を無視しようとした。しかしできなかった。
「カリンさん、大変です!」
カイルの声ではない。その声は女性の物であった。
この声は……確か――従業員のジェノバかしら、とカリンはその人物を類推する。
彼女はカイルに付けていた、部下の内の一人。20歳半ばの心優しい女性だったため、カイルのお守りを兼ねて下につけていた。彼女は街育ち故に計算もできる。そのため新しく作る店舗を任せようとしていた人物だ。
カイルの部下と言う事は、この家の店舗で働いてるという事である。つまり、ここにいても何の不思議もない人物であった。
とはいえ、今日は休日だ。普段余暇を楽しんでいる彼女が来る予定はなかったはずであった。
その事に訝しんだカリンは扉を開けようとした。が、待てよ? と思い、出した手を引っ込める。
カイルが彼女に頼んだと言う事も考えられる。そう思うと、うかつに開くのも考え物であった。
まだカイルの顔は見たくない。その思いがカリンにその行動を躊躇わせた。
ドンドン、ドンドン、ドンドン
「カリンさん! カリンさん! 大変なんですっ!」
扉が軋むほど強く叩かれている。声にも焦りの色がにじみ出ていた。
カリンはそれを不審に感じ、仕方なしとばかりに扉をあける。すると、勢いよくジェノバは部屋に入り、カリンにすがり付いた。
「カイルくんが、カイルくんが!」
「どうしたの? カイルがどうしたって言うのよ?」
ジェノバが取り乱している。普段のおっとりしている様子が嘘のように……。カリンはそれに嫌な予感を覚えた。
「カイルくんが浚われちゃったんです!」
それを聞いてカリンの視界は黒に染まった。そして泣き疲れていた身体から力が抜けていくのを感じた。次第にジェノバが呼ぶ声が遠くなっていき、意識は暗闇に包まれていった。




