領主婦人
ナシタ月32日目 『リトル』
その日はいつもと違った様子であった。何が違うかと言えば、ここにカイルがいる事がいつもとは違った。
だが、それ以上に普段とは違う事があった。それは――店内は貸し切りであること。
「いつも美味しく頂いているわ。けど……それも食べ飽きてしまいましたの」
高い声でカリンに話しかけているのは、この町の領主婦人。キラキラとした宝石をあちこちに身につけている。それに負けないくらい彼女の容姿は美しい物があった。
カイルの目から見ても、肌もつやつやといており、子供を産んでいない様に感じられた。
しかし、若く見えるが領主婦人は既に40歳を超えているはず……。そんな彼女に成人している息子がいることは、あまりにも有名であった。
彼女が『リトル』に来ている理由はただ一つ。
カリンの作るお菓子に惹かれてやって来たという事だった。
「メニューにある物は全て、食べた事があるのですか?」
カリンはそう尋ねた。
「ええ、こちらの――リーチェが毎日買ってきてくれたわ」
「それはありがとうございます。
ですが、今日のタルトはいつもとは違いますよ」
カリンが指し示したのは、ハクトーと呼ばれる果実を甘露煮にしたタルトであった。
ハクトーは皮を?(む)くと真っ白な果肉であり、とてもみずみずしく、ほどよい甘さ故いくら食べても飽きる事がない果実であった。
その分少し値段が高めだが、今の稼ぎならそれを使ってもあまりある状況だった。
「――それは頂いて帰るわ。けど、今日は今まで食べた事のないお菓子が食べたいわ。
店主は独創的な――今まで誰も作った事ないお菓子を作ってきた、と聞いておりますの。ですから……そんなお菓子を今日は食べたいわ」
貴族に嘘をつく事は許されない。できないならば、今ここでできないと言わなければいけない。
カイルは心配してカリンを見つめる、が、カリンは満面の笑みを浮かべ首を縦に振った。
「任せて頂戴。いつもはいっぱい作らなければならないから、作れなかった物も結構あるの。
だから今日はそれを作ってあげる」
自信満々に答えるカリンにリーチェは眉をひそめていた。
「本当に美味しいのですか? さすがに……味のわからない物を奥様の口に入れさせるわけには……」
「ならリーチェが先に食べればよいではないですか。
私は食べられればそれでよいのです」
むっ! リーチェという人は随分失礼な女性だなぁ、とカイルは感じた。カリンが作る食べ物は不味い物など一つもないというのに……。
「カイル、か・お」
カリンはカイルの顔が強ばっているという事を教えてくれた。
いけない! 客前でするべき表情ではなかった。これでは客に不快感を与えてしまう。
客は許されても店員がそれをしてはいけないと、カリンが定めたマニュアルにはあった。
下手に出る必要はないとカイルは感じたが、カリンによると、それが難癖を付けられる元であるあしい。それを極力排除するために、開店当初から気を付けていた。
「それで、どうするの?
あたしとしては、貸し切りにしてお金も貰ってるから、このまま雑談でもいいのだけどね」
「――では作ってください。本当は今まで食べてきた物を、作り立てで食べて貰うつもりでしたが……」
「大丈夫よ。どちらかというと、あたしは今日作るお菓子の方が好きなくらいよ。じゃあ、作ってくるから……カイル、お客様の相手お願いね」
カリンは厨房へと引っ込んでいった。
お願い、と言われても、カイルには年配の女性とどう話して良いかわからなかった。
「店主……カリンと言ったかしら? 貴方、あの娘の弟かしら?」
「いいえ、ぼくは……カリンちゃんの婚約者……です」
最後は小声になってしまった。まだ、はっきり告げるには自信が足りなかった。自分がカリンに相応しいと思えないのだ。
「あら、珍しいのね。婚約なんて貴族だけの慣習だと思っていたわ」
「奥様、その考えで間違えありません。『リトル』の店主たちが特殊なだけですわ」
領主婦人の疑問に、流れるようにリーチェは答えていく。
「リーチェはそう言ってるけど、実際はどうなのかしら?」
「ぼくも聞いた事ありませんでした。カリンちゃんが言い出した事なので……」
「そう、カリンさんは物知りだったのかしらね……」
カリンを褒められ、カイルは嬉しくなってしまう。それでついつい口が軽くなってしまう。
「カリンちゃんは凄いんだよ! いろんな事も知っているし、料理だって上手なんだよ!」
とはいえ、カイルも言ってはいけない事は口には出さなかった。
――二人の魔法。
これだけは絶対に話してはいけない。耳にたこができるくらいカリンに言い聞かされていたからだ。
「そう、……貴方はカリンさんが好きなのね。
あら? ふふっ、顔を真っ赤にして可愛いわね。リーチェもそう思うでしょ?」
「いえ、私は特に……。坊ちゃまの遊び相手になっていたせいか……子供は苦手になってしまって」
「まぁ、あの子ったら……。リーチェに面倒を掛けてたのね」
「ええ、奥様には悪いのですが――」
二人で盛り上がっている主従を尻目に、カイルはどう会話に混ざって良いのかわからなかった。けれど、敢えて混ざる必要もないかと、特に話す事もなかった。
しばらくすると、厨房から甘い匂いが漂ってきた。砂糖の匂いだろうか。でも、どこか違う様な気がする。甘さの中に香ばしさが混じったような香りだった。
「あら? 嗅いだことのない香りね……。
あなた……えっと……名前を聞いていなかったわね」
確かに名乗ってはいなかった。
カイルは領主婦人に向き合って、丁寧に自己紹介をした。
「そう、カイルというのね……。
それでカイル、店主は何を作っているのかわかりまして?」
予想していたとはいえ、その質問には答えられない。何を作っているのか、わからないのだから答えようもなかった。
「ごめんなさい……。ぼくにもわかりません。
新しい商品を作っている時は味見をしているのですけど、今日は……」
カイルは首を振って答える。
もし、機嫌を損ねたらどうなるかと想像してしまい、身体が思わず震え出す。
「奥様、さすがにそれは酷な事かと……。食べた事もない物を作らせているのですから」
「そういえばそうね。意地悪な質問になってしまいましたね。ごめんなさい」
カイルは貴族に頭を下げられて困惑してしまう。
こんな所を他人に見られたら……と思うと、気が気でなかった。
「いいえ! 答えられなかったぼくが悪いんです! どうか頭を上げてください!」
カイルの必死な思いが伝わったのか、領主婦人は「そう、優しいのね」と言って顔を上げた。
それでようやくカイルは落ち着きを取り戻した。
(ふぅ、焦ったなぁ……。それにしてもリーチェさんだっけ? あの人がぼくを助けてくれるなんて……)
先ほどは失礼な人かと感じたが、冷静に物事を見てるだけなのかもしれない。
『感情を排除しなければ、できない仕事もあるのよ』
何時の事だか忘れたが、カリンがそう言っていた事を思い出した。その後に「あたしはやりたくないけどね」とも言っていたが。
これまで会った事はなかったが、もしかしたら、この人がそうなのかもしれない、と漠然ながらカイルはそう思った。
やがて、匂いはさらに強くなってカイルの鼻にたどり着いた。良い匂いだ。食欲が刺激されるのをカイルは感じた。
「なんだか、楽しみで待ちきれなくなってしまったわ……。厨房を覗いてこようかしら」
「奥様、はしたないですよ。座ってお待ちください」
「いいじゃないの、そのくらい。ねぇ、カイル? あなたもそう思うでしょう?」
こっちに振らないでくれ、とカイルは思ったが、聞かれた以上は答えなければいけない。領主婦人――ユリアーヌ・ローゼント・エル・フェルラースに向き直り、口を開いた。
「ローゼント様、香りで色々と想像するのも楽しい物ですよ。
答えを確かめるのは簡単です。けど、いずれをそれはわかるのです。だからそれはどんな物なのか、またどんな味なのだろうと思いを膨らませるのです。そうすると、食べている時にも、あぁ、これは違った、この匂いはこういう味だったのか、と味以外にも楽しむ事ができます」
これは本心だ。カイルは常々、こうしてお肉を堪能していたのだ。
「――想像の味と実際の味。二度味を楽しむ事ができるんです。こんなに嬉しい事はありませんよ。それに、もし当たった場合は嬉しくなりますしね」
カイルはそう締めくくった。
それに深く感銘を受けたのか、ユリアーヌは何度も首肯していた。
「奥様、この者の言うとおりです。
五感を通して全てに楽しむことが貴族のたしなみだと愚考します。ですので……厨房を覗くなどと言う無粋な真似はご容赦を」
「ええ、そうね。私が間違っていたわ。待つのも楽しみの内なのね」
ほっ。何とか乗り切ったとカイルは力を抜く。既にカイルの事を忘れたかのように、リーチェと二人で盛り上がっている。
このままなんとか凌げそうだと考えていると、厨房からカリンの声が聞こえてきた。
「おっまたせー」
そう言ってカリンは手押し車と共に現れた。
すっかりいつも通りのカリンに戻っている。相手が貴族だという事を忘れているのだろうか。さすがにそれはないか。きっといつもの様にどうでもよくなったのだろう。
相手がそれを許すか許さないか、その見極めができているのだろう。短時間でそれができるなんて……とカイルは感心した。
「待ちかねましたわ」
「そりゃごめんねぇ~。でもその分、美味しくできたと思うわよ」
いくら何でも馴れ馴れしすぎると、カイルは冷や汗が出てくる。
「それでこれはどういう物ですの?」
そう言って領主婦人が指し示した物は、黄金色の小さな座布団の様な物であった。所々切れ目が入っているのか、隙間から中に入っている具が顔を出している。
あれはなんだろうか。今日はハクトーを大量に仕入れていたから、やはりハクトーなのだろうか。
近くに行って見たい。けれどあれは伯爵夫人の物だ。だからそうするわけには行かないと、カイルは我慢した。
「これはね……ふふんっ! 『パイ』と言う物よ!」
カリンは手押し車からそれを皿に移し、伯爵夫人の前へと置いた。
「はい、そちらの方もどうぞ」
そう言って、リーチェの前にも『パイ』を置いた。
二人はそれを食べようと手を伸ばす。そこでカリンは「待った」を掛けた。
「それはぼろぼろと零れるから、膝にこれを掛けて頂戴。
あと、フォークで軽く押さえてから、ナイフで切って食べると良いわ。あたしなら手で掴んでそのまま食べちゃうけど……貴族らしくないからね」
カリンはナプキンを二人に手渡し、そう告げた。
零れる? それがどういった物なのかカイルには予想も付かない。見た目では随分としっかりしてる様に見えるが、カリンは取り出す時、丁寧に扱っていた。その事から実は柔らかく、あの切れ目から中身が飛び出るのかもしれない、とカイルは思った。
サクッ
考え事をしていると耳に音が入ってきた。そして現実に目を向けると――。
え? カイルは思わず目を疑った。
二人が『パイ』にナイフを入れると、皮が剥がれるようにボロ、ボロ、と崩れ落ちるのを見た。
「まぁ! まぁ!」
「こ、これは……!」
二人の主従は目を丸くし、『パイ』に驚いている様子だった。それも当然だろう。あの様な重厚感たっぷりの物が、まさか脆いとは思いもしないだろう。
「これは面白いわ!」
「面白いだけじゃなくて、美味しいわよ。サクッサクッとして、タルトとはまた別の食感があるからね。
熱いうちに食べて。『パイ』は冷めたら美味しくなくなるわよ」
「――ゴクッ。奥様、ここは店主の言うとおりに……」
「それもそうですわね。お菓子は食べてこそ……ですものね!」
二人はフォークに刺し、パイを口に入れる。
サクッ
二人が噛んだ途端、カイルの耳にその音が伝わった。
食べている本人どころか、離れた所にいるカイルにまで聞こえる軽快で小気味良い響き。聞いた事もない音に、カイルはそれが未知なる食感であると期待に胸を膨らませる。
すると、お腹の虫が騒ぐのを感じた。
しかし、カイルの腹の音は思ったよりは小さく、サクサクという音に消されてしまった。
(た、助かった~。カリンちゃんに怒られる所だったよぉ)
人前ですらみっともない行為なのに、客の前では意地汚いと思われてしまう。けれどカリンにはしっかりと聞こえていたらしく、「カイルの分は後でね」と耳元で囁かれてしまった。
「食感も面白いですけど、この味……何なのかしら?
メープル味とも違うようですし……。あれは独特な風味ですけど、これは香ばしさが感じられますわね」
「確かに奥様のおっしゃるとおりです。あれより甘みも強い様に思います」
うんうんとカリンは頷き、満足そうにしている。彼女らの反応を見る限り好反応なのは間違いない。
カイルとしては肩の荷が下りた思いだが、カリンは美味しく食べて貰って嬉しい、といったところだろうか。
「それはカラメルよ」
えっ? カイルはプリンに使われているシロップを思い出し、首をかしげた。
確かにあれは甘い物であった。けれど香ばしさなど感じられない。
同様に二人も疑問を覚えたようだ。
「それはプリンに入っているアレ……ですか?」
「アレはここまで香ばしい物ではないような……」
カリンはその問いににんまりと微笑み、口を開いた。
「そりゃそうよ。あれは多少薄めてあるし、冷めているわ。何よりプリンの甘さでカラメルの苦みも緩和しちゃっているもの。
けど、ハクトーのカラメル和えは違うわ。薄めてないし、バターまで焦がす手間を掛けているんだから。
その後さらに、パイ生地と一緒に焼く事で余分な油分を飛ばすのよ。風味がこれでもかって程凝縮――」
くどくどとうんちくをカリンは語っているが、カイルには何の事か理解はできない。
結局の所、美味しければそれでいいじゃないか、とカイルは思う。能書きなんて食べる人にはどうでもいい事なのだから。
しかし、それを知りたいという人も中にはいるのだろう。二人の主従は耳を澄ませてそれを聞いている。時折質問もしている事から味を再現しようと考えているのかもしれない。
けど、それは無理だろう。カリンは肝心な所でぼかしている。
ハクトーのカラメル和えなら確かに作れるかもしれない。カリンもそこは、しっかりとその作り方を説明していた。
そもそもタルトに乗せる具でもあるのだ。店の従業員にすら作らせている様な程度なのだ。だから知られてもいいという思惑もあったのだろう。
しかしながら、『パイ』の作り方は一切触れていない。むしろハクトーの香ばしさに話を誘導している気さえしてしまう。
『情報はお金』という考えを持っているカリンだからこそ、秘密に優劣を付けられるのだろう。
「ごちそうさま」
「ごちそうさまでした」
いつの間にか食べ終えていたようだ。よほど美味しかったのだろう。皿に零れた『パイ』の皮すら、綺麗さっぱりなくなっていた。
「それで満足したかしら?」
「ええ、この様な物は初めて食べましたわ」
「そう、それはよかったわ」
そこでリーチェが声を上げた。
「店主。これを持ち帰る事はできますか?」
「……残念だけど無理ね。
さっきも言った様に、これは暖かくないと美味しくないの。確かに食感は残るわ。けど、空気中の水分を吸収して、表面はペニャってしてしまうの。
だから食感も微妙になると共に、後はご覧の通り脆いわ……。持ち帰る間にぼろぼろになってしまう事も考えて無理ね」
「そう……ですか……。他の女中たちにもと思ったのですが、あと坊ちゃまにも……」
「あら? リーチェ、子供は嫌いではなかったの?」
「坊ちゃまは甘い物が好きですし……。そもそも使用人として、好き嫌いで態度を変えるのは使用人として間違っています」
「リーチェは真面目ね」
そんな二人のやり取りを見て、カリンは「ツンデレね」と呟いていた。
やがて二人の主従は去っていった。冷めた『パイ』とハクトーの『タルト』と共に。
「なんだかんだで持って帰ったわね」
「それだけ美味しかったってことじゃないの?」
「それでもいいから」とリーチェの主張によって、カリンは折り詰める事になった。「揺らさないようにね」とカリンは言っていたが、正直無理ではないかと思っている。
歩くならばそれも可能だろう。両手で抱えれば揺らさないで持って帰れる。しかし、彼女たちは馬車で来ているため、ガタガタと揺れてしまうだろう。
「――まぁ、苦情さえ言われなければ何でも良いけどね。あれだけ言い聞かせたわけだし、多分大丈夫でしょ」
「それよりカリンちゃん。僕たちも食べようよ」
冷めたら美味しくないと聞いたからには、早く食べないと、という思考が働く。ただでさえ、接客で冷めかけているのだ。これ以上冷ます訳にはいかない。
「そうね。まぁ、カイルが好むとは限らないけど、食べましょうか」
そう言って二人は店の中へと入っていく。
そして早速『パイ』を口に入れた。
サクサクとして食感は面白いけど、ぼろぼろ零れて食べづらい。それに甘すぎる。カイルはそこまで絶賛するほど美味しいとは思えなかった。
その様子を見て取ったのか、カリンは苦笑して「やっぱりね」と言っていた。
「どうしてわかったの?」
「カイルは甘党じゃないからね。そのくらいわかるわよ。
このパイは特に甘くなる様に作ったもの。カイルに合わせた物じゃないからそう感じるのも当たり前だわ」
「じゃあ、誰もが美味しいって思う物じゃないの?」
「そうよ。そこが料理の面白いところだわ。
相手の事を思って、相手のために作る。それが料理なのよ。
このパイはあのローゼント様ご一行を思って作った物だから、カイルには合わないのよ」
けれど、多くの人が美味しいと思わないならば、商品としては成り立たないのではないか。
その事をカリンに聞いた。
「ええそうよ。なるべく全員に美味しいと感じさせる味にするのが商品よ。
誰かが特別美味しいと感じる物は作る必要はないわ。だからその人の一番でなくともいいの。二番三番でいいのよ」
商品化は如何に難しい事であるかカリンは語る。
それを聞いたカイルは、大変なんだなぁ、と感じた。




