第43話 祝杯と影
「かんぱーい!」
シーエンが勢いよくジョッキを掲げ、そのままごくごくとビールを流し込む。喉を鳴らす音がやけに豪快だ。
ラルヴィクは無言で自分のグラスに触れ、魔力をほんのわずかに流す。表面に霜がうっすらと浮かび、冷気が立ちのぼった。
サリアが首を傾げる。
「ご主人さま?」
「冷やしたほうが美味い」
何事もないように答え、ラルヴィクは一口飲む。
リーシアが興味深そうに覗き込んだ。
「ラルヴィクさんは魔力の扱いが本当に器用ですよね。全属性が使えるのですか?」
「俺は魔力に属性を持たない。ただ、適切に制御すれば似た現象は再現できる」
「初耳ね」とシーエンが笑う。
ラルヴィクは肩をすくめるだけで、もう一口ビールを流し込んだ。
サリアが控えめに言う。
「私のも……冷やして頂けますか?」
「構わない」
同じように指先で触れ、冷気を落とす。
サリアも恐る恐る口をつける。
「実は初めて飲みましたが……良さは……」
「慣れれば美味い」
リーシアがすかさず自分のグラスを差し出す。
「私のも冷やしてください」
ラルヴィクは小さくため息をつきながら、同じ処理を施す。
リーシアが一口飲み、ぱっと表情を明るくした。
「美味しい!」
シーエンが身を乗り出す。
「私のも冷やしてよ〜」
「俺は冷蔵庫ではない」
「冷蔵庫?」
サリアが不思議そうに呟く。
ラルヴィクは一瞬だけ考え、言葉を探す。
「……冷やすための箱だ」
「昔、魔道具として作ろうとした」
「便利ですね」とリーシア。
「あなたが一番便利だけどね」とシーエンが笑う。
酒場の喧騒に紛れて、四人の空気は穏やかだった。
だがラルヴィクの視線は、時折窓の外へ向かう。
祝宴のはずなのに、どこか落ち着かない。
その様子に、サリアだけが気づいていた。
酒も進み、店内の喧騒も一段と大きくなってきた頃。
シーエンの頬はすっかり赤い。
「ラルヴィクさん!」
ぐいっと身を乗り出し、彼の肩を揺さぶる。
「ヴィケルさまのこと考えてるんでしょ?」
「いや、考えていない」
即答だった。
だが、ほんの一瞬の間を、サリアは見逃さない。
リーシアがぽつりと呟く。
「王国の紋章」
ぴたり、と空気が止まる。
サリアがすぐに小声で言う。
「リーシアさん、今は良くないタイミングで呟きましたね」
「あら」
リーシアは悪びれない。
シーエンが両手をぶんぶん振った。
「忘れましょう!今日は祝宴!A級よ!」
ラルヴィクはグラスを傾ける。
「証拠がない以上、憶測だ」
「でも疑ってるんでしょ?」とシーエン。
「可能性を並べているだけだ」
静かな口調。
だが、その目は笑っていない。
サリアがそっとグラスを持ち上げる。
「今は、昇格を祝いましょう」
リーシアも合わせる。
「そうですね。戦う相手は決まっていませんが、味方はここにいます」
シーエンが笑う。
「いいこと言うじゃない」
ラルヴィクは三人を順に見る。
ほんのわずか、表情が緩む。
「……ああ。今はそれでいい」
再びグラスが触れ合う。
夜も更け、酒場の喧騒が背後へ遠ざかる。
石畳を歩いているのは、ラルヴィクただ一人。
――いや、正確には一人“だけ”が自力で歩いていた。
その背後には、奇妙な光景。
三本の細い魔力糸が夜の空気に溶けるように伸び、その先で――
シーエン、サリア、リーシアが、ふわりと吊られるように浮かんでいる。
酔い潰れた三人は、抵抗する気力もない。
「ラルヴィクさぁん……駄目よぉ……そんな雑に運んじゃ……」
シーエンがぐでっとした声を漏らす。
「ご主人さまったら……もう少し優しく……」
サリアもふらふらと揺れる。
「もっと飲むの……まだ楽しいのに……」
リーシアは完全にご機嫌だった。
ラルヴィクは無言で歩き続ける。
夜風が三人の髪を揺らし、時折軽くぶつかり合う。
「……騒がしい」
小さく呟き、ため息をつく。
だが糸の制御は極めて繊細で、三人の身体に負担はかからない。
まるで、丁寧に抱きかかえているかのような魔力操作。
城の門が見えてくる。
「明日は普通に起きろ」
返事はない。
三人はすでに、穏やかな寝息を立てていた。
ラルヴィクはもう一度だけため息をつき、
静かな城へと足を踏み入れた。
城の扉を開け、ラルヴィクは三人を応接間へ運ぶ。
魔力糸を緩めると、ソファと床に柔らかく着地する。
シーエンはそのままラルヴィクの腕を掴んだ。
「逃げないで……」
「逃げん」
「ならいい……」
満足したようにそのまま寝息を立てる。
サリアは半分眠りながらラルヴィクの服の裾を握る。
「ご主人さま……ここに……」
「いる」
短く答えると、指先の力が抜ける。
リーシアは床に寝転がったまま、ぼんやり天井を見ている。
「……静寂さん」
「なんだ」
「ここ、好きです」
「そうか」
それだけ言うと、彼女も目を閉じた。
静かな城に、三人の寝息が重なる。
ラルヴィクはしばらく立ったまま眺める。
騒がしくて、面倒で、厄介で。
――悪くない。
小さく息を吐き、灯りを落とす。
「おやすみだ」
返事はない。
だが空気だけが、やけに温かかった。
三人の寝息を背に、ラルヴィクは自室へ戻る。
扉を閉め、指先を軽く振る。
空間が歪み、床の中央に一体の小型ミスリルゴーレムが転がり出た。
破壊された個体の残骸。
胸部に残る魔法陣の焼け跡。
そして――後頭部。
王国の紋章。
ラルヴィクは無言で膝をつく。
指先から細い魔力が流れ出し、床に複雑な解析陣が展開される。
幾何学的な紋様が幾重にも重なり、光の輪がゆっくりと回転を始める。
「……単純な偽装ではないな」
魔力を通す。
ミスリル内部の回路が、わずかに反応する。
静寂の魔力に触れた瞬間だけ、別系統の魔法陣が起動する。
――拒絶機構。
「俺の魔力特性を知っている設計か」
解析陣がさらに深く沈む。
内部構造が透過され、魔力の流路が浮かび上がる。
「王宮式……だが、癖が違う」
完全な再現ではない。
どこか、わずかに歪んでいる。
「模倣か……それとも意図的な撹乱か」
ラルヴィクの目が細まる。
王国の紋章を指でなぞる。
刻印は本物だ。
だが――
「……浅い」
本当に王宮が仕掛けるなら、こんな露骨な痕跡は残さない。
静かな部屋で、魔法陣の光だけが揺れる。
「ヴィケルではない」
断定ではない。
だが、直感はそう告げている。
解析陣が最後の回転を終え、ゆっくりと消えた。
ラルヴィクは立ち上がる。
窓の外、辺境の夜は静かだ。
「誰が仕掛けた?」
低く呟く。
そして――
城のどこかで、微かに床が軋む音がした。
ラルヴィクの視線が、静かに扉へ向いた。




