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第38話 いきなり


 翌朝。


 城のキッチンに入ると、すでにサリアが朝食の準備をしていた。


「おはようございます、ご主人さま」


「ああ、おはよう」


 香ばしい匂い。

 パンとスープが並んでいる。


 ラルヴィクは椅子に座りながら呟いた。


「この城に来てから、食事がちゃんとしてきたな」


「それは……以前は?」


「乾パンと干し肉だ」


 サリアが一瞬だけ固まる。


「……よく生きてましたね」


「問題なかったぞ」


 そこへ――


「おはよー……」


 眠そうな声。


 階段を降りてきたシーエンは、まだ寝巻き姿だった。

 髪も少し乱れている。


 そのままラルヴィクの背中に寄りかかる。


「寒い……」


「まだ朝だからな」


 何の疑問もなく、ラルヴィクは自分の上着を脱いで肩にかけた。


「これを使え」


「やさし……」


 シーエンがそのまま頬を背中に押しつける。


 サリアの手が止まった。


 パンを切るナイフが空中で固まる。


「……シーエンさん?」


「なに?」


 サリアはシーエンを見つめる。


「早い者勝ちよ」


「勝負してません!」


 ラルヴィクはスープを飲みながら言う。


「仲が良いのは結構なことだ」


「「違います!」」


 声が揃った。


 ラルヴィクは首をかしげる。


「違うのか?」


 シーエンは小さく笑い、さらに密着する。


「この人、本気でわかってないわよ」


「ええ、わかってませんね……」


 サリアは額を押さえた。


 そして二人は同時に思う。


(この人、危険だ)


 無自覚に距離を詰める男ほど厄介な存在はない。


 ラルヴィク本人だけが、

 平和な朝だと思っていた。


 そこにはらり、と。


 一通の書簡が、机の上に落ちた。


 封蝋には、見慣れた王宮の紋章。


「……次元の魔道士。シーエン宛だな」


 ラルヴィクが淡々と告げる。


「えっ!?」


 シーエンが勢いよく身を起こす。


「ちょ、ちょっと待って!

 私の居場所、バレてるの!?」


「どういうことだ?」


 ラルヴィクが眉をひそめる。


「俺の監視任務じゃなかったのか?」


 サリアが不安そうに身を乗り出す。


「手紙には……何と書いてあるのですか?」


 シーエンはごくりと喉を鳴らし、書簡を開いた。


「……ええと」


 一度、深呼吸。


「――次元魔道士、シーエン。

 静寂の魔道士の元にいることは把握している」


「……完全にバレているな」


 ラルヴィクがため息をつく。


「なら、帰るんだな」


「ちょっと待って、まだ続きがある!」


 シーエンは慌てて読み進める。


「えっと……」


 そして。


 次の一文を、声に出した。


「――よって、辺境にて魔族に対し応戦せよ」


「……応戦?」


 ラルヴィクが聞き返す。


 一瞬の沈黙。


 次の瞬間――


「やったぁぁぁ!!」


 シーエンが両手を上げて跳ねた。


「帰らなくていいんだ!!

 しかも任務付き! 正式に!!」


 サリアが目を瞬かせる。


「……つまり?」


「つまりね」


 シーエンは、満面の笑みでラルヴィクを見る。


「これからも一緒にいられるってこと!」


「そういう解釈でいいのか……?」


「いいの!」


 断言。


 ラルヴィクは首をかしげたが、特に深く考えなかった。


「そうか。なら、当面はここにいるんだな」


「うん!」


「……王宮魔道士を二人も辺境に、か」


 ラルヴィクは書簡を机に置き、腕を組んだ。


「しかも“応戦”か。

 魔族の動きが、表に出てきている可能性があるな」


 その言葉に、シーエンが口角を上げる。


「なら、聞いてくる」


「聞いてくる?」


 ラルヴィクが問い返した、その瞬間。


 ――ブゥン。


 空気が震え、

 シーエンの姿が掻き消えた。


「えっ!?」


 サリアが思わず声を上げる。


「い、今の……!」


「気にするな」


 ラルヴィクは落ち着いた様子で言う。


「王宮にワープしたんだろう」


「そ、そんな簡単に……?」


「シーエンなら問題ない」


 即答だった。


 サリアはその言葉に、少しだけ目を見開く。


(……迷いがない)


 信頼している。

 それも、ごく自然に。


 城の中には、二人分の沈黙が残る。


「……すぐ戻ってきますよね?」


「ああ。用が済めば、だな」


 ラルヴィクはそう言って、再び書簡に目を落とした。




魔導宮。


 高い天井の下、巨大な地図が広げられていた。

 魔族領と王国の境界線。

 いくつもの印が、赤く書き込まれている。


 万能の魔道士――ヴィケルは、その地図を静かに眺めていた。


「ヴィケルさま」


 背後から、シーエンが声をかける。


「私は……本当に辺境でいいの?」


 ヴィケルは視線を地図から離さない。


「魔族領に、巨大な魔力が動きが出した」


 淡々とした口調。


「王宮には、他の魔道士を呼び戻す。

 防衛と内政のためにな」


 シーエンは、少しだけ目を細める。


「……じゃあ」


「シーエン」


 ヴィケルはそこで、ようやく振り返った。


「お前は、静寂とともに魔族領を牽制しろ」


 その言葉に、迷いはなかった。


「前線だ。

 だが、今の王国に最も必要な場所でもある」


 シーエンは一瞬だけ考え、すぐに頷く。


「承知しました」


 次元が、歪む。


 彼女の姿は、その場から消えた。



 ――次の瞬間。


「ラルヴィクさーん! ただいまー!」


 背中に、急に重みが加わる。


「……帰ってきたのはいいが」


 ラルヴィクは歩みを止め、淡々と問う。


「なぜ、背中なんだ?」


「だって、ここが一番安全そうだったんだもん」


 シーエンは楽しそうに言う。


「辺境に居ていいって!

 魔族領を牽制しろ、だってさ!」


「牽制……?」


 ラルヴィクの表情が、わずかに引き締まる。


「何か動きがあるのか?」


「へへ」


 シーエンは、少しだけ視線を逸らした。


「……あんまり聞いてなかったわ」


「……」


 ラルヴィクは、何も言わずにため息をついた。


 その背中で、シーエンは満足そうに微笑っている。


 そしてシーエンが背中から降りたとき、


 ――ドンッ。

 重さが、背中に乗った。


 「……シーエン、いい加減に――」


 ラルヴィクは、ため息交じりで言いかけ、

 そのまま言葉を止めた。


 「……誰だ?」


 背中にあるのは、シーエンの気配ではない。

 小さな体重。

 柔らかい感触。

 そして――完全に知らない存在感。


 背中の上から、弾むような声が降ってきた。


 「おはようございます」


 やけに丁寧で、妙に明るい声。


 「挨拶は……こんな感じで、よろしいんですよね?」


 少し首を傾げる気配。


 「――静寂さん?」


 その呼び名に、空気が一瞬で凍りついた。


 シーエンが、無意識に一歩下がる。


 「……この子……もしかして……」


 言葉を最後まで言えず、目を見開く。


 ラルヴィクの背中から、少女がぴょん、

 と軽やかに飛び降りた。


 銀色の髪。

 人間と変わらない背丈。

 角はない。翼もない。


 だが、どこか人ではあり得ない均整。


 年相応の無邪気な笑顔なのに――

 その場にいる誰もが、本能的に息を詰める。


 魔力の揺らぎが、一切ない。


 隠しているのではない。

 溢れてもいない。

 ただ、最初から“測れない”。


 サリアが、ぽつりと純粋な感想を口にする。


 「……可愛いじゃないですか?」


 その瞬間。


 シーエンが、はっきりと息を呑んだ。


 「サリアちゃん……その感想、ある意味一番危ないわ」


 少女は気にした様子もなく、にこっと笑い、

 ラルヴィクを見上げる。


 「突然お邪魔してごめんなさい」


 両手を後ろで組み、少し前屈みになる。


 礼儀正しい。

 だが、王族特有の遠慮のなさが滲む所作。


 「でも、どうしても会ってみたくて」


 一拍。


 「噂の“静寂”さん」


 ラルヴィクは、低く問い返す。


 「……誰の差し金だ?」


 少女は、きょとんと目を瞬かせた。


 「差し金?」


 少し考えるように首を傾げ、

 そして――あっさりと笑う。


 「いいえ。私、自分の意思で来ました」


 その笑顔に、悪意はない。

 打算もない。

 だが――軽さが、異常だった。


 「だって」


 少女は、心底楽しそうに言う。


 「あなたの近くにいると、魔力が静かになるんです」


 それが、どれほど異常な発言か。


 「王族として生きてきて、そんな場所、初めてでしたから」


 沈黙。


 シーエンが、視線を逸らさず、低く呟く。


 「……ねえ、ラルヴィクさん」


 「なんだ」


 「この子……魔力量が」


 サリアが不思議そうに首を傾げる。


 「どうしたんですか?」


 「人ではない量よ」


 シーエンは、少女から目を離さない。


 「魔族の中でも――

  “王が命じる側じゃなく、頭を下げる側”」


 少女は、少し照れたように頬を緩める。


 「そこまで言われると……恥ずかしいですね」


 そして、まるで当然のように、

 ラルヴィクの袖を指先で引いた。


 「ねえ、静寂さん」


 近い。

 距離が、異常に近い。


 「しばらく……ここに居てもいいですか?」


 命令ではない。

 懇願でもない。


 居場所を“選んだ”だけの問い。


 その瞬間、

 城の空気が、目に見えない圧で沈み込んだ。


 サリアは胸の奥が、少しだけざわつくのを感じる。


 魔人は――

 背中からやって来て、

 そして、何食わぬ顔で居場所を奪いに来たのだった



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