第34話 揺れる
「……冗談よ」
固まった空気を、シーエンはあっさりと切り裂いた。
両手をひらひらと振り、肩をすくめる。
「そんな顔しないで。昔から言ってたじゃない。
“もしラルヴィクさんが結婚するなら、最初に立候補する”って」
冗談めかした口調。
軽くて、気楽で、いつものシーエンだ。
――だが。
サリアは、その言葉を冗談として受け取れなかった。
(……昔から?)
胸の奥が、ちくりと疼く。
ラルヴィクは額に手を当て、小さく息を吐いた。
「シーエン。そういう言い方は誤解を生む」
「誤解?」
シーエンは一歩近づき、首を傾げる。
「じゃあ聞くけど。
ラルヴィクさん、“絶対に違う”って言える?」
沈黙。
ほんの数秒。
だが、その数秒が、サリアにはやけに長く感じられた。
ラルヴィクは視線を逸らし、いつもの調子で答える。
「……その話題は今じゃない」
「ほら」
シーエンは、にやりと笑った。
「否定しない」
その瞬間。
サリアの胸の奥で、
言葉にならない感情が静かに膨らんだ。
焦り。
不安。
そして――
(……私も、ちゃんと考えなきゃ)
サリアは、ぎゅっと拳を握る。
シーエンは、その様子を横目で見ながら、内心で思った。
(……大丈夫。
本気になるのは、ちゃんと“その時”まで待つわ)
揺さぶりは、十分。
翌朝。
城の食堂には、いつも通りの静かな時間が流れていた。
焼いたパンの香りと、コーヒーの湯気。
……ただし、一点を除いて。
「ねえ」
シーエンが、パンをちぎりながら首を傾げる。
「どうして私は、今“冒険者登録しない?”って流れになってるの?」
「戦力があれば助かるだろう」
ラルヴィクは至極当然のように答えた。
「この辺境は人手不足だ。
それに、シーエンなら危険も少ない」
「……」
シーエンは一瞬、言葉を失った。
「ちょっと待って」
カップを置き、身を乗り出す。
「ラルヴィクさん。
あなた、研究費は?」
「出ていない」
「給料は?」
「止まっている」
「えっ?」
サリアが思わず声を上げる。
シーエンの目が見開かれた。
「……えっ?
それって、普通におかしくない?」
「そうか?」
「そうよ!!」
テーブルを軽く叩く。
「王宮魔道士よ!?
研究費なし、給料なしって……」
一拍置いて、言葉を選ぶ。
「……クビになったんじゃないの?」
サリアが息を呑む。
ラルヴィクは、少し考えてから答えた。
「かもしれんが」
そして、淡々と付け加える。
「左遷だ」
「……」
シーエンは、額に手を当てた。
「信じられない……
それで生活どうしてるのよ」
「冒険者だな」
さらっと言い切る。
「依頼はあるし、素材も売れる。
研究に必要なものも揃う」
シーエンは、しばらく無言だった。
やがて、ふっと笑う。
「……なるほど」
そして、サリアを見る。
「この子がいなかったら、
相当ひどい生活してたでしょ」
「……否定はしない」
サリアの胸が、きゅっと締め付けられる。
(私が……支えてる、の?)
シーエンは椅子にもたれ、にやりとした。
「決めた」
「何をだ」
「私も冒険者になる」
ラルヴィクは頷いた。
「助かる」
即答。
その一言で、
サリアの心臓が跳ね、
シーエンの笑みが深くなる。
(――やっぱり、この人)
自覚ゼロで、人を囲いに来るタイプね
火は、さらに大きくなっていた。
冒険者ギルド
ギルドの扉を開いた瞬間、空気がわずかにざわついた。
理由は明白だった。
サリアの隣を歩く、涼しげな紫髪の女性。
身なりは簡素だが、どこか浮世離れした雰囲気を纏っている。
「……また増えた?」
「静寂のところ、美女率高くない?」
囁きがあちこちから聞こえる。
受付カウンターに到着すると、受付嬢が顔を上げ――固まった。
「……あの、今日はどういったご用件でしょうか?」
「冒険者登録だ」
ラルヴィクが答える。
「こちらの――」
「シーエンです」
本人が軽く手を挙げた。
「よろしく」
受付嬢は一瞬、迷ったように視線を泳がせた後、水晶を差し出す。
「では……こちらに手を」
シーエンは特に気負う様子もなく、水晶に触れた。
――次の瞬間。
水晶が、歪んだ。
光が走り、表面に無数の層が重なって映る。
明滅し、焦点が合わず、まるで空間そのものを映しているかのようだった。
「……え?」
受付嬢が息を呑む。
周囲の冒険者たちも、次第に気づき始める。
「水晶、壊れてないか?」
「いや、これ……反応してる?」
シーエンは首を傾げた。
「あら?
あんまり相性良くないのかしら」
「逆です!!」
受付嬢が慌てて叫ぶ。
「え、ええと……測定が……測定できません!」
ざわっ、と空気が揺れる。
サリアは不安そうにラルヴィクを見る。
「ご主人さま……」
「問題ない」
ラルヴィクは即答した。
「たまにある」
「たまに!?」
受付嬢は半泣きだ。
結局、別の測定器が持ち出され、書類が増え、確認が走り――
「……暫定、Bランクからの登録になります」
「えー、低くない?」
シーエンが不満げに言う。
「規定ですから!!」
「まあいいわ」
肩をすくめ、ラルヴィクを見る。
「ラルヴィクさんと同じランクね」
「そうなるな」
サリアの胸が、また少しざわついた。
(同じ……)
受付嬢は最後に、恐る恐る尋ねる。
「……あの、ご関係は?」
ラルヴィクは一拍置いて答えた。
「昔の知り合いだ」
「一緒に寝てました」
即座に重ねるシーエン。
「!?」
受付嬢が固まる。
サリアが凍る。
「シーエン」
「冗談よ、冗談」
笑いながらウインク。
だが――
ラルヴィクは否定しなかった。
ギルド内に、
新たな誤解と期待が広がっていくのを、
誰も止められなかった。
シーエンは掲示板に向う。
「じゃあ、これで」
シーエンは掲示板の前に立つと、ほとんど迷いもなく一枚の依頼書を指さした。
「討伐依頼で!」
「えっ?」
サリアが目を瞬かせる。
受付嬢も一瞬だけ固まったが、すぐに依頼書を引き抜いた。
「……問題ありません。
ランク条件も満たしていますし、実績も十分です」
にこりと営業用の笑顔。
「よろしくお願いします」
「ほらね」
シーエンは楽しそうに言った。
「こういうのは運よ。
悩んでも当たる時は当たるし、外れる時は外れるんだから」
「ずいぶん豪快ですね……」
サリアが呆れ半分、感心半分で言う。
ラルヴィクは依頼書に目を通しながら、いつも通りの調子で付け加えた。
「問題ない」
「ご主人さま?」
「シーエンは次元魔法の使い手だ。
何があっても逃げられる」
「え」
サリアの声が裏返る。
「それ、私たちは置いてけぼりじゃないですか?」
「その時は、その時だ」
「軽い!」
サリアが思わず声を上げる。
シーエンはくすっと笑った。
「大丈夫よ。
ちゃんと連れていくから」
その“ちゃんと”が、
どこまで信用していいのか分からない笑顔だった。
こうして三人はギルドを後にする。
目的地は――
荒野に残された古い遺跡。
風に削られた石柱と、
人の気配が途絶えて久しい場所。
シーエンは歩きながら、ふと思ったように言った。
「ねえ、ラルヴィクさん」
「何だ」
「遺跡って、だいたい面白いこと起きるのよね」
サリアは、嫌な予感を振り払うように拳を握った。
その依頼が、
ただの“運任せ”では済まないことを――
まだ誰も口にはしなかった。




