第27話 ディラマスとの決別
ローレン・ディラマスとの二度目の会談
城の応接間。
前回と同じ席。
同じ距離。
だが、空気だけが違っていた。
ラルヴィクが、先に口を開く。
「この書簡に従う気はない」
簡潔な言葉。
ローレン・ディラマスは、
一瞬だけ目を細めた。
「……そうですか」
落ち着いた声。
だが、内心を測るような間。
「では」
彼は当然のように続ける。
「バルディラマス――
サリアの身柄は、
こちらで引き取らせていただく」
それが、
“次の一手”だと信じて疑っていない口調。
ラルヴィクは、
即座に答えた。
「それも出来ない」
ローレンが、
ぴたりと動きを止める。
「……は?」
初めて、
素の声が漏れた。
「待ってください」
わずかに声が荒くなる。
「書簡を拒否するのは自由です」
「ですが、身柄の引き渡しは――」
「ディラマス家の内政だと
言うつもりか?」
ラルヴィクが、
淡々と遮る。
「ええ、当然です」
ローレンは言い切った。
「バル家は滅びた」
「生き残りは、
管理されるべき存在です」
ラルヴィクは、
ゆっくりと立ち上がる。
椅子の脚が、
小さく音を立てた。
「なら、
一つ聞こう」
ローレンを見る。
「サリアは、
今もディラマス家の
庇護下にあるのか?」
「……何を」
「違うだろう」
声は静か。
だが、断定だった。
「追い出し」
「切り捨て」
「忘れた」
「それが、
ディラマス家の選択だった」
ローレンの眉が、
ぴくりと動く。
「それを今更、
“家の人間だ”と?」
ラルヴィクは、
首を振った。
「都合が良すぎる」
「……ラルヴィク殿」
ローレンの声が、
冷たくなる。
「それは感情論です」
「いいや」
ラルヴィクは、
はっきりと言った。
「これは、
拒絶だ」
ローレンが、
言葉を失う。
「サリアは渡さない」
「書簡にも従わない」
「ディラマス家の
流儀にも乗らない」
静かに、
だが確実に。
「……貴方は」
ローレンが、
噛み締めるように言う。
「ディラマス家を
敵に回すおつもりですか?」
ラルヴィクは、
一瞬だけ考え、
答えた。
「いいや」
「敵に回る気はない」
「ただ――」
視線が、
真っ直ぐに刺さる。
「操られる気が、
一切ないだけだ」
沈黙。
ローレンは、
ようやく理解した。
この男は、
脅しても。
縋っても。
取引しても。
――動かない。
「……承知しました」
ローレンは、
深く息を吐いた。
「父には、
そのまま伝えましょう」
立ち上がり、
踵を返す。
「後悔なさらぬように」
扉が閉まる。
ラルヴィクは、
小さく呟く。
「後悔するのは――
そっちだ」
ローレン・ディラマスが去った後。
城には、
重たい静けさだけが残った。
サリアは、
まだ先ほどの会話を消化しきれていない様子で、
俯いたまま立っている。
ラルヴィクは、
そんな彼女を一度見てから、
ぽつりと口を開いた。
「……サリア」
「俺は、
今日から姓を名乗ろうと思う」
サリアは、
一瞬きょとんとした顔になる。
「……姓、ですか?」
「そうだ」
ラルヴィクは、
窓の外に目をやりながら続ける。
「俺は平民だ」
「平民から王宮魔道士になった」
「だから、
姓を持っていない」
それは事実として、
淡々と語られる。
「名乗る必要も、
今までは感じなかった」
「静寂の魔道士、
それで十分だったからな」
サリアは、
黙って聞いている。
「だが」
ラルヴィクは、
視線を戻した。
「姓を名乗る資格は、
王宮魔道士であるから有している」
言葉を選ぶように、
一拍置く。
「誰かを、
正式に庇護する立場として」
サリアの肩が、
わずかに揺れた。
「サリア」
「お前に、
俺と同じ姓を名乗らせる」
「俺の庇護下に入れる」
あまりにも真っ直ぐな言葉。
サリアの思考が、
一瞬止まる。
そして。
「……えっ」
顔が、
みるみる赤くなっていく。
「そ、それって……」
声が、
上ずる。
ラルヴィクは、
そこで初めて
違和感に気づいた。
「……ん?」
「何を想像している」
サリアは、
口を開いたまま、
言葉を失っている。
ラルヴィクは、
少し困ったように言った。
「誤解するな」
「これは、
法的な庇護の話だ」
「ディラマス家から
完全に切り離すための
最も確実な手段で――」
そこで、
一度言葉を切る。
「……迷惑なら、
別の方法も取る」
視線を逸らしつつ。
「無理にとは、
言わん」
その瞬間。
「いえ!」
サリアが、
思わず声を上げた。
「よ、喜んで……!」
即答だった。
ラルヴィクが、
驚いてサリアを見る。
「……即決だな」
サリアは、
胸の前で手を握りしめ、
頬を赤くしたまま言う。
「だって……」
「ご主人さまの名前を
名乗れるんですよね?」
「それって……
すごく、
大切なことだと思います」
ラルヴィクは、
一瞬だけ言葉に詰まり、
「……まあ、
庇護という意味では
そうだが」
と、
妙に歯切れの悪い返事をした。
「ただ問題が一つある」
サリアが、
小首を傾げる。
「問題?」
「どういった姓にするか、
まだ決めていない」
ラルヴィクは、
腕を組む。
「今まで
どうでもいいと
思っていたからな……」
サリアは、
一瞬考え、
そして、
少しだけ照れた笑みを浮かべた。
「……ゆっくり、
考えればいいと思います」
しばらく、
二人とも黙っていた。
ラルヴィクは、
腕を組んだまま、
天井を見上げる。
「……決めた」
唐突な一言。
サリアが、
顔を上げる。
「姓は――
アルヴェンにする」
「ラルヴィク・アルヴェンだ」
サリアは、
一瞬その名を
口の中で転がす。
「……アルヴェン」
不思議そうに、
もう一度。
「どういう意味なんですか?」
ラルヴィクは、
ほんの少し考え、
「……さあな」
と、
肩をすくめた。
「何となくだ」
あまりにも素っ気ない答え。
サリアは、
じっとラルヴィクを見る。
「本当に……
それだけですか?」
ラルヴィクは、
視線を逸らしながら言った。
「深い意味を持たせると、
面倒だろう」
「家名なんて、
縛りになるだけだ」
そう言ってから、
一拍置く。
「ただ」
サリアのほうを見て、
続けた。
「過去とも」
「ディラマスとも」
「黄昏とも」
「どこにも属さない名が
いいと思った」
サリアの胸が、
静かに高鳴る。
「……では」
恐る恐る、
確認するように。
「私も……?」
「ああ」
即答だった。
「今日から、
サリア・アルヴェンだ」
その瞬間。
サリアの思考が、
完全に止まった。
「……」
顔が、
一気に赤くなる。
「サ、サリア・アルヴェン……」
小さく、
何度も繰り返す。
ラルヴィクは、
その様子を見て、
少しだけ眉をひそめた。
「……何を想像している」
「い、いえ!」
「べ、別に!」
明らかに動揺。
サリアは、
胸に手を当て、
深呼吸をしてから言った。
「……ありがとうございます」
「その名前、
大切にします」
ラルヴィクは、
少しだけ照れたように、
視線を逸らす。
「庇護の話だ」
「勘違いするな」
サリアは、
にこりと微笑んだ。
「はい」
――その笑顔が、
どういう意味での「はい」か。
ラルヴィクは、
考えないことにした。
こうして。
この日から彼女は、
バルディラマスの名を捨て、
サリア・アルヴェンとして
生きることになる。
それが、
どれほど重い意味を持つか。
まだ、
二人とも知らなかった。




