表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/52

第25話 サリアと獅子紋章


 騎士団の代表は、

 城の応接室へと案内された。


 無駄のない動き。

 鎧の擦れる音すら、

 必要最小限に抑えられている。


「私の名は――

 ローレン・ディラマスだ」


 そう名乗った男は、

 三十代半ばほど。


 獅子の紋章を刻んだ外套を纏い、

 その背筋は

 剣のように真っ直ぐだった。


「ディラマス、か……」


 ラルヴィクが、

 小さく呟く。


 ローレンは、

 その言葉を聞き逃さなかった。


「ディラマス家ですが、

 何か?」


 問い返す口調は丁寧だが、

 視線は明らかに

 ラルヴィクの後ろ――

 サリアへ向いていた。


 ラルヴィクは、

 一瞬だけ目を細める。


「何でもない」


「で、要件は?」


 ローレンは、

 わずかに口角を上げた。


「我が家の分家……

 いえ、正確には

 “過去の話”になりますが」


「――バル家の人間が

 見つかったと聞きました」


 その瞬間、

 サリアの肩が

 びくりと跳ねた。


「引き取りに参りました」


 ラルヴィクの声は、

 低く落ち着いている。


「……サリアのことか?」


「ええ」


 ローレンは、

 迷いなく頷いた。


「バル家の人間は、

 国家転覆を

 目論んでいたため」


「すでに――

 処刑を行っています」


 空気が、

 凍りついた。


 サリアの顔色が、

 一気に失われる。


 呼吸が浅くなり、

 指先が震え始めた。


「……っ」


 言葉にならない声。


 ローレンは、

 淡々と続ける。


「その首謀者は

 “黄昏の魔女”」


 ラルヴィクの眉が、

 わずかに動いた。


「黄昏……?」


「黄昏というと、

 クリスティアのことか?」


 ローレンは、

 はっきりと答える。


「ええ」


「クリスティア・バルディラマス」


「彼女が、

 ディラマス家に

 魔法使いの血を

 入れ込んだのです」


 サリアは、

 その名を聞いた瞬間、

 膝が崩れそうになった。


 ラルヴィクは、

 無言で一歩前に出る。


 その背が、

 自然と

 サリアを庇う形になる。


「……なるほど」


 静かな声。


「随分と、

 一方的な話だな」


 ローレンは、

 その視線を真正面から受け止めた。


「王国としては、

 すでに結論は出ています」


「彼女は――

 “罪人の血”です」


 獅子の紋章が、

 揺れた。


 サリアの呼吸は、

 ますます乱れていく。


 その横で、

 ラルヴィクの声だけが

 異様なほど

 落ち着いていた。


「……話は、

 それだけか?」


 その問いに、

 ローレンは

 わずかに目を細めた。


 ――交渉は、

 ここからだった。


 ローレン・ディラマスは、

 一度だけ深く息を吐いた。


「私たちは――

 静寂の魔道士である

 ラルヴィクさんと

 揉めたいわけではありません」


 声音は、

 あくまで穏やかだった。


「むしろ、

 協力したいと考えています」


 ラルヴィクは、

 一歩も引かない。


「何を、

 協力するというんだ?」


 低く、はっきりとした声。


「……言っておくが、

 サリアは渡さない」


 ローレンは、

 すぐには答えなかった。


 視線を落とし、

 指先で外套の縁をなぞる。


「父上――

 ディラマス家当主には、

 この件は

 まだ伝わっていません」


 サリアの肩が、

 びくりと震える。


「つまり……」


 ローレンは顔を上げ、

 ラルヴィクを見据えた。


「ラルヴィクさんの

 その“願い”も、

 叶えられるということです」


 応接室の空気が、

 重く沈む。


 ローレンは、

 懐から一通の書簡を取り出した。


 赤い封蝋。

 獅子の刻印。


「今日は、

 これをお渡しします」


 机の上に、

 静かに置かれる。


「正式な要求ではありません」


「――提案です」


「ゆっくり、

 考えてください」


 それだけ言うと、

 ローレンは立ち上がった。


「では、

 本日はこれで」


 騎士団は、

 整然と城を後にしていく。


 足音が遠ざかり、

 城門が閉じられた。


 ――次の瞬間だった。


「……っ」


 サリアの足から、

 力が抜けた。


 その場に崩れ落ち、

 床に手をつく。


「皆……

 処刑されただなんて……」


 声が震え、

 呼吸が乱れる。


「クリスティア……

 母様……」


 ラルヴィクは、

 即座に膝をつき、

 サリアの肩に手を置いた。


「……クリスティアは」


 静かな問い。


「母親なのか?」


 サリアは、

 涙を溜めたまま

 小さく頷いた。


「……はい」


 その一言で、

 すべてが

 別の重さを持ち始めた。


 書簡は、

 机の上で

 何も語らずに

 そこにあった。


 それは、

 選択肢ではない。


 ――猶予だった。





 その日の夜。


 城の食堂には、

 食器の音だけが小さく響いていた。


 ラルヴィクとサリアは、

 向かい合って腰を下ろしている。


 湯気の立つ料理は、

 いつもと変わらない。


 だが、

 空気だけが重かった。


 机の端には、

 あの書簡が置かれている。


 ――まだ、

 誰も手を付けていない。


 しばらく沈黙が続き、

 先に口を開いたのは

 ラルヴィクだった。


「……サリアの母親は、

 クリスティアか」


 フォークを置き、

 静かに続ける。


「クリスティアと俺は、

 同じ師を仰ぐ

 弟子だった」


 サリアは、

 驚いたように目を見開く。


「……お母様と、

 知り合いだったんですね」


「ああ」


 短い返事。


 だが、

 その声には

 僅かな間があった。


「黄昏の魔女、か」


 ラルヴィクは、

 視線を落とす。


「ディラマス家では、

 嫌われていたようだな」


 サリアは、

 首を横に振った。


「それは……

 本家だけです」


「私も、

 家族も……

 お母様を

 愛していました」


 ラルヴィクは、

 その言葉を聞いて

 何も言わなかった。


 ただ、

 ゆっくりと

 息を吐く。


 顔に、

 わずかに影が落ちた。


「……そうか」


 しばらくして、

 ぽつりと零す。


「クリスティアが

 結婚して、

 子供がいたことも」


「……死んだことも」


 言葉が、

 一瞬詰まる。


「俺は、

 何も知らなかった」


 サリアは、

 その横顔を

 じっと見ていた。


 いつもの

 落ち着いた表情とは違う。


 どこか、

 取り返しのつかないものを

 数えるような目。


「師のもとを離れてから、

 彼女は

 姿を消した」


「才能があって、

 真っ直ぐで……」


 言いかけて、

 そこで止める。


 ラルヴィクは、

 自嘲するように

 小さく笑った。


「……昔の話だ」


 だが、

 その声には

 “過去”と呼ぶには

 重すぎるものが

 滲んでいた。


 サリアは、

 静かに口を開く。


「……お母様は、

 いつも言っていました」


「“理解してくれる人は、

 少なかったけれど……”」


 そこで、

 言葉を切る。


「……一人だけ、

 忘れられない人がいた、と」


 ラルヴィクの手が、

 一瞬だけ止まった。


 だが、

 何も言わない。


 食堂には、

 再び沈黙が落ちる。


 書簡は、

 まだ開かれていない。


 だが、

 その重さは

 二人の間に

 はっきりと存在していた。


 ――黄昏は、

 まだ終わっていない。


 ラルヴィクの中で、

 何かが――

 一気に繋がった。


「……そうか」


 低く、

 だが確信を帯びた声。


「――そういうことか!!」


 次の瞬間、

 ラルヴィクは

 椅子を弾くように立ち上がった。


 サリアの背後へ回り、

 両手でその肩を押さえる。


「ど、どうされたんですか……?」


 戸惑うサリアの声。


 だが、

 ラルヴィクは

 居ても立ってもいられなかった。


「呪いの正体だ」


 短く、

 断言。


 ラルヴィクの背後から、

 無数の魔力の糸が伸びる。


 それらは

 絡み合うことなく、

 正確にサリアを包み込んだ。


「……クリスティアは」


 息を吐く。


「魔法の理を、

 誰よりも理解していた」


 空間に、

 淡く立体的な魔法陣が浮かび上がる。


「他者に解析されない、

 暗号化された魔法」


「それが、

 あいつの得意分野だ」


 ラルヴィクは、

 苦々しく笑った。


「……俺が解けなかった理由が、

 今なら分かる」


 魔力の糸が、

 一層細かく分解されていく。


「これは、

 呪いじゃない」


「……愛情だ」


 サリアの目が、

 大きく見開かれる。


「――え……?」


「お前は、

 “奴隷として生きているように

 見せかけられていた”」


 淡々と、

 だが確信を持って語る。


「最初に見えた傷も、

 すべて偽装だ」


「弱っているように、

 壊れているように」


「そう見せるための、

 魔法だった」


 魔力の糸がほどけ、

 最後の層が露わになる。


 その構造を見た瞬間、

 ラルヴィクは

 目を見開いた。


「……まさか」


「――あの奴隷商人も、

 ゴーレムだったのか!」


 すべてが、

 一本に繋がる。


 “偶然”は、

 一つもなかった。


 そして、

 魔法の最深部。


 最後に残された

 ひとつの命令文が、

 静かに浮かび上がる。


『――静寂の魔道士のもとを訪ねよ』


 ラルヴィクは、

 それを見つめて

 歯を食いしばった。


「……勝手に

 背負わせやがって」


 怒りと、

 悔しさと、

 そして――

 どうしようもない納得。


 ラルヴィクは、

 サリアの肩から

 ゆっくりと手を離す。


 守る理由は、

 もう一つ増えた。


 これは、

 王命でも、

 取引でもない。


 ――師として、

 かつて想いを寄せた

 魔女から託された、

 個人的な遺言だった。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ