第16話 雷鳴
早朝。
空は、どこまでも澄み渡っていた。
雲一つない、穏やかな朝だ。
それなのに――
ゴロゴロ……
低く、腹の底に響くような音が鳴る。
ラルヴィクは、
何事もないように、
コーヒーを口に含み、
硬めのパンをかじっていた。
「……」
音だけが、
不釣り合いに続く。
窓際に立っていたサリアが、
空を見上げて首を傾げる。
「変な天気ね……」
その瞬間だった。
ドンッ!!
城が、揺れた。
次の瞬間、
白い光が視界を塗り潰し――
稲妻が、城に直撃する。
「きゃあああっ!!」
反射的に、
サリアはラルヴィクに抱きついた。
胸元に顔を埋め、
指が、ぎゅっと服を掴む。
ラルヴィクは、
片手でカップを置き、
もう片方で、
サリアの背を軽く押さえた。
「……落ち着け」
声は、低い。
だが――
その表情は、
わずかに歪んでいた。
サリアは、
それに気づき、
慌てて離れる。
「あっ……ご、ごめんなさい!」
ラルヴィクは、
小さく息を吐く。
「いや……」
一瞬、言葉を切る。
「サリアではない」
視線が、
天井――
いや、
城の外へ向けられる。
再び、
雷鳴。
今度は、
狙い澄ましたような音だった。
「……まったく」
ラルヴィクは、
不機嫌そうに呟く。
「朝から、
派手すぎる」
その時。
城の外から、
やけに明るく、
張りのある声が響いた。
「ラルヴィクさまー!!」
呼びかけと同時に、
空が、再び鳴る。
雷は、
威嚇のように――
城の周囲へ落ちた。
サリアが、
思わず唾を飲む。
「……知り合い、ですか?」
ラルヴィクは、
パンを置き、
立ち上がった。
「……ああ」
短く答える。
そして、
どこか面倒そうに――
こう続けた。
「王宮魔道士だ」
雷鳴が、
また一つ、
空を裂いた。
静かな城に、
嵐が来る。
城の外へ出ると、
庭の中央――
見事に抉れた地面の縁に、
一人の少女が立っていた。
年は、二十ほど。
黒いローブに身を包み、
その下から覗く長い赤毛が、
朝の光を受けて揺れている。
周囲には、
まだ空気に残る焦げた匂い。
ラルヴィクは、
その姿を見て、
小さく息を吐いた。
「……久しぶりだな」
淡々と、
だが確実に相手を認識した声。
「雷鳴の魔道士――
ライリー」
少女は、
ぱっと顔を輝かせた。
「はいっ!」
元気よく、
ほとんど跳ねるように答える。
「お久しぶりです、師匠!」
ラルヴィクは、
抉れた庭に視線を落とし、
再び彼女を見る。
「……しかしだ」
少しだけ、
声が低くなる。
「登場は、
もう少し静かにしてほしい」
足元を指さす。
「おかげで、
庭に穴が空いている」
ライリーは、
一瞬だけ目を泳がせ――
次の瞬間、
勢いよく頭を下げた。
「ご、ごめんなさい!」
そしてすぐに、
顔を上げる。
「でもっ!」
勢いは、
まったく衰えない。
「師匠がですね、
辺境で冒険者をやっているって噂を聞いて!」
「それで、
居ても立ってもいられなくて!」
「気づいたら、
飛んで来てました!」
ラルヴィクは、
こめかみを押さえる。
「……そうか」
それ以上、
何も言わない。
言っても、
無駄だと分かっている。
その時。
「……こんにちは」
控えめな声が、
二人の間に割って入った。
サリアが、
城の影から姿を現す。
朝の光の中で、
整えられた服装と落ち着いた所作が、
はっきりと映える。
ライリーは、
一瞬――
固まった。
「…………」
視線が、
サリアに釘付けになる。
数秒。
そして――
勢いよく振り向いた。
「えっ!?」
「師匠!!」
指差す勢いで、
声を張り上げる。
「この美人さんは――
ま、まさか!!」
ラルヴィクは、
嫌な予感を覚えながら、
短く答えた。
「……違う」
だが、
ライリーは聞いていない。
「辺境で!
一緒に住んでて!
朝から一緒にいて!」
サリアを見て、
ラルヴィクを見て、
再びサリアを見る。
「……弟子ですか!?」
ラルヴィクは、
深く息を吐いた。
「……話を、
ややこしくするな」
だが、
サリアは小さく微笑み、
一歩前に出た。
「サリアと申します」
丁寧に、
頭を下げる。
ライリーは、
その様子を見て――
なぜか、
さらに目を輝かせた。
「……なるほど」
小さく、
だが意味深に呟く。
ラルヴィクは、
この時点で理解していた。
――面倒なことになる。
「お邪魔しまーす!」
そう言うが早いか、
ライリーは迷いなく城の中へ入っていった。
「……勝手に入るな」
ラルヴィクの注意は、
ほとんど効果がない。
ライリーはすでに台所に立ち、
棚を開け、
器具を確認し――
慣れた手つきで豆を手に取っていた。
「やっぱり、
ここにありました」
豆を挽く音が、
軽快に響く。
湯を沸かし、
ドリッパーに粉を落とし、
ゆっくりと注ぐ。
「……」
その一連の動作を見て、
ラルヴィクは何も言わない。
言うだけ無駄だ。
やがて、
香りが広がる。
「はぁ……」
ライリーは、
出来上がったコーヒーを一口含み、
満足そうに目を細めた。
「やっぱり、
師匠が買った豆は美味しいですね!」
「雷の日に飲んでも、
変わらない」
「……相変わらずだな」
ラルヴィクは、
短く呟く。
サリアは、
二人の様子を少し離れて見ていた。
師弟――
というより、
長年の知り合い。
そんな距離感だった。
ライリーは、
コーヒーカップを片手に、
ふと首を傾げる。
「ところで、
師匠」
「なんで、
冒険者なんてやってるんですか?」
ラルヴィクは、
一瞬だけ考え、
簡潔に答える。
「……左遷された」
それだけで終わる。
だが、
ライリーは黙っていない。
「え?」
「左遷?」
「王宮魔道士が?」
ラルヴィクは、
淡々と続きを述べた。
戦闘で功績を挙げなかったこと。
王が戦果を重視するようになったこと。
経費削減の名目で、
辺境へ送られたこと。
「研究費も、
生活費も、
出ない」
その言葉に――
「えええっ!?」
ライリーが、
思い切り声を上げた。
「王宮魔道士なのに、
給料出てないんですかー!?」
思わず、
机を叩く。
「それ、
おかしくないですか!?」
「師匠ですよ!?
十人しかいない
王宮魔道士の一人ですよ!?」
ラルヴィクは、
コーヒーを一口飲む。
「……そういう国だ」
ライリーは、
しばらく言葉を失い――
次の瞬間、
ぎりっと歯を噛みしめた。
「……ひどい」
そして、
ちらりとサリアを見る。
「……だから、
冒険者を」
「生活費と、
研究費を稼ぐためだ」
ラルヴィクの声は、
相変わらず淡々としている。
だが、
ライリーには分かった。
――これは、
諦めだ。
彼女は、
カップを置き、
真剣な顔で言った。
「……師匠」
「私、
しばらくここにいてもいいですか?」
ラルヴィクは、
嫌な予感しかしなかった。
「……理由は?」
ライリーは、
にっ、と笑う。
「給料出ない王宮魔道士を
放っておけません!」
雷鳴のように、
遠慮のない宣言だった。
ラルヴィクは、
小さくため息をつく。
「……嵐だな」
サリアは、
そのやり取りを見て、
少しだけ笑った。
コーヒーの香りが、
城の中に落ち着いた頃。
ライリーは、
サリアを改めてじっと見た。
上から下まで、
遠慮がない。
「……ところで」
ふと思い出したように、
首を傾げる。
「サリアさんって、
ラルヴィクさまと、
どういった関係なんですか?」
唐突な質問だった。
サリアは、
一瞬だけ瞬きをして――
迷いなく答える。
「ご主人様です!」
即答だった。
「ええええっ!?」
ライリーの声が、
城に響く。
カップを持ったまま、
固まる。
「ご、ご主人様!?
それって……その……!」
言葉を探し、
視線がラルヴィクへ飛ぶ。
「し、師匠!?
いつの間にそんな……!」
ラルヴィクは、
面倒そうに眉をひそめる。
「……落ち着け」
短く言い、
サリアを見る。
「間違ってはいない」
ライリーの動きが、
完全に止まった。
「……否定、
しないんですか」
「しない」
即答だった。
ライリーは、
口を開けたまま、
数秒固まる。
「……えっと」
「じゃあ……
師匠は……」
視線が、
サリアの方へ戻る。
サリアは、
少しだけ頬を赤らめながらも、
姿勢を正している。
誇らしげですらあった。
「……」
ライリーは、
深く息を吸い――
一気に吐いた。
「……なるほど」
何かを納得したように、
頷く。
「だから、
雰囲気が落ち着いてるんですね」
「師匠、
前より人間味があります」
「余計なことを言うな」
ラルヴィクが、
すぐに切り返す。
サリアは、
二人のやり取りを見て、
小さく首を傾げた。
「……?」
ライリーは、
にやりと笑う。
「大丈夫です、サリアさん」
「師匠は、
こう見えて――」
ちらりとラルヴィクを見る。
「放っておくと、
生活が破綻するタイプなので」
「……それ以上言うな」
ラルヴィクの制止も、
軽く流される。
サリアは、
少し考えてから、
小さく頷いた。
「……確かに」
「おい」
ライリーは、
楽しそうに笑った。
雷鳴のような笑い声が、
城の中に響く。
静かな城に、
また一つ――
賑やかな居場所が増えた。




