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第10話 魔法訓練


 城の中庭は、朝の光に包まれていた。


 風は弱く、

 木々の葉が、かすかに揺れている。


 ラルヴィクは、地面に視線を落としながら、

 簡単な魔法陣を描いていた。


「……ここでいいな」


 派手さはない。

 訓練用として最低限の結界。


 魔力の流れを制御し、

 暴走だけを防ぐためのものだ。


 サリアは、少し緊張した面持ちでその様子を見ていた。


 ――失われていた腕は、もうそこにある。


 指を開き、

 握り、

 確かめるように動かす。


 まだ、信じきれていない。


「……違和感は、ないか」


 ラルヴィクが、振り返らずに言う。


「はい……大丈夫です」


 少しだけ、声が硬い。


「ただ……

 動かすたびに、不思議な感じがします」


「最初は、そんなものだ」


 ラルヴィクは淡々と続ける。


「神経も魔力も、

 新しく繋ぎ直している」


「……はい」


 サリアは、深く頷いた。


 ラルヴィクは、ようやく彼女を見る。


「……訓練を始める」


 短い宣言だった。


 サリアの背筋が、自然と伸びる。


「基礎からだ。

 派手な魔法は、当分やらない」


「……はい」


「魔力を“出す”前に、

 “感じる”ことを覚えろ」


 ラルヴィクは、地面を指差す。


「ここに立て」


 サリアは言われた通り、

 結界の中央に立った。


「目を閉じろ」


 従う。


「……自分の中の魔力を、探せ」


 声は低く、落ち着いている。


「流そうとするな。

 形にもしなくていい」


 間を置き、

 続けた。


「ただ、

 そこに“ある”ことを意識しろ」


 サリアは、息を整える。


 最初は、何も分からない。


 だが――

 静寂の中で、

 胸の奥に、微かな熱を感じた。


(……これ、が……)


「……感じました」


 恐る恐る、そう告げる。


 ラルヴィクは、ほんのわずかに頷いた。


「それでいい」


 その反応に、

 サリアの胸が、少しだけ軽くなる。


「焦るな。

 今日は、それだけで十分だ」


 訓練としては、

 あまりにも地味だ。


 だが――

 ラルヴィクにとっては、

 最も重要な一歩だった。


 中庭に、

 再び静けさが戻る。


 魔法訓練は、

 まだ始まったばかりだ。


 しばらくの沈黙のあと、

 ラルヴィクは静かに口を開いた。


「……魔力は、確かにあるな」


 サリアは目を閉じたまま、

 小さく頷く。


「はい。

 自分の中に“ある”のは、分かります」


「だが――」


 ラルヴィクは一歩近づき、

 その気配を改めて探る。


「……魔法を使ったことは、あるか?」


 その問いに、

 サリアの呼吸が一瞬だけ止まった。


 ゆっくりと目を開き、

 首を横に振る。


「……ありません」


「一度も、か?」


「はい」


 即答だった。


 ラルヴィクは、僅かに眉を寄せる。


「……それで、

 これほどの魔力を持っている」


 不思議そうに、

 率直な疑問を口にする。


「なぜだ?」


 サリアは、少しだけ視線を落とした。


「……家の事情、です」


 間を置いて、

 静かに名乗る。


「サリア・バルディラマスと申します」


 その姓を聞いた瞬間、

 ラルヴィクの思考が止まった。


「……ディラマス?」


 聞き覚えがあるどころではない。


 王国軍の中枢。

 騎士団の頂点に立つ、

 由緒ある家系。


「……“バル”ということは」


 視線を向ける。


「分家、か?」


 サリアは、黙って頷いた。


「はい」


 肯定は短い。


「ディラマス家は、

 代々騎士の家系です」


 サリアは、淡々と語る。


「騎士は、

 魔法ではなく、

 “オーラ”を扱います」


 身体強化。

 剣技。

 戦場での突破力。


 魔力とは、

 まったく別の系統だ。


「ですが……」


 サリアは、言葉を選ぶように続けた。


「分家であるバルディラマス家には、

 魔法使いの血が入りました」


「その結果――」


 視線を上げる。


「魔力を持つ子が、生まれた」


 それが、

 自分だった。


「……なるほどな」


 ラルヴィクは、ようやく理解した。


「本家は、それを嫌った」


 問いではなく、断定。


 サリアは、再び頷く。


「はい」


「騎士の家系に、

 魔法使いの血」


 サリアの声は、静かだった。


「本家は、

 それを“歪み”と考えました」


 結果として――

 冷遇。


 教育の放棄。

 保護の拒否。


 そして、

 居場所を失った。


「……だから」


 ラルヴィクが、静かに言う。


「魔法を、

 学ぶ機会がなかった」


「はい」


 サリアは、はっきりと答えた。


「魔力はあっても、

 使い方を教わることはありませんでした」


 中庭に、

 再び静寂が落ちる。


 ラルヴィクは、しばらく考え――

 短く息を吐いた。


「……無駄な話だ」


 サリアが、驚いたように顔を上げる。


「え……?」


「家の都合で、

 才能を腐らせる」


 淡々としているが、

 どこか苛立ちが滲む。


「合理的ではない」


 ラルヴィクは、サリアを見る。


「魔力があるなら、

 使えばいい」


 それだけのことだ。


「……俺が教える」


 静かだが、

 はっきりとした宣言。


 サリアは、言葉を失った。


「基礎からだ」


 念を押すように続ける。


「ディラマスの事情も、

 本家の評価も、関係ない」


「ここでは――」


 一拍置く。


「魔法使いとして、

 学べばいい」


 サリアの胸に、

 熱いものが込み上げる。


「……ありがとうございます」


 深く、頭を下げる。


 ラルヴィクは、少しだけ視線を逸らした。


「礼は、

 成果で返せ」


 それで十分だ。


 こうして――

 本当の意味での魔法訓練が、

 静かに始まった。


「……では、次だ」


 ラルヴィクは、地面に描いた簡易魔法陣の外へ一歩下がった。


「魔力を“糸”として扱う」


 サリアは、少しだけ目を見開く。


「糸、ですか?」


「ああ」


 ラルヴィクは、指先を軽く動かす。


 空気が、わずかに揺れた。


「魔力は塊にすると荒れる。

 最初は、細く、長く――

 制御しやすい形にしろ」


 言葉と同時に、

 ラルヴィクの周囲に、極細の魔力が浮かび上がる。


 光は、ほとんどない。

 意識しなければ、見落とすほどだ。


「……これを、真似ろ」


 サリアは、唾を飲み込み、頷いた。


「……やってみます」


 目を閉じ、

 胸の奥の“熱”に意識を向ける。


 魔力を、引き出す。

 だが――

 流そうとした瞬間、違和感が走った。


(……流れる、というより……)


 感覚が、違う。


 サリアは、無意識に身体を引き締めた。


 力を“通す”。

 剣を振る前の、あの感覚。


 すると――


 空気が、ぴんと張った。


「……!」


 ラルヴィクが、即座に視線を向ける。


 サリアの周囲に、

 細い魔力の線が、複数走っていた。


 しかも――

 不規則ではない。


 整っている。


「……止めろ」


 ラルヴィクが言う。


 サリアは、慌てて力を抜いた。


 魔力は、音もなく消える。


「……すみません」


「謝る必要はない」


 ラルヴィクは、サリアを見つめていた。


 眉が、僅かに寄っている。


「……今のは、

 “魔法使いの出し方”じゃない」


 サリアが、不安そうに尋ねる。


「失敗、でしょうか……?」


「いや」


 否定は、早かった。


「むしろ、逆だ」


 少し考え、言葉を選ぶ。


「……君は、

 魔力を“操作”していない」


「……?」


「身体を通して、

 通過させている」


 サリアの胸に、

 心当たりが浮かぶ。


「……剣を振る前の、

 感覚に近いです」


「だろうな」


 ラルヴィクは、納得したように頷く。


「騎士の家系だ。

 オーラの扱いに、

 身体が慣れている」


 そして――

 静かに結論を出す。


「……だから、

 魔法を使えなかった」


 サリアが、息を呑む。


「魔力が、

 “外に出る前に”、

 身体に吸われていた」


 それは欠陥ではない。


 特性だ。


「……では、私は」


 言葉が、続かない。


 ラルヴィクは、短く答えた。


「魔法使いとしては、

 異端だ」


 一拍。


「だが――」


 視線が、まっすぐ向けられる。


「扱いようによっては、

 誰よりも、安定する」


 サリアの胸が、

 強く脈打った。


「……もう一度、やってみろ」


 今度は、指示が変わる。


「糸にするな。

 “流す”な」


「……はい」


「身体を、媒介にしろ」


 サリアは、深く息を吸う。


 力を、溜める。


 剣を振る直前の、

 あの感覚。


 次の瞬間――


 地面に描かれた魔法陣が、

 静かに反応した。


 暴発はない。

 揺らぎもない。


 ただ、

 “通った”。


 ラルヴィクは、

 その光景を見つめ――

 小さく、呟いた。


「……なるほど」


 サリアは、恐る恐る目を開く。


「……できましたか?」


「ああ」


 間を置いて、

 続ける。


「君は――

 魔法使いじゃない」


 サリアの胸が、締め付けられる。


 だが、

 次の言葉が続いた。


「魔法を扱える騎士だ」


 その一言で、

 サリアの世界が、

 少しだけ、形を変えた。


 ラルヴィクは、視線を逸らす。


「……面倒だが」


 だが、声には、

 わずかな興味が滲んでいた。


「研究しがいは、ある」


 それが、

 この男なりの――

 最大級の評価だった。


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