裁定の刻
部屋の温度が、一気に氷点下となった気さえした。
――淑やかにうっすらと微笑んではいるが、目の奥が全く笑っていないヒルダ。
――ほんの一瞬の内に感情が抜け落ち、この世のどんな人形よりも無表情と化したマーシャ。
さっきまでそれなりに親しき仲だと窺えた二人が、まるで長年の仇敵とでも出会ったかの様な空気を醸している。
シキは、一つ悟った。
ギルドの入口で出会った時は、分かり易く怒りを露わにしていたヒルダだったが、あれはあくまで周囲ごと押し黙らせるための演技だったらしい。
だって――今の表面上穏やかな彼女の方が――何倍にもおっかない。
まるで居合い斬りを放つ寸前の剣士を前にしているかのよう。刀身はまだ鞘に秘められているはずなのに、次の瞬間には首を落とされそうな雰囲気さえある。
これほどまでに一対一で向き合いたくない相手というのもそうそういない。なるほど、たびたびこれほどの圧に晒されてきたら、苦手意識を植え付けられても仕方がないかもしれない。
「ふん……大方の話は、もう警備隊辺りから聞いてるんでしょ? 言い訳はしないわ。好きに処分して――」
「マーシャ。私は、貴女の口から聞きたいと言っているのよ」
「――」
開き直りなど、この相手に通じるはずもなく。
ただの一睨みで、呼吸ごと言葉を止められる。
――逃げる事は許さないと。
女傑の目は、そう語っていた。
「…………………………はぁ」
しばらく唇をかみしめていたマーシャであったが、やがて、腹を括ったように小さく息を吐いた。
それから、隣でちょー興味津々! とばかりに目を輝かせてピーーンと聞き耳を立てやがっているシキとリナに、恨めし気な目線をくれた。
「その前にこのガキどもを追っ払ってよ。もう大和の帝に頼まれてたっていう用事は済んだんでしょ? だったら部外者じゃない」
「いいえ。この二人にも聞いてもらいます」
「なんでよっ!?」
「なんでもなにも、シキ君は部外者どころか中心人物の一人でしょうに。貴女とグランの戦いに割り込んだ、第三の人物。話を聞くのは当然じゃない。まあ……どうしてだか警備隊は、全く別の人物と勘違いしていたようだけれど……?」
意味ありげな視線を向けられたシキは、そっこうで視線を背けた。
ノリで同胞売っちまいましたあっはっはっはっ! とかこの人の前で言い放ったらなんかヤベェ気がするし!
「だったらこっちの変態女は!? マジで掛け値なしのほんっっっとうに無関係なんだけど!! ……まさかこいつまで、どっかの国の王女様とか言わないわよねっ!?」
「――っ!?」
マーシャがビシッと人差し指を突き付けると、なぜか白銀の少女は、どこか怯える様にぶるりと身を震わせた。
それを見て、シキは訝しむ。
(ん? なんだ今の反応……)
少し、気になるところではある。
リナは確かに、あの広場での騒動に関して完全に無関係である。シキもそれを知っている。
だから今のマーシャの発言に、怯む理由などないはずなのだが……。
シキが考え込んでいる間にも、状況は進む。
マーシャの発言に対し、ヒルダは小首を傾げながら、あっさりとこう言い放った。
「さあ、どうしてかしら? 自分でも良く分からないわ」
「「…………は?」」
シキとマーシャの声が被った。
聞き間違いでなければ今――さあ? 自分でもよー分からん――とか、言われたような……。
「ただなんか、貴方たちと一緒にいたその子を見て――"この子にも話を聞いてもらった方がいい"――って、私の勘が言ったのよ。だから、一緒に呼んでみました」
「はあああああああっ!!?」
愕然と叫ぶマーシャ。シキも内心は、彼女とそう変わりない。
ただここで声を上げなかったのは、彼女よりもこのテの話に耐性があるからに過ぎない。
主には帝とか帝とか帝とか帝とか――たまに師匠とか師匠とか――帝とか帝とか帝とかが、そういう事良くやるから。
そして困った事に。本当に、困った事に……。
こういう時の彼らの"勘"というのは――――外れた試しがないのである!
「ちょちょちょちょっとぉ!? なんそれっ!!? シキの件があったからてっきり"あー、リナもきっとヒルダの知り合いなのかー"って思ってたのにっ!!」
「それは貴女の勝手な思い込みでしょう? 私は一言も、そんな事は言っていません」
「……! ……っ!?」
そこらの詐欺師よりもよっぽどしれっとした顔で言い切られる。マーシャはもう、歯ぎしりして押し黙るしかない。
豪炎のごとく吹き荒れまくっているであろう少女の内心を置き去りにして、ヒルダは淡々と続ける。
「そんな事よりも、今は貴女の話が優先よ」
有無を言わせぬ語気。強引に、話の流れを押し戻される。
色々言いたい事がありそうなマーシャだったが、結局何も言えずじまい。
できた事といえば不満げに鼻を鳴らすくらい。もちろん、ヒルダになんら響かず。
シキが帝に弄ばれる様に、マーシャにとってはヒルダがそうなのである。
「ハッ! 別に大した事じゃないわ。緊急依頼をこなして帰ってきてみれば、クソ野郎がギルドの規則に違反して、下級冒険者の手柄を横取りしたって聞いたもんだから腹が立って、ぶちのめしに行っただけよ!」
(ふーん……?)
マーシャの言を受け、シキは少し考える。
ある程度は、納得できない事もない。
思っていたよりもマーシャは冒険者としてのプライドが高いようだし、気の強い彼女なら、違法行為に憤慨して特攻かますというのも、想像に難くはない。
ない、はずなのだが……。どうにもあと少しの違和感が拭い去れない。
戦いの序盤はともかくとして、終盤に彼女が見せたまさに懸命の一撃は、そんな規則違反の輩を懲らしめる――程度で収まるものだったろうか?
「そうね。そんな調子で、これまでにも何度か貴女達が騒ぎを起こした事はある。でもね――」
ヒルダの目が、すっと細まる。
「今回ばかりは暴走が過ぎたわね……ええ、まさに『暴走』というに相応しいわ……!」
徐々に。
淡々とした口調の中に、熱が籠ってくる。
「噴水広場はほぼ全壊。完全復旧には、二ヶ月掛かるそうよ。人々の憩いの場というだけじゃない。『貿易の要』とまで称されるこの国の祭事において、非常に重要な『水場』の一つ。……まさか貴女がその意味を、分かっていないわけがないわよね?」
「…………頭に血が上り過ぎたとは、思ってるわよ」
マーシャが不貞腐れたように、そっぽを向いた瞬間――。
「――――――――――その程度で済む問題ではないっっっ!!!」
「「「――――――ッ」」」
怒号一閃。
まさに落雷のごとし。
鉄槌のごとき声量に打ち据えられた全身が痺れる。喉元が硬直し、呼吸さえも忘れてしまう。
そして落雷とは、その一度にとどまらないものだ。
「ドラゴンが傷み! 大和の交易船を迎え! いつ北からの攻撃を受けてもおかしくないこの時期に! よりにもよって国内最大級の戦力であるA級冒険者二人による、街中での私闘! それも『結界』の核でもある水場の一つを破壊しながら! 貴女達の行いによって、今まさにこの国は崩壊の危機にあるといっても過言ではないのだ!! マーシャ。お前に、その自覚はあるかっ!!!? ないのだろう? だから今日の呼び出しに、遅刻などできるのだっ!!!」
「…………っ」
唇を噛み締めるマーシャだが、一言も反論はしない。する資格がないことを、自覚しているから。
彼女の遅刻云々に関してはシキとリナも少なからず原因があるため、できれば擁護をしたいところだったが、女傑の放つ圧力はとても第三者が口を挟める領域にはない。むしろ、下手に口を挟めばそれさえもマーシャの咎に重ねられそうでさえあった。
このまま断罪が続くのかと思えたその時――
「だけど――――仮にもこの私が見込んだ逸材なのね。ここぞという時の悪運の強さは、流石という他ないわ」
ヒルダの口調からやや険の色が抜ける。いやそれどころか、むしろちょっと嬉しそうに微笑んですらいた。
「…………へ?」
弾劾されている当人にとっても予想外だったのか、『こいつ何言ってんだ?』という、心底からの摩訶不思議が音になって口から漏れる。
ありありとした当惑の視線を受けながら、ヒルダはおもむろに背筋を正す。
「マーシャ。貴女にラ・モール冒険者ギルド長ヒルダ・グレーメルとして、処分を言い渡します。心して聞きなさい」
「――――」
途端、マーシャも同じ様に姿勢を正す。シキとリナもそれに倣った。
さすがにちょっとは空気を読んだのと、なにより仲間外れなるのがなんとなく嫌だったから。
そして……いよいよ女傑の口から、判決が下される。
「"国内における冒険者資格の永久剥奪"――マーシャ・エルレイン。この国において今後一切、貴女が『冒険者』を名乗る事を赦しません」
「――――――――――――」
努めて。
努めてマーシャは一切の表情を変えず、内心を表に出さない様にしていたようだったが、その顔色から赤みが引いていくのは止められなかった。
……シキには冒険者の事は良く分からない。だが、この処分が相当に重いであろう事は分かる。
仮にこの話を、大和における『道場』の活動に置き換えたとしたら、それこそ国内で『流派』を名乗る事を禁じられるのに等しい。
――今まで積み上げてきた功績が、すべて無に帰す。
武功が重視される大和において、それは『死罪』と大差ないほどの重罰である。プライドの高そうなマーシャであれば、なおさらだろう。
あくまでマーシャの発言を信じるのであればという前提ではあるが、時期とやり方が悪かったにせよ、少なくとも彼女はギルドの規律の為に行動したというのに。
(むーん……なんだかなぁ)
他国の事情に口を挟むつもりはないが、個人的にモヤッとするシキである。
ただ、その感想もすぐに消え去る事になる。
「…………と、言うつもりだったのだけれど」
ヒルダの言葉にはまだ、続きがあった。
「マーシャ。貴女――シキ君と戦いなさい。最終的な判断は、そのあとに下す事とします」
「「…………………………はいぃ?」」
またしても名指しされた二人は全くの同時に。
大きく口を開け、ポカーンと間抜け面を晒すのだった。




