最上級魔法と相対する事にしました。
シキの纏う空気から、遊びの色が完全に消え失せる。
いよいよ追い込まれたグランは、上下の歯を砕けそうなほど強く食い縛った。
(なん――なんッだァ……コイツはァァッ!?)
彼の言っている事は理解できないが、権能とやらが何を指しているのかは分かる。
先刻マーシャを倒すのに使った黒い稲妻――理由は不明だが、シキはそれに敵愾心を示している。それも、明らかに尋常なものではない。
放たれる威圧感は徐々にその強度を増していき、今やただ向き合っているだけで、呼吸に乱れが生じるほど。もはや人間とは思えない、異常なまでの闘気。
グランは確信した。
さっきははぐらかされたが、コイツは間違いなくただのガキじゃない。
――精霊王、神獣、魔神など。
冒険者などやっているとごく稀にだが遭遇する、外見と実力の比例しないケタ外れな怪物の類。まともにぶつかれば、おそらく勝ち目はない。
ならばどうする? 正直に、あの力を手に入れた経緯を話すというのか?
……論外だ。アレの秘密だけは漏らせない。絶対に、漏らしてはならない。
とはいえシキは、もう誤魔化しを許してくれる空気ではない。次にシラを切る様な真似をすれば、それが攻撃の合図になるだろう。
戦う事も、秘密を喋る事もできない。ならばやるべき事は一つ。
逃げの一手。
グランが最少限の動きで逃走経路を確認していると、シキが呆れた風に肩を竦めた。
「おいおい……ここに来て逃げる気かよ? 往生際が悪いなぁ」
「――――ッ」
ダメだ。完全に動きが読まれている。
しかし次の瞬間。
「ま、別にいいぞ。逃げても」
唐突に、シキから予想外な事を言われた。
――が。
「逃げられるもんなら、な」
その眼は依然、獲物を狙う狩猟犬のソレ。
言葉とは裏腹に相手を逃がす気など全く無い。このまま背を向ければ、間違いなくその瞬間、後ろから撃たれる。
一瞬でいい。シキの意識が逸れる、キッカケが必要だ。
(チィッ…………まだかよっ!?)
時間は十分に稼いだ。ヤツらの動きがいかに鈍重でも、いい加減頃合いのはず。
じり、じり、と。
距離を詰めてきたシキに、グランが身構えた時――
「警備隊だぁっ! そこにいる三人……全員その場を動くなっ!!!」
大声量の一喝が一帯に響き渡った。さらには、続々と武装した男達が列を成してやってくる。
それに対し、
――シキが胡乱げな視線を向けるのと。
――グランが動き出したのは。
全くの同時だった。
「カッ!」
脱兎のごとく、何の迷いもなく。
脚の負傷など微塵も感じさせない勢いでグランは身を翻し、一気に駆け抜けていく。
「あっこら!? 動くなと言ってるだろうが! 待たんかキサマァッ!!」
警備隊の制止も振り切り、みるみる大柄な姿が小さくなっていくのを見ていたシキは。
「おおなるほど! これを狙ってたのか。思ったより機転が利くなぁ」
実に感心して、手のひらを叩いていた。最初っからこの為の時間を稼ぐのが目的だったのなら、黙々とシキの長話に付き合った理由も納得がいく。
己とシキとの力の差は理解していただろう。気分としては、大蛇に追い詰められた鼠も同然だったはず。
それでも決して、諦めていたワケではなかったのだ。そのしぶとさを、シキは心の底から賞賛している。
ただ、それでも……
「見逃してやるってほどじゃあ、ねぇけどな!」
体格に似合わず俊敏なグランの背中は、既にかなり離れている。それでもシキがその気になれば、まだまだ追いつける距離でしかない。
シキが一歩踏みしめた時――
「死ぃぃぃぃぃぃねえええええええええええええええぇぇぇっっっ!!! グラァァァァァァァァァンッッッ!!!!!」
背後からの獰猛極まる叫びと。
とてつもない、莫大な魔力の高まりを感じ取った。
「ええっ!?」
シキは予想外の出来事に脚を止めて振り返る。
そこには、今の今まで黙っていた瀕死のはずのマーシャが、轟々と巨大な炎を上げて燃え盛る魔剣を天高く振りかざしていた。
その切っ先の向かう標的は言うまでもなく、グランその人。
しかし、
「おいおいおいおい……んなモンここでぶっ放したら――」
シキの頬を、冷や汗が伝う。
何の魔法を付与させているのかまでは知らないが、魔力の高まりからその『級位』は容易に想像が付く。
――最上級魔法。
通常の魔法使いなら十数人掛かりで協力してやっと一発放てるような、攻城兵器にも匹敵する超高威力の魔法。理論上、人間が扱える限界威力とされている魔法だ。ましてや個人で撃てる者など、万に一人もいやしないだろう。
当然こんな街中で放たれれば、ここら一帯がただでは済まない。特に直撃した付近には、草木の一本すら残るまい。
決して口数の少ない風には見えない少女がシキとグランの会話中一言も喋らなかったのは、どうやらこの奥の手を練り上げていた為らしい。
さすがのシキも、あの瀕死状態からこんなバカ魔力を捻りだした根性と執念には感心を通り越してあきれ果てる。一体グランはそこまで恨まれるほどの何をやったのだろうかと、逆に興味を惹かれるくらいだ。
いや、今はそれよりも、だ。
「おっおいマーシャ!? マーシャッ!! 一体何をやっとる!!? 正気に戻らんかっ! マーシャアアアッ!」
警備隊の隊長格っぽい老人が、少女に向けて必死に呼び掛けているが反応はない。無視しているというより、全く耳に届いていないようだ。
他の隊員達も、少女の放つ尋常ではない魔力を前に腰が引けている。頼りない――と切って捨てるのは簡単だが、そうなるのも仕方が無いと、シキは思う。
誰だって、噴火寸前の火山の前に、飛び出したいワケがないのだから。
「あーもう……ったくしょうがねぇなぁ!」
炎の魔剣は今にも振り落とされんとしている。迷っている暇はなかった。
ガリガリと頭を掻きながら、少女の前に進み出る。「何やっとる小僧ぉ!?」と隊長らがざわついているが、気にしてる場合じゃない。
「要はオレが受け止めりゃいーんだろ!? んがーっ! ただ働きじゃねーかこんちくしょーっ!」
さすがに街を吹っ飛ばされるのは困る。すんごい困る。
だってもし吹っ飛ばされた先に目新しい武器屋などがあったりしたら一大事だ。きっと枕を抱いて一晩泣いてしまう。
「つーわけでちょいと手荒い対応になるが……勘弁しやがれ! この爆裂まな板女!!」
そうしてシキは。
この少女に絶対に言ってはならない言葉を、口にしたのである。