下戸はたくさん食べないと元が取れない
2時間後。
黒い人(もう黒さんでいいや)は大トラになっていた。
「だーかーらー、あの人はさ、下っ端のことなんて道具なのさー」
「はいはい」
「もうさ、わし、何日家に帰ってないと思う? こんなに陰に日向に働いてるのにさー、終わりそうになると自分の仕事押し付けてくるとかありえないっしょ? おかしくね??」
「だねえ」
「下は下で早く帰りたいとか疲れたとか言うし。仕事教えてもやらないしできないし、できないから注意すると泣くし」
「あー、あるある」
「そりゃね、恋愛もいいよ。だけど恋愛してるなら何してもいいって話でもないじゃん。それを空気読めないおやじとかさ。もうわし泣きたい」
「あー、男女の問題は職場もちこまれるときついね」
「だいたいさ、存在が邪魔ってどういうこと? 仕事いっぱい過ぎて回らないのはわしのせいじゃないっつーの! お前らが迷惑なんだああああ!!!」
なんかいろいろとため込んでいたらしい。盛大に絡んでくる。
話が飛ぶので何を話しているのか途中からわからなくなってしまったけど、要は『偉い人と部下に挟まれた挙句無茶振りされて辛い』ってことらしい。まじめに仕事すればするほど、首を絞める結果になっているんだとか。
うん、悲しいくらい気持ちがわかる。
悩みごとが以前の私とあまり変わらないよ。そういえばこんなことで胃を患っていたこともあったなあ。私もいい年だからそこそこの役職だったんだよね。
管理職って言うと聞こえはいいけど、上にも下にも成果を期待される立場であり、どちらからも圧をかけられるのでしんどかった。
それでも結果が大事だから、いい顔ばっかりできないし。
無理を無理だとも言えなくて、やたらと頑張って、頑張って。
それでも他人からは悪口を言われたり、足引っ張られたりして、いろいろ苦労した。
「信じていた人には「あなたがそんな人だとは思わなかった」とか「私の立場を狙っている刺客」とか言われたよ」
「あああ、私もある。刺客ってなんだよと笑ったよ」
「同士よ!」
愚痴は止まらない。まあ、どんより暗くて死にそうな顔よりいいかな。
黒すぎて表情わからんのだけど。というか目とかどこだかわかんないな。今更気にするな、自分。
黒さんは生ビールがたいそう気にいったらしい。
つまみも「こんなの初めてー♪」と少女のように喜んで食べていた。この世界にはなじみのないなのかも。まだ2回しか食事してないからわかんないけどね。
その後も2杯3杯とジョッキを重ね、続けてぬる燗や冷酒、果てはウィスキーまで試した。
「こりゃうまい!」
かぱかぱといいペースで空けていく黒さん。
ついでに言うとつまみもいろいろ試した。ホッケも食べれた。個人的には嬉しい。飲み会時の下戸は食い気に走るしかないのだよ。そして太るのだよ。トホホ。
出したものすべて喜んでくれるので嬉しくなってどんどん飲ませたら、黒さん、へろへろになってしまった。
「ぎもぢわるい」
な、なんかごめん。
背中をさすさすすると、岩陰に走りこんでいった。多分キラキラを吐いているに違いない。いや、黒いのを吐いてるのかもしれない。どっちにしても慣れないお酒をたんと飲ませたのは私のせいだから申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
水と経口補水液を用意して待っていると、ふらふらと出てきた黒さんは私の足元に倒れこんだ。
「ごめんよう」
私の体にもたれかけるように体を半分起こしてあげて、水をゆっくり飲ませる。
少し楽になったようなので経口補水液も飲ませると、吐き気も収まってきたようだった。急性アルコール中毒になったらどうしようと思ったよ。
そういえば前に新人さんにお酒を飲ませすぎて大変なことになりかけたのを思い出した。あの時飲ませたのは部長だったけれど、悪気はなかったんだろうなあ。悪気がないなら何してもいいって話ではないけど、同じ過ちは繰り返したらダメだ。本当に悪いことをした。
「あんたは優しいなあ」
経口補水液を飲み干したあと、黒さんが呟いた。
ぽたり、と黒いものが落ちる。
「泣くなよー」
袖で顔のあたりをぬぐってやったら、乙女のように顔を伏せて泣き出した。
絡み酒のあとは泣き上戸か。もうこうなったら全部吐いてすっとしていくがいい。
「正直言うと、この世界なんて真っ黒になってしまえばいいんだって、わしを邪魔にする世界なんて滅べって、ずっと思ってた。わしの代わりはいくらでもいるんだからって言われたら、自分の存在って何だろうって思ったんだ」
「仕事の代わりはいるだろうけど、黒さんの代わりはいないよ」
「そんなことは言われたことがなかったよ」
弱弱しくつぶやく黒さん。背中がまた寂しくなっている。肩を叩くと埃のように瘴気がわいてむせた。
「気づいた時にはこんな体になってた。今のわしは瘴気の塊らしい。もうどうしたらいいのかわからない」
なるほど、存在自体が瘴気だったのか。
まあ、人じゃないとは思ってたけどねえ。瘴気に取り込まれたとかそういうのかと思ってたんだけど、違ったらしい。
それにしてもなんというか、悩みの多い瘴気とか、どうやって払ったらいいんだ?
呪文を唱えたら有無を言わさず強制排除できて瘴気もなくなりミッションコンプリートなんだろうけど、それはそれでもやっとする。
私にできることは何だろう?
考えていたら、以前、母に言われたことを思い出した。
「悩みは人に話すと半分になり、喜びは人に話すと倍になるのよ」
うん、それしかないか。
私はゆっくりと体を離して向かい合う形を取り、両肩に手を置いた。
「話聞くしかできなくて申し訳ない。でも、気持ちが落ち着くまで話そう」
黒さんは黙って頷いた。
それから約2時間、いろいろと話をした。
ノンアルコールに切り替えたけど、一度情けない姿を見せて吹っ切れたのか、黒さんの口は軽やかだった。
愚痴に果てが見えてきたので、なんとなくほっとする。
「誰だっていろいろため込むんだよ。飲まなきゃやってられないことだってあるよ。大人だし。私は下戸だから酒はわからんけど、飲む以外のことで憂さ晴らししたりするもん」
「その若さでか?」
「うーん、ここでは若いんだけど……。まあいいか、実はさ」
特に隠すことではないだろう。
私は今までのことを説明した。
違う世界からいきなり飛ばされたこと。
39歳なのに10代(細かい年は鑑定待ちなので不明)になってること。
わけわからんけど聖女だと言われ、この世界を浄化しろと言われてること。
元の世界にはもう帰れないこと。
お試しだからとここにきて浄化を試みたこと。
なんだかできたので帰ろうとしたら瘴気を見つけたこと。
「そんで、今、黒さんと飲んでるってとこ」
来たばかりだから感情抜きで箇条書きにすると実に簡単な説明だな。切ない。
「私は今後どうなるかわからないから、とりあえず今できることを全力でやっていこうと思ってる。くよくよしたり怒ったりところで結果は変わらないなら、楽しくやっていきたいなあと」
黒さんは呆然とした感じだった。
全身からぽろぽろと瘴気がこぼれている。岩の上は真っ黒い瘴気が雲のように固まっていた。このままでは周りに被害が出てしまうかもしれない。
「それでいいのか?」
黒さんが身を震わせて呟いた。
「理不尽に連れてこられて、瘴気なんて危ないものを処理するために利用されて、今後の保証なんかなくて、それであんたはいいのか?」
言葉にされると刺さるなあ。事実を簡潔に述べるねとそうなるよね。
「嬉しくはないよ。私にも家族も友達も大事なものもたくさんあったし、それをいきなり奪われたんだから、悔しいのもあるし怒りもある」
でも黒さんが言葉にしてくれたから、私の中で固まりかけていた恨みやなんかがすとんと落ちた。
こちらでそういってくれる人がいたのは純粋に嬉しい。
ま、相手は瘴気出してるけどさ。
「それに、最初に会った人たちは幸いとてもいい人だったけれど、これからどんどん理不尽に目に合うと思うんだ。私が作る魔法石を欲しがって寄ってくる人も多いだろうし、単純に瘴気を晴らす道具だと思う人もいるだろうね。瘴気が全部なくなったら私は用済みになる。その時のことは今は考えたくないよ」
いかん、話してる間にだんだん瘴気が濃くなってきた。黒さん、体からどんどん放出するのはやめてー。
今や頭のすぐ上まで黒い雲が下りてきている。黒さんから出る瘴気も多くなっているからもうじき視界が真っ黒になるかもしれない。
ふと思い立って瘴気の雲に手を入れる。
ずしん、と衝撃が来たと思ったら、頭の中に感情が飛び込んできた。
やり場のない強い怒り。
最初は自分の為だった怒りに、私の境遇への怒りが加わって暴れている。
瘴気に含まれる感情に取り込まれそうだなと思っていたら、逆に頭が冷えた。
「心配はありがたいけど、同情はいらんよ」
黒い雲の中で手を回す。くるくると指に絡みついた瘴気は小さく渦を巻いた。それだけだ。消えはしない。
「でもありがとう。黒さんが私の代わりに怒ってくれたからなんだかすっとした。こっちの人はみんな「呼び出した聖女が瘴気を払うのは当たり前」って思ってるのかと勘違いしてたよ。そうじゃないんだね。人の一部を見て全部知った気になったらダメなんだ」
言葉にしたら心が温まった。素直に嬉しい。
「黒さんのおかげで、ここでも頑張ろうって思えたよ。ありがとう。今まで勢いで来たからわからなかったけど、落ち着いたらものすごい怒りとか悲しみとかに襲われてたんだと思う。そのままでいたら私も真っ黒な瘴気を出していたかもしれないね」
吸った瘴気を元手に魔王に!
あ、ちょっと面白いかも? 聖女魔王化伝説とか?
そして勇者が召喚されて、ってなったら困る。この世界の人は何でも召喚しそうだ。私のせいで理不尽される人が増えても仲間とは思えないしねえ。
というか仲間に討伐されるじゃん! ダメじゃん!!
思わず笑ったら、瘴気の出が止まった。
呆れられたのか、怪しまれたのか、わからないけれどまあいい。
それにしてもこの黒いのどうしよう?
吸い込んでしまったほうがいいのかな、というかいいよな。
黒い雲を見てうなっていたら、黒さんがおもむろに立ち上がり、私の頭に手を置いた。
「気が済んだ。浄化してくれ」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
読んでいただいてありがとうございます。