Next to me...(前編)
第1部完結/前編。「サイコネクト!」の後日談。
クリスマスのショッピングモールに、寄生蟲怪獣イロキオンの群が襲来!
次々とカマキリの怪物に変貌する人々に弼星アイナは絶望する。
そんな彼のまえに現れたのは流離いの精神生命体イスカーチェリだった!
PDF版ダウンロードは公式サイトからhttps://psychonectdays.wixsite.com/psychonectdays/day3
怪獣がうごく!イスカがしゃべる!
予告動画はこちら→http://pr3.work/8l/youtube
●注意事項&関連策のすすめ
この度は、『サイコネクトデイズDay.3 Next to me…』前編をご覧になっていただき誠にありがとうございます!今回は本編を読んでいただく前に注意事項として、この前書きを掻かせてもらいました。本当はそんなに気にすることでもないのかもしれませんが、念には念を入れてということで…本編を読む前に1ページ分お付き合いください。
本作「Day.3」は、以前までの作品に比べ少々バイオレンスな描写が多く、お話のトーンも少しシリアス暗くなっています。登場怪獣も所謂「蟲」で非常に気持ちの悪いデザイン、文章描写になっております。登場キャラクターたちが傷つくシーンも「サイコネクト」シリーズにしては多いです。…勿論、これらの描写は読んでくださった方に無駄に嫌悪感を与えようとしている訳でもなく、勿論登場キャラクターたちを傷つけて楽しんでいるわけではありません。正直…作っていて私自身辛くなる時がありました。しかし、この物語にとってそれらの描写は必要不可欠、避けては通れない道なのです。今回のお話は、「皆が前を向いて歩いていける」ようになるお話です。最後には読んでいる方も前を向けるようなお話になることをお約束します。
なので、後編の最期まで読んでいただけると非常に嬉しいです!
また、今回の物語は小説Day.1とDay2を先にお楽しみいただいている前提で制作させてもらっています。もちろん、本作Day.3から読んでも、Day.3のみ読んでも十分にお楽しみになれる作品に仕上げているつもりです。ですが、物語を最大限楽しんでいただくには、Day.2までを読んでいただくのがオススメです!
勿論、これだけでも十二分にお楽しみいただけるのですが・・・更にオススメしてしまうと…前作「サイコネクト!」をお楽しみになってから本作を読むのが一番のベストだと思います。
「サイコネクト!」の最終話後編のボイスドラマだけでも聞いてから、本作を読むと主人公・弼星アイナへの感情移入の具合がだいぶ変わってくると思います。是非合わせてお楽しみください!(ホームページのリンクから飛べます!)
では長くなりましたが、いよいよ本編の始まりです。では存分に「ズレた世界のある一日」をご堪能下さい。
火炎ロダン(Monstailz)
イスカは無我夢中で、焼け爛れた大地の上を駆けた。彼はひとりであった。彼の故郷であるその惑星、は最早死にかけていた。美しかった緑の木々、青い空、それらを映す透明で透き通った水は、もう見つけることができない。代わりに見えるのは、その爛れた大地にドロドロと溶け込み、岩石と見分け着かなくなった人造物、ビル等建物の残骸、真っ黒に燃え果てた炭や塵の山脈。そこには、どす黒い赤と黒が混じりあった混沌の世界が出来上がっていた。ドクドクと血のように流れた真っ赤なマグマが、イスカの足裏を絶え間なく焼いていたが、彼にそんなことを構っている暇はない。
イスカは故郷のシィークンの元を目指しただひたすら駆けた。彼は約1カ月前、この惑星の外で「絶望」を見た。文字通り惑星の住人たちの希望の星だったそれは、魔神の手でいとも簡単に打ち砕かれた。イスカは人類の無力さと敗北、そして底知れぬ絶望を、身をもって知ったのだ。しかし、彼には行かなければならない場所があった。逢わなくてはならない人がいた。
「アヴローラ!アヴローラ!」
イスカは枯れた大樹が吹き飛ぶような大声でシィークンの名を何度も繰り返し呼び、叫んだ。アヴローラは彼の唯一の肉親だった。星が死に絶えようと、世界が滅びようと、死ぬ前にもう一度シィークンの無事をこの目で、肉眼で一目確認したかった。それが今の彼を走らせているたった一つの原動力だ。
彼の生まれ育ったその地は、もうすぐそこだった。彼が武術を学び、恩師や仲間たちと言葉を交わしあった思い出の舎。それは、彼の足元でパチパチと音を立て、火を噴きながらも、なんとか原型を保ってイスカの帰還を待ってくれていた。どうやら、魔の手はここまで届いていたようだ。
「頼むから、お前だけは生きていてくれ。」
イスカはシィークンを想って祈った。
しばらく進むと、彼の目に異様なものが見えた。終焉の星が放つ朱色の光に照らされた一件のとんがり屋根の建物だ。何もない大地にポツンと立っている。イスカは、彼の身長ほどもあるその大きな建物を見て、酷く懐かしい気持ちに襲われた。それは彼の生家だった。彼が両親とシィークンとその親戚、近所の仲間たちで暮らしていた小さな城だ。彼はしばしの間、ノスタルジーの波に飲まれ、赤い輪郭に浮かび上がった城のシルエットに見入ってしまった。生まれたばかりのアヴローラを初めて抱いた時のあの感動、寂しかった別れの瞬間…。しかし、そんな回想に浸っていられるのも、つかの間。彼は気味の悪い、めちめち…めちめちという不思議な音が辺り一面に響いていることに気が付いた。・・・それはなんとも不思議なことに彼の生家の壁が発している音だった。よく見ていると城の黒いシルエットの中で赤く細長いラインがいくつも…いや、赤い線を纏ったいくつもの真っ黒な何者か共が蠢いている。
それは彼が最も憎むべき敵、…蟲だった。
「うわぁあああああああああああああああ」
彼はあまりの光景に絶叫した。彼の生家の壁一面に奇怪で醜悪な蟲共がゾロゾロと張り付き犇めきあっているのだ。彼はこれ以上ない、二度目の絶望を味わった。やつらはこの星を死に追いやった一因である。
「遅かった…。逢えなかった…」。
彼の眼の光が完全に消えかかったその時、彼の頭に空いた大きな洞窟のような耳穴に、小さな…でも力づよい叫び声が聞こえてきた。
「兄ちゃん、イスカ兄ちゃん!!」
シィークン、アヴローラの声だった。彼は一瞬これまでに感じた絶望が全て吹き飛ぶような希望をつかみ取ったような気がした。アヴローラは城のとんがり屋根に空いた丸い窓からその小さな顔をのぞかせ、巨大な戦士の姿となった唯一の肉親、シィークンに向けて手を伸ばしてきていた。アヴローラの顔は笑っていたものの、恐怖に歪み、眉間に皺をよせ、目と鼻の下は、びちゃびちゃに濡れていしまっていた。無理もない。何百何千の蟲たちが自分を目指し、その体に寄生しようと城を這い上がって来ているのだ。…アヴローラはこの街の最後の一人だった。他の仲間たちは蟲に襲われ、体と魂を乗っ取られて、自身らが蟲になってしまった。そんな中、アヴローラは何とか生き残ったのだ。
「よく、生きていてくれた。本当に逢いたかった。さすが…俺のシィークンだけの事はあるな。ただお前を一目だけでも見たかったんだよ、死ぬ前にな。そう、これで十分さ。」
イスカは磨かれた鎧のように白く、でも炎に焼かれ所々がざらざらとした黒に変色したその固い肌に、一粒の大きな涙を流しながらアヴローラにそう語った。イスカは長い間、絶え間なく宙を飛び回り、荒れ果てた地を蹴って駆け抜け、傷ついたその体の最期の力を振り絞った。…全身に陣割と満遍なく力が伝わっていく。
イスカの巨大な体はボーっと碧白く、大きな人魂の様に輝き始めた。周囲の赤い光に浮かび上がった人型の碧い光が真っ黒な城の横に聳え立った。すると影の中に点々と光っていた赤い縫い目のような不気味な線が一斉にイスカのほうに「目」を向けた。
「これでいいんだ…」
次の瞬間、何千、いや何万の蟲共はイスカの輝く体に飛びかかった。アヴローラよりも何倍も大きく、そして強靭な宿主、つまりは寄生先を彼らは見つけたのだ。イスカの体の光は次第に蟲共の黒い甲に埋め尽くされ、彼の意識もまた蟲どもに飲まれていった。イスカの視界はどんどん蟲共の黒に遮られていく。
薄れゆく意識の中、イスカは聞いた。…遺されたシィークンの悲痛な叫びを。
「イスカ兄ちゃん!!」
それがイスカの最後に聞いたアヴローラの声だった。できれば最後ぐらいもっと幸せな、できれば彼女の無邪気なあの笑顔をもう一度だけ見たかった。
彼がそう思った、次の瞬間イスカの視界は完全に黒に支配され…世界は暗闇に包まれた。シィークンの悲痛な叫び阿だけが永遠に消えることなく、彼の意識でエコーしていた。
* * *
いつもの街並み、何気ない日々の中。何気ない、それだけの世界で弼星アイナは窮屈で、そして憂鬱な日々な日々を過ごしていた。12月24日、休日のショッピングモール。ガラス張りになった天井を見上げると大きな月と、都会の明かりに照らされ星の見えない真っ黒な夜空が広がっていた。赤と緑と煌めく電飾に彩られた賑やかなこのモールも、今のアイナにとっては何の味気もないモノクロのような退屈な場所だった。気になるものと言えば、溢れかえらんばかりの客たち、子連れの家族や腕を組んだカップル、汚れた綿の髭を付けたサンタのコスチュームを身に纏った販売員たちが起こすその騒がしい声だけだ。
(一年前の今日はたしか、家でゆっくりしてたんだっけ。たしか、あいつが勝手に一人でも上がって燥いで、うるさかった。)
アイナはその騒音たちを耳に入れないようにしながら、何もかもが刺激的だった昨年、一年間を追想していた。
一年前の春、アイナはひょんなことがきっかけで一人の体を持たない不思議な少女に出逢った。彼女の名前はユーク・サラー・シルヴイー。サラー母星という地球から遠く離れた星からやってきた宇宙人の姫君だった。彼女は怪獣を率いる魔神の手により故郷の星と自身の体を失い、精神体となって長い間広大な宇宙を彷徨っていた。そして、たどり着いたののが、この地球だった。彼女はアイナの体に憑依し、当時地球の街を頻繁に襲撃していた怪獣たちから人々を守る決意をアイナに無断固めた。そう。アイナはユークと奇妙な共同生活を送り、巨大で恐ろしい怪獣たちと戦う羽目になってしまったのだ。ユークはなんとしてでも、故郷がたどった滅亡の道と同じ道を地球に辿らせたくなかった。二人は精神一体化〈サイコネクト〉することにより巨人「ユーク・エクスマキナ」と変身し、何度も怪獣や異星人から街を守り、戦い続けた。
重い過去のイメージからは想像もつかないそうな素っ頓狂で妙に子供っぽく、掴みどころのない性格のユークにアイナはなかなか馴染めず、何度も何度も振り回され、惑わされた。しかし、激しい戦いや何気ない生活を繰り返す中で互いの秘められた心情を深く知ることで彼らは唯一無二の親友、戦友…相棒になった。アイナの苦しみをユークが、ユークの苦悩をアイナが理解し、フォローし合い、襲い来る敵たちと二人で果敢に立ち向うことができたのだ。今振り返ると最高のチームだったと思う。
ユークがこの星を去ったのは今年の頭、冬がまだ明けていない寒い頃だった。二人は少し前ユークの故郷、サラー母星を滅ぼした怪獣大魔神「サタン・ゾーオ」を打ち倒して、この地球を滅亡から救った。
サタン・ゾーオは恐るべき怪獣だった。それは怪獣の怨念の集合体で、その星に眠る怪獣を呼び覚まし、宇宙から強力な宇宙怪獣を呼び寄せることができるという恐ろしい能力を持っていて、これまでにサラー母星だけでなく多くの星の文明を滅亡に追い込んでいた。アイナとユークはそんな魔神に打ち勝つために、二人の意識を極限まで一体化〈ファイナル・サイコネクト〉して最終決戦に臨んだのだ。「すべてを終わらせるもの」。二人はデウス・エクスマキナとなって、怪獣たちの怨念を、『悲劇の繰り返し』を断ち切り、サタン・ゾーオを撃破したのだ。
ゾーオから地球を救ったユークは暫くしてから、地球を去った。彼女はアイナに地球を託し、自分は怪獣に今も怪獣に襲われている他の星々を救うため、再び宇宙へ旅立ったのだ。
あと、1ヶ月とちょっとでもうあの別れから1年が経つ。そう思うと、アイナはなんとも言えない虚無感に襲われて思わず溜息をついた。
「遅いなぁ…ヒトミさん」
アイナは今朝、彼女の結ってくれたポニーテールをそっと撫でながらつぶやいた。垂れた毛先がコートの襟に擦れるサラサラという小さな音がアイナの鼓膜を揺らす。今日は、ヒトミとの初めてのクリスマス・イブだった。飼篠ヒトミはアイナのクラスメイトで、ユークとアイナと共に戦った戦友、そして…今は、アイナの恋人だ。想いは今年の夏頃、ヒトミの方から告げられた。中高一貫校に通っているため、受験勉強もなく毎日に退屈していたアイナに救いの手を差し伸べてくれたのがこのヒトミだった。元々はアイナの方が先にヒトミに好意を寄せていたのだが、数々の怪事件に巻き込まれながら、ともに奮闘していくうちにヒトミの方もアイナに惹かれていったのだ。
大人しくふわっとした性格の持ち主のヒトミだが、付き合い始めてからは積極的にアイナを遊びに誘っては、二人だけの時間を過ごした。今日アイナを地元・木ノ葉ヶ丘から5駅離れたこの海岸沿いのショッピングモールに遊びに連れて来て来たのもヒトミだ。今日も張り切ってくれたみたいで、普段は被らないような綿帽子に、普段は着ないようなふんわりとしたロングスカート、そしてなんとも可愛らしい薄いピンク色のコートを身に着けていた。これにはアイナもドキッとさせられた。…そのヒトミは今、アイナが腰かけているフードコートのカウンターから少し離れた通りにあるチョコレートショップに、クリスマス限定のミニケーキの購入列にいる。
「アイナ君はあんまり人混みが好きじゃないでしょ?大丈夫、私が買ってくるから。ちょっとだけ待っててね!」
ヒトミはそう言ってアイナをここに置いて、一人で行ってしまった。もちろんアイナも「一緒に行くよ」と付いていこうとしたのだが、「大丈夫」と笑顔を浮かべて、やんわりと断ってくるヒトミを…彼は深追いしなかった。正直、アイナは心の底でホッとしていた。‥少し、一人でいたかったのだ。
ヒトミと居るのが窮屈なわけではない。でも、この頃彼女と時間を共有していると、妙な後ろめたさが彼に降りかかってきた。ヒトミと居ると楽しい。好きな女性と一緒にクリスマスを過ごせるのだから、こんなに嬉しいことは他にないはずだ。でも、アイナの心にはいつも何かが引っかかっていた。今日は特にその引っ掛かりが気になってしょうがなくて、ヒトミと居ても何処かぼんやりとしてしまっていた。…ヒトミは察しの良い女の子だ。きっと今もそのことに気が付いて、アイナの事を想って席を外してくれたのだ。そう思うとアイナは本当に申し訳なかった。今の彼にはその引っ掛かりの正体が分からない。でも今の彼は刺激を求めていた。一年前のあの怪事件と対峙していた頃のような強烈な刺激を今のアイナは欲していた。
その時だった。モール内に流れるクリスマスソングに似合わない妙な音が突如鳴り響きだした。バルンバルンと一見、大型バイクを何台も並べ一斉に吹かしたような轟音が、空から鳴り響いていた。こんな日に暴走族?でも、何故空からそんな音が聞こえるのだろう。アイナが天井を見上げると街明かりに照らされた夜空に複数体の何かが舞っていた。
…それは細身の体に、黒光りした体に対して大きな三角形の頭を持っており、腹の背の部分から生やした翼でモールの上を旋回していた。そして細長い縫い目の様になっている真っ赤な目で眼下の人間たちを睨みつけ、鎌のようになった前足をクネクネと振りかざしている。アイナはそれを見て生理的な嫌悪感を覚えた。只でさえ昆虫の類のものだというだけで気持ちが悪いのに、その生き物のサイズは人間の頭ほどの大きさがあったからだ。
この異様なカマキリのような生物の出現にフードコートに居た客たちは皆気がづき、がやがやと騒ぎだした。
「なんだろ、あれ?」
「気持ち悪い…」
・・・すると、彼らの声が生物を刺激したのか、生物はガラス張りの天井にその大きな頭をガツン…ガツン打ち付けてきた。生物の頭突きはガラスを突き破るほどの威力はなかったが、人々を恐怖に陥れるのには十分だった。
「この化け物ぉお!」
緑色の作業着を着た男が声を張り上げた。どうやらその男は天井に吊るされたリースの故障していたライトを修理していたようで、モール中の人間で彼は恐らく一番生物の近くにいた。そのあまりに近すぎた未知との邂逅が彼の理性を奪ったのだろう。男は手にしていたスパナを振り上げ、思い切り、生物張り付いた窓に投げつけた。
…ガシャーン!というガラスの砕け散る音がモールに鳴り響く。
次の瞬間、巨大な昆虫が体をよじり割れた天井から室内に侵入してきた。同時にパニックに陥り駆け出す人々。
アイナの座っていたカウンターも人の波に衝突し、アイナもろともばたりとひっくり返ってしまった。
「ぎゃあああああああ」
地面に頭を打ち付け、痛みに悶えていたアイナだったが野太い男の悲鳴が彼の鼓膜を揺らし、彼は本能的に声のする方を振り返った。
先ほどの作業着の男に黒く小さな点が群がっている。…どうやらそれもあの生物と同じ蟲のようだった。目線を上にずらすと、巨大な方の蟲が侵入してきた天井の穴から、ハエのようなサイズの小さなサイズの蟲たちが、穴から注ぎ入れられた砂の様に絶え間なく、ぞざざぁ…っと、群れを成し侵入してきていた。この光景にアイナも思わず喉の奥で小さな悲鳴を上げた。叫びたかったのはアイナだけではないようで、モール中で悲鳴が鳴り響いた。
「う…ぐぅううううううぅうう、ォオオオオオッ」
その時、蟲に群がられた作業着の男が奇怪な声を上げた。奇怪な声だけではなくメキメキメキメキと奇怪な音まで立てている。アイナは思わず男を凝視した。…しかし、そこには男の顔はもう無かった。代わりにそこにあったのは人間のものではなく、巨大なカマキリの頭だった。
「キィイイイイイイイイ!!!」
作業着の男は巨大な鎌と体を持つ漆黒のカマキリ人間に変貌を遂げた。アイナは男がカマキリ人間に変貌を遂げる瞬間を見てしまったのだ。アイナは思わず、飛び上がり、人々の群れに駆け寄ると群れに飛びこみ合流した。
「きゃあああああああぁあああ」
すると、別の場所でまた悲鳴が起きる。今度は逃げ惑う人々に蟲たちがたかり始めたのだ。
「ぐぎ・・・ぎ…キィイイイ!!」
いたるところでカマリキリ人間の甲高い金属音のような産声が悲鳴に混じって響き始めた。目の前の人々がどんどんカマキリへと変貌していく。アイナの合流した群れの後部でも一人の女性が巨大なカマリキに変貌を遂げた。その、この世の終わりの様な恐ろしい光景を間近で見て、アイナはやっと今何が起きているのか理解した。
あの小さな蟲たちは人間の体を狙い群がっているんだ。そして、襲われた人は蟲に寄生されて、カマキリ人間へと変貌してしまう。事態を理解して瞬間、アイナの額から冷たい汗がダラダラと溢れ出した。戦慄した。
例の天井の穴からはまだ大量の蟲たちが流れ込んできている。モールのいたるところから聞こえる蟲の羽音を察するにモール中のどの出入り口も同じ状況なのだろう。このままではモールにいる人々、皆がカマキリ人間と化してしまう!
その時、アイナの脳裏に一人の少女の顔が浮かんだ。さっきまで彼が意識の外に追いやっていた少女の顔だ。
「ヒトミさん!!」
アイナは大切な人を失うかもしれないという、恐るべき不安と恐怖に思いきり胸を引っ掻かれた。全身の血が、急に冷たくなって体がぶるぶると震えだしているような感じもしてきた。…とても、いても立ってもいられない。アイナは人々とカマキリの群れをかき分けて、白い綿帽子を、彼女が来ていた薄いピンクの可愛いコートを探して走った。
少し走ると、通りの一角にさっきまでヒトミが並んでいたチョコレートショップが見えてきた。当然そこにはもう限定ケーキを求める人々の列など存在しなく代わりに、甘いお菓子に群がり食い漁っている巨大昆虫の群れが出来ていた。
「ヒトミさん!ヒトミさん!」
アイナは自分の鼓膜が痛くなるような大声で恋人の名を何度も呼び、叫んだ。ヒトミは彼の唯一の理解者だった。ユークがさったあとヒトミのフォローが無ければアイナは確実につぶれてしまっていただろう。彼女はただの恋人ではない。その言葉だけでは表現できない掛けがえのない存在、恩人だ。この星の全ての人間がカマキリの化け物になろうとも、ヒトミだけは無事でいてほしかった、何としてでも今すぐに彼女の無事な姿を確認したかった。
(…助けてくれ、助けてくれ、ユーク…。)
彼は無意識化でかつての相棒に…祈り続けた。
「…アイナ君!」
その時だった。アイナの背後で聞き慣れ親しんだ、いつも彼を優しく包み込んでくれるあの子の声が聞こえた。
「ヒトミさん!」
ヒトミは衣料店のマネキンの後ろに蹲りひっそりと身を隠していたようだ。「無事でよかった。」
アイナは心の底から安心した。ヒトミはすらっとした線の細い体をふるふると身を震わせながら、ヒトミはアイナの方にゆっくりと歩いてきた。
「助けて…助けて、アイナ君…」
ヒトミは涙を浮かべながら、虚ろな目をまっすぐにアイナに向けてきた。
…様子がおかしい。よく見ると彼女の頭の上には3匹の蟲が群がっていた。
…状況をすべて理解したアイナの目にも涙がたまってきた。
「どうして…そんな…、どうして…」
アイナはそう言って彼女に近づくことしかできなかった。今のアイナには彼女を救う力が…無い。今まで感じたことのない途方もない無力感、そして負の感情が真正面からアイナに襲い掛かってきた。深く氷の様に冷たいこの感情こそが「絶望」…だ。アイナとヒトミは体の赴くまま、お互いに手を伸ばした。
「・・・・ググググ…キィイイイイイイイイ!」
二人の指先が触れ合いそうになったその時だった。ヒトミは金属の擦れる音のような高い悲鳴を上げた。カマキリ人間の産声だ。ヒトミの可愛らしいピンクのコートがみるみるうちにゴツゴツとした蟲の体に変わっていく。細くスラっとした指先はギザギザとした棘の生えた巨大な鎌に変化し、白い綿帽子は三角系の怪物の頭に振り落とされた。
アイナはその場から動けなかった。何をしていいのかもわからなかったし、自分が今見ているもが現実なのかも、今自分が本当に生きているのかも分からなかった。ここは地獄なんじゃないかとすら思った。ただ、ひたすら目から涙が溢れ出て止まらなかった。…もう何も考えることができない。
* * *
気が付くと、アイナはカマキリ人間たちの群れに囲まれていた。しばらく放心してしまっていたようだ。周りを見渡すとアイナを中心に何十体、いや何百体のカマキリ人間が円を作りその縫い目のような目でアイナを睨みつけていた。さっきまでヒトミだった個体もカマキリの群れに飲まれ、最早どれがその個体なのか判別もつかなかった。
カマキリ人間たちの様子を見て、恋人を失い、もう何が何だか分からなくなっていたが、そんな彼もこの丈量に密かに疑問を持ち始めていた。彼らは、カマキリ人間は不思議なことに…アイナに近づいてこようとしなかったのだ。頭をこちらに向けて頻繁にピクピクさせてアイナに多大な興味を示しているものの、彼らは何かを警戒し、アイナに近づけない様子だ。
…一体、何が起きてるんだ?
(僕が何をしたっていうんだ!お願いだ。教えてくれ、ユーク!)
彼はまたもかつての相棒に祈り、助けを求めた。もう彼にできるのはそれだけだった。…それしか彼にはできなかった。
(くくくく…へへへのへ。)
その時、アイナの脳裏に何者かの笑い声が響いた。…聞いたこともない声だ。少し低めの幼い声だったが、確かに周囲からではなく、その声はアイナの頭の中に直接聞こえていた。
「…誰だ?」
アイナは思わず、口に出して問いかけた。
(おっと、こいつぁ、失礼したね。へへん。けれど、あまりにひょんな光景を見ちまったからな、思わず笑いが込上げちまったんだよ。悪りぃ、悪りぃ。へへへ、泣き虫が虫の大群に囲まれでグスングン泣いてらぁ、こいつは傑作だぜ)
その声は相かわらずケラケラと笑いながら、人を馬鹿にしたようなトーンで心のない謝罪をしてきた。
「…何がそんなにおかしいんだよ!」
これにはアイナもカチンときた。
(ほらほら、そう声を荒立てるんじゃねぇ、あんちゃんよぉ。ちょっと奴さんたちを見てみな?ちっと、さっきと様子が違うだろ?ほら、顔を見合わせて頭をクイクイ回してやがる。あれはな、今からあんたに一斉に飛びかかってあの鎌で八つ裂きにして殺しちまおうって、相談をしてるとこなんだ。アンタさぁ…怒りの矛先を俺に向けてる場合じゃないんじゃないのかい?)
「…なんだって?」
アイナは周りにずらりと並んだカマキリ人間たちを見渡した。…確かにさっきと少し様子が違う。声の主の言う通り、幾らかの個体は向き合って何やら相談をしているようだった。また、一部の個体は両前足の鎌をこすり合わせ、棘を研ぐかのようにシャキシャキと気味が悪い音をかき鳴らしている。…明らかに戦闘態勢に入っているようだ。
(どうだ、生き残りたいか?…弱虫さん)
声はこの危機的状態に似合わない、楽しげで緊張感のない無邪気な声でアイナに囁きかけてきた。…今のアイナには生きる理由が見えなかった。信頼し合った相棒はもういないし、恋人はカマキリの化け物に姿を変えられてしまった。でも、ここでは死んではいけない気がした。まだ、ヒトミを…、あの子を救い出せるかもしれない。
(なぁ、この俺と取引をしねぇか?あんちゃん。)
声は相かわらずのにやけた声で言った。
(助かりたいなら…その体と心を当分の間、この俺に貸しな。…あんたなら分かるだろ、この意味が?そう、そういうことだよ。)
アイナにはおぼろげに声の主の正体が分かってきた。声の主はきっとアイツの同胞だろう。…今はひとまず信用していいんじゃないだろうか。いや、むしろ今はそれすら考えている暇はないかもしれない。
(早くしねぇと、あいつらも痺れを切らすぞ。俺はずっとあんたを探してたんだ、弼星アイナ。俺もあんたに死なれたら困るんだよ!)
アイナにはその声が今口にした言葉の意味も、声の主が何故アイナの名前を知っているのかも分からなかった。しかし、確かに声の言う通りもう時間がない。今が決断の時だ。
「…わかった。今は君を信じる。だから今すぐ助けてくれ!」
アイナは腹の底から力を振り絞って声の主に呼びかけた。もうなりふり構っている暇はない。
(へっへっへ。その言葉待ってたぜ。だが、俺と一つになったからには覚悟しな。俺にゃ、『お姫様』みたいなお上品な戦いはできないからな!)
声の主の嬉しそうな声がアイナの脳内にガンガンとこだました。すると、彼に真っ青な光がさぁっと降りかかってきた。そして、アイナは自分の体と意識の中に何者かが侵入してくるのが分かった。…あまり心地の良いものではなかったが、アイナは何も抵抗しなかった。たった今、声の主の意識がアイナの体に憑依し、二人は一心同体になったのだ。
青い光から通常の状態に視界が晴れると、カマキリたちのサークルのど真ん中に、自分の目の前に一人の少年が背を向けて立っていた。
(よぉ。俺の名前は、イスカーチェリ。イスカーチェリ・イエナッハ。人呼んで流離の「イスカ様」だ。ご察しのとおり、サラー母星出身の精神生命体さ)
頭に奇妙な三本の角のようなアクセサリーを付けたその少年、イスカは肩越しにアイナを見るとニヤリと笑った。身なりはあまり清潔だとは言えない不思議な紺色の民族衣装のようなものを纏い、腕には小型のアーマーようなものを付けていた。背丈は小学校低学年男児程度で、足をプラプラと揺らしながらアイナの目の前をフワフワと浮遊している。
(まぁ、今ここで自己紹介なんざしてる暇はねぇわな。詳しくはあとでしてんやんよ。さぁ、行くぜ!)
「わわわ、ちょっと待って!!」
という、アイナの呼びかけに答える間もなく、イスカはアイナの体を使って地面を蹴り上げ宙に舞い上がった。アイナに蹴り上げらせた衝撃で床のコンクリートが薄いガラスの様に簡単に砕け、空中に砂状になったコンクリート片が舞う。アイナとイスカはそのまま、モールの壁を蹴りつけよくアクションゲームでよくあるような所謂「壁キック」を繰り返しながら吹き抜けとなったモールの上階へ飛び移った。
今、アイナに見えている、彼の前を浮遊しているイスカは実体ではない。実体のある体を持っていないイスカはアイナとコミュニケーションをとるため、彼にしか見えないホログラムを虹彩に投影しているのだ。ユークやイスカたち、サラー母星系人の一部は星の滅亡から逃れる為にその肉体を捨て、意識と魂だけでも生きることのできる精神生命体へと転身を遂げた。だから、彼らは誰かの体を借りないと物理現象を起こすことが出来ない。だから、今、イスカはアイナの体を借りカマキリ人間たちから逃げている真っ最中なのだ!
「頼むから…本当に待ってくれ!」
4階の手すりに手を掛けた時、アイナは再びイスカに呼びかけた。…今、アイナの体の動きは半分以上イスカに支配されアイナ一人の意思では自由に体を動かすことが出来なかった。今こうして必死に口を動かすのもこれだけで精一杯なぐらいだ。
「あの中に…ヒトミさんが、仲間がいるんだ。戻って早く僕たちが助けないと…」
(ばっきゃろう!今そんなこと言ってる場合じゃねぇだろ?あんな蟲共の大群に自分から飛びこんでなんになるっていうのさ。んな事より俺達にはやらなきゃいけない大事なことがあるんだよ!)
イスカは飛びかかってくる、カマキリ人間を薙ぎ払いながら言った。カマキリ人間は下界から次々と羽を広げどんどんとこちらの方へ向かってきていた。このままではイスカの言う通りアイナの方が危険かもしれない。
「でも、ヒトミさんが!」
アイナは懇願の眼差しをイスカのホログラムに向けた。絶対に彼女だけは…ヒトミだけは見捨てることが出来ない。何としてでも、彼女をあの中から救い出さなければならないんだ。
しかし、アイナのその想いはイスカには届かなかった。するとイスカは手摺にぶらさがった滑稽な格好のアイナを細めた目で見下ろして、氷の様に冷たく、乾ききった声でこう言った。
(…約束したよな、アンタ。命を救ったら、当分の間体を貸して貰うってなぁ)
アイナの背筋に何か冷たいものが走った。…ヤバいやつと一心同体になってしまったと、彼は今更気が付いたのだ。
(ほら、いくぜっ!)
イスカはアイナ全身を腕に全身の力を集め、手摺に対して解き放った。するとイスカと一体化し飛躍的に身体能力が向上したアイナの体は、バネのように弾け飛んでそのまま、ガラス張りの天井へ突っ込んだ。
アイナの耳の傍でガラスの砕ける音が響き、モール外のガラス屋根の上に放り出されたアイナの体は、斜めに傾いた屋根の上ゴロゴロと転がりだした。腕がチクチクヒリヒリと痛み、妙な温かさを感じる。きっとさっき窓を突き破った時、腕をガラス片で切ってしまったんだ。
(さぁ、ここからは一気に駆け下りるぜ)
そういうと、イスカはアイナの体をアクロバティックに翻し、宙で一回転するとグネグネとうねり返ったパイプラインがひしめき合っている屋根の上に着地した。そこには大型の換気扇が口を開けとめどなく生暖かい風を吹き出している。その油臭い風を感じながら二人は普段はメンテナンス用に使われているのであろう細い階段を一気に駆け下りた。
(よし、ここだ。ひとまずここに隠れるぞ)
イスカはアイナの足でクリーム色の大きなボイラー室のような建物のドアを思い切り蹴り上げ、鍵をつま先で叩き壊した。これには超人的な能力が身に付き、硬くなっているアイナの右足もさすがに痛んだ。そして素早く屋内に飛びこみ、無理やり、蹴破ったドアを元の場所にもどし、中にあったダンボールで簡単に入り口を塞ぐと、イスカはそっとアイナの体をブルブルと騒音を鳴らしている大きな機械の横に下した。
…アイナはやっとイスカの支配から解放され、やっと体から力を抜くことが出来た。全身がぐったりとなって真冬だというのにシャツは汗でぐっしょり、セーターは切れた左肘からの出血で赤く塗れていた。本当に、本当に散々な目にあった。無抵抗のまま体をモール中引きずりまわされたようなものだ。
(気にすんなよ、その切り傷はすぐ治るだろ。それにその疲れだってすぐに取れるはずさ、なにしろ今はこの俺がアンタの体にいてやってるんだからな)
イスカは一応アイナに気を使っているようだったが、どうでもいいようなものを見るような素振りでぐったりした彼を眺めていた。…そんなイスカをアイナは思わず睨みつけた。
(ケッ。そんな目で睨むんじゃねぇよ。気分が悪くなる。アンタは俺がかくれんぼの天才じゃなけりゃ、今ごろあの蟲共にリンチされて、ミンチにされてるところだったんだぜ?少しは感謝しろよな)
イスカが口角をあげてニヤニヤしながらふんぞり返っていると、外からめちめち、めちめちと無数の君の悪い音が鳴り響いてきた。…アイナの脳内に流れ込んだイスカの本能的な記憶が語る。これはカマキリ人間たちがアイナを探し回って床を這いずり回っている音だ。
(安心しなよ、当分ここは見つからねぇさ。奴さん、あんなでけぇ、立派などたまを持ってるくせにお頭はめっぽう弱いんだ。へへへっ)
イスカは目を細めて、人差し指で鼻の下をこすり、外で犇めく哀れな蟲達を嘲笑いながら余裕たっぷりに語った。
「…お前の目的は、目的は何なんだ?」
やっと声が出るようになってきたアイナは女の子ようにか細い声で、イスカに尋ねた。本当に弱弱しい声だったが、その質問にはアイナの腹の底にたまっていた理不尽な怒りが存分に込められていた。
(ふん。それをアンタに教えこんで、しっかり脳に刻み込んでもらうために、わざわざこんなところで呑気に休憩してるんだぜ?…アンタには俺がやろうとしていることを、しっかりと理解してもらわないと困るからな)
イスカは目を少し見開いて、アイナの目線の高さまでふわふわと降りてきた。
(俺は…あの蟲共。寄生螂獣イロキオンを抹殺しこの星にやってきたのさ。)
「イロキオン…」
アイナは急に真面目な態度になった、イスカの言葉に必死に耳を傾けた。
(そうだ、イロキオン。アンタがカマキリだとか、何とか呼んでたアイツらのことだよ。奴らを殲滅、この世から消し去るのがこの俺の目的なのさ。…その為にアンタの協力が、アンタの理解が必要不可欠ってなワケよ。)
イスカは幼く丸い顔の真ん中に皺を寄せて、まん丸な目でアイナのことをまっすぐに見つめてきた。この目は、嘘をついていない。
「僕の…協力が欲しいなら、詳しく状況を説明してくれないか?いくらんでも状況がつかめない。」
アイナは彼を信じて…話を聞いてみることにした。すると少し全身を支配していた緊張感が解けてきた。
(へっへ、それもそうだな。じゃあ手始めに憎きイロキオンたちの話からさせてもらおうかね。)
アイナの反応を見ると、イスカは嬉しそうに口角をあげて語り始めた。…この精神生命体思いのほかお喋り好きらしい。ユークもそうだったし、やはり宇宙を一人彷徨うと、こうなってしまうのだろうか。そんな憑依経験ある人間特有の票なことを考えてしまったアイナだったが、そんな邪推をしている場合じゃないと思い、改めてイスカの話を聞き入った。
(ヤツら、蟲みたいなカッコしてやがるだろ?でも、ヤツらは蟲なんかみたいに…ぺちんとすれば倒せるような単純な連中じゃないんだぜ。奴らはああ見えて精神生命体。俺たちサラー母星系人と同じなのさ。俺たちと同じように、体を持たず精神と魂だけで生きてる…ほら幽霊みたいな怪獣だと思えば分かりやすいか?)
イスカはアイナの反応を伺いないがらゆっくりとつづけた。…この精神生命体思った以上にそうとう喋り好きだ。
(ヤツらはいつも、何かしらの生物の精神に寄生してる文字通りの寄生虫野郎だ。イロキオンに精神を寄生されたやつは身体を奴等の意思に侵食されて、あんな化け物に姿が変わっちまう。……アンタのツレみたいにな。)
「…ヒトミさん」
ここまで話すとイスカはほんの少し申し訳なさそうな表情を見せた。アイナは一生忘れることが出来ないだろう、大切な恋人が、可愛らしいデート服が、ゴツゴツで不気味な蟲蟲した姿に変わっていく戦慄の光景を。一生のトラウマだ。だが、イスカがほんの少しでも彼女の事を気に留めてくれていると分かってアイナは少し安心した。
(悲しいが…イロキオンをカノジョの身体から引っぺがすのはアンタが考えてより、そんな簡単なことじゃねんだ。何しろ奴が寄生してんのはニンゲンの身体じゃなくって、そのニンゲンの魂や精神の方だからな。…ちなみに奴らの肉体を破壊したって意味がない。何しろ、奴らも俺たちみたいに魂だけで生きれるんだ)
「…去年の一年間、ユークと一緒に戦ってきて、なんて頼もしいパートナーなんだって思っていたんだけど、敵側に回られるとほんとに厄介なんだな…精神生命体って。」
アイナはヒトミの事を想いながら、憎しみを込めてイスカに言った。
(あぁ。俺たちも、奴等にさんざんしてやられたよ。そう、まだサラー母星がまん丸にこの宇宙を浮かんでいた頃の話さ。)
イスカは目を少し細めて言った。
(イロキオンは、あの怪獣大魔神サタン・ゾーオの眷属だ。魔神に使役する悪魔のような。)
「…サタン・ゾーオ。」
直接、ゾーオと対峙したことがあるアイナは良く知っている。ユークの故郷サラー母星を滅ぼし、尋常なまでに文明を憎み否定する増悪と怪獣の怨念の集合体、いや怨念そのものと言ってもいいかもしれない。イロキオンはそんなゾーオの片腕のような存在だったのだ。
(ヤツら、俺たちの星に直接送り込まれて来る尖兵みたいなもんだったのさ。今はご主人様を失って失業中みたいだが。でも…いまのこのモールの状況、魔神率いる怪獣軍団との戦いの最中の時とそっくりなんだぜ?)
イスカは苦笑しながら言った。そう、イスカもゾーオやイロキオンを始めとした怪獣たちに故郷を滅ぼされているんだ。本当なら喋るのも辛いんだろう。笑っていなきゃこんなことを話すことなんてできない。
(だが、安心しな。俺たちには切り札があるんだ。)
イスカがそう呟くと、口角を更に上に上げて「にぃっ:」っと笑った。今度の笑いは気ほどの苦笑と違った意味を持っているようだったが、小学生のようなイスカの顔に不釣り合いなその表情は客観的に見て不気味で、まるで彼が何を考えて理うのか分からなかった。だが、イスカはどこかそんなアイナの反応をみて楽しんでいるようだった
(…『ユーキュウム』のことだよ。知らないのかい?あの伝説の星、惑星『ユーク』由来の幻の物質、あのユーキュウムの事さ。)
…当然イスカの語る惑星の名がアイナの心に引っかかった。よく耳になじんだ、ここ最近は口にしていないが、昨年は何度か数えきれないぐらい呼んだ、あの名前だ。
(あ、お姫様と同じ名前だ!?…ってか。へへのへ。気になるか?ま、気にならねぇ分けねぇよなぁ)
図星を突かれ、アイナは少しムッとした。アイナの胸の秘密の琴線にイスカはちょっかいを出してきたのだ。
(ふーん、ほんとにアンタ何も知らねぇんだな。…いいさ、いいさ。大歓迎さ。何も知らねぇやつに話す方が…話し甲斐があるからな。)
イスカは完全に話を聞くアイナの様子を見て楽しんでいた。まだあって少しか経っていないが今まで見たイスカの表情の中で一番活き活きとしている。…この精神生命体はどれだけお喋り好きなんだろうか?
(よぉうし。ユーキュウムと惑星ユーク、そして英雄・イスカーチェリ様の伝説をアンタにじっくり聴かせてやるよ!)
イスカは小さな体をぐねんとふんぞり返らせて、えっへんと言わんばかりに胸を張り語り始めた。存分に武勇伝をアイナにぶちまけるつもりだ。
(この俺…イスカーチェリ・イエナッハ様は怪獣軍団との戦争の最中、かの南の空に輝く美しい菖蒲色の星、惑星ユークに三百もの軍勢を引きつれ旅立ったんだ。よーく覚えておけ。これが伝説の始まりだぜ。俺は愛しのシィークンに別れを告げ、ユーキュウム運搬用の巨大輸送船に乗り込み、下っ端の荒くれ部隊であるノマド・コアリクション部隊のリーダーとして立ち上がった。朝日を背に思いきり浴びて旅立ったあの日の事は俺は一生忘れないねぇな。)
イスカは自分の話に酔いしれていた。顔を赤く火照らせて、ポーっと天井を眺めてしまっている。もうアイナが聴いてくれてさえいれば反応なんてどうでもいいようだ。なんてオヤジ臭い少年宇宙人なんだろう。
「…う、うん。ところでその『しぃくん』ってのはどういう意味…なのさ?」
(ん?)
イスカはアイナの問いかけに少しどもった。話に夢中になるばかりに、異星の言語に自分たちの言葉を混ぜて話してしまっていることに気が付かなかったのだ。
(あぁ、シィークンってのは…なんて言うんだ?…んん。なんていうか、アンタたちの言葉でシマイ…いや、キョウダイってのか?)
「あぁ。兄弟の事か。兄とか弟とか、妹とか」
(そ、そう。それさ!とにかく俺はよ、戦乱の故郷に…生まれたてほやほやのちっこくて可愛いシィーンを置いてまであの惑星ユークに旅立たなきゃいけない理由があったわけよ!)
話の腰を折られたイスカは少し動揺しながら話を急いで本題に戻した。一刻も早くその先の武勇伝も語りたいのだ、
(えっと、どこまで話したっけ?あぁ、ユーキュウムってのはな、惑星ユークでしか採取不能でその惑星固有のヘンな物質なんだ。面白れぇことに、この惑星ユークは百パーセントがユーキュウムで構成されている上に、惑星ユークは惑星でありながら生物でもあるらしいぜ。)
やっと、話の話題が惑星ユークに向けられアイナは思わず、イスカの方に大分動けるようになっていた体グィっとを乗り出した。
(俺は学者のお偉い先生じゃねぇから、詳しいことは知らねぇけど…その星は俺たちみたいに知性は持ってなくてもちゃんと、イキモノとして精神や魂を持ってるらしい。植物みてぇなもんなのかな。…だからか知らないけど、まぁサラー母星の民たちは大昔の神話にあやかって「南の女神・ユーク」だなんてその星の事を拝んでしたりしたわけよ。)
イスカは可笑しそうにチラチラとアイナの反応を伺いながら話し続けた。
(で、何故俺がそんな観光名所みたいな星に行くことになったかって言うとな…ユーキュウムには不思議な力が二つ備わっていたのさ。一つは、生命体の精神、魂に寄り添って宿る力…。力というより、最早この物質の特性とも言えるな。よくわからんが、このユーキュウムってのは生命体の精神に宿らないと物質として存在出来ないらしい。まぁ訳が分からないよな。俺も意味が分からん。でも、だからこそ俺たちは、旅に出る前、巨大樹の種子を五つも輸送船に運び込んだんだぜ。もちろんユーキュウムの宿主としてな。)
アイナは相かわらずイスカの話に聞き入ってきた。イスカは喋り好きであると同時に、喋り上手でもあったのだ。今は武勇伝的な話をしつつも、自分の主観を絡めながらだが冷静に極めてに客観的にユーキュウムと過去の出来事を語れている。イスカはさらに話を進めた。
(そして、ユーキュウムが持っていたもう一つの力。それは魔除けの力だ。不思議なことにユーキュウムは邪悪な存在を阻む謎の力がある。怪獣避けにもなるし、ある時、特に邪悪の塊みてぇな存在のイロキオンにはかなりの効果があって、奴らを完全に打ち倒せる力さえあると科学的に証明された。そうさ、俺たちの任務は巨大樹に宿らせたユーキュウムを持ち帰り、イロキオンに寄生された人々を救って、奴らを撃退する為に惑星ユークに向かったのさ。長い長い航海だったよ。旅立った時、生まれたばかりだったシィークンが旅を終える頃には九歳の生意気坊主になってやがった。旅の間、何度もゾーオの手先や野良怪獣たちの襲撃を受けたよ。輸送船も何度も何度も故障した。だが、イスカもノマド・コアリクション部隊の仲間たちも諦めなかった。こうして、イスカ-チェリは、女神の惑星から幻の物質ユーキュウムを持ち帰り、蟲共からサラー母星と寄生された人々を救った英雄になった訳だ!)
結局、最後の最期に主観的な話し方になっていたイスカは胸を再びえっへんと張り直した。アイナはこのイスカの語らいの最期の部分に妙な違和感を覚えた。イスカ自身の一人称があまりに不安定だったからだ。語っている本人が興奮しているから仕方ないかもしれないが、アイナは少しこの謎の少年の秘密を垣間見てしまったような気がした。
しばらくすると、ふんぞり返っていたイスカは息をふぅーと大きく吐く仕草をするとプクッとした頬をぺちぺちとたたいた。アイナにはこの後にどんな話がくるかすこしばかり予想がついていたので、イスカのこの仕草がどこから来るものなのかすぐに分かった。
(まぁ、分かってると思うが…平穏は長く続かなかったさ。今サラー母星がどうなったか知っていればまぁ分かるよな。一時は母星の各地に撒かれた五つの種のおかげで怪獣出現の頻度も減って、イロキオンなんかは見る影もなかったよ。だが、ある日、五つの巨大樹の前に、一斉に怪獣が現れやがって、俺たちが命懸けで持ち帰った希望、ユーキュウムを破壊し始めた。厳重に守られた王都の巨大樹以外の四つはボカスカ殴られて簡単に倒されちまったよ。あれは本当に…あっけなかったさ。みんな、ポカーンと口をあけた間抜けズラで絶望してたよ。)
流石のイスカの顔にも笑顔は一切なかった。彼はその目で故郷の崩壊をみてきたのだ。
(だが、本当の絶望はそこから先だったよ。俺が再び惑星ユークに向かおうと部隊の基地に赴いた時のことだ。…作戦モニターに映し出された女神の惑星を見て戦慄したよ…破壊されてたんだよ、惑星そのものが。あの美しかった菖蒲色の星が木っ端みじんになってた。星のカケラは一つ残らず地獄の炎に燃やされていた。)
イスカは憎しみを込めた低い声で言った。
(…あいつがやったんだよ。魔神サタン・ゾーオ。モニターに映し出された奴の恐ろしい影を俺は…あれ以来一度もたりとも忘れたことがないぜ。目に焼き付いちまって離れないんだ。まぁ、とにかく俺たちは文字通り希望の星を打ち砕かれたのさ。)
イスカは暗い顔でうつむきながら語った。さっきまでふんぞり返って武勇伝を語っていた人間と同じ人物が喋っているとは思えない。アイナとイスカの間に気まずい空気がながれたが、イスカはそれを振り切るかのように話をつづけた。
(こうして…アンタの知る通りサラー母星系人たちは体を捨てて、宇宙に逃げ出すことになったわけだ。だが、王都の住人々だけは違った。最後の残りの巨大樹一本を武器にサタン・ゾーオに最後まで挑んでたらしいよ。俺は訳あって…参加できなかったんだがな。…情けねぇ。)
ここから先はアイナも少しユークから聞かされたことがあった。ユークの父、ルナー王はその運命をかけゾーオの起こす災厄と悲劇をこの星を最後に打ち止めしようと奮闘したのだ。
(それで結局王都も最後は巨大樹のユーキュウムを暴走させ母星を自爆、結局それでもゾーオは殺せなかった。イロキオンの奴らも大分、数か減ったもののかなりの数が生き残りやがった。無念だったよ。母星の爆発でユーキュウムは完全にこの世界から失われたんだからな。)
イスカはそういうと口を閉じた。故郷を失い、憎き宿敵を取り逃がし、更にはその憎き敵を倒す手段をもなくしてしまったのだ。このことを絶望というのかもしれないとアイナは思った。…しかし次の瞬間、イスカの口角が今までなかったぐらいにグィっと上に持ち上げられた。
(…だが、それは間違えだった。そう、この世界はたったヒトカケラ…ユーキュウムが残っていたんだよ。俺はあれを見つけ…いや、思い出したんだ。)
イスカは興奮していた。今までになく興奮していた。彼の興奮がアイナの神経を伝わり、アイナの腕に鳥肌を立たせた。そんなイスカの様子がアイナにはなんだか恐ろしかった。イスカはそんな事、お構いなしに自分のペースで話し続ける。
(母星が滅びる約二〇年前、俺は調査隊として惑星ユークに向かっていたんだよ。輸送計画が始まったばかりの頃だ。その時、イスカ・・・俺は小さな植物の種にサンプルとしてユーキュウムを一かけら母星に持ち帰っていた。)
イスカは何かの文章を読み上げるかのように淡々と、でもアイナの心臓の鼓動トクトクと速めながら、ベビーフェイスに似合わないしたり顔で語った。話が最後の一番大事な核心に近づいているのだ。それはアイナにも存分に伝わってきた。もう話はクラマックスに突入している。
(そのサンプルは学者の手で入念に調べられたあと、希望の星として王都に届けられて、王と王妃に献上されたんだ。それで喜ばれた王妃は生まれたばかりだった自分の娘に…その希望の星を与え、授けた。)
「まさか…それが!?」
アイナは思わず声に出した。思いもしなかった話が、思いもしない方向に展開し、ひとつの答えが今提示された。
(そう、それがアンタの相棒だった、サラー母星系連合王女、ユーク・サラー・シルビィ、その人だよ)
…この数万年間、ユーキュウムはひっそり一人の少女の魂の中で生き残っていたのだ。王妃は自分の一番大切なもの、一番大切な娘、姫に保険をかけていたのだ。そう、ユークこそが最後の希望だった。
(ほぅら、繋がっただろ?もう俺が何でアンタの元を訪れたのか分かったんじゃないのかい?)
イスカはひと仕事を終えたばかりの顔でアイナを見下ろしてきた。
「…残念だけど、僕は知らないよ。ユークが今がどこにいるかなんて。正直僕がそれを知りたいぐらいだ。」
(チッ…アンタ、ほんとに察しが悪りぃな。)
本気で落ち込んだ顔をしているアイナに舌打ちしつつも、イスカは嬉しそうだった。
(思いだしてみなよ。あの蟲共はなんでアンタに憑りつかなかったんだい?なんかおかしくねぇか?)
イスカに言われた通り、アイナはこれまでの出来事を振り返ってみた。確かに考えてみれば不思議だ、あれだけの人、ほとんどの人がイロキオンに襲われて寄生されている中、何故だかアイナは寄生されることはなかった。それにチョコレートショップの前で囲まれた時も何故か、彼らはなかなかアイナに手出しをしようとしなかった…。
「まさか…僕の体の中に…ユーキュウムが…?」
アイナは正しい答えに辿り着いた。アイナの中にユーキュウムが存在しているとしたらすべてが納得がいく。
(そうさ、きっとアンタとお姫様が長い事繋がってたから、お姫様の魂に宿り成長していたユーキュウムがアンタの魂にも移ったんだろうよ。)
イスカはその答えを待ってましたとばかりに、踊るようにくるくる回転して宙に舞い上がって言った。
(今、この世界には二つのユーキュウムのカケラがある。一つは宇宙を彷徨うお姫様の魂に宿ったカケラ。もう一つはこの地球の少年、弼星アイナの魂に宿ったカケラだ。イロキオンの地球襲来の理由はきっとそれだろう。邪魔者であるアンタを抹殺してついでにこの星の生態系を乗っ取っちまおうって寸法だ。)
「僕を殺せば…ユーキュウムのカケラがひとつこの世界から消滅する」
(そう。だから、このイスカ様はそれを逆手にとってやったわけでござんすよ。この地球で奴らにケジメを付けさせてやる。アンタとアンタの中に眠るユーキュウムを使って奴らを全滅、殲滅させてやるのさ!)
イスカは腕を力強く宙に勝ちあげながら、自慢の計画をここにぶちまけた。計画を聞いてアイナにも希望が見えてきた。
「ユーキュウム…の力を使えば、ヒトミさんも助けることができるかもしれない!」
(そうだ。その通りだよ。だが、俺たちに先やることがある。わりぃがアンタのカノジョは後回しだ)
やっと沸いた希望に割って入ってくる精神生命体にムッとしたアイナだったが、やっと相手の事が少し理解できたのだ。アイナは怒りの気持ちを喉元にとどめ、そのまま飲み込んだ。イスカはそんなことを気に留めず計画についての詳細を語りだす。
(俺が最近知り合った情報通のとあるパーヴァス星人から聞いた情報だ。)
「パーヴアス星人?」
(あぁ。ちょっと捻くれてるが、まぁいいやつだ。。アンタの情報もソイツから仕入れたんだぜ?へへん。信頼できるだろ?)
アイナは正直、その宇宙人に心当たりがあった。確かに雰囲気やひねくれた感じが少しイスカに似ているかもしれない。
(で、ソイツからの情報だと、今イロキオンの奴らは二つの群れ、半々に分かれて行動してやがるらしい。まぁカケラが二手に分かれているから、奴らも群れを2つに分けて行動しているんだろう。それで今、この地球には片方の群しか着ていないみてぇだ。もう片方の群は火星の付近をグルグルと旋回しているらしい。頭の悪い連中だ、情報共有がうまくいってねぇんだ。まぁ、もう片方の群もいずれ地球にくるだろうが…敵は少ないほうがこっちにとっては好都合だ。だから、俺様は群れが合流する前に、この地球にいる蟲共を叩く…)
イスカがそこまで語った時、入り口に作ったバリケードのダンボールがはじけ飛んだかと、思うとアイナの目の前に金属製の重いドアが吹き飛んできた!
「まずい、見つかったみたいだ!」
巨大なイロキオンの頭が入り口なヌゥ―と入ってきて、こちらを睨みつけてきている。
(へへん。上等じゃねぇか。丁度話すのに飽きてきたころだ。アンタの体も十分回復してきただろ?さぁ、外に出てみようぜ!)
「え、えええ…ちょっとま、うわぁあああああ」
イスカは凄い勢いでアイナの体を立ち上げ、入り口の方に駆け出し始めた。
(おら、どけどけ、どけ、どけぇーい!)
イスカはアイナの右腕をぶんぶんと振り回し、屋内に飛び込んできたイロキオンの頭のど真ん中に強烈な、カウンターパンチを喰らわせた。怪物の額から火花が散り、建物の外のフェンスに体がうつけられた。
(今のウチだぜ!にげろや、にげろ!)
イスカたちはイロキオンのぶにっとした腹をトランポリン代わりに踏みつけ、びよーんと飛び上がってその場を抜け出した。
「わわ、何やってるんだ!あれがもし、ヒトミさんだったらどうするんだよ!」
(大丈夫だ、やつらの体は無駄に頑丈にできってからよぉ)
「そういう問題じゃない!」
イスカとアイナはそのままモールを駆け下り、日が暮れ真っ暗になった海岸沿いの駐車場に向かい駆け出した。
* * *
(おっと、こんなとこにまで、団体さんがいらっしゃいやしたか!)
二人が、駐車場に辿り着くと隅から隅までびっしりと詰まった車たちの群の上で、首をクイクイしたカマキリの集団が鎌を振りかざし待ち構えていた。アイナは焦っていた。陸地側である後ろ、背後のからはモール建物内からアイナたちを追ってきたイロキオンたちが飛来してきているし、前方のイロキオンたちを突破したとしても目の前は海、逃げ場なしの逆背水の陣だ。
(落ち着け、落ち着け。まぁなんとかなるさぁ)
イスカは憎らしいほど落ち着き、ベッドの上でくつろぐかのようなリラックスしたような体制でふわふわと浮遊している。
…その時だった。
「ギィイイイイイイ」
周りのイロキオンたちが一斉に鋭い金属音のような金切り声を上げ始めた。アイナは思わず両手で耳を塞いだ。…そうしないとこの奇声で鼓膜が破けてしまいそうだ。
(おぉっと…、こいつぁ、ちょっとヤバイ。いや、とんでもなくヤバいかもしれないな)
全てが張り裂けそうな騒音の中、イスカがテレパシーでアイナに語り掛けた。
しばらくすると、鳴きはじめと同じようにイロキオンたちは一斉に鳴くのをやめた。すると、アイナたちの前の二体のイロキオンがバタリバタリと地面に倒れだした。
「な、何が起きてるんだ!?」
(奴さんたち、どうやらニンゲンに飽きてきたみただな、どうやらもっといいものを見つけちまったみたいだ)
「…それって?……あれ!?」
イスカの言葉に気を取られて視線を外していたアイナは、倒れたイロキオンにもう一度目を向けようとした。しかし、そこにはもう巨大昆虫の体を見ることはできなかった。代わりにそこにぐったり横たわっていたのは、イロキオンもビックリの巨大なペア鼻ピアスをしたガラの悪いカップル二人組だった。アイナは、驚いて辺りを見渡した。気が付くともう飛行しているイロキオンの個体はもういない。地上にいるイロキオンたちはバタバタと倒れ込み、見る見るうちに元の人間のすがたに戻っていく。代わりに駐車場に上空現れたのはコバエサイズミニミニイロキオンたちの群が作り出す真っ黒な雲だった。
「はっ!そうだ…ヒトミさん!」
そう、カマキリ人間たちが元の姿に戻っているんだ。もしかすると、ヒトミだって!アイナは思わず、衝動的にモールの方に駆け出そうとした。
(ちょっとまちなよ!)
「うっ!」
イスカが体の筋肉をこわばらせ、アイナの体を奪い、物理的にアイナを引き留めた。
(あれをみな)
イスカは落ち着いた声で、駐車場の車の群の先の砂浜のさらに先、海原を指さして言った。アイナは思わず息を飲んだ。耳を澄ませると、ごごごご…と不気味な重低音が海の方からゆくに向かって響いてきている。この感覚、一度でも味わったことがある人にはこの後何が起こるかすぐに分かるだろう。…海の底からなにかがやってきて、陸に上がろうとしてきているのだ。
ザバババババババン!!
海原が突如、球状に盛りがって轟音を立て始めた。ついに、「それ」がやってきたのだ。グォオオオンと低い獣の声が海岸に響き、それは水面から姿を現した。
「あ、あれはたしか…海獣怪獣ステゴケタス!」
怪獣慣れしているアイナは落ち着いたような、驚いたような微妙な声を上げた。怪獣の種類は…ヒトミがデートする度に変な雑誌を見せながら色んな怪獣について話してくるので覚えていた。ステゴケタスは身長50m、ごつごつした灰色の皮膚に鋭い牙を持った水棲の二足歩行の魚食、肉食性怪獣で背中生えた平たい剣のような背びれが特徴の怪獣だ。一見爬虫類のようにしか見えないのだが、そのルーツは哺乳類に近いらしく攻撃対象にするべきかどうかと軍や環境保護団体の間で議論になっているらしいが、そんなことはどうでもいい。なぜ今突如、怪獣がこんなところに現れたのだろうか。
(たぶん、あの蟲野郎どもの負のオーラに惹かれてやってきやがったな…)
アイナの心を読み取ったイスカが状況、素早く分析した。
「イロキオンがあいつを呼びよせたってこと?」
(みてぇだな。新しい宿主様のご登場ってことだ)
「え?」
アイナは次の瞬間、イスカの言った言葉の意味をすぐに理解した。…理解をせざるを得なかった。空に舞っていたイロキオンの群が一斉にステゴケタスに飛びかかったのだ。
(奴ら…でっけぇ花火を打ち上げるつもりだぞ)
イスカは唸った。イロキオンは巨大怪獣に寄生し、その巨体と力を駆使し太陽系内を飛び回っているもう一つの群にサインを送ろうとしているのだ。・・・そんなことされたら自体は一気に悪化する。
アイナはステゴケタスにたかって纏わりついていくイロキオンをみて、戦慄していた。一匹一匹はハエほどのサイズしかない怪獣なのに今は大群となり50mもの怪獣を身動き取れない状態に追い込んでいる。なんて恐ろしい生物なのだろうか。ステゴケタスは象のような甲高い悲鳴を上げているが、全く抵抗できず倒れることすらままならず、立った状態で硬直している。…その情景をみてイスカは怒りに震えた。彼の脳裏、いや意識にこびり付いて二度と離れないあの記憶。あの情景。巨大なものに群がる醜悪な蟲共。イスカには過去の地獄のような記憶と今の状況が…重なって見えていた。
(おい、アイナッ!)
イスカは声を張り上げて叫んだ。彼のアンガーポイントはとうにマックスを振り切れていた。
(あいつを…ぶちのめしに行くぞ、精神一体化〈サイコネクト〉だ!)
「わ、わかった!」
イスカの気迫に押されつつも、アイナは自らの意思で約一年ぶりの戦いを決意した。サラー母星の精神生命体と他の知的生命体が心を一つにすることによって、彼らは超人的な力を発揮することが出来る。…それが精神一体化〈サイコネクト〉だ。今こそ、その力を使うべきだ。アイナもそう思った。
アイナはイスカの意識を受け入れる為、そっと目を閉じた。その瞬間、一気にイスカの感情がアイナの意識の中に流れ込んできた。・・・それは凄まじい「怒り」の感情だった。気を抜くとアイナはイスカのその力強い感情に飲み込まれてしまいそうだった。
(何してんだ!早く俺を受け入れろ!…俺がアンタを支配するんじゃ意味がねぇんだよ!ユーキュウムの力を解放するには俺たちが‥ちゃんとサイコネクトする必要があるんだ!)
イスカはテレパスでアイナを叱責した。そんなことを言われても、イスカの怒りのパワーはアイナには強すぎた。このままではずっとサイコネクトできないか、イスカの感情に支配されユーキュウムの力が使えない。
(思いだせ!アンタの連れが、アンタの彼女が、奴らにやられた時のことを、その時の怒りを思い出せ、弼星アイナ!)
…不幸か、幸いか。
そのイスカの言葉が、アイナの感情の起爆剤になった。数時間前、ほんとうなら幸せに過ごすはずだったかもしれない、クリスマス・イブ。だがそれは憎き蟲共に奪われた。…目に涙を浮かべながら、自分に助けを求めてくる恋人。でも、自分には何もできなかった。アイナは戦える力を、彼女を救える力を持っていなかった。今すぐ力が欲しい。あいつを醜く憎らしいあの醜悪な怪物を。
「うわぁああああああああああああああああああ」
アイナは吠えた。沸点を越したアイナの怒りは、イスカの怒りとリンクし…二人の精神は溶けあっていった!
〈サイコネクト!!〉
* * *
「彼」はまず口が裂けるような奇妙な感覚を味わった。それは途轍もない苦痛を伴っているのだが、「彼」にとってはその痛みすら快感だった。この耳まで裂けた強靭な顎で憎い奴の肉を喰い千切ってやろう。そして、次に「彼」は自分の手が重く固く鋭く変化していることに気が付いた。この鋭い爪で奴の喉を掻き切ってやるのだ。下半身に意識を向けると腰の後ろの付け根で何かが蠢いている。この巨大な尻尾で汚らわしい奴を地になぎ倒してやるのだ。
イロキオンの悪夢から解放された人々は、目を覚ますとそこには悪夢と同様に恐ろしい光景が広がっていた。縫い目のような不気味な目、死神のような巨大な鎌を持った、真っ黒な怪獣と…血に飢えた獣のような荒い息遣いに、血のように赤黒い三本角の、真っ白な怪獣がショッピングモールの駐車場で対峙しているのだ。
アイナとイスカはサイコネクトし…巨大な怪獣となった。怒りと怨念に満ちた、悪魔の獣だ。
グォオオオオオオオオオオッ
荒々しい雄叫びをあげ、復讐怪獣イスカーチェリは天を仰ぎ吠えた。その鋭い牙が並んだ口の中から菖蒲色の光が漏れ出している。体内のユーキュウムが活性化し始めたのだ。しかしながら、ユーキュウムを武器として使うのにはエネルギーを抗体から攻撃用エネルギーに変換する必要がある。変換が終わるまでコイツを逃すわけにはいかない。イスカはもう一度大きく咆哮すると、寄生螂獣イロキオン襲い掛かった。
イスカは巨大な前足の爪を振り上げ、一気に振り落としイロキオンの胸から腰にかけて切りつけた。バチバチっと激しく火花が散り、甲虫の鎧ような固いイロキオンの皮膚も怒り狂ったイスカの一撃を前に簡単に抉り取られた。イロキオンはキィイイイイと痛烈な悲鳴を上げ海の方へ後退する。逃がすまじ、とイスカは長い尻尾でイロキオンの首を絞めつけ体ごと大きく回ると、モールの駐車場とその横の巨大在庫倉庫に、イロキオンの巨体を叩きつけた。粉塵が舞い上がり、埋め立て地で地盤の緩いモールの駐車場は戦いの勢いで陥落した。
二体の怪獣の激しい戦いに逃げ惑う人々。彼らは陸地の方へ悲鳴をあげながら逃げ出した。もう少しで二体の怪獣が迫ってくるのだ、ここにとどまっていては命はない。しかし、一部の怯えた人々モール店内に隠れ身動きが取れなくなってしまっていた。
怪獣イスカは陥落した地面に倒れ込んだイロキオンの巨大な鎌の中腹に思い切り、噛みついた。「お前のその鎌はただの飾りか?」と言わんばかりにイスカは執拗に力を籠め、イロキオンの鎌を噛みつけ、無理やりぐったりとしたイロキオンを引き起こした。そしてイロキオンが立ち上がると巨大な前足でイロキオンの頭を抑えつけ、敵の鎌を噛みつけたまま自身の首を全身を使ってよじり、力の限り引っ張った。
ベキィイイ!!
ギャアアアアアアアアアアアアアア!!
痛烈な肉体破壊音とイロキオンの悲痛な悲鳴がモール中に響く。イスカは自分の欲求、欲望にしたがって、鎌を、イロキオンの左腕を食い千切ったのだ。イロキオンの腕と、それがかつて生えていた場所からは大量の緑色の血液が吹き出した。返り血のシャワーを浴びた白い怪獣の体には、綺麗な緑色のまだら模様が出来上がっていた。
イロキオンは完全にグロッキーな状態だったが、イスカの猛攻は止まらなかった。再び地面に叩きつけ倒れたイロキオンを、その強靭な脚で何度も踏みつけるイスカ。『彼』がケリを入れるたびにモールの建物は大きく揺れ、人々の悲鳴がこだました。このままでは怪獣イスカーチェリの怒りは収まらない。イロキオンの命が絶えるまで、いや命が絶えても『彼』の怒りはもう止まらないかもしれない。
その時だった。
「アイナ君!」
・・・一人の少女の声が『彼』の意識の中にいる彼の鼓膜を揺らした。…ゆっくりと動きを止める、白い怪獣。ゆっくりと声のした方向を振り返った。
そこに立っていたのは、薄いピンクの可愛らしいロングコートだった。
彼女は顔を歪めて、でも何時ものような純粋で真っすぐな目で『彼』のなかの彼を見つめていた。
…強すぎた感情に飲み込まれていた彼の意識が…徐々に蘇ってきた。
(ひ…とみ…さん?)
イスカとアイナ。一つになっていた二人の意識が今、少しずつ解けようとしていた…。
-後編へつづく
後編につづきます!(6/15公開予定)