その2 狼王と賢者の箒
ロボですら小柄に見えてしまう狼たちの群れは、上空ではなく地上から見ると、まさに百鬼夜行といった迫力だ。
淡い月明かりに照らされる美しい銀の毛皮。一歩踏み込むごとに地響きを立てる太く逞しい脚。犬とは似ているようで全く違う、理知的で獰猛な紅い瞳。俺は北欧神話の怪物・フェンリルをイメージした。
しかし、その中身は想像を越えるものだった。
下等な魔獣たちから若干の距離を置き、真に頼れる仲間のみで陣を組む。遠吠え一つでその立ち位置を変える。まるで訓練され尽くした軍隊だ。
巾着袋の中身を草の上に広げて待ちかまえる俺とロボを、彼らはぐるりと取り囲んだ。
もちろん料理の匂いが届いていないわけじゃない。それでも強い意思の力で本能を抑えている。
だらしなく涎を垂らしているのは、我が弟分のロボだけだ。
前線が崩壊していることはすでに気づいているのだろう。そして理由がこの『グルメ爆撃』だということも。
だからこそより慎重に状況を見極めようとする。目の前の仲間――その頭上に奇妙な竹箒を乗せたチビ狼が、敵か味方かも含めて。
三百頭の鋭い視線に射抜かれるも、ロボにとっては花より団子。『ねぇ、食べていい? 食べていい?』としきりにせっつかれて、俺は『待て』と毛を引っ張る。
『もー、ハゲちゃうよー』
と涙ぐんで吠えていたロボが、突然ビクンと跳ね上がった。油断していた俺はロボの頭から転げ落ちそうになる。
『なんだよいきなり』
俺が尋ねるも、ロボはお座りのポーズでぱたぱた尻尾を振るばかりだ。舌を出してはぁはぁ興奮しながら。
すると、俺たちを囲む円陣の一角がザッと崩れ、細い道ができた。
その奥から現れた一匹の銀色狼に、俺は魂ごと魅了された。
群れの中のどの個体より大きな体躯に鋭い爪、太く長い尾。三角の耳をピンと立たせ、こちらを見据えたままゆっくりと歩み寄る。
威風堂々とした佇まいは、彼が本物の『魔獣の王』なのだと伝えてくる。
ヤベェ、カッコイイ……。
俺の中の最強ヒーロー像が、ドラゴンとオオカミの二大巨頭に置き換わろうとしたとき。
『――おとーさん!』
『へっ?』
嬉しそうに叫んだロボが、目の前のご馳走を飛び越えて『狼王』にじゃれついた。あっさり振り落とされた俺は、草の上に寝転んだまま感動の再会を見守る。
ペロペロしまくるロボを、逞しい前足で遠ざけようとする狼王。しかしその力はロボを本気で突き放すものじゃない。せわしなく横に振られる尻尾が、隠しきれない喜びを表している。
その後、狼王は宣言した。
『確かにこれは、我が子である!』
喜びの咆哮が大地を震わせる。
そして狼王による指示の元、肉料理が公平に分けられ、飢えた狼たちに配られる。
せっかくの手土産が無駄にならずに良かったと、俺はホッと一息。まさか親子の再会記念パーティになるとは思わなかったけれど……。
それからスタートしたのは、狼王と箒の二者会談だ。
『勝手に住処を飛び出し、ニンゲンに捕えられたと知ったときは我が子ながら縁を切るべきかと悩んだものだが、こうして人ならぬ〝賢者殿〟に救われたとあらば、よほど悪運の強い星の元に生まれついたのであろう……ともかく我が子を救ってくれたことに、まずは親として感謝する』
『いや、俺は何もしてないっていうか、たまたまッスよ』
冷酷な狼王の紅い瞳が、俺の謙遜を受けて柔らかに細められた。
動物ならではの純粋過ぎる愛情と、ニンゲン顔負けの難しげな言い回し……特に『賢者』という単語には、さすがに尻の穴がむず痒くなってくる。
『そして我が同胞にこのような馳走を振る舞っていただいたことは、感謝してもし尽くせぬ。おかげで我らは魂まで狂い切らずに済んだ。このまま肉体の飢えと暴れ狂う魔力を抱えて進めば、我らはいずれ理性を失い、単なる殺戮を愉しむ獣と化していただろう』
『でも、どうしてアンタらみたいな賢い生き物が、ニンゲンなんかの言いなりに?』
ニンゲンという言葉の前に、つい〝汚らわしい〟とつけてしまいそうになり、慌てて自重。
どうやら今の俺はメンタルが魔物っぽくなっているようだ。彼らから立ち上る濃厚な魔力に当てられて。
すると狼王は、少し困った顔をしながら腹のあたりを見やった。そこにはすっかり満腹になったロボが、身体を丸めてスヤスヤ眠っている。
『発端は我が子の行動だった。ニンゲンに捕らわれたと知ったとき、同胞たちの憤りは我にも抑えきれぬほどであった。そこに付け込まれた――人ならぬ魔に』
狼王が語ってくれた詳細は、こうだ。
ロボが捕まったのは、まさに自業自得。女神生誕祭の賑わいと美味そうな料理の匂いにつられ、はしゃいで乱入した運動会の野良犬のようなものだった。
理由が理由だけに、ロボの奪還を諦めようとした狼王だったが、血気盛んな若者たちが勝手に計画を実行。大河を渡り村の手前まで辿りつくも、あっさりチョコに撃退される。
悔しさのあまり河原でギャンギャン吠えまくっていると、怪しい魔術師風の男がやってきて「力が欲しいか……?」と。
浅はかなことに、その魔術師を狼の隠れ里に案内してしまった結果、里の住民丸ごと捕まり、支配の魔術をかけられて今に至るという。
『人ならぬ魔は、我らの身体に抱え切れぬほどの魔力を与えた。確かに魔力とは〝力〟だ。だが分をわきまえぬ力は魂を壊す』
威厳に満ちた狼王も、その怪しい魔術師のことを語るときだけは微かに声が震えた。食事によりだいぶ落ちついたものの、未だに恐怖心が消えないようだ。
狼王をここまで追い詰める、その魔術師とはいったい……。
『ソイツ、どんなやつなんですか? 何か作戦立ててやっつけらんねーの?』
『無理だろう。あの者は恐ろしい。ニンゲンの言い回しをするならば〝美貌の青年〟とでも呼ぶべき容姿だが……我には直視することもままならぬほどの、強烈な魔性の持ち主であった』
そう言われてポンと頭に浮かんだのは、美しく非情な悪魔女セバスチャン。アイツなら狼を支配するくらい軽々とやってのけるだろう。
つまり大河の向こうには、セバスチャンレベルの悪魔がいるかもしれないってことか。
『このまま尻尾を巻いて里に戻れば、有無を言わせず皆殺しにされるであろう。我らにはもう行くところがないのだ。この先どうすれば良いものか……』
深すぎるため息に、俺は心底同情した。
不安になるのはよく分かる。俺だって、チョコに拾われなければ路頭に迷っていたわけだし。
『よし、俺が何とかします』
『賢者殿?』
『俺、この国で一番強い魔術師の弟子なんです。狼三百頭くらい住める土地を探してもらいますよ。だからちょっとここで待っててください』
『おお、なんと……! そこまでおっしゃっていただけるならば、我が命、賢者殿に捧げると誓いましょう』
『いや、命とか重すぎですから。ひとまずロボのこと、よろしくお願いします』
ペコリと頭を下げて、俺は狼の群れから脱出。
空飛ぶ箒を視たのは狼たちも初めてだったのか、興奮して吠えまくり、尻尾をバタバタさせながら見送ってくれた。
きっとこの声は街まで届いている。今頃市民たちは震えあがっていることだろう。
……でも、本当に良かった。この戦いはもうすぐ終わる。
一刻も早く報告しようと、ハイスピードで空を飛んでいた俺は……すぐ異変に気づいた。
街の方から、嫌な臭いがする。
これは濃厚な血の匂い。盗賊の襲撃にぶち当たったときと同じ、確実な死の香り。
『――ったく、何やってんだよ、こんなときに仲間割れなんて!』
狼たちの遠吠えがプレッシャーを与えたのだろうか。それとも、もうすぐ夜が明けるというこの時になり、張り詰めていた糸が切れたのか。
いかなる理由であっても、女神は〝死〟を許さない。
血の匂いが漂う空から、俺は地上へ急降下。宵闇に紛れて突然降り立った箒に目撃者が腰を抜かすけれど、知ったこっちゃない。
『スミレ!』
決戦の前に病を治しておこうと群がる市民たちを一通り捌き終え、天幕の中で休んでいたスミレがパッと飛び起きた。
「おかえりなさいませ勇者様!」
もし日本に『冒険者カフェ』があれば、店員さんがこんな挨拶をしてくれるんだろうな……なんて呑気なことを考えかけて、慌てて首を振る。
『重症の怪我人がいる、一緒に来てくれ!』
「え、え、え、きゃあああああ!」
いつでも笑顔を絶やさぬ神々しい巫女様……のイメージを覆す、普通の女の子みたいな悲鳴が上がる。
俺は触手を数十本スミレの身体に這わせ、いわゆる『お姫様抱っこ』の要領で天幕の外へ飛び出した。
大事な巫女様の悲鳴、そしてあまりにも奇妙な箒の振る舞いに護衛の兵士たちが剣を抜きかけるも、傍にいたスイレンが「待て、コイツはヘンタイだが味方だ!」と止めてくれる。かなり適切な突っ込みだ。
『悪い、スミレ。ちょっとだけ目ぇ瞑ってろよ』
薄らと白み始めた空の下、俺はスミレを抱えて空高く舞い上がった。
俺のイメージする『魔女の箒』とはだいぶスタイルが違うものの、そんなことに構ってなどいられなかった。




