その1 夜の逃避行
この世界の生活スタイルは、とにかく太陽中心だ。
幼い子どもが必ず言われる「早く寝ないと魔物に食べられちゃうよ」という言葉は、単なる脅し文句じゃない。例えそこが分厚い壁に囲われた大都市であっても、人々は気を抜いたら命が無いと知っている。
明かりが灯っているのは宿屋を兼ねる飲食店のみ。普通の店や民家はしっかり戸締りをし、魔よけの結界を張って朝を待つ。
すっかり寝静まった街の中に蠢く影は、たった二種類しかない。
街の警備兵か、もしくは〝悪者〟か。
「……おっと、この先に見回りの兵士がいるな。ちょいと待ってろよ、ヨシ坊」
初めてまともにうろつく、城郭都市アレディナ。
右も左も分からない街の片隅で、俺はざらつく石畳の上にぐったりと横たわっていた。
「はぁ……本当なら、チョコ師匠から実力アップのお祝いに連れてきてもらうはずだったのに……」
明るい日差しの下でチョコと歩けたら、さぞかし楽しかったことだろう。
いつもよりちょっとお洒落したチョコと一緒に、周囲からチラチラ見られながらの観光プランは、まず神殿へ行って、塔に上って景色を眺めて、女神様の壁画とやらを拝んで、『枢機卿』にビクついて、その後美味しいものを食べて、腹ごなしに街をぶらついて……。
なのに、リアルの俺はあまりにも残念過ぎる。
例えるなら、くたびれ切ったボロ雑巾、繊維千切れかけバージョンだ。
ぶっちゃけ呼吸するだけでもキツい。初日に棒で殴られたときの怪我がかなり悪化しているようだ。地球でこんな状態になったら、すぐさま救急車が呼ばれて集中治療室行きだろう。
それでも、シューマさんの肩を借りてここまで歩けたのは、やはり『魔力』のおかげだった。
空っぽだった魔力が少し満たされるだけで、勝手に身体が癒やされる。
もちろん治癒されるわけじゃなく、ヒットポイントが底上げされる感じだ。穴の開いたバケツからどんどん水は漏れだすけれど、上から水が補給されるような。
一分じっとしている間に、百メートル歩けるくらいの力は溜まる。
何度もそれを繰り返して、あの地獄から少しずつ遠ざかっていく。シューマさんの仲間がいるというアジトへ向かって。
「やっぱり見回りがこっちへ来てるな。〝脱獄犯〟を探してるわけじゃなさそうだが、しばらく隠れてた方が良さそうだ」
風のように舞い戻ってきたシューマさんに支えられ、俺たちは店じまいした飲食店の裏口に落ちついた。石段の上に二人並んで腰かける。
静寂の中、遠くに梟の鳴く声がする。野良猫が残飯を漁りにやってきては、俺たちを見て逃げて行く。
周囲に人気が無いことを確認し、俺はずっと気になっていたことを尋ねてみた。
「俺が大部屋を連れだされてから、いったい何があったんですか? 俺を脱獄させるなんて、かなりリスキーだと思うんですけど……」
するとシューマさんは、夜空に輝く青白い月を見上げながら、静かに語り出した。
「もちろん、冤罪だってことは最初から分かってたんだ。何かヤバいことに巻き込まれたに違いねぇってな。ヨシ坊がその直前に言ってただろ? やたら意味深なことをさ……」
――もし巫女様がお忍びでこの街へやってきたとしたら?
この問いかけを、シューマさんは真実と感じたらしい。すぐさま外にいる仲間に連絡を取り、巫女様を探させることにした。
それと同時に、牢屋番の兵士の懐柔をスタート。どうして俺が地下牢へ入れられたのかをねちこく訊き出し、「アイツはそんな奴じゃない」と主張してくれた。
「最初はオレ一人で始めた〝ヨシキ解放作戦〟が、あっという間に大部屋全員に広がってったんだよ。あのいけすかねぇ詐欺師野郎も、珍しく怒り心頭って顔して『アイツに間諜はできませんよ、全部顔に出ますからね』なんて兵士に食ってかかってなぁ……ちっとは見直したぜ」
「マジっすか……ちょー嬉しいです……」
緊張が緩んだせいか、つい涙目になってしまう。
そんな俺の頭をわしわしと撫でながら、シューマさんは「同じ釜の飯を食った仲間だからな」と笑った。
「しかし、あの牢屋番の兵士たちも貧乏くじ引いたよなぁ。最初は『こいつら妙な連帯感出しやがって』くらいに思ってたくせに、一晩でコロッと態度が変わっちまった。まあその理由は、お前さんの痛々しい姿を見りゃ分かるけどな」
シューマさんが向けてくる同情たっぷりの眼差しに、俺は苦笑を返した。
たぶん牢屋番の兵士たちは、ごく普通の感性の持ち主なんだろう。
俺への激しい拷問を見せつけられて「これは女神の許す行為なのか?」と疑問が芽吹き、〝ネズミの主〟にその疑問を見抜かれ、心が折れかけていたところに俺から巫女様保護の依頼を受け……ついに決断を下した。
シューマさんが全ての罪を被る形ならば、俺の脱獄を見逃そうと。
「あとなぁ、意外なヤツと仲間になったんだぜ」
「へぇ、誰ですか?」
「この街のエリート兵士だよ。城門勤めの男だ。ソイツがなかなか面白れぇヤツでさ、ヨシ坊のこと〝弟子にする〟なんて息巻いてやがる」
「うげッ……あの人ですか。まあ、嬉しいですけど……」
今回の脱獄プランにおける影の立役者が、俺を逮捕した『門番のお兄さん』だった。
チョコが行方不明になったという情報が末端の兵士たちにも知れ渡るや、彼は真っ先に俺のことを思い浮かべたらしい。「アイツが何か知ってるんじゃないか?」と。
すぐさま俺を訪ねてみたところ、地下牢へ移動させられたため面会不可と言われ、さらに疑念を抱く。
彼は長年の経験から、俺が『ケンカ慣れした悪ガキ』程度の小物キャラだと見抜いていた。
冤罪を疑い、信頼できる同僚にこっそり相談したところ……その同僚が、例の早朝番の兵士だったというのは、もはや女神様の導きとしか言いようがない。
早朝番の兵士は、全裸の俺が慌てて逃げ出す姿をしっかり目撃していたらしい。そこで糸が一本繋がる。
「その件をちゃんと話したいって言われて、ヤツはそのまま早朝番の兵士の家に行ったんだと。そしたら、なんとそこには巫女様ご本人が居たってわけだ!」
「えッ、マジっすか!」
「なんでも巫女様から『助けてください』なんて縋られて、こっそり自宅に匿っていたらしいんだが……そんときゃ、狭苦しい家ん中が阿鼻叫喚だったらしいぜ?」
「はぁ……まあ、そうなるでしょうね」
まず門番のお兄さんは、俺が盗賊を倒して巫女様を救った『勇者』と知って愕然。
巫女様たちは、命の恩人である『勇者』が地下牢に入れられたと知ってパニック。
俺を救出するべく慌てて策を練っていたところに、『四日前の早朝番』を訪ねてきた牢屋番の兵士たちが合流し、さらにシューマさんの仲間が合流し……。
そうして結成されたのは、善良な市民たちのレジスタンスともいうべき組織だった。
「ってことで、巫女様のことはひとまず心配いらねぇ。城門番の兵士はこの街でもとびきり腕っ節が強いからな。今もアジトで巫女様を守ってくれてる。つーか、皆は『勇者様』の合流を待ちわびて――っと、そろそろ見回りがいなくなった頃か?」
そう言ってシューマさんは、そそくさと立ち去った。
一人残された俺は、思わず独りごちてしまう。
「俺は、勇者なんかじゃねぇ、ただの箒だっつーの……」
はぁっと深いため息を吐きつつ、俺は夜空を見上げた。今日の月もすごく綺麗だ。
月明かりの中に、俺は一人の女の子を思い描いた。
……チョコ。
牢屋の中で叫んだ台詞――世界一大事な女の子という言葉は嘘じゃない。〝人間界では〟という前置きがつくけれど、それでも今の俺にとってはルゥと同じくらい大切だ。
今チョコはどこに居るんだろう?
俺を追って西へ向かったなら、もう国境に近いあたりか。刺客に屈したりせず、自分の足で歩いていると信じたい。
「チョコ……お前がいない間に、俺もこの街でひと暴れしてやるよ」
偵察に出たシューマさんが戻ってくる足音がする。俺は立ち上がろうとしたものの……。
ズグン!
突然襲い来る、激しい胸の痛み。
シャツを引き千切らんばかりに掻き毟りながら、俺は地面を転がった。慌てて駆け寄ってきたシューマさんが叫ぶ。
「おいヨシ坊、しっかりしろ! アジトまでもうちょいなんだぞ! オレにゃ風の魔術しか使えねぇんだぞッ」
スミマセン、と謝ることもできなかった。
舞台の暗幕が下りるように、俺の意識はゆっくりと闇に包まれていった。




