二 終わりの始まり
目覚まし時計のアラームなしに日差しで起こされる。男はベッドの上で座り、軽くストレッチをした。
「クッソー、十時間くらい寝てんのにまだバカ眠いぞ……」
男は時計と寝た大体の時間を頭の中で計算した。
「うっ……それにしても変な夢を見た気がするな」
男は右後頭部を手で押さえながらゆっくりベッドから這い出た。
ふらつく足で寝室を出ようとしたとき、視界の端に違和感が引っかかった。
男は一歩戻り、首だけをゆっくり部屋の中へ向ける。
「……ん?」
壁際。
床に背を預けるようにして、クリーム色の髪の少女が横たわっていた。
黒い目元の化粧、見覚えのある顔。
昨夜、夢に出てきた――あの女の子だった。
「……まだ夢か?」
頭を押さえたまま反対の手で目を擦る。
だが夢から覚めず、彼女も消えない。
「はぁ……病院行くか」
男が溜め息を吐いたその時だった。
「んっ……んんー」
壁にもたれていた少女が、猫のように背中を反らし、体を伸ばした。
そして重たそうな瞼を開けると、男と目が合った。
「……あ、おはよ」
あまりにも気さくな挨拶に、男は数秒間呆然とした。
口がぽかんと開き、顎が下がっている。
「……」
「……」
沈黙が続く。
少女は首を傾けた。
「え、なにその顔」
「いやいや、俺のセリフなんだけど」
男が彼女を警戒して少し下がった。
「てかここ俺の家なんだが?ここで何してんだ。お前は誰だ!」
少女は床に座ったまま、ぱんぱんとスカートの埃を払うと、立ち上がった。
そして胸を張り、妙に得意げな顔で言った。
「改めまして!」
びしっと人差し指を立てて続ける。
「死神ちゃんでーす!」
男は再び頭を押さえた。
「……やっぱ病院行くか」
少女は頬を膨らませる。
「ちょっと!無視すんなし!」
少女は男の前に回り込み、顔を覗き込んだ。
「ねえ聞いてる?うち、仕事で来てるんですけど」
「仕事……?」
男は眉をひそめる。
少女は得意げに腰に手を当てた。
「そ。あんたに関係ある仕事」
そして人差し指を男に向ける。
「キャバ嬢なら俺はいらないぞ」
男は乗り気でなく、彼女が死神だと言っていることも信じていないようだ。
「だから死神なんだってば!人の話最後まで聞きなさいよ!」
男は大きく溜め息を吐き、額を抑えたままベッドの縁に座った。
「……分かったよ。じゃあなんなのさ死神さんの仕事ってのは。俺を殺しに来たのか?」
「まぁ正解っちゃ正解だね」
「は?おいマジかよ……てかまぁ死神が来たって言ったらそういうことか……」
男は最初の一瞬、怒りと驚いた様子だったが、すぐ変に冷静になった。
が、それはマオの話を途中でまた遮ってしまった。
「わりい。続けてくれ」
「ふん……まぁこんな形になっちゃった理由があってですね?」
「そっりゃ当然だな。死神じきじき来るわけないもんな、そんなん聞いたことないわ」
少女はまた黙った。
「あ、ごめん……」
「……数年前に閻魔大王様がミスしちゃってたみたいなんだよね。あんた、車にはねられたっしょ?」
「おう」
「あの時にほんとはあんたが死ぬはずだったんだけど、間違えて生かして置いちゃったんだよねー」
男はしばらく黙ったまま、天井を見上げた。
「……それ、今さら言う?」
少女は肩をすくめる。
「いやー、帳簿整理してたら見つかっちゃってさ」
「なにそのとっくに賞味期限切れのものを見つけたときみたいな。めっちゃ嫌なんだけど……」
男は乾いた笑いを漏らした。
「じゃあ俺の人生無駄だったってことか?」
「まぁ……そういうことになるね。ご、ごめんね?」
あっさりと頷いた死神に、男はしばらく言葉を失う。
「本来死ぬはずの人間が生きると大変なことになっちゃうのよ」
「どういうことだ?俺はまだ何も……」
「バタフライ効果って知ってる?」
「おう」
「簡単にまとめれば、あなたのこれからすることが大事件につながるの。まだ起こってないのが不幸中の幸いだねー」
「そんな、俺の人生を不幸だなんて……」
休みなく頑張ってきたのに、それが実る前に人生が幕を閉じると思うととても悲しかった。
男は拳を握りしめたまま俯いた。
「……それで?だから今さら回収ってわけか」
「まぁ、そうなるね。本来なら今日の時点で終わり」
少女はさらっと言う。
男はしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「ふざけんなよ……」
顔を上げる。目は笑っていなかった。
「勝手に生かしといて、勝手にやっぱ死ねって?」
死神の陽気さは無くなり、男の涙ぐんだ眼を見つめた。
彼の視線は床に落ち、何も見ていないようだった。
「それでなんだけどさ……」
死神は男の前に立つ。
「なんと、今週一週間でかなえられる範囲の願い事をひとつ、叶えてあげます!他人に迷惑かけない範囲でね。うちがその間バタフライ効果起こらないように管理するんだから」
男はしばらく黙っていた。
俯いたまま、拳を握りしめている。
「……願い事、ねぇ」
ぽつりと呟く。
「最後のサービスってやつ?」
「まぁそんな感じ。特別措置ってやつ。うちであったこと感謝しなよー?」
死神は少しだけ照れくさそうに笑った。
「さすがにいきなり『はい死んでくださーい』は可哀想でしょ?」
男は鼻で小さく笑った。
ゆっくり顔を上げる。
「感謝される立場じゃないだろ。でも……一週間か」
まだ迷いが残っていた。
全てを手放してしまいたいような、しかしまだ諦めたくないような。
「じゃあ、その一週間」
男は死神を見た。
「俺がどう使うか、見届けてもらうぞ」
死神は笑う。
「もちろん」
少女はくるりと回って、指を立てた。
「だって、それがうちの仕事だからね」
こうして、男の「本来存在しないはずだった最後の一週間」が始まった。




