2・セナリーの生活
「セリ、早くなさい」
セントラルの街に住むセナリーは、今朝も学校へ行く支度に追われている。
「はあい。 えっと、服はこれでいいかしら」
制服といっても生徒はお揃いのマントを着ることになっているだけで、その下は自由である。
だけどセリは憧れの男性であるイコガに再び会うことがあるかもしれないと、あれ以来、身だしなみには気を付けていた。
「ああ、いけない」
時間に気が付き、慌てて玄関へと向かう。
母親が玄関で昼食用の弁当箱を渡し、軽く抱き締める。
食堂で十歳の弟が朝食を取っているのが見えた。
「気を付けてね」
「行って参ります」
礼儀作法に厳しい母親の手前、あくまでも静かに、お姉さんらしくゆっくりと外に出る。
駅へ向かう人混みに紛れ、家が見えなくなるとセリは駆け出した。
「おはようございます」
「おはよー」
セリが通っている学校は、魔力がある者しか入学することができない。
魔法学校と呼ばれている国の施設だ。
年に一度、この国では魔力検査が行われる。
この町の住民は他所からの出稼ぎが多い。
その家族も含め、定住の資格を得るためには必ず検査を受ける必要があった。
そして魔力があると発覚すると、年齢に関係なく学校に通わされることになるのだ。
「魔法は危険なモノであり、それを使う者には正しい知識が必要」
それがこの国の方針だった。
この国では、年少から魔力検査までは普通の学校に通い、それ以降は魔法学校か、高等教育に切り替わる。
個人に負担がかからないよう無料で通える魔法学校もあるのだが、そちらは勉強より実践が主で期間も短い。
セリは魔力があると分かった時点で、お金はかかるが、より高度な教育を受けられる今の学校に入ることを決めた。
この有償の学校は裕福な家の者が多く、何人かの護衛を引き連れた王侯貴族の子息令嬢も通っていたりする。
通っている少年少女たちの中には、玉の輿を狙って何とか彼らに近づこうとする者もいた。
「そういえば先輩も仕立ての良い服を着てたなあ」
学校では制服であるマントを着用していたため気づかなかったが、美術館で見た先輩はどう見ても上流階級の装いだった。
「ま、私には関係ないけど」
そんなことを考えながら、セリは教室に入る。
その昔、世界は魔力を持つ者に支配されていた。
しかし長い年月の間に徐々に魔力持ちの血筋は薄れてゆき、今では圧倒的に魔力の無い者が多い。
無くても生活には困らないので、魔力自体あまり必要とされなくなった。
あれば便利という程度で、道具や石炭などの動力で何とでもなる。
魔法使いという言葉もおとぎ話でしか使われないようになったのである。
生徒たちが着るマントは魔力がある者の印であり、その色は魔力の属性を表す。
セリのマントは白で治療や回復に優れ、将来は医療機関に勤める者が多い。
他には、体力や剣術に優れる赤は兵士や警備の仕事へ。
植物や動物を操る緑のマントを着た生徒たちは、農業や畜産などに携わるようになる。
魔力のある者は、その力を惜しみなく使うことで国に対する反意はないと示す必要があった。
「自分で職業も選べないなんて」
そう言って嘆くセリの母親は他の町から来た女性だった。
「私は構わないわ。 どうせ医療関係の仕事に就きたかったから」
セリは自分の魔力とやりたいことの相性が良くてホッとしている。
「コーガ先輩は黒だったなあ」
黒は複数の属性を持つという意味で、かなり少数しかいない。
その意味でも彼は目立っていた。
ほとんどの生徒は、卒業が近づくと自分の属性に合った仕事を斡旋され体験授業として働く。
次の春には卒業予定のセリは、週に三日は学校近くの国営病院で働いている。
同じ白マントの同期数名と子供ばかりの患者がいる棟の担当をしていた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」
慕ってくれる子供たちはかわいいが、この病棟は通常では治せない病気の子供たちが集められていた。
「皆、今日は何をしようか」
セリたちの仕事は、彼らをただ最後の日まで見守るだけなのだ。
それでもセリは精一杯、彼らを笑顔にしたくて頑張っている。
「遅くなったわ。 お母さん、怒ってるかな」
セリは今日、子供たちになかなか離してもらえなかった。
昨夜、一人の少年が亡くなったせいである。
そのため、セリも無下に断れずにずるずると残ってしまった。
薄暗い街灯が点る道を、セリは駅へと早足で急ぐ。
駅の広場にさしかかり、ふと見ると飲食店の外に並んだテーブル席に黒い人影があった。
「あ」
自然に足が止まる。
それはセリが待ち望んでいたイコガだった。
長い脚を組んで座っている姿が様になっていてドキリとした。
俯いて何かに目を落としている。 本でも読んでいるのだろうか。
セリは気になって、少しずつ近づいて行く。
まだずいぶんと距離があるにも関わらず、その男性が顔を上げた。
セリの姿をしっかりと見ている。
ニコリと笑った気がした。
今さら方向を変えるわけにもいかず、セリは戸惑いながら歩き続けた。
「こんばんは」
彼から声をかけられ、セリの心臓は跳ね上がる。
制服を見ればすぐに自分の学校の後輩だと分かる。
イコガはセリに気安く話しかけた。
「学校の帰りかな」
立ち上がると彼女に椅子を勧める。
「よかったら、先日のお詫びにお茶を一杯どうかな?」
あれからおよそ一か月が経っていたが、彼は覚えていたようだ。
すでに遅い時間である。
母親には叱られるだろうが、セリは断ることなど出来ずに頷く。
イコガが店の給仕にセリの分を頼むのを黙って見ていた。
イコガは取っ手を持たずに、大きな手でカップを包み込むように持っている。
セリはその長く白い指をじっと見つめていた。
病院の仕事で荒れた自分の手とはずいぶん違う。
「先日は君のお祖父様にもご迷惑をおかけして申し訳なかった」
「い、いえ。 祖父は仕事ですから」
セリは首を振った。
他にも何か口から洩れた気がしたが、自分でも何を話しているのか分からない。
緊張していてお茶の味もよく分からないが高級そうな香りがする。
彼女の話を黙って聞いている彼の笑顔は優しかった。
駅舎から吐き出されていた人々の波が減り、辺りが静かになった。
「引き留めてすまない。 遅くなったね」
イコガはそう言って立ち上がり、「送ろう」とセリに声をかけた。
「いえいえ、とんでもありません。 家はすぐ近くなので」
セリは必死に固辞してじりじりと後ずさり、ある程度離れるとくるりと背を向けて走り出した。
駅の中を抜け、西口から外へ出る。
母親の鬼のような形相を思い浮かべていて、セリは注意を怠った。
「きゃああ」
気が付くと、大柄な男性にぶつかっていた。
「あー?、なんだ小娘。 俺にケンカでも売ろうっていうのか」
地面に尻餅をついたセリは、その男性の血の匂いに恐怖を覚えた。
くたびれた皮の鎧、腰には剣が下がっている。
傭兵崩れと称される嫌われ者たちの一人だ。
周りを歩いている者は少なく、当然のように彼女を助けようとする気配はない。
「ご、ごめんなさい」
セリの声が震える。
家の方角を見るが、まだ声が届く範囲には来ていない。
「そのマント、ちょうどいいや。 ちょっと顔貸しな」
男がセリの腕を掴んだ。
「申し訳ないが、私の連れに何か用かな」
その声にセリの身体の震えが止まる。
「あー、なんだお前」
男の手が離れ、セリは急いで立ち上がった。
「このお嬢さんは私の連れなので、話は私が聞こう」
闇に溶けそうな黒い髪、灰茶色の服のイコガがそこにいた。
「ちっ」と舌打ちした男が合図を送ると、周りの暗闇から数人の男たちが現れる。
そうだ、彼らは一人では行動しない。
いつも徒党を組んで獲物を探しているのだ。
「家は近いと言ったね。 このまま行きなさい」
セリの傍まで来るとイコガは小さな声で囁いた。
「はい、でも」
戸惑うセリの背中を押す。
「逃がすか」
一人が阻止しようとしたが、イコガの魔法が飛んだ。
「私が相手をすると言っただろう?」
ビリビリと発光する玉を手のひらに乗せ、先輩の目は冷たく澄んでいる。
セリは足をもつれさせながら駆け出す。
彼女の姿が見えなくなると、イコガは傭兵崩れたちに連れられて暗闇へと消えて行った。