⑨
ーーー数日後ーーー
風が吹き抜ける。
「・・・ 」
駐車場に軽トラを止めた勘助は言葉を失った。
そこにあったのは、牧場である。
勘助を驚かせたのはその規模だった。
どこまでも続く緑の風景。
向こう側の柵が見えない。
そればかりか、本当になんの建物もない。ただただ丘が連なって、草が生えて、時たま木も生えている。
川もあり、馬がそこで水を飲んでいる。
そこを、馬の大群が走り抜けていく。ざっと、100や200はいるだろうか?
人も何もいない。
馬たちは、誰に制されるでもなく、気ままに好きなところを駆けていく。
ここが牧場だということを知らなければ、どこかの保全草原だと言われても納得してしまう。
「これが、牧場・・・?」
ただ、馬を野放しにしているようにしか見えない。
もはや、野生である。
見れば、
そこにいるのは皆ひと冬越えた一歳馬で、
明らかに線の細いやつもいれば、なかなかがっちりしたのもいる。
しかし、総じてすべての馬がヘトヘトになって明らかにバテている。
(こんなのでちゃんと育つのか?)
半分信じられないというような顔で、半分笑ったような顔の勘助は
しばらく馬が駆け回る様子を柵に寄りかかって見ていたが、
いやいや、こんなことをしている場合ではないと頭を
切り替え、
とりあえず本部を探そうと考えた。
「そろそろ行くか。」と呟き、
柵から手を離し、後ろを振り返った。
すると、後ろにはプレハブ小屋があり、中には誰かいるようだった。
(あそこにいって場所を聞いてみるか。)
勘助はこの全く何もない場所ではどうしようもないと思った。
そこに正に案内所とばかりの建物。
(まぁ、まだ時間はある。)
勘助はとりあえずそこへ向かった。
その小屋のことを先ほどプレハブ小屋と表現したが、まさにその通りであった。
見るからに薄い壁に、トタンでできた屋根。土台はコンクリートのブロックで済まされている。
ドアもプラスチックではないかと思うほどの安っぽさ。
僅かに使われた金属ですら、錆びて今にも崩れ落ちそうだ。
ドアの上には[スーパーハウス]の文字。
正真正銘の仮設住宅であった。
窓から中を覗くと、さっき見えた人は新聞を読んでおり、顔はわからないが男のようだ。
(あー、緊張する)
道を聞くことすら、今の勘助には勇気のいることだった。
(よし。いくぞ)
勘助は、プラスチック製のとを二度ほど叩いた。
コンコン、というものだとばかり思っていたが、実際に鳴った音はバコンバコンであった。
まあ、それはどうでもいい。
中から
「どうぞ」
と、声がする。
勘助は深呼吸をして、
「あの~、すみませんが・・・」
とドアを押し開けた。
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「なんでっしゃろか?」
コテコテの大阪弁で男は返事をする。
しかし、新聞は下ろさない。
何だ失礼なやつだな、と勘助は思った。
案内所に道を聞きに来た客に対して、顔も合わさず足を組んだまま、その体勢で返事をしたのだ。
勘助はこの小屋からさっさと退散しようと思った。
「あ、すみません、その・・・
道を聞いてもよろしいでしょうか?」
勘助は限りなく丁寧に聞いた。
(俺だけは丁寧でいよう。)
相手の態度を見て考えたことだった。
男はやはり新聞を読んだまま、
「どこへいかはるんでっか?」
と聞いた。
男の態度が腑に落ちない勘助は、ムッとして少し声のトーンを落とした。
「・・・ここの社長、古川さんと面会の約束があるので、社長室へ向かいたいんですが・・・。」
道を聞いたらすぐ出よう。
胸くそ悪いな。
勘助はそう思っていた。
しかし、その男から聞かれた新聞越しの返事は
そのときの勘助にはよく理解できなかった。
「ああ、それやったらここでエエですよ。」
「は?」
「は?って・・・。
だから、ここにおったらええゆうてるんです。」
・・・一体何を言ってるんだ?
勘助は呆れた。
「いや、あの、あのですね、僕が行きたいのは社長室で、会いたいのは古川さんなんですよ。
だから、お願いですから道を教えてください!
それだけでいいんですよ!」
男の動きが一瞬止まった。
(理解してくれたか?)
しかし、勘助の期待は
無惨に打ち砕かれることになる。
「だから、ここでええてゆうてるでしょう。」
相変わらず、足を組み、新聞を読んだままの男が言う。
これにはさすがの勘助も頭に来て、
「だから、古川さんに会いたいんですよ!
頼むから道を教えてください!
僕はあなたに会いに来た訳じゃないんです!」
普段の勘助ならこんな言い回しはしなかっただろう。
しかし、今の勘助は頭に血が上っていた。
しかし、その言い回しはやっと男を動かした。
「だからここで合うてるゆうてんのに・・・。」
そう言って男は膝をもとに戻し、
新聞を顔の前に持ったまま立ち上がり、
そのままの体勢でこちらに向かって歩いてきた。
(えぇ!?)
この男、何がしたいのかわからない。
というか、怖い。
勘助は、その男の奇怪な行動に焦り、驚き、恐怖を覚えた。
男はなおも近づいてくる。
(ちょ、逃げよ・・・!)
身の危険を感じた勘助は、
「ではこれで!」
と、悲鳴を上げるようにして言い残し、逃げようと外に足を一歩踏み出した。
すると、ほぼ同時くらいのタイミングで
「ちょっと待った!勘助ちゃん!」
と、声がした。
(え???
で、何で名前を知ってる?)
勘助は踏み出した足でなんとかその場に踏みとどまり、
ばっと後ろを振り返った。
するとすでに男は新聞を下ろしており、体の全体像(当然顔も)をくまなく見ることができた。
意地悪そうな笑いを浮かべている、直立不動のその男の正体は―
「・・・古川さん?」
「やーっと気付いてくれたか。
うちの牧場へようこそいらっしゃい」
五年前と全く同じ感覚に襲われた勘助。
そう、顔から頭の血がすべて下へと抜けていくあの感覚。
「と、とんだ失礼を・・・!」
勘助は顔を真っ青にして、90度くらいのお辞儀をした。
それを見た古川は腹を抱えてゲラゲラ笑いだし、
「勘助ちゃんはほんまに変わらんなぁ!ハハハ!」
と、頭を下げたままの勘助の肩をポンポンと叩いた。
「すいません・・・」
(またやっちまった・・・)
軽い衝撃を感じた勘助は、
全身から冷や汗が吹き出す感覚を覚えた。
騙されたような、悪いような、とにかく失礼だけはすまいと思ってこの場に望んだ勘助の意気込みは、出だしでけっつまづいた形になってしまった。
これで商談にまで失敗したら芝山にどう顔向けできるだろうか?
そんなことを考えて、心を巡らせビビっていた勘助に、古川は意外にも
「何であやまんの?
まあまあ、顔をあげてえな。
よう来てくれた!
まあ、車が来るまでちょっと話でもしような」
と、全く怒らない様子。
顔をあげた勘助の視界に、ソファを指差す古川の姿が写った。
「はい・・・」
少しだけ安堵した勘助は、言われた通りにソファに座った。
古川は、「そーかそーか、よう来てくれた。」などと呟きながら台所へ向かった。
「ブラックでエエか?」
「あ、いえ、お構い無く・・・」
勘助はコーヒーが苦手であった。
「よっしゃ、わかった」
古川は冷蔵庫を開ける。
(どうやらジュースを出してくれるようだ。)
世話のしたがりは大阪人の気質なのだろうか?
恐らく自分専用なのだろう、マグカップに入ったコーヒーと、缶のコカ・コーラを持った古川は、勘助の向かい側にゆっくり腰を掛けた。
あまり、体はいいようには見えない。
「はい、どーぞ」
コーラを渡された勘助は、少し複雑だった。
勘助は、成人したばかりとはいえもう20歳である。
さすがに、コーラをもらって嬉しがるような年齢ではない。
恐らく古川の中では、まだ中学生の頃の勘助のイメージのままなのだろう。
・・・まあ、確かにあまり変わってはいないのだが。
「さて、時に勘助ちゃん。
コスモバルクを種付けさせたいそうやな?」
「!!」
勘助は驚いた。
いきなり核心である。
「・・・はい、その通りです。」
芝山のレクチャー敬語編はマスターしたつもりだ。
「うん。
芝ちゃんから話を聞いた限りな、確かに相性はよさげやし、話題性もある。
・・・コスモバルクの話でなければ一発OKやねんけどなぁ。」
やはり、古川にはコスモバルクを種牡馬にしたくないなにか理由があるらしい。
芝山の商談マニュアル
「それを崩すべし。」
勘助は思いきって踏み込んだ。
「あの・・・。失礼でなければその理由を教えていただけませんか?」
古川は少し難しい顔をする。
「うん・・・。まあ、な。
いろいろあんねんけどな・・・」
「僕の養育費の話なら芝さんに聞きました。
その節は・・・。」
申し訳なさそうに勘助が言うと、古川は顔を緩めて、
「あぁ、あの話聞いたんかいな!
それやったら話が早いわ。」
と、顎に手を当てた。
「したら、その話は行ってからにしよか。」
「行ってからですか?」
何処へだろうか?
「うん、だからさっき車呼んだんやけどな・・・。
まあ、ここにおってもなんやし、外で馬でも見よか?」
まだ、一口もコーラに手をつけていない勘助だったが、
この空気からの開放が欲しかった今の自分にとって非常にありがたい提案で、
「是非!」
と、返事をしていた。
「よっしゃ!決まりや!」
そう言った古川は既に入り口に向かっていた。
なんとも腰の軽い人である。
勘助は感心した。
あれから数分後―。
勘助と古川は、小屋の外に出たあと、勘助が最初にいた場所に寄りかかって、
二人して馬を見ていた。
その間の会話といえば他愛ないもので、
歴代三冠馬云々、
オルフェーヴルの気性云々、
ディープ産駒云々
といったような、明らかに初心者の会話に古川が合わせてくれている状況のものだった。
そんななか、勘助の何気ない質問から物語は展開する。
「・・・ところで古川さん、何で古川さんが案内所で道先案内をやっているんですか?
その、僕の記憶が古くなければ
古川さん確か社長さんだったような・・・」
古川はキョトンとした感じで勘助の方を見た。
「案内所?一体なんじゃそら?」
勘助はプレハブ小屋を指差した。
「あれのことですよ。」
それを見た古川は、
あぁ、あれな。
といわんばかりに大きく頷き、
「あれはな、実は社長室やねん。」
と、誇らしげに言った。
「え!?あれが社長室!?
あんなプレハブ小屋がですか?」
「勘助ちゃんは手厳しいな~。
いや、まあいかにもプレハブ小屋やけどな」
少し恥ずかしそうに古川が目線を反らす。
勘助は恥をかかせたことを悟り、再び頭から血が抜けた。
そして、焦った。
「あっ、いえ、そういう意味でなくて・・・」
血の無くなったような頭のなかを必死に回転させ、別の質問を探す。
「あっ!そうそう、
えーと、その、何であの小屋を社長室に選んだんですか?」
言ってから勘助はまずいと思った。結局さっきとおんなじことである。
(トドメをかましてしまった・・・)
勘助は自分の会話センスのなさを恨んだ。
しかし、古川はさっきとはうってかわって、この質問には胸を張って回答した。
「よう聞いてくれた!
あれは俺の美徳やねん!」
「?」
「うん、
俺ら馬産に携わるものってのは、馬に生かされてる訳や。
馬がおって俺らが成り立ち、
馬も俺らに世話されてる。
でもな、共存共栄っていう言葉はちょっと違う気がするんや。
俺ら人間はやっぱり馬を経済動物と見るしかないんや。
なかなかええ成績残されへん馬には文句も垂れるし、
走らん馬には出走手当て目当てでとんでもないローテーション組む馬主もおる。
俺なんかでも、酷いときには処分、ちゅうような判断をくださなあかん。
勘助ちゃんもこの間体験したやろ。」
「う・・・。」
勘助は死んだラグフェアーの娘のことを思い出した。
勝手に生ませるようにしむけて、結局辛い思いをさせた。
負担は、人間と馬が平等である、と言うのは確かに違うのではないか。
「まあ、そんな辛い思いさせてる俺らがな、
馬が一所懸命走ってくれて、稼いでくれた賞金を豪華な社長室に使ったりとか、
わざわざ料亭に行って美味いもん食う、ちゅうんは
俺の良心が咎めるんや・・・
せやから、いっつもあそこにすんでるんや。
まあ、金持ちの偽善って言われたらそれまでやけどな。ハハハ・・・」
笑った後、古川は下を向いてがっくりしたように息を吐き出し、
「罪多き商売や・・・」
と呟いた。
「・・・」
勘助はなにも言えなかった。
しかし、古川のその心中を察することは難しくはなかった。
確かに、そうなのだ。
馬によって生かされている我々が、本来、その馬によってもたらされた富をみだりに無駄な装飾に使ったりすることは、不敬に当たるのではないか。
とはいえ、その行動が悪いかと言えば、
それはまた違ってくる。
人間は、だいたい金銭欲をもって働くものだ。
それは、貨幣経済の現代、生活するにあたって必要不可欠のものであり、当然ながら悪いことではない。
馬産という仕事についている以上は、そこから利益を産み出すことを求めることは当然至極のことであり、
そこから裕福さを得ようとすることを、誰が責められようか?
いわば、馬産も仕事であり、
生産者も人間だということである。
「古川さん。僕は、古川さんの考え方、よくわかります。」
古川は少しだけ顔をあげたように見える。
勘助は続けた。
「僕の牧場からの生産馬は、ほとんどが行方知れずです。
いま、どこにいるのか。生死すらあやふやな馬もいます。
申し訳ないとは思います。
・・・いくら経済動物とはいえ、我々はやっぱり馬に敬意を持たないとダメだと思うんです。
古川さんの場合はその表現のしかたが、あのプレハブ小屋だということなんですよ。」
古川はうーんと唸った。
しばらく黙り混んだ古川はそのあと顔をあげ、
そして一言、
「皆が強い馬なら・・・」
と。
「そうですね・・・」
不可能とはわかっていても、皆が皆、強い馬で、処分という方法がとられなければ
我々の苦痛も取り除かれるだろうに・・・
古川の言葉の意味はだいたいそんなものだった。
長く苦しんできたのであろう。
顔は元気そうに見えても、
その話をしているときの古川はひどく疲れているように見えた。
自分もああなるのだろうか。
勘助は、馬産の暗い部分に思いを馳せた。
「社長とお客様~!」
あれからどれくらい時間が経っただろうか。
無言で放牧地を眺めている二人に声がかかった。
振り向くと、スーツを来た運転手らしき男が、
その風貌にあまりにも不似合いな軽自動車の窓から顔を出していた。
「おっ、来たか。
今行く!
さ、勘助ちゃん、そろそろいこか。」
歩き出した古川に勘助は、
「えっ、どこへ?」
と聞いた。
すると古川は少し振り向き、
「目的地!」
と返事した。
(そりゃそうだろう。)
勘助は、大阪人のノリを見た気がして、
一生大阪では暮らせない。
と、思った。
そして同時に、どこへ行くのかという疑問も生まれた。
勘助と古川の乗った車は、
厩舎の多く建つ地区へと
向かっていった。




