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-未来への祝杯- ②

「と、とにかく落ち着きましょう、卯ノ宮さん! ここは一旦、解散にして、皆さんでよく話合わされたから……!」

「まどろっこしい」 

 冬彦は栄一郎の髪を引っ張って、テーブルの上に投げ捨てるとガラスの割れる音が部屋の中に激しく響き渡る。 

 まさか栄一郎まで暴力を振るわれるとは予想していなかったのか、玲子が甲高い悲鳴を上げて駆け寄った。

「栄一郎っ、大丈夫!? 栄一郎!」

 あれだけ雪子とは差をつけて可愛がっていたはずの実の息子に対する扱いとは思えない冬彦の異常な行動に、今まで表情を崩すことが無かった玲子も「どうして」と恐れ慄いている。

 冬彦はそんな妻の表情に一瞥もくれることなく、激しい剣幕で雪子の元へ徐に近づいてくる。

「私を置いて、幸せになろうとでも言うのか?」

「そんなこと、一言も……!」

「お前もお袋のように、仕事にカマをかけて子供を放り出すような女になりたいんだろう?」

「だから! そんなこと言ってないっ」

「いいや、そうだ。絶対そうなんだ……お前は絶対お袋のようにはさせないんだ……お前は私のために、ずっとそばにいてくれるような女にならなくてはいけないんだ……!」

「卯ノ宮さん、やめなさいっ!」

 狂気に満ちた目で、そう雪子の耳元で囁く父の言葉に恐怖の鎖で体が動かなくなる。

 いつの間にかその手には酒瓶が握られており、雪子は父が今から何をしようとしているのかを察して目を瞑った。

(やられる――!)

 降りかかる衝撃に体が強張る雪子の体を、何かが暖かく包み込んだ。

 それを確認する間もなく、叩きつけられた酒瓶の破裂音に耳がキンと痛む。

 しかし、雪子の体はどこも痛みを訴えず暖かさに包まれたままであった。

 恐る恐るまぶたを開けて、雪子は雫を纏ったまつ毛を震わせた。

「秋人さん……っ!」

 あのムスクの甘い大人の香水が雪子の胸いっぱいに広がっていく。

 それと同時に秋人が父の暴力から庇ってくれたのだと悟り、雪子はぎゅっと彼の服を掴んだ。

「あ、秋人さ、うちを庇って……」

「――雪子ちゃんが無事でよかった」

 秋人が雪子を庇いながら立ち上がる。

 その背中にはいくつものガラス片が飛び散っていて、雪子は今自分の身に何が起きたのかを完全に理解した。

「どうして、お前がここに!」

「お、オレが呼んだんだよ……」

 冬彦の問いに答えたのは栄一郎であった。

 秀己と玲子の2人に抱えられた栄一郎は、苦悶を滲ませながらも冬彦を挑発するかのように笑った。  

「オレが雪子と暮らしていたのは、雪子が幼稚園に入る年頃くらいまでの数年だったけど、父さんと母さんがそいつに冷たい態度をとっていたことは覚えてる」

 ――だから、栄一郎も父母に倣って雪子に冷たくあたれば、優越感に浸れた。自分こそがこの家にとって必要で、両親からの愛情を独り占めできているという独占欲が彼を心地良くさせた。

 その後、雪子は祖母に引き取られ、栄一郎はこれで自分たちは“真の家族“になったのだと錯覚していた。

 厳しいが栄一郎の将来のために月謝の高い塾へ通わせ、大学への費用、その際の一人暮らしにかかる費用を全て捻出してくれた父。

 その父に何の文句も愚痴もこぼさず、朝の服選びから栄一郎が1人暮らしている部屋の片付けから食事の用意までしてくれる優しい母。

 完璧な家族だと思っていた。

 上司である富山勘司が自分の妹に惚れていることを知ったのは、飲み会での席で盗撮したと思わしき写真を見せてくれた時。

 雪子の目元にある黒子ですぐに分かった。

 周囲の人間が勘司の盗撮写真に引いていることには気がついたが、栄一郎はこれを好機と捉えたのである。

 あの地味女のことだから、どうせ男っ気もないに違いない。女は生来結婚したがる生き物だし、と言う親切心のつもりもあった。

 それがあの日、ゴルフクラブを手に暴れ回る父を見てからと言うもの、自分の認識と行動がどれだけ世間一般から離れていたのか、栄一郎は気がついてしまった。

「だったらなんだ! あの土地がどうなってもいいのか! 私にも遺産をもらう権利はあるんだぞッ」

「そっちがその気なら、受けて立ちますよ。こちらには雪子ちゃんがあなたを襲った時の診断書もある」

「目撃証言ならオレがする。それでも裁判沙汰にするのか、父さん」

 圧倒的不利な立場にいることに気がついた冬彦は、わなわなと拳を震わせて悔しさから下唇を噛んだ。

 そんな父親とは到底思えない振る舞いをする冬彦に、秋人は軽蔑の眼差しを向けた。

「あなた、仮にも雪子ちゃんの父親なんですよね。雪子ちゃんをいじめて、何が楽しいんですか」 

 静かながらも怒りの業火を燃やす秋人の言葉に、時が止まったかのように冬彦の動きがぴたりと止まった。

 ――母さんをいじめるな!

 幼き日の冬彦の姿が瞼の上に浮かび上がり、その姿が目の前で雪子を庇っている秋人に重なって見えた。  

「ち、違う……わた、私はあんなクズとは違うんだ……私はただ、ただ」

 ぶつぶつと呟きながら後ずさる冬彦は、やがて畳の上に落ちていたガラス片を踏んでへたり込んだ。

「お前らはもう行け、あとはこっちで片付ける……うっ」

「だ、大丈夫かい、栄一郎君! 待ってなさい、救急車を……いや先にお店の人を」

「栄一郎……っ、ああっ……」

 打ちどころが悪かったのか、背中を押さえて悶え苦しむ栄一郎だったが、これ以上野次馬が来る前に出ろと急かされて、雪子は秋人に背を押されるようにして料亭を出た。


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