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- 不穏を告げるアップルティー - ④

(勝手に注文された……)

 今日はお肉の気分で、パンの食べ放題もつけたかったのに。

 それに雪子はコーヒーは苦手で飲めない。

 しかし、今更言っても冨岡母の神経を逆撫でするだけだろう。雪子は言われるがままになるしかなかった。

「ちょっとあなた」

「な、何でしょう……」

「気が利かないわねえ、お冷とってきなさいよ。勘ちゃんの喉が渇いちゃうじゃないの」

「失礼しました!」

 ランチの時間帯のこの店舗のお冷はセルフ式なので、座っていてはいつまでもやってこない。

 人様の家庭に口を出すのはどうかと思うが、確か勘司の年齢はすでに50代に入っていたはずだ。

 女子校育ちで、仕事でもほとんど男性と関わりがない雪子には分からないが、外で50代の息子をちゃんづけで呼ぶのは普通なのだろうか。

 雪子は慌てて3人分のお冷を用意して、気まずい雰囲気のまま再び席に腰を下ろした。

「ねえ、勘ちゃん。本当にこんな気の利かない娘がいいの? ママ、何だか心配だわあ」

「ママなら雪子を富山家にふさわしい女に躾けてくれるだろ?」

「それにしたってねえ……こんな若さしか取り柄がないような小娘……」

 値踏みするような富山母の視線とねっとりとした富山勘司の目つきに、雪子は空気になるべくひっそりと息を潜め、自分を押し殺した。

 雪子は承知していないとはいえ、仮にもお見合いの場だというのに、富山母がペラペラと一方的に喋って勘司はほとんど喋る気配がない。

 時間が遠いような、映画のスローモーションのような時間が流れ、ようやく料理が届けられて雪子はこれで少しは静かになるだろうと思ったのだが、その願いは呆気なく砕け散った。

「何これ、変な味のソースねえ。勘ちゃん、いつものソースいる?」

 そう言って富山母は鞄をガサゴソと探ると、何と焼肉ソースを出しておもむろにステーキにかけ始めたのだ。

 これには雪子や店員のみならず、周囲にいた客もドン引きと行った様子で言葉を失っていた。

 本来ならば店から注意が入るかもしれないが、先ほどの件があったせいか“下手に口を出さないでおこう“という店員のオーラすら感じる。

 そして焼肉ソースがかかったステーキを富山母がナイフで細かく切り分けて、富山勘司はクッチャクッチャとそれが当たり前かのように食べていた。

 (……美味しいはずやのに、全然味がせえへん…………)

 前に大阪支店のスタッフと食べた時は、いいお店を見つけたと思うほど美味しかったのに。

 その記憶がどす黒く上塗りされたようで、雪子は気分が悪くなった。しかし、それをおくびにも出さず何とか食べ進めようとするも、不意にフォークが伸びてきて、付け合わせのポテトが勘司の口へと消えていった。

「勘ちゃんはポテトが好きなのよ、ねえ〜?」

 まさかこの世の中に他人の食べ物を勝手に食べる人間がいるとは。

 せめて一言断りぐらいあれば、と思ったものの、もうすでに雪子の常識から遠く離れた2人にいちいち反応することすら疲れた。

 ただただ一刻も早く時間が過ぎてさっさと終わりますようにと、願わずにはいられなかったのである。

「そういえば雪子さんは生理はちゃんときてるのかしら? 変な病気とかも持ってないでしょうね、うちに嫁ぐからには後継をしっかり産んでもらう必要があるから、仕事も辞めてちょうだいね。それから結婚したらすぐにうちで同居してもらって――」

 これがランチタイムで良かった。

 富山母はランチタイムで店が一旦閉まるまでの間、ずっと途切れることなくマシンガンの如く話し続けようやく解放された頃には雪子はすっかり疲労困憊を極めていた。

 あえて救いがあるのならば、お会計は割り勘にしてくれたので雪子と富山親子の間に貸し借りが発生しなかったことだろうか。

 雪子が先に支払いを済ませ、店の外で富山母がお会計をしている間店外で待っていると、背後から勘司が、雪子の左肩をぐっと掴まれた。

「今日の服、かわいいねえ」

「……知人の方が、選んでくださって」

 恥ずかしくない格好といえば、秋人との2回目のデートのためにあつらえたシフォンワンピースしかなかったのだ。

 富山とのお見合いだとわかっていれば、着てこなかったのに。

「近くで見たら、透けて見えたりしないのかなあ」

 富山がそう言い終わらないうちに、全身に鳥肌が立ち反射的に距離を取った。

 嫌悪感を露わにする雪子に、富山は「冗談冗談」と笑う。

 ――ああ、これが惨め、という気持ちなのだろうか。

 やっと雪子に話してきたかと思えば、セクハラだなんて。

 これだけコンプライアスが叫ばれている世の中でこんなことをしてくるということは、彼は雪子を“そういう風に扱ってもいい存在“としか見えていないのだ。

 だから平気で雪子が嫌がっていることにも気づかないし、仕事の邪魔をするようなことをし続けてくるのだろう。

(うちが……そんなことをしてもいい程度の価値しかない女やから)

 惨めすぎる、今すぐに帰りたい。

 そこへ会計を終えた富山母が戻ってくると、最後に

「じゃあ、今度会う時までに富山家にもっとふさわしい振る舞いを身につけてちょうだいね」

 という台詞で締め括られ、富山親子はエレベーターで降りていくのを見送る。

 ようやく、嵐が過ぎ去った。

 もう恥ずかしくてあのお店には行けないと雪子は重いため息を吐いて、早く帰ろうと踵を返した時「待て」という言葉が雪子の足を止めた。

 全身に緊張が走り、口内が酷く乾く。

 頭の先から血の気が引いて、一瞬視界が遠くなった。

「に、兄さん……」

「そうだ、お前の兄の栄一郎だよ。元気にしていたかな、我が妹よ」

 雪子より3つ上の兄は、雪子とは違い両親からの愛と金銭を惜しみなく注がれた。

 そのせいか、顔のパーツの1つ1つははよく似ているのに、栄一郎はギラギラとしたこの灼熱の太陽のようなオーラを纏っている。

 それは顔や雰囲気だけでなく、ちょっとした言動にも現れていた。

「立ち話もなんだ、近くのラウンジでも少し話そうじゃないか」

「……話すことなんて、なんもあれへん……どうぞ、東京にお帰りください」

 兄も生まれは雪子と同じ京都であったが、雪子が祖母に引き取られてすぐ、栄一郎に相応しい教育を求めて東京に出て行ったのだ。

 そして今、両親の甲斐甲斐しい献身の末、大企業に就職したと聞いている。

 そんな兄がどうしてここにいて、騙し討ちのような真似をしたのか。

 精一杯の怒りの言葉を栄一郎に向ける雪子だったが、そんな怒りを滲ませる雪子を栄一郎は鼻で笑ってあしらった。

「なーに怒ってんだよ、生理かァ? 女の子は大変だなあ」

「あんな……勝手にお見合いだのなんだのって……、意味がわからへん。うちのことは地味な女って、笑ってたくせに……」

「そう! そんな地味な女を嫁にしてやるって言ってくれた奇特な人だったからな。お膳立てしてやろうと思って」

「何それ……うちにお見合いさせることと、何の関係が……」

「富山さんは俺の会社の上司だからな。今日ここに来たのも、仕事の都合で。お前と富山さんが結婚すれば、俺の出世も間違いなし、将来安泰ってわけ――もちろん、親父も了承済み」

 俺の会社がちょっと古い体制のところでさ。とヘラヘラと笑う兄の栄一郎をこれ以上見ていると、怒りで頭がどうにかなりそうだった。

 つまり、兄の栄一郎の出世のために両親も雪子を生贄にするつもりだったのだ。栄一郎だって、会社が同じなら富山がどういう人間かわかっていたはず。

 悔しくて、惨めで、怒りのあまり目の奥が熱く燃え上がるようだった。

 「お前ももう24だろ? 富山さんは金も地位もある。若さが取り柄のうちに、結婚しておいた方がいいだろ?」

 結婚という単語に反応するかのように、脳裏に思い浮かぶのは穏やかに微笑んで雪子に熱っぽい視線を向ける、秋人の姿であった。

 今まではずっと、自分なんかでは相応しくないと思っていた。

 でも、ずっとストーカー行為をはたらいていた富山と結婚しろと突きつけられた事実が嵐となり、雪子の心の波が激しく荒れ狂っていた。

「地味な女だって言って悪かったよ。お前だってそんなかわいい格好して、男を誘うようなことをするようになったんだもんなあ」

「それは……ッ!」

 違う、と言いかけて雪子は俯き、唇を噛み締めた。

 そうだ、兄のいうとおりだ。

 この服装は秋人に褒めてもらいたくて買った、下心に塗れたワンピースなのだ。

 汚い、汚い。自身の浅はかさに吐き気さえする。

「落ち着いてよく考えろよ。自分の程度にあった身の振り方っていうのをさ」 

 そう雪子を嘲笑い、栄一郎は「またな」と言いながら去っていった。

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